003
PKをしないことと少女に再会した際にはきちんと謝罪しようと心に決めた。
決めたはともかく、この重くなった空気を打開したい。重いと感じているのはシバターのみで、リコリスの笑顔は健在であったが。
「シバターさん、初心者だよね」
「……はい、そうですね。先ほど、確認していただいた通りです。」
切り替えられた話題にシバターは12もなく飛びつく。
「ソロ志望?」
「ソロ?」
「オンラインゲーム未経験だっけ。そうそう。パーティを組まないで一人で活動するってこと」
「ぱーてぃ……ああ、仲間を引き連れて一列になるような」
「一列?うん仲間はあってる。そういう風にゲームするかってこと」
「はい、そう、ですね。仕組みがそもそもわかっていませんから……ソロもなにも。」
シバターはリコリスの言葉をオウムみたいに繰り返して、そのことごとくが明確な答えを持っていない事をつきつけられた。
彼が遊んだことがあるゲームの多くは古き良き時代の遺物であって、そういった『ゲームの当然』が最近のゲームで通用するものかさえ怪しかった。
「そもそものVR経験は?ほら、アクティビティみたいな……。最近は旅行が擬似的に体験できるものもあるし、サッカーや野球、変わったのでパラグライダーとかさ。VRはシステム自体は昔からあるものだし」
リコリスの確認にも、シバターは申し訳なく首を横に振る。
「興味はあったのですが、なかなか機会に恵まれなくて。家庭に普及したのはここ十年くらいでしたか。私がこうして始めたのもたまたま、……だったように思います」
シバターは経緯を思い出そうとして、ふとそこが靄がかかったように曖昧にしか表現できないことに気がついた。ポンコツな頭をたたいても引っ張りだせない程度の些細なこと。それに引っかかりを覚えて、眉をひそめた。
記憶の中のひっかかりに頭を傾げるシバターの姿は、リコリスからは不安を隠そうとする仕草に見えた。
リコリスは「ま、私にまかせて!」と胸をはって、ニンマリ笑う。美人の笑顔のパターンをこの短時間にこんなに見る事になるとは、シバター自身驚きである、と頭の片隅でうろたえる自身を客観視しながら一歩彼女から、なにか企んでいそうな雰囲気に一歩分だけ距離をとった。
なお、胸を張った双丘がささやかだったのは、革の鎧のせいであろうことを補足しておく。
シバターはVRの町並みが変わってきた。白い石造りが多かった建物から木の建物が中心になり、3階建ての建物も多い。また、まばらだった露天が増え、市場の様相になってきていた。珍しげに眺めながらふと、目的地がどこか知らないことに気がついた。
「向かっている先とはどんなところでしょうか」
シバターにとっての率直な疑問は、リコリスにとっては変化球だったようで、どう説明したものかと考えあぐね、二、三回口を開け閉めしてから言った。
「プレイヤーの役所みたいなものかしら。クエスト受付窓口と銀行は使う事になるでしょうね」
その言葉から眼鏡と七三、スーツ姿の職員が勤勉かつ几帳面に仕事をするオフィスの横でエルフのリコリスと自分が座っているちぐはぐさが頭をよぎる。
「そんな公的なところで雑談なんてできるんですか?」
「私の説明がわるかったかもしれないけど、多分、シバターさんの考えているのとは違うとおもうわ。まあ、行ってみてからのお楽しみよ」
リコリスは薄く笑った。
シバターもそれはそうか。それに、ついたら分かることだ、とその話題はおしまいにして改めて周囲を眺めることに戻る。
木の建物の多くは路面店で、大通りの中央に露天が広げられ、相当ににぎわっている。店は紙や石けんのような日用品を売っているところから、飲食店まであって、香辛料の香ばしさがシバターの鼻孔をくすぐった。
「飲食店では、飲み食いができるんですか?」
「そりゃあ、飲み食いの店だからね。味覚や聴覚、嗅覚がVRで再現できるようにいじくりまわされて、いまやすっかり精神の格差はなくなってしまった!……ってさ」芝居役者もかくや、朗々と述べたリコリスにシバターは曖昧に微笑んだ。
「おいしいのはいいことですね。そうか、クラドラでの食べ物は空腹ゲージの回復の役割があるんでしたっけ」
シバターがゲームを始める前に得た情報は少ない。ゲームのパッケージには説明書は無く、ゲームのデータがはいったメディアの他には挨拶文とシリアルコード が記載された紙が1枚きりだった。公式では世界観が簡単に公開されているのみ。個人が公開している情報を探しにいくと各々が自由に情報を流す乱気流が発生 していて、さらにその気流は新旧の情報が入り乱れ、混乱の嵐に巻き込まれるのは必死だった。
結局、先入観無くゲームを楽しもう、と前向きに調査を諦めた。
「そ、 そうよ。お店で売っている商品だとあまりないけれど、食べる事で能力に補正がかかるものもあるわ。あと、補正っていってもプラスに働くものばっかりじゃな くって……例えば、腐ってる食べ物だと状態異常にかかることもあるの」リコリスはシバターの冷静な対応にもめげずに言葉を続ける。
「状態異常って、えっ、腐るんですか」
「時 間経過の概念があるからね。ゲーム内のアイテムを利用する事で劣化を防ぐ事はできるんだけど、そうでない場合は自然をシミュレートしているから、お皿の上 のパンはカビの胞子の苗床になって、分解、脱水を行って腐敗していくの。多少映像はデフォルメ化されているからそこまで凶悪な見た目にはならないけどね。 まあ、そうして腐ってしまったものを食べると……状態異常が発生して、感覚としても痛みとかの異常がおこるんだって。痛いのはお腹らしいんだけど、私は怖 くて試してないわ」「……痛いんですか」
リコリスの表情は挑むような光を宿してシバターを見る。
「ここではね、生きてるのとほとんど同じ感覚があるの。シバターさんみたいな初心者は、クラドラはハードル高いかもしれないよ。玄人向けゲームって側面が強いし」
「はい、そうかもしれませんね」
あら、うけいれちゃうんだ、とリコリスは唇を尖らせた。シバターは変わらぬ曖昧な笑みを浮かべるが悲壮感はなく、「やってみなければ、わかりませんので」微笑んだ。
「ま、そうね。遊び方っていうのは人それぞれよ。ほら、あの屋台を見て」
リコリスの視線が立ち並ぶ屋台のうち、行き先にある一つを促した。その店舗は天幕が急ごしらえで作られたのがわかるほどに簡素で、やっつけであるわりに人 だかりができていた。遠目で見ていても何を売る店なのかさっぱりわからなかったが、近づいていくほどに甘い砂糖の香りが漂ってきた。
「あのお店は、プレイヤーが経営しているお店なの」
「プレイヤーが?お店を出せるんですか?ゲームの中で?」
売り物が見える距離まで近づいて、売られているのはクレープだとわかった。
1畳分もある大きな鉄板の上で、丸く、うすく生地を広げたエプロン姿の店員は、頃合いを見計らうと手慣れた手つき焼き上がった生地をまな板の上に広げる。 すると横に控えていた眼鏡の青年が手早く生クリーム、赤いイチゴに類似した(ただし、種にあたる表面の粒が見当たらず、つるりとしている)果物を並べて、 茶褐色のチョコレートソースを格子状に盛りつける。迷いのない手際に、練度の高さを伺わせる。
「本職じゃない、のですよね、あれで」
「そうね。ああやって動いているのはゲームの演出効果の一つなの。クラドラだと、アイテム1つ作るのにあんなに凝った演出をつけているけど、他のゲームはもっと簡素だわ。アイテム作成をメニューから選んでピカッてエフェクトが走って、アイテム生成完了!ってかんじかしら」
「演出?あの動きが?」
滑らかな熟練された指先の動きがVRの機能、あるいはゲームのソフトウェアの演出で、実際の動作に何も影響が無いとは思えなかった。シバターの胸に去来し た信じられない、という想い自身がこのような演出を考えた作り手の思惑だっただろうか、と想像した。目を見開いたシバターにリコリスはいたずらな眼を光ら せて笑った。
「どうせだし、1つ食べてみる?」
「……ええ、ですが、お金がありません」
シバターはログインしたての初心者で、所持金に心当たりはない。だが、リコリスは笑う。
「大丈夫よ。初回ログイン直後はちょっとだけお金がはいってるはずだから。まあ、これくらいなら奢ってもいいわよ?」
「ただでさえご指導頂くのに、お金まで面倒見てもらえませんよ!ええと、あれ、お金…?」
シバターはポケットに手を突っ込んでみるが、中には何も入っていない。ログイン時から持っているものは腰につけられた木の枝と、布の服だけ。ジャンプしてみてもちゃりんとも言わない。
「どうしたの、飛び跳ねて」
「いえ、お金はどこにはいっているのかと」
「ぷふっ!?だからって、そんなカツアゲのしめのような確認方法とるの?ふふふふふふ」
再びリコリスは腹筋のあたりを押さえながらなんとか笑いをこらえようとしたが、うまくいっていない。シバターはリコリスの笑いのツボがよくわからないが、何をしても笑われてしまっているように感じて、困惑する。
「や、やってみたほうが早いかな。シバターさん、売り場まで行って注文してみたらいいよ」
「え、文無しですよ?」
「もってるから。大丈夫大丈夫」
シバターは不安を抱えて天幕に向かう。人の波が切れた間を見計らって、手際の良い青年の前までやってきた。「いらっしゃい!ご注文は?」軽快な青年店員の 挨拶にシバターは先ほど見えたイチゴっぽい果実が挟まれたクレープの見本につけられたタグを読み上げる。「ラファエーズとチョコレートのものを一つ」
「あいよ!」
青 年はすでに焼き終わって重ねてあった薄生地を木製の先が丸くなったスパチュラで器用に一枚だけすくい上げて作業台に運ぶ。そこの上に小さなめなイチゴもど きを均等に並べ、チョコレートソースと白いクリーム(おそらくは生クリーム)で格子状にデコレーションする。くるくると手早く丸め、四角の薄紙を下半分に 巻けばあっという間にクレープが出来上がった。 「はい、どうぞ!15マルだよ」
青年に差し出され、とりあえず商品を受け取ろうと手を伸ばすと、クレープに触れる直前に、目の前に突然障害物が現れた。
「!?えっ」
それは指先に当たったはずだが、痛くはない。半透明の四角いスクリーンは腕をすり抜けている。
『屋台グラーリの店主より、ラファエーズとチョコレートのクレープ(15マル)の購入します。
(はい) (いいえ)
※所持金 100マル』
それはまさしく、ゲーム内でシステムメッセージを表示するウインドウだった。
びっくりしてリコリスをみると、お腹をとうとう両手で押さえてプルプルしている。「ひーっ、ひーっ……」息も絶え絶えで、回答は期待できなさそうだ。
視線を元に戻すと、半透明のウインドウ越しに青年売り子と目があった。
「どうした?」
怪訝げに首を傾げた青年に、シバターは正直に伝えた。
「どうしたらいいか、わからなくて」
「……もしかして、買い物ははじめて?」
青年はクレープを指し棒代わりに、ウインドウを示してみせた。
「はい、こちらは操作しないといけないのでしょうか?」
「取引を正常に終わらせる場合は『はい』を選択したらいい。金額は足りているかい?」
所持金は100のようなので、十分だろう。
「はい、大丈夫です。選択というと、ええっと」
シバターは指を宙に指し示して、半透明の宙に浮かんでいるウィンドウの(はい)に指先が重なるようにもっていく。宙にあるものを触るという初体験に距離感 が掴めず、すこし戸惑ってしまったが、指先が(はい)に重なると、重なった部分が淡く明滅してすぐ、ウィンドウが消えた。
「うん、これで取引は成立。さ、どうぞ」
青年は先ほど振りまいていた商売用の笑みよりいくらか軟化した微笑みとともにクレープを渡してくれた。
受け取ると、ずっしりとした重さがある事に驚く。
驚いているシバターの横から笑いが収まったリコリスが顔を出して青年へ注文を伝える。青年はリコリスの姿を見て驚きを見せたが、すぐに愛想のよい笑みを浮 かべて承った。青年は先ほどと同じ手順(演出)でクレープをいともあっさり作り上げた。リコリスが商品を受け取ると、人当たりの良い笑顔で感謝を告げてク レープ店の前から道に戻る。
「ね、お金があったでしょ?」
「はい。あれは、ゲームのシステムウィンドウなのですね?」
リコリスはいたずらが成功した子供の笑みを浮かべたまま頷いた。
「正解!あ、あのベンチに座って食べましょう」
ちょうど露天の隙間に設けられたベンチまで移動して、クレープを食べる。
かぶりつくと、上の部分だけだとチョコレートソースとクリームだけだ。クレープの生地はまだ温かい。チョコレートソースとクリームがしっとりさをフォローしてくれる。シバターは酸味を求めてもう一口食べ進めた。
いちごもどきはもどきの名前に違わず、甘酸っぱく口の中に降りたった。
バーチャルの世界で味わうという不思議を味わう。
「どう?」
「はい、久しぶりに甘いものを食べた気がします。美味しいですね」
リコリスはうんうん、と頷いて、自分のぶんを口にする。無言でもぐもぐと半ばまで咀嚼し、「まだまだって感じね」辛口が振るわれた。
「クレープ生地は少し硬い。ぱりっとしているというよりは粉っぽさが少し残っているのを、中のクリームでごまかしてるけど、水っぽい。もっと泡立ててもいいかな」
(厳しい……)
多少違和感があっても、VRだし、と流したシバターと全く違う反応だった。たしかVRで食が可能になったと話題になった時、食欲を擬似的に満たせる手段と してダイエット中の女性が殺到したというニュースをシバターは思い出した。適切な利用であれば、一時的なごまかしに良かったが、過剰に利用した女性の中か ら満腹中枢が麻痺して現実で延々と食べ続けたり、逆に食事の必要がわからなくなって餓死してしまうという事件があって、利用範囲が規制、調整されたはず が、実際はどうなのだろう、と心配になった。
そのことを不満気なリコリスに話すと、「大丈 夫 大丈夫。前は目を瞑ってカロリーのない食べ物を食べてる感じだったけど、いまは食べても夢のなかでご飯を食べてるようなものだから」とあっけらかんと言わ れたが、シバターには差がわからなかったので「はい、そうなんですね」と曖昧に頷く。
最近そうしたニュースを見た記憶はないので、対策はされているのだろう。ただ、適量だけ食べることには気をつけよう。シバターは密かに決めた。
「そうそう、ウィンドウだけど」リコリスはクレープをぺろりと食べきって思い出したように説明を追加する。「さっきの場合だと、シバターさんと店員さんにだけ 見えるの。パーティくんでるメンバーだけで見えるウインドウや、全員が見えるウィンドウがあるわ。全員宛っていうのは運営しかできないらしいけど」
シバターはもう一度クレープの店舗に視線を向けて、注文から商品受け渡しまでを観察する。確かに、一度もウィンドウは見えなかった。
「味はさておいて。こうやってアイテムを作って、プレイヤーが売るっていうのは、オンラインゲームで一般的になってきてるの。もちろん、ゲーム会社が運用しているお店もあるわ」
そういってリコリスはクレープ店の隣に視線をやった。路面店から続く天幕の中には、小さなナイフから両手で持っても支えられるかどうかというくらいに大きな刃が飾られ、店員が接客している様子が見えた。
「ああやってお店をするっていうのも、ゲームの楽しみ方の一つ。他にはモンスターと戦って強さを競い合ったり、クラドラの世界を旅行したり。人によっていろんな楽しみ方をしてるわ」
「なるほど……」
『ゲームの楽しみかたは一つじゃない』というのはシバターにとって新鮮な驚きがあった。
ゲームは一定のルールの上で行われるものだった。そして結末は勝敗が決した事をもって迎えられる。
つまり、勝敗をつけるという目的を突き詰める事がゲームだと言う認識が、あった。
それはロールプレイングゲームであっても、クリエイターという外部から与えられたルールに則り、モンスターという敵を打ち倒し、物語を完遂することが勝利 条件だというだけだ。けれど、そういった一定の目的がもうけられていないのだと、暗に言われているような気持ちがして、シバターは足もとが覚束ない心持ち だった。
「で、私からシバターさんにイッコ教授する遊び方。クラドラの、というか、RPGとしては王道で、多分クラドラのみんながやってること」
そうしたシバターの心理状態を察したわけではないが、リコリスはにんまりと笑って見せる。
「ロールすること。なりきること。さっきの青年はクレープ屋の店員だし、」
リコリスは視線を通りにやる。シバターは自然とそちらに視線が誘われる。
「あのトンガリ帽子のこはきっと魔法使い、演奏している猫のこは立派なアーティスト――」
小柄な水色の髪を揺らす少女、ベレー帽をかぶってトランペットを吹く二足で立っている猫――。視線を戻すとリコリスの真剣な眼差しにぶつかる。彼女は右手を胸においた。
「私はエルフの冒険者。流浪の冒険者のリコリス。見聞を広めたくていろんな国を旅して回ってる」
すん、とシバターは息を飲んだ。空気が急に澄んだように感じた。
次にはリコリスは微笑んで微笑み、体がゆるむ。
「みんな自覚無自覚もあるけど、そうやってクラドラの中でなにかの役を演じて、それを楽しんでる。ね、シバターさん、それに興味はあるかしら?」
※20151222 妙なスペースが存在していたため削除。
※20160102 話数誤りを修正