人形屋敷6
ホラー耐性がない、とか言ってくれるな。お化け屋敷とかテレビのコマーシャルすら無理だった人間なのだぞこちとら。実際体験するようなものじゃないんですよホラーなんてものは。
ご機嫌なソルヴェール卿は、ご機嫌なまま「これもまあ、噂のひとつに過ぎないのだけれど」と話を続ける。
「〈人形師〉だけが特異な技術を持っていた不世出の天才、という見方と同時に、ある一族のただひとりの生き残りだからそんな技術を持っていたのではないか? とする説もあるんだ」
聞いたことがある話だ。国境の街、ロワンでディエナディアちゃんと話したことを思い出す。
「〈人形師〉という呼称は個人を指したものではない、と?」
「自動人形に特化した機工機関士の集団、あるいは一族がいて、それこそ工房の作品であったのかもしれない。彫刻や絵画といった美術品だけでなく、多くの工芸品は職人たちの分業によって製作されることが一般的だからね」
一から十までひとりの人間によって作られる、なんていうのはこの世界、この時代においてはほとんどあり得ないことだ。品質を保証するのは個人名ではなく、工房名。貴族の紋章に似せた、でもずっと簡略化された図案を刻むのだ。
とはいえもちろん、個人の手による作品が皆無というわけではない。でもそのほとんどが同業者組合から追い出された鼻つまみ者や、趣味の横好き
「だが、この説もやはり自動人形に使われている魔石によって否定される」
「魔石、ですか」
思い出すのは、レーヴィ伯爵家のマナーハウスにあったテーブルランプだ。
光を灯すという比較的単純な造りの機工機関だったようだけど、女学校教師時代の私の年収くらいの高価なものだったはず。付属の魔石はさらにその倍額だ、っていう話で、伯爵家でさえ、特別な晩餐の時にしか使っていなかった。とはいえ、代わりに使ってた蜜蝋だって庶民からすれば十分高価なんだけど。
小指の爪の先くらいのサイズで、女学校教師の年収二倍。なら、ランプなんかよりもずっと複雑な動きをする自動人形に使う魔石は……あ、ディエナディアちゃんのルート、特別な魔石探しがメインじゃなかったっけ……?
(そうそう。そうだよ、確か彼女の命より大切な機工機関のための魔石だって……)
手に入れるまでの艱難辛苦はまるっと無視して、とにかく首尾よく魔石を手に入れられたら出てくる一枚絵を頑張って記憶の底からサルベージ。今こそ活躍するんだ私の灰色の脳細胞……! 主人公との会話中でもディエナディアちゃんがおおよその目安としてなんか物騒な例えでサイズ感説明してたでしょ……!
そうだ。ディエナディアちゃんの、大切な誰かのために必要な魔石は。
「人間の心臓と、同じくらい……」
「そう言われているね」
最も、アーヴィングの自律型自動人形なんて誰も解体したことは――元に戻せる可能性が著しく低いので――ないだろうから、確認もできないが、と。
階段の最後の段をのぼりきり、ソルヴェール卿は言う。
「ところで、帝国の至宝と呼ばれる世界最大の魔石は華奢な成人女性の頭部ほどだそうだ」
「魔石のサイズ感、人体で表現するのが一般的なんですか?」
「片手の手のひらで包み込んでしまえるくらいのサイズで、帝国の伯爵領くらいなら買えるだろうな」
「ひえ……」
なるほどそれは、うん、なんて言うか。
「自動人形専門の機工機関士なんて、そもそも魔石が用意できなくて生計が立たない、ってことですか」
材料入手が困難なら、売り先だってほとんどないだろう。金持ちの道楽にしても度が過ぎている。
それこそ心臓サイズなら、帝国の侯爵領だって買い取れちゃうだろう。そこに、自動人形にする加工代金が上乗せされて、さらに自動人形制作にかけては不世出、なんて言われてるアーヴィング製だから、ってブランド価格まで付けるとなると……下手をすると選帝侯位レベル……?
(ルルとロロはお母さんが私に、って残してくれた唯一の遺産だったけど、ひょっとしてとんでもなかったのでは?)
十数年越しに知る事実。うっ、急にお腹が痛くなってきたような気がするようなしないような。ひょっとしなくても王女殿下はこれをご存知で黙っていらっしゃったんですねそうだよねルルもロロも女学生時代は普通に私の侍女、ってことになってたもんね……!
いやでも待てよ? そういうことなら。
「それなら、〈人形師〉はどうしてそんなに有名になれるほど自動人形を作れたんでしょう」
「あるいは、我々は考え方を変えるべきなのかもしれないな」
何の変哲もない、ドアノブの前。
この屋敷が本当に帝国風の様式ならば、執務室として使用されることの多い部屋だ。
「自動人形を作るために魔石を求めたのではなく、魔石が手元にあったから自動人形を作ったのかもしれない」
「まさか」
アーヴィングの自律型自動人形は、現状確認されているだけでも五人。
心臓でも握りこぶしでどっちでもいいけど、伯爵領が買えちゃうレベルの魔石が最低でも五個手元にあるなんて、いったいどんな大富豪なのだ。その内ふたりは自分のとこにいて気づいたら義弟の側室になってただろ、なんて突っ込みは後でお願いしたい。レーヴィ伯爵は裕福な貴族だけどそこまで桁外れに裕福なわけじゃないから……!
そこまで考えて、はっとした。ねえ待って、もしかして〈人形師〉が有名なのって、かなり高い確率で超お金持ちだからでは……?
(そりゃあ〈人形屋敷〉なんて如何にも怪しげな場所でも探し回るわ! 自称子孫だって絶対もっといっぱいいるでしょ……あるかもしれない、莫大な遺産目当てに!)
そんでもってなんでルルとロロがあんなべらぼうに強いのかもなんとなくお察ししちゃったかもしれない! そりゃ護衛必要になるよね本人たちのためにも所有権持ちのためにも!
「私、これからアーヴィングって名乗らない方がいいんですかね……」
「ははは。これは遠回しなプロポーズかな?」
「あ、そういうの結構なんで、ほんと」
どうして母方の家名なんて名乗ってるの、私……! いえそうですね。顔も名前も知らない実の父親とやらが実家とちょっとどころじゃない確執があって絶縁したからとかなんかそんな理由だったような気がしなくもないですね。記憶が曖昧なのはそれをお義父さんが説明してくれたのが三歳の誕生日だったからですね! 三歳児にパパと家名が違う理由、なんて重すぎな理由を説明するとかお義父さんは割と昔からお義父さんですね、はい。
「そうです、ライラちゃんをお嫁にほしいなら、少なくとも私とマスターの許可を取ってからですよ」
「シームレスに登場するなあほんと!」
「いらっしゃい、ライラちゃん。マスターが首を長くしてお待ちですよ」
「そしてすっごくマイペース……」
さも最初からいましたが? みたいな態度で会話に混ざってきたエヴァだけれど、ねえ、そのマスターがいらっしゃるだろうドアを内側から開けての第一声がそれでいいの? 本当にいいの? もっと他に言うことあったりしない? 主に前触れなく地面ぽっかり開けて地下までフリーフォールさせたこととか、その後は各々の自主性に任せるとばかりにノー案内だったこととか。
そんな諸々の感情を乗せてエヴァを見るけど、彼女はこくっとひとつ頷いて「大丈夫、私はマスターよりライラちゃんの味方ですよ」と言うのみである。そっかあ、味方かあ……うん、深く考えるのはやめとこう、私。
ふぁいと、と両こぶしを握ってガッツポーズを作るエヴァの後ろ、天井につくほど高い本棚を背にした男性が、「早く中に入れ」と苦々しい口ぶりで言った。
床に敷かれた絨毯が靴音を消す。執務机に寄りかかるように佇み、私たちを待っていたのは、いかにも気難しそうに眉間に皺を寄せた老人だった。
*
ローテーブルを挟んで向かい合うソファ、部屋の入口から見て右側に私とソルヴェール卿が並んで座ると、サッと老人が手を振ってティーポットとカップを魔術で呼び寄せ、紅茶を淹れてくれた。
エヴァは対面のソファに座り、友好的な態度はそのままにじっと私を見つめている。……正直居心地が悪いのでマスターさんの方を見ていてはくれないだろうか……というか、ご主人様呼びしている割に別にお世話をしたりとかはしないのね……。
腕を組んで、老人が見下ろすのは私よりもソルヴェール卿で。傍目にも非友好的な雰囲気バリバリなのに、頓着した様子がないソルヴェール卿は間違いなく大物だ。
「私が呼んだのは孫娘だけのつもりだったんだがな」
「ははは。これは手厳しい。いいではないですか、いずれ家族になるのですから」
「なりませんけど!?」
「……と言っているが」
「照れ屋なんです、貴方と同じで」
にっこり。悪意も邪気もありませんよ、と言った風情で微笑むソルヴェール卿に、戦慄する。
(というか今ナチュラルに『孫娘』って言った?)
見上げれば、ばっちり目が合う。心なしか眉間の皺がさっきまでよりいっそう深い。
「せめて母親に似ればこんな厄介な男を引っ掛けずに済んだろうに」
「まさか初対面でそこまで同情されるとは……」
「うふふ。ライラちゃんは昔のマスターにそっくりですねえ」
よく胃を押さえてるところとか。なんて朗らかのほほんとエヴァは言うけれど、そっか、この絵に描いた偏屈老人、みたいなお爺さんも胃痛持ちか……ひょっとしなくても原因の一端を担うのはエヴァだったりするんですねわかります。
咳払いをひとつ。気を取り直して、自己紹介といってみよう。
「初めまして、ライラ・アーヴィングです。こちらは元職場の上司で、ユリウス・フォン・ソルヴェール伯。ええと、一応他にふたり同行者がいたんですが」
「部外者だ。招くつもりはない」
「ええ……」
取り付く島もない。というか、その言い方だと。
「あの、……本当に、その、私と血縁関係にあるんですか……?」
明かりはあるとはいえ、どうしても薄暗い室内では表情の機微などわからない。
灰色の髪が生来のものか、加齢によるものかもわからないし、瞳の色だって陰になってしまっているから同じことだ。顔立ち、なんて客観的に見て判断できるわけがない。
ピンと伸びた背中を老人らしからぬ、と表現しては失礼だろうか。前髪もすべて後ろにながしてひとつに結ぶのは平紐で、ラフに着たシャツの袖はまくられ、指先はインクか何かで黒く染まっていた。
私を見返す瞳に温度がないように見えて、知らず、ごくりと唾を呑み込む。
ライラちゃん。エヴァが私を呼んだ。
「お母さんの名前は、覚えていますか?」
「…………」
お母さん。お母さん、かあ。
子どもを産める体じゃない、って診てもらったお医者さん全員から反対されたお母さん。自分が死んでしまうかもしれないってわかってて、ルルとロロを私に残し、大好きな人たちの反対も押し切って私を産んだお母さん。お義父さんいわく、お父さんにひと目惚れして押しかけて攻めて攻めて攻めまくって押し倒した、とてもパワフルなお母さん。
写真も絵姿も、なにひとつ思い出は残っていないけれど、たったひとつ。お母さんの名前だけは、私でも知っている。
「ルクレツィア」
――ルルとロロが入れられていた、木箱の蓋。
「愛する娘、ライラへ」と記された下に、右上がりの癖字で書かれた、力強いサイン。
「私の母は、ルクレツィア・アーヴィング……そう、聞いています」




