007
鏡を確認して、静かに帰ってきたシバターは、リコリスの対面席に静かに座った。
うなだれるシバターの姿に、おそるおそるリコリスは声をかけた。
「どう、したの?」
「――この体、本物とそのまま、でした……」
顔をあげること無く、シバターはつぶやいた。
実際、シバターの容姿は少しだけ違っていた。
身長よりもいくらか縮み、顔のシワや白髪混じりだった髪からは老いの要素が消えていた。社会人、青年期をも逆行し、学生服を着ていた頃に近いとシバターは自分の顔を見て思った。
シバターからすれば大きな変化だが、傍からみれば大したことはないということを今までの経験からよく知っていた。
自身は丸顔に、たれた眉と目尻の下がったどんぐり眼。穏やかな印象をあたえるなで肩と同年代男性の平均より低い身長と併せて『若く見られがちの容姿』は健在だった。シバターは今まで実年齢に見られたことは一度もなかった。老け要素が消え去って、さらに若く見えるような容姿になったとしても、『志波田』であることが知り合いにごまかせるとは思えなかった。
種族もリコリスのようにエルフ種やナオのように獣種でもない、完全なる人種。髪の色も長さも学生服を着ていた頃から一切変わらない身長まで(ぱっと見た印象ではあったけれど)、鏡で見る自分は現実で見る姿と同じように思えた。ゲーム中の活動に違和感があったとしても、身長を変更したら少しは印象を変えられたのに、と後悔する。
「知り合いの方を驚かすよりも、知り合いに驚かされそうね。いや、ゲーム中にリアルのままの知り合いが現れても驚くは驚くかしら……」
それも少し面白そうだけど、とリコリスは口にする。だが、すぐに苦笑いを添える。
「そんなにそのままだと、意図しない人にまでVR中だって知られちゃうし、危険よね。VRのヘッドセットをつけてしまうと本体が無防備で意識がないようなものだから、一人暮らしのVR中の人がいる家を狙った空かず巣も増えてるっていうし……。アバタークリエイトをやり直してもいいと思うけど」
リコリスが言った事件はシバターも聞いたことがあった。クラドラのような感覚をすべてバーチャル・リアリティに繋がてしまうオンラインゲームが出てから空き巣による被害が増えたという。
全感覚型VR中では外部の情報が一切感じることができない。更に、発売当時は自分の顔をそのままスキャンして利用するプレイヤーが一定数存在した。そういった『現実と同一の顔情報をもつアバター』を用いて多人数参加型のゲームをプレイすることで外部に『家に何をされてもわからない本人が在宅している』という事実がわかってしまった。そうした事実を悪用したのが一人暮らしの全感覚型VRオンラインゲームプレイ中の家を狙った『空いていない』家の空き巣、通称空かず巣だった。
ただ、そういった悪事が増えてからゲーム側も対策として顔情報をスキャンしてアバターに利用する際にもそのままではなく、システムから補正が入るのが一般的になっている。
シバターはこの一般的なVRゲーム事情は知らなかったが、アバターを作成時にシステムから言われた「容姿の決定はシステムからランダムに行われます。現在の印象・特徴は引き継ぎつつ、『似ている他人』レベルまで補正を行います。ランダムの結果を変更する場合は『リテイク』を指示してください」という言葉の『似ている他人』を、信じた。久しぶりのゲームにワクワクしていたものだから、リテイクは一度も出さず、そうして決定した容姿の確認もゲーム内で行うつもりで、今ここまで来てしまった。
自身の名前といい、容姿といい、リコリスの「作りなおす」考えは魅力的に見えた。
しかし、同時にそこには難題が立ちふさがっていた。
「作り直しということは、データの撮り直しなんですか?」
「そうなるわ。ちょっと大変……かもね?」
「はい、できれば避けたいところですが」
クラドラはVRゲームの中では珍しく、1週間にも及ぶリアルでの準備が必要だった。
準備するのはプレイヤーの1週間の生体データ。取得のためには専用の機器を付けて過ごす。一回足りとも外しては行けないため、お風呂は面倒、日常生活をおくる中では機器が服の外から見えてしまわないように気を使う、と結構な手間がかかってようやくプレイできる。
もう一度あの機械と一緒に過ごすことを思ってげんなりしているシバターに、リコリスが励ました。
「ほら、元気出して。名前はそんなに珍しくないんだから、見た目だけなんとかしたら作りなおさなくてもいいんじゃない?」
「あらァ、どうしたのォ?」
そこに入ってきたのはリコリスが飲み終わった紅茶のカップを下げに来た長身の猫、ナオだ。
リコリスがナオにシバターの見た目が好みでないため側からわからないくらい誤魔化したいという旨を説明する。『シバターの容姿が現実とは同じである』という事は個人情報にあたるため伏せているようだ、ということに気づいて頭がさがる思いだった。
リコリスから話を聞き終わると、ナオは面白がるように瞳を輝かせた。
「つまりィ、変装したいってことでいいのかしらァ?」
「!そう、そうなの!」
「私のお古でできるんじゃないかしらァ」
「ナオちゃんほんと!?」
「余ってるしィ、やってみましょォ?」
ナオの提案を名案とばかりに食いつき、提案者も楽しげに話しに乗っかってきた。
「じゃ、シバターさん、着替えちゃいましょう!」
「え、ええ??」
本人は完全に置いてきぼりになったまま、ナオとリコリスに伴われてギルド内の試着室へと引きずられる。周りの冒険者達の好奇の目に気付いてからはシバターはちょっと足早になったけれど。
連れられてきたギルド内の試着室は間仕切りをするだけの簡単なもので、ギルド内の騒がしさに比べて閑散としていた。そのことをナオに聞いてみると、「ここのギルドで扱ってるのはァ、初心者用のしかないからねェ。ほとんど使われてないわァ」とのことだった。
「装備の切り替えは実際に武器を持ち替えたり着替えたりする方法とメニュー画面から切り替える方法があるんだけど、試着は実際にやっちゃうほうが早いから」とはリコリスは言いながら試着室にシバターを押し込む。
シバターは服とともに押し込まれてから「女性の服でサイズが合うものなんてあるだろうか、なんだかおかしなことになるんじゃないか」と当たり前の不安を抱えながら服を脱ぎ、着替え始めるのだった。
シバターが不安に感じていたサイズ問題はナオの『衣装持ち(別名、捨てられない症候群)』の実力によって粉砕された。身長が全く異なるシバターであってもサイズの合う服、要望のあうアクセサリーを自分のもつ死蔵から引き出して見せたのだ。
まず、顔を隠すための小道具。
はじめはスカーフで隠したり、仮面をつけたりと試してみたものの怪しすぎて却下になった。
結局無難なメガネに落ち着いた。ただ、メガネはシバターがリアルの方でもラウンドのメガネをつけていることを伝えると、ナオはレンズが四角で大ぶりな黒縁のウエリントンメガネを差し出してきた。顔の幅には意外にもフィットした。
次に、場合に応じて顔のラインを隠せるフライトキャップが選ばれた。サイズについては長い毛皮で帽子の中につけられているため浅くかぶらなければずれることもなさそうだった。もともとナオが利用していたため、猫の耳が収まるように頭頂部の左右に三角に膨らんでいる。
服は体型がわかりにくく、今後革などの鎧をつけれるようにナオのチュニックを渡された。赤から始まり色とりどりの色合いやサイズを試したが、目立たないように地味な色合いのものを選ぶことになった。
そうして『ぬののふく(上)』は長身のナオからもらったチュニックに着替え、『ぬののふく(下)』と『簡素な靴』はそのままに、『きのぼう』はチュニックに引っ掛けてそのままである。追加装備としてフライトキャップとウエリントンメガネを身につけた。
そうしてシバターは確かに、別人に仕上がった。
「あらァ、可愛いんじゃなィ」
「ふ、ふふふ。シバターさん、似合ってますよッ」
ナオはにやりと、リコリスは吹き出しそうになっている。
「あの、私の性別はリアルもこちらも男なのですが」
とりあえず言われるがまま身につけた帽子とメガネのために眉が隠れ、顔の詳細は分かりにくく、どんぐり眼だけが目立って見えるだけになった。長身のナオにとってのチュニックはシバターにとっては膝上のミニワンピースのようであったために、女性のように見えなくもない。
「女の子になっちゃえば、ふふっ、バレることはないですよ」
「そうよォ、性別がわからなくなるって最大のカモフラージュよォ。それに魔法を使う人はローブを羽織っていることも多いから、男の人であっても別に問題ないと思うけどォ?」
好きなように言ってくるリコリスにナオからのフォロー。確かにそれは一理あるとは思ったが、シバターはなんとか反論をひねり出して首を振る。
「この長さではちょっと動きづらいです。たたかう際に邪魔になってしまいます」
シバターは屈伸したり、歩いたりと動いて歩幅の制限があることを見せると、二人は納得の顔をした。チュニックはナオのサイズであるため、上から下まで遊びがない作りになっている。そのため腰から下、足の動きに邪魔になる。また、ぬののふくのズボンは簡素な作りのうえ太さがあるので長いチュニックとかすれてしまい動きを阻害するのだ。
「シバターさんは前衛……剣や盾を持って敵と戦うのを志望してる感じ?後衛の魔法使いならそんなに動きは気にしなくてもいいんだけど」
リコリスの言葉にシバターは少し考えて、頷く。
「魔法使いもいいんですが、剣を使って戦うってちょっと憧れがあるんですよね」
すこし照れて、シバターは笑った。
「いまの組み合わせ、可愛いんだけどなぁ……、あっ、下のぬののふくを脱いだら?ミニスカートの女の子に見えるんじゃない?」
リコリスは食いさがるが、シバターは首を横に振った。
「下を脱いだりしたら、動き次第では下着が丸見えになりますし……結局チュニックの歩幅制限の回避策にはなりませんよ」
リコリスは少し唸って「確かに、戦いに行く格好じゃないわね」と残念そうに言って、諦めた。だが、ナオの衣装武器庫はまだまだ火をふいた。
「じャァ、こっちよォ。さっきのより長いけどォ、鎧の留め具をつけるためにちょっとスリットを入れてもらってるのォ。あと、こっちのタイツはほとんどパンツぐらいに厚みがあるけどストレッチが効いてて動きやすいはずよォ」
差し出されたのは深緑で今身につけているものより少しだけ長さがあるが、深くスリットが入っているチュニックと厚めの黒いタイツだ。シバターは頭を回転させる。スリットの効果で動きは阻害されないし、タイツは細身でフィットするため動きやすいだろう。それを身につけるということへの反論は自分の心(リコリスのような冒険者ぽい格好してみたい)という以外になく。
「……はい、ありがとうございます」
シバターは深緑のチュニックと厚手のタイツを片手に試着室に引っ込んだのだった。
そうした膨大な試着の果て、『ぬののふく』は深緑のチュニックと厚手の黒タイツに、ついでにということで靴はサイズが紐で調整可能な柔らかい革のブーツになった。
「これ、やっぱり女の子感でてますよね」
「ふふふ、身バレはしなくなるんじゃないかしら」
鏡でリコリス、ナオ、シバターの三人が並んでいる。美しいエルフ冒険者、猫メイド、街中で見かけそうな一般人女性といった風情だ。ただし一般人は木の棒を腰にぶら下げないのでそこだけ違和感があった。だがその違和感がかろうじていまの自分を冒険者たらしめているはずだ、とシバターは心を慰める。
「じゃあ、シバターさんメニューから装備品を確認してみよっか」
「はい。そういえば、さっきメニューを声でなく考えるだけで開かないか試していたのですが、失敗してしまって」
「ああ、頭の中で唱えるだけじゃなくて頭の中で開く映像をイメージしてみることで開くのよ」
「なるほど、やってみます」
シバターは開いた際に出てきたときの映像を思い浮かべながら、メニュー表示を唱えてみる。すると、先刻は一切開かなかったメニューはあっさりと開いて、思わず感嘆の声が漏れる。
「じゃあ、その中で『ステータス』を選んで確認してみて。装備されているところだけが表示されているはずだから」
リコリスから指示されるままに、ステータスを選択すると、ズラリと情報が羅列され、その情報量に目が眩んだ。ざっとみてみると装備品の他には能力値なども表示されている。
ともかく、装備の項目をみて、シバターは今度は先ほどとは違う意味で頭痛がした。
『名前:シバター
装備品:
武器→木の棒
頭→猫のフライトキャップ、かいせきのメガネ
体→森人のチュニック
下着→ぬのの下着、シノビのモモヒキ
靴→暴れ馬のブーツ』
明らかにおかしな項目がある。
「あの、このタイツ、モモヒキって出てるんですけど、下着がそのまま見えていることになりませんか?」
「あらァ、ほんとうねェ。私は冬山のインナーに来てたから気にしてなかったけどォ……装備しない限りわからないから問題ないわよォ」
ナオはピンと伸びたヒゲをピクピク揺らす。笑いを耐えているのではないだろうか、とシバターは邪推したが、ふさふさの毛皮に隠された感情は分かりにくかった。
「まあまあ、とりあえずアバターの作り直しにはならないと思うし、いいんじゃないかしら?ナオちゃん、この服はいくらくらい?それともこの服はシバターさんにあげても大丈夫なの?」
リコリスがナオに訊いたとき、初めて手持ちの金額に思い至った。シバターはメニュー画面の残金に目を滑らす。100あった残高はクレープを食べて85。
「あらァ…そうネェ、それでもいいのだけどォ。そういう特別扱いってあんまり初心者によくないわよねェ。でも結構前に使っていた装備だしィ、シバターさんにはファッションショーを楽しませてもらったしィ。半額でいいわよォ」
ナオがそう言うと、シバターの前にとウィンドウが現れる。
『ギルド職員のナオより、複数の装備品(6450マル)の購入します。
(はい) (いいえ)
※所持金 85マル』
明らかに代金が足りない。
(びっくりするほど冒険にでかけませんが、そろそろ出かけるはずです)