人形屋敷5
※少しホラーちっくな描写があります。苦手な方はご注意ください。
手を添えただけで開いた玄関扉は、軋む音ひとつ上げなかった。
ぽっかりと口を開けた屋敷は案の定薄暗い。でも、覚悟していたよりは明るい、かな? こんなところにあるんだもん、普通なら真っ暗で何も見えなくても不思議じゃないもんね。
壁にある明かりは花のつぼみの形をしていて、それ以外の内装もすべて、天井からシャンデリアが下がっていないのが不思議なくらい貴族然としていた。もしかしたら、ヴァイルハイト男爵のお屋敷より立派かもしれない。
帝国風にしては殺風景だな、と思ったのは、壁紙が無地なせいもあるかもしれない。暗さで色を正確に把握することは難しいけど、白かクリーム色、もしくは色がついていたとしてもごくごく薄い色だろう。
階段の手すりの掘り込みがごくごくシンプルな植物模様なので、私はあまり詳しいわけじゃないけど、半世紀前に帝国に属する小国群でよく見られた様式に近い気がする。
(要するに完全に帝国風にするにはお金がない国々の『大事な部屋以外はシンプルにしました』様式なんだけど)
こう言ったら身も蓋もないね。ヴァイルハイト男爵のお屋敷が田舎暮らししたい貴族の別荘風だった分——つまり、敢えて田舎風の素朴な造りにしていたわけだ——差が目に付くだけかもしれない。
いやでもしかし。ヒトサマのお屋敷に上げり込んでこんなこと言うのも何だけど。
「生活感がすごい……」
下手なドラマのセットよりも生々しい、誰かが今も生活している痕跡が至るところに散見されて、何だかとっても居心地が悪い。
エントランスに作りつけの暖炉は、百年ちょっと前に流行した植物モチーフの鉄柵に囲われている。灰の積もり具合は、『朝から火を入れてたけど昼過ぎに一度かき出しました』といった按配。脇に薪が積まれていて、数本分の隙間がある。
薪に寄りかかるように置かれた蛇腹のふいごは相当使い込まれているんだろう。持ち手のメッキがはがれて覗く地金には錆が浮き始めている。
靴音消しのカーペットはエントランスから廊下、階段へと伸び、二階に続いている。その階段の脇をすり抜けた先に小さなドアが見えた。門からの位置関係を考えると、多分、裏庭に繋がっているんだろう。
階段までの間に見えるドアは左に二つ、右に一つ。階段手前に右に曲がる別の廊下が続いている。外観と併せて推測すると、横に倒したT字みたいな造りらしい。
「帝都貴族のタウンハウス、といったところか」
「派手好みの帝都貴族にしては落ち着きがありますよ」
「そこはもちろん、主の趣味だろう」
静まり返った室内に、ぱちぱちと火の粉が跳ねる音が響く。
靴音消しのカーペットがあることを差し引いても、ソルヴェール卿は本当に静かに歩くのだと初めて気づく。くうっ、私、編み上げのブーツだからめっちゃごつごつ鳴っちゃうのに。
「家主の部屋は二階にあるのが定石だが、どうかな」
「一応、三階まではありそうでしたけど」
「地下室もあるだろうな。そういう音だ」
「それ、判断材料私の靴音ですよね……」
いいんだけど。別に全然いいんだけど、私より身長も体重も絶対あるソルヴェール卿は無音なのに私ばっかりごつごつ音立てて歩くのはこう、なんとも言えない屈辱を感じるんだよね……!
そっと服の上からお腹を押さえる。大丈夫、私はこれでも平均的な体型。落ち着くのよ私。
床板が木じゃなくて大理石っぽい石なのは湿気対策なんだろう。地底湖の傍にあるしねここ。でもそのおかげで底冷えするというか、足元から這い上がってくる冷気につま先からじんわり侵食されているような感覚がある。
両脇のドアを通り越して、曲がり角。何の気なしにその先を見て、思わず息を呑んだ。
「り、り、理事長、理事長、あれ!」
「うん?」
廊下の先。明かりの消えた、暗闇の中。
ぼんやりと佇む人影が、私の声に反応してか、ひどく緩慢に首をかしげる。
かしげて、かしげて……その角度が、あり得ないところまで――顎であるはずの箇所が、まっすぐに天井を指すまできりきりと回って、ブランコのようにぐるりと、今度は勢いよく元の位置に戻る。
「ひっ」
気づいた時にはソルヴェール卿の外套の背中にひしと縋り付いていた私をよそに、ソレはゆっくりと近づいて来る。ホホホホ、ホラー展開があるなんて聞いてませんけど!? いや確かに「いかにも」な建物だなあとは思ってましたけどもさ!?
最初に見えたのは、カーペットの上を滑るように回る車輪。次いで、車輪の上に載る箱のようなもの。さらにその箱の上にと、徐々に曖昧だった輪郭が形を取っていく。
そうして、姿を現したのは。
「マ、マネキン……?」
エヴァのようにきちんとガラスか宝石かで作られた人工の眼が入れられていたものを人形と呼ぶなら、ソレは正しくマネキンのように見えた。
なんと言えばいいのだろう。最低限「ヒト」の形をしていればそれで用は足りるとばかりに、つるりとして凹凸のない顔はまさしくのっぺらぼうだ。目は愚か、鼻も、口もない。服だって身につけていないから、等身大デッサン人形と表した方が正確かもしれない。その上半身だけがどっかりと、車輪のついた箱のようなものに載っている。
いくつかの木からそれぞれの部位を削り出してくっつけたのだろう。でも、そもそもその削り出し作業自体がエヴァたちとは大違いの、かなり粗雑なものに見える。手なんてミトン形だし、そもそも胴体も台形を逆さにしたようなざっくり加減だ。
でも、粗雑な造りであっても、いや、粗雑であればあるほど、ソレは異様な光景だった。
小さい子が、遊んで壊した玩具同士を無理矢理くっつけたような歪さ。車輪の動きも滑らかとは言い難く、どこかにでっぱりでもあるのか時折ガクンと全体が揺れていた。
手を伸ばしても届かない程度の位置でソレは止まる。ソルヴェール卿の外套を握る私の指は力の入れ過ぎで白くなっていた。
『おかえりなさい』
「ひっ」
のっぺらぼうが、かくかくと顎を上下させる。
『おかえりなさい。おかえりなさい。おかえりなさい。おかえりなさい。おかえりなさい……』
「……ふむ」
口もないのにどこから音を出しているのか。おかえりなさいと、そう繰り返すたびにゆったりとした語調からだんだんとまくし立てるような調子になっていく。
あまりの不気味さにぞぞっと総毛だつ私を、ソルヴェール卿が抱え込んだ。ぴったりと、熱愛中の恋人をエスコートするみたいに、腰を抱いて。
「一応聞こう。心当たりは?」
「こんなホラーなお屋敷来たことなんかないですううぅぅぅ……!」
「とのことだが、お嬢さん」
『…………』
声が、止まった。
いったいこのマネキンもどきのどこを見て「お嬢さん」だと思ったのかはわからないし知りたくもないので置いておくとして。
キロキロキロ、と微かな音を立てて、マネキンもどきの首が回る。多分目があるとすれば私からソルヴェール卿に視線を移した、といった具合に。
ぐるん、とまたマネキンもどきの顎が天を向く。
『…………』
ち、沈黙が怖い……。
もう痴女とか言ってられないので、かなりがっつりソルヴェール卿にしがみついているのだけれど、信じられない、この男、一切心音に乱れがないんだけど⁉
ぐるん、とマネキンもどきの顔が戻る。ひとつ、頷くような動作をして、肘のない棒のような腕が、階段の上に向かって伸ばされる。
『だんなさまのおへやへ』
「……上にある、ってこと、ですか……?」
『だんなさまのおへやへ』
「あ、うあ、はい! 行きます、行きます!」
なんだかまたあのエンドレスリピートが始まりそうで、慌てて返事をする。
すると、それでようやく満足したのか、マネキンもどきはくるりと私たちに背を向け、またさっきまでいた廊下の先の暗闇に戻って行った。
「な……んだったんでしょうか、あれ……」
「他律型自動人形だろう」
「他律型⁉ って、一定動作を繰り返すことしかできないはずじゃ」
「一般的にはね。アーヴィング製の自動人形を分類する場合はそうじゃない」
グランロッソ博士に聞かなかったかい? と言われて。……言われてみれば聞いたような気がするようなしないような……。
「彼の自律型自動人形は、ライラもよく知っているだろう? ほとんど人間同然に思考し行動することができる、『意思持つ人形』だ。対して、彼の製作した他律型自動人形はその意思を持たない。あるいは、希薄であるとされる」
「希薄、ということは、意思自体は持っているのですか?」
「持っている、と私は考えている。そもそも、アーヴィングは自らの自動人形たちを自律型だの他律型だの分類していないからね」
なら、さっきの自動人形も?
彼女の消えた廊下の先を見る。あんなに怖がって、悪いことをしたかもしれない。
「機工機関士としてクラウス・アーヴィングが特異な点は、もうひとつあってね」
ソルヴェール卿が続ける。
「彼は、自動人形以外の機工機関を製作したことがないとも言われている。市場に出回っているアーヴィング製を謳う自動人形以外の機工機関は、だいたいが贋作だ。真作とみなされているものも、信憑性はどうも怪しい」
「それは、異常なことなんでしょうか」
「異常というのはきっと彼も、グランロッソ博士も嫌うだろうね」
例えば、とソルヴェール卿は手のひらを掲げて水の玉を作った。
「魔術に置き換えて考えてみると、理論と手法が確立されて相応の手順と魔力さえあれば誰にでもこのくらいの水は生み出せるんだが」
く、と僅かにソルヴェール卿の中指が曲がる。
すると、水の玉の中心に青色の火が灯り、パチパチと火花を生み出し始めた。
「こういった複合魔術は、このくらい小さなものでも通常かなりの錬度を必要とする。もちろん、必要とされる魔力量も桁違いだ。しかも使い道がほとんどない。覚えるだけ無駄、なんて魔術師団には言われるね」
「……それをどうしてソルヴェール卿は覚えているのでしょうか」
「まあ、私も学生時代は時間と好奇心を持て余していたということだね」
絶対嘘だ。やってみたらできちゃったてへぺろ、ぐらいの軽いノリで覚えたに違いない。だってソルヴェール卿だもの。
「どんなに高名な機工機関士であったとしても、修業時代の製作物はある程度出回っているものだ。簡単な技術ではもちろんないし、魔術同様、ひたすら修練に励む他腕を上げる道もない。修業時代に修練も兼ねて比較的単純な造りの機工機関を売り、生活費に充てる。自動人形を作れるようになるまで、どんなに早くても十五年はかかると言われているね」
「なのに、アーヴィング製の機工機関は、自動人形しかない」
「彼が〈人形師〉と呼ばれる理由がわかるだろう?」
それは、だって、とんでもないことなんじゃないだろうか。
こつこつレベル上げしてやっと作れるはずのものを、ひょっとしたら最初から作っていたかもしれない? なにそれ、あり得るの? 生まれながらの天才ってこと?
(もしくは、〈人形師〉は自動人形しか作るつもりがなかった……?)
そうだったとして、じゃあそれは、いったいなんのために?
考え込む私を、ソルヴェール卿が行こう、と促す。
う、膝が笑ってる。恐怖は過ぎ去ったと思ってたけど、実際体は正直ですなあ、ってやつだねこれは。
腰に回ったソルヴェール卿の腕も、今はありがたい。いやだって、多分これ腰抜けかけてるからね、恐怖で。あ、今さら手も震えてきた。
そこで気づく、外套を握ったままだった自分の指。慌ててパッと離して皺を伸ばそうと擦っていると、ふふ、と頭上から笑みがこぼれ落ちてきた。
「怯えるライラは、やはり可愛い」
「…………」
「ん? ライラ、どうして離れようと?」
「未婚男女の適切な距離感を思い出しまして」
「ははは! 真面目だなあ。でも、いいのかい? またいつどこからさっきのような自動人形が」
「…………」
「うん。可愛いなあ、ライラ」
ちくしょう、ひとの足下お見えなさってからに……!!




