表情筋は死んでいる
結局聖女様をなんとか丸めこ……説得するのに三十分以上かかってしまった。
もう今日はこのまま帰りたい。疲労困憊で体を引きずるように王宮を後にするけれど、当然そのまま帰れるはずもない。明日の予定を確認しなければ。
アレク君は先に帰っているので、朝とは違い表玄関を避け、使用人用の裏口に向かう。ちょうど下男のひとりがうろうろしていたので、家令のスチュワードさんを呼ぶよう頼んだ。
「お疲れのようで」
開口一番。アレク君の前での冷静沈着な執事スタイルはどこに行ったのか、笑い含みでそう言われた。
これも同僚の気安さだろうか。数少ない我が弟が直々に推薦した人員同士ということもあり、ちょっとだけ親近感があるのかもしれない。……「弟推薦」ってところを深読みしてしまいたくなるのはちょっと脇に避けておこう。藪蛇藪蛇。
「密度の濃い一日でした」
「尊き方々は力強いですから、色々と」
「色々」に含みがありすぎて笑えない。
互いに手帳を出し合って、明日の分と、ついでに明後日の分まで予定を確認してしまう。後二日乗り切れば公休日だ。何事もなければいいんだけど、きっとそうもいかないんだろう。
将軍位に就いたばかりのアレク君は、鍛錬の時間はもちろんだけど、それ以上に各部署への顔見せの時間が多く取られている。挨拶回りをして顔を売るのは、たとえば貴族の出身だとどこかの貴族主催の夜会だとかでついでに済ませたりもできるのだけれど、残念ながらアレク君は平民だ。地道に足で稼ぐしかない。
そこら辺の調整はわたしの仕事。アポイントメントを取ってうまく執務や鍛錬の時間を確保しつつ、王宮内での力関係も考えて順番を決めるのは結構大変だ。爵位とか、仲の良し悪しとか、年功序列とか。云十年前の因縁で絶縁してる貴族の家々とかあったりしてねー。ああ、胃が痛い。
元になる情報は女学院時代の伝手と、目の前にいるスチュワードさん、ついでに弟とかから引き出したもので、朝夕の打ち合わせはスチュワードさんにチェックしてもらうって意味合いの方が大きい。修正も良く入る。
それでも二人、あーだこーだ言ってなんとか明日明後日の予定を確定させて、ついでに公休日後のことも大まかに決めてしまう。後でアレク君にも確認しなければ。
これでよし、と手帳をぱたんと閉じたところで、屋敷の奥から「キャー!」と女の子の悲鳴。
びくりと肩を跳ねさせたわたしに、スチュワードさんはなんてことないように「アレク様のご友人がいらしているのですよ」と口角を上げた。
「幼馴染のミリア嬢という方が。どうしてもアレク様の大好物であるエッグタルトを食べさせたいのだと仰るので、厨房をお貸ししているのです」
「それは……思い切りましたね」
それは、まで言ったところで、ガラガラガッシャーン!!という、絶対何か盛大に倒したか落としただろうってけたたましい音がしたので、ついつい遠い目をしてしまう。
幼馴染さん、料理下手キャラだったのか。それともドジっ子?
どうにもわたしの持つ知識は曖昧で、詳しかったりそうでもなかったりの差が大きい。ゲームタイトルを覚えていないなんてその最たるものだ。攻略対象の名前とか。その癖、それぞれのルートのストーリーとかは結構覚えてたりするのだから、わたしの前世はいわゆるキャラ萌え――キャラをぞっこん好きになる性格ではなかったのかもしれない。ストーリー重視だったのかな?
バタバタ、ワーキャーと騒ぐ声までもが届いて、スチュワードさんは最早アルカイックスマイルだ。厨房の惨状は想像したくもない。お片付けまでが料理です。きちんと掃除して帰りましょうね、ミリアちゃん。スチュワードさん以下、この家の使用人さん達のためにも。
巻き込まれない内に帰ろう。アレク君の「ミリアー!!」という、悲鳴とも怒声ともつかない大声にそう決意する。意識して口角を引き上げた。
「それでは、また明日」
「馬車を出しましょうか」
「お構いなく。ゆっくり歩きたい気分なので」
散歩って、良いストレス解消だと思う。
スチュワードさんに見送られて、夕暮れの街に戻る。
石畳は見る分には綺麗だけれど、実は結構歩きづらいって知ってるだろうか。ごつごつしてるんだよ、見た目以上に。だから靴もすぐ駄目になる。安物なら三足くらい買ってローテーション、ちょっと良い物でも最低二足は揃えておかないと心もとない。
特にわたしが気を付けているのは靴底の厚さだ。歩き疲れた時に一番気になるのは靴越しに当たる石の凹凸。ツボ押しなんてポジティブに考えられるはずがない。足に体重をかけるだけでも痛いのに、薄給のわたしがそうそう気軽に貸し馬車なんて使えないので、歩かなきゃ家に帰れないというジレンマ。
今日もいっぱい歩いたおかげで、実はさっきから足の裏が地味に痛い。馬車を断ったの、早まったかな。
「や、姉さん。今帰り?」
「……このタイミングの良さに作為を感じずにはいられない……!」
「何言ってんの?」
後ろから馬車が来たと思ったら、窓からひょこりと顔を出した弟サマ。自家用馬車で通勤とか、くっ、これだから貴族のボンボンは……!
馬車が止まる。当然のようにその扉が開いて、中から人影がふたつ飛び出してきた。
「義姉さま」
「義姉さま」
「お帰りなさい」
「お帰りなさい」
「ルル、ロロ」
桔梗色と空色、色違いのドレスを着た女の子がふたり。わたしの両側からそれぞれ抱きついてきた。弟サマの側室こと、ルルとロロだ。
薄い水色の髪を、ルルはサイドテールに、ロロはハーフアップにしている。それ以外は流石双子と言うべきか、ちらとも揺るがない無表情っぷりも、大きな灰紫の瞳も、果ては右頬にだけ浮かぶえくぼに至るまでまったく一緒。ほとんど異口同音に喋るところまで、まるで示し合わせたようにそっくりだ。
ぴっとりわたしに抱きついてくる年下の女の子が可愛くないはずがない。弟の側室ということは義妹ってことだしと、遠慮なくぎゅーっと抱き返すと、弟の呆れた視線が降ってきた。
「うーん。可愛い女の子達が仲良く絡んでるのは目の保養になっていいんだけど」
「黙れ変態」
「黙れ腹黒」
「あはは。相変わらず辛辣だなあ、僕の奥さんたちは」
「義姉さま、ジークが気色悪い」
「義姉さま、ヴァルが気持ち悪い」
「……お姉ちゃんは君たち夫婦がよくわからないよ」
この間、義妹たちはずっと無表情である。うむ、今日も変わらず、彼女たちの表情筋は死んでいる。
ルルもロロも、会ったのはわたしの方が弟より先なのに、いつの間にか弟と結婚なんて話になって、双子揃って嫁に来ると聞いた時は目眩がしたものだけれど。ついでに気がついたら結婚していたから、実は彼ら三人が恋愛結婚なのか政略結婚なのかすら知らなかったりする。いやだって、どっちにしろ双子の両方と結婚とか、ぶっ飛んだ事態には早々ならないだろうし、そうすると余計聞きづらいというか、まあ単純にタイミングを逃しただけなんだけどね。
こういう言い合いを見てると政略結婚なのかなあと思わなくもない。でも、仲が悪いわけじゃないのは、馬車から降りてきた弟がふたりの頭を優しく撫でて、それをふたりとも嫌がってないのを見ればわかる。うん、やっぱりよくわからないなあ、この夫婦達。
「せっかくだから一緒に帰ろうよ。積もる話もあるしさ」
にこっと笑う。その笑顔に胡散臭さしか感じないのは……気のせいだといいなあ……。
ルル、ロロ。弟がふたりを呼ぶ。心得たようにふたりは私の手をそれぞれ取って、「行こ?」と首を傾げてきた。ぐ、ぐうの音も出ないほど可愛い……っ。
「ほんと、チョロいなあ、姉さん」
「ルルとロロが可愛いのが悪い」
「えー、僕は?」
「男は可愛くない!」
「黙れ腹黒」
「黙れ変態」
「ひどいなあ」
そう言いながら嬉しそうにへらへら笑うんじゃありません。
弟よ……腹黒ドエスと見せかけて、実はドエムだったりするのかい……?
レーヴィ家の馬車は四頭立ての立派なものだ。かく言うわたしも実家にいる時は何度か乗ったことがある。車輪には振動を殺すクッション機能付きで内装も立派。ふかふかのソファみたいなクッションに、疲れ果てた体がずぶずぶと沈み込んでいく。
ふへえ、と情けない声を漏らしたわたしに、弟は苦笑する。
「そんなに大変だったんだ」
「ストレスが……じゃない。精神的疲労が天井知らずだよ、もう」
筆頭はもちろん王女様とのアレやコレだ。うう、予定を確認した段階で覚悟してたつもりだったけど、やっぱりできることなら会いたくなかったし、そもそも会わせる顔なんてなかったのになあ。
左隣とその正面から、義妹たちがよしよしと頭を撫でてくれる。そのいたわりの気持ちが嬉しいよ、お姉ちゃんは。
「朝一で聖女様が執務室に突撃してきたかと思ったら、午後の合同訓練じゃ強引に協力させられるし……その後は王女様直々の面談に、王室研究員の子の襲撃とか、聖女様再びとか」
「盛り沢山だね。たった一日なのに」
「他人事だと思って」
「あはは」
がたごと。馬車は揺れる。
わたしの正面に座る弟は肘置きに肘を置いて、頬杖をつきながらやや上目がちにこちらを見ている。
「姉さん」
「んー?」
「何か、僕に聞きたいことがあるんじゃない?」
「んー……」
ああ、疲れた。本当に。
気が緩んだのだろうか。椅子のクッションに記憶よりもずっと沈んでしまっている気がする。
体が重い。頭を撫でるルルとロロの手が、どんどんわたしを眠りへと誘っていくみたい。
「姉さん」
「ん……」
弟が、ジークが呼んでる。
あれ、いま、なんの話してたんだっけ?
しっかりしなきゃと思うのに、なんだかどんどん、眠くなって、体も頭もふらふらしてきた。
かくり。体が傾いて。
あ、倒れると思ったら、本当に左に座っていたルルの膝にぽてりと倒れ込んだ。
「……仕方のない人だなあ、本当に」
「義姉さま、疲れたの?」
「義姉さま、寝ていいよ」
……うん。
それじゃあ、ちょっと。寝かせてもらおうかなあ。
おやすみなさい。
晩御飯は、一緒に食べようね。