002
バーチャル・リアリティゲーム初体験、VRMMORPGにログインして数十分の自分に、美の化身のごときエルフ種が微笑む。
「それじゃ、自己紹介。私はリコリス。見ての通り、エルフ種よ」
リコリスは笑いの余韻を顔に残しつつ、つんと尖った自身の耳を摘んでみせた。
「どうも、ご丁寧に。私はシバター、人族…でいいのかな」
シバターは自分の耳を摘んでみて、耳の先が尖っていないことを確かめた。
「ぷっ…!?」名前を聞いて、リコリスはたまらないと吹き出した。
「リコリスさん?」
自分自身の姿を確認してみたいものだ、とシバターが耳を離す。
リコリスは笑いの波に再び飲まれてしまっていて、シバターは不思議に首を傾げた。
「あなた、絶対本名、柴田でしょ」
「はい。……やっぱりわかります?」
「そりゃそうよ!」リコリスはさも当然だと、声の調子を強め、目に浮かんだ涙を拭う。
「この、アバターってやつですか?分身だと伺ったので、これくらいストレートのものかと」
対して彼、シバターは当惑して、声の調子はどんどんと弱まって最後の方は聞き取れないほどにか細くなった。
「ダジャレじゃないの……それに、個人情報ってもん、気にしなさいよう……」
くくく、と抑えきれない笑い声が口の端からこぼし続けながらのリコリスの言。シバターは初めてその危険性に気づいた。唖然としたシバターの肩を叩いてリコリスは慰める。
「まあ、名字ぐらいで特定できるような規模じゃないからいいけどさ」
「……そうでしょうか」安心と不安の天秤はどちらに傾くべきか、結論は出そうにない。
「ほんとに、シバター……さん。ああ、こうも名前だけで笑いそうになるのは久しぶりよ」
シバターは乾いた笑みを浮かべるしか無い。
「本当にVR……っていうかオンラインゲーム自体が初心者なのね」
リコリスは深呼吸して、笑いで乱れた呼吸を整える仕草をする。シバターもまねてみると、空気が肺を満たすような感覚が訪れる。
「はい、そうですね。こんなにも肉体にフィードバックが返ってくるもんなんだって事さえ知りませんでしたよ」
「そうよう。特に、このクラドラはVRゲームの中でもトップレベルの同調って評判なんだから」
クラドラ、ああ、Clam Dragon Onlineの略称か、とシバターは自分の知らない単語を読み解きながら、頷く。
「でも、貴方のような、本当の意味での初心者って最近珍しいし。あ、友達と一緒……じゃないよね」
リコリスはあたりを伺うが、誰かを探しているようなそぶりを見せるプレイヤーは見つからないし、シバターも待ち合わせている風ではない。
「はい。そうであれば、リコリスさんにご迷惑をかけなかったのですが……」「そういうのはいいから!」遠慮がちなシバターの言葉をリコリスは手を降って遠ざけた。
「ゲームにはちょっと……興味があって初めてみたんですが、今日案内は頼めなくて。とりあえずやってみようと」
個人情報という点にもうっかりしてしまっていた。せめて名前の方にすべきだったろうか。シバターはアバターの名前変更は簡単にできるものではなかった気がして、更に肩を落とすのだった。
「まあまあ。私もRPG系のゲームだと、主人公に自分の名前を付けちゃう口だったから気持ちはわからなくはないよ。今回は不幸中の幸い…なのかな?珍しい名字じゃなくって良かったじゃない!」
「……リコリスさんはいい人ですね……。ありがとうございます」
初対面でありながら、ここまで気にかけてくれる人に会えてよかった、と自身の幸運にシバターは感謝した。
「ここじゃあなんだから、すわれるところまで移動しましょっか。その間にも説明するし」
「はい、わかりました」
エルフ種のリコリスは笑い、新人シバターを伴って歩き出す。すれ違う人の中にはリコリスの美しさに振り向くものがあるほどだが、彼女は気にもしていないようだった。
人通りは多いものの、歩く事に苦労はしない。
「あの、先ほどの女の子のことなのですが」一番気になっていることだった。
「あ、『はじまりのこども』ね。あの子はクラドラの初心者にくっついて回って操作方法とか、プレイヤーのスタイルに合わせた役割の提案とか、そういったはじめのころのサポートをするの。あ、ほら」
リコリスが視線で示したのは店で商人と会話する二人だ。長髪の青年はシバターと似たような簡素な服の上に革の鎧を身につけ、シバターが持つよりも長い木棒を持っている。その横にそばかす少年がいる。少年は商人と会話しながら、青年にも時折話しかけ、青年が頷いている。
「あの横にいる少年は、長髪くんの担当みたいだね。多分、買い物をレクチャーしているんじゃないかな」
「私のときは女の子でしたが?」
「はじまりのこどもの性別は決まってないんじゃないかなあ。本当は初めてログインしてからはじめての冒険くらいまでは一緒にいてくれるんだけど……倒しちゃったからねえ」
「はい……あの、もう一度会えないんでしょうか。そうしたら、リコリスさんの手を煩わせないのではないでしょうか」
「それがね。一度倒してしまうとペナルティとして加害者側は被害者側が1日見えなくなっちゃうの」
「えっ、では明日には合うことができるんですか?」
「そうよ。でも1日もったいないでしょう?で、私も今丁度ヒマ……いえ、時間があるしね。明日にはちゃんと女の子に謝るのよ?」
「はい、もちろんです」
リコリスはシバターの言葉に満足気に頷いて、説明を続ける。
「ペナルティのことだけど、モンスターや動物以外のものを倒すとついちゃうの。さっき言った攻撃した対象が1日見えなくなるっていう他に、1日は攻撃した人はモンスターとか動物と同じ扱いになるっていうペナルティがあるの。だから今シバターさんを倒してしまっても、倒した人はペナルティが付かないってわけ」
「それは、」
シバターはそれがどういうことなのか想像して、ぞっとする。つまり、今はあの女の子から攻撃をうける可能性があるだけではなく、町の全員から攻撃を受ける可能性があるということだ。体を固くしたシバターにリコリスは安心させるように微笑む。
「大丈夫。今は私が一緒にいるし、いまシバターさんを倒してもPKになんのメリットもないしね。PKっていうのはそういうリスクがあるってことだけ覚えておけばいいよ」
「……PKとは?」少しこわばりが溶けて、知らない単語を問う。
「プレイヤーキラーの略ね。プレイヤーを倒すと経験値の他に倒したプレイヤーの持ち物を得ることができるの。シバターさんは初心者だから経験値も持ち物も初期状態でしょう?だからメリットがないってこと。あと、ペナルティが発生する対象に攻撃するときはデフォルトで警告がでるはずなの。そういうのって、出てないよね?そんな風にみえなかったし」
シバターはついさっきのことを思い出す。意識すると、手の感触が生々しく思えて服に手のひらを拭う。人を棒で殴ったのだ。少女を。
「ええ、あっ、という間でした」
「ね。一応、このことは運営に連絡しておいたし、女の子もわかってくれるでしょう。多分、バグだと思うわ。面白かったけど」
こんなことは面白いはずがないだろう、とシバターの心臓の周りに感情の毛玉がうまれ、ゆっくりとちくちくとまとわりつこうとうめく。
「ええ。変なダンスを踊って、顔をこねくりあわして、棒を振り回したら女の子にクリーンヒット」
毛糸が止まる。もやもやした感情よりも恥ずかしさがシバターにこみ上げてくる。
「女の子を倒しちゃうほどだとは思わなかったけど……多分、バグのせいで変にクリティカルがでちゃったのね」
バグが原因であっても、それでもシバターが殴ったことは事実で、また毛糸はちくちくちくちく蠢く。
「でも、もし、PKたちがよくいうみたいに、スリルを感じたとか爽快感があったとかいうんだったら」
リコリスが笑う。
毛糸が怯えてとまる。
「ねじ切る」
少しハスキーな声音になって囁かれた宣言に毛糸がくるくると縮こまって、シバターはこくこくと頷くしかなかった。
「あはは、ありがとう。実際、PKは嫌いだけどプレイスタイルとしてはきっと、ありなんだと思う。性根は疑わしいと思うけど」
笑っているけれど笑っていないリコリス。
「基本的に闇討ちだし。嫌いだけど。戦い会いたいならペナルティが付かない『対戦』って機能があるから、シバターさんがもし力比べしたいっていうならそっちのほうをおすすめするわ」
「はい、そちらを利用したいと思います」
シバターには肯定するしかなかった。