人形屋敷4
近くで見ると、門柱の上に鎮座するガーゴイル像はますますおどろおどろしい雰囲気を纏っていた。
秋田地方で大晦日に各家を練り歩くなまはげ、ってあるじゃない? あのお面、小さい子にとっては本当に怖いみたいだけど、大人になってから見たらそれなりに愛嬌のあるというか、まあ怖い顔には見えないものだ。けど、このガーゴイルはいかにもホラーゲームのエネミーモンスターですと言わんばかりの狂相で、製作者の怨念がうっかりしみこんでいそうだった。
それが両脇にあるものだから、できるだけ遠ざかろうとして自然と門の真正面、ど真ん中まで来たところで、私とソルヴェール卿はお互いの顔を見合わせた。
「……開いてます、よね、これ」
「招かれているのだろうなあ」
ソルヴェール卿の持つ光が反射して、ガーゴイルたちの目を赤く光らせている。
地底湖のほとりにあるというのに門に降りた鉄格子に錆はほとんど見当たらず、定期的に人の手が入っていることがわかる。これで廃墟よろしく錆だらけでぼろぼろな鉄柵とかだったらホラーハウス感マシマシで半泣きになるところだった。
こんなところに馬車で乗り付ける人もいないだろうに、馬車用の大きな門にこそ頑丈そうな閂がかかっていたけれど、その内側、通用門と思しきところは豪快に開け放たれている。どう見ても歓迎スタイルだわこれ。気のせいか、おいでおいでと微笑むエヴァが――彼女が表情を変化させることができないのは重々承知だけれど――見えるような。う、疲れてるのかな……。
怪しいことは怪しいのだけど、私たちが落ちてきたところから歩いて移動できるのはこの門前くらいだったことは今歩いてきたから知っている。まさか壁を伝ってひたすら登っていくわけにもいかないのだから、いくら怪しくてもひとまずこの屋敷に入るしかないのだ。
先にソルヴェール卿が進んで、腕を組んでいたからそのまま私も間をおかず門をくぐる。
もしかしてあのガーゴイルが襲いかかってきはしないかとビクビクしていたのだけど、何事もなく。あまりにもあっさりと門を越えてしまったので、なんだか拍子抜けしてしまった。
「普通に入れちゃいましたね……」
「それこそ、招かれている立場だからだろうな」
馬車が通るには狭く、並んで歩くには広い道をふたり、ついとろとろとした歩みになる私に合わせて進んでいく。
風がないってことは、葉擦れの音も波音もしないってことで、時々思い出したように水滴音が響くだけの空間は、言ってはなんだがとってもホラーだ。
自然、ソルヴェール卿の腕にすがる力も強くなろうというもので、当たってるんじゃない、当ててんのよと言わんばかりにがっつりしっかり、その、まあ、なんだ。羞恥心度外視で現状ありのままを表現すれば、ソルヴェール卿の腕を私の胸で挟みこんで圧迫してる状態になっている。
(ち、ちじょ! このちじょ! 無自覚天然キャラが許されるような顔も性格も年齢もしてないでしょ私のばか!)
内心自分を罵倒するくらいなら離れたらって? ばかやろうそれで本当にドッキリホラー展開になったら心臓止まってぽっくり逝く自信しかないんだぞこちとら。死活問題だ背に腹は変えられない。受け入れる気がまったくない求婚者に対してする態度じゃないぞってことは痛いほどわかってるので本当もう大目に見てほしい今回だけでいいから。
ちら、とソルヴェール卿を盗み見る。もしこれで鼻の下でも伸ばしていれば即座に離れよう大丈夫私はできる子、と心を奮い立たせていたのに、その横顔は平然と前を向いていた。
(じ、自意識過剰すぎて今すぐ穴掘って埋まりたい……!)
そりゃ、ね? ちょっとはこう、自惚れているところもあったりなかったりしたよ? だって断っても断っても諦める? なにそれおいしいの? と言わんばかりにアタックされてるんだもん。そりゃちょっとぐらい、役得ーとか、やったぜ的な反応されてると思うじゃん! 私だって夢見る傲慢な女の子、いやごめんちょっと盛ったごめんなさい夢は見てるし好かれてるのねふふん、みたいな傲慢なところもあるけど、女の子自称するのは図々しかったごめんなさい。前世の年齢プラスしたらとっくにちゅうね、いや駄目だこれ以上考えたらいけないやつだ間違いないやめよう。
それで、ええと、何の話だっけ?
「ライラは植物には詳しかったかい?」
「……淑女のたしなみ程度の知識なら、多少は」
季節の花とか花言葉とか祭礼の時に避けるべきものとか、そんな程度だ。詳しい、なんてお世辞にも言えない。
突然振られた話題をいぶかしむ私がソルヴェール卿の視線を追うと、そこには道の両脇に植えられた草花と、その向こうにある……ええと、錯覚じゃなければキャベツとか見えるんだけど……。
「あの、ソルヴェール卿」
あれ、と指差して示せば、そうだな、と軽く肯定される。
「家庭菜園とは、〈人形師〉殿はなかなか家庭的で倹約家なのかもしれないな」
「十中八九、エヴァがお世話してる気がします」
遠目にも、地面に突き刺さってるおそらく農作業用と思しき両腕が見えるからね……うん、絵面だけ見るとホラーなんだけど、なんだろう。エヴァのほわほわした雰囲気を知ってるだけに、なんだか気が抜けてしまった。
そのまま肩に入っていた余計な力が抜けて、思い出したようにソルヴェール卿の腕から身を離す。手は添えたままだよそこまで安心したわけじゃないからね!
すると、ソルヴェール卿は私を見下ろしてゆるりと目を細めた。
「落ち着いたかな、ライラ」
「は、……いえ、申し訳ありません、ソルヴェール卿。無作法でした」
いや正直無作法どころか完璧ちじょ行為だったけどね! セクハラで訴えられたら完敗間違いなしだったけども!
反省、と言葉だけでなく態度でも示そうと、往生際悪くソルヴェール卿に縋っていた指を離そうとする。
けれどその指を上から押さえるように手を重ねて、さらに引き寄せてきたソルヴェール卿は、再びうっとりと夢見るような瞳で微笑んだ。
(ええい、喋らせてなるものか!)
これはいけない。これ以上攻撃、ならぬ口撃を食らっては今度こそ私の耳がしぬ。主にいい声で腰砕けなことを囁かれすぎとかで。そんな情けない理由で戦闘不能、ただのしかばねのようだ、になってたまるか!
「あーっとソルヴェール卿、正面扉に着きましたよやっぱり鍵はかかってないみたいです入りましょうそうしましょう!」
ぐいぐい腕を引っ張って歩く私の耳を、する、とソルヴェール卿の少しかさついた指がなぞる。
情けない悲鳴を上げて今度こそ腕を離し、触られた耳を押さえて振り向いた私に、ソルヴェール卿はとってもいじめっ子な笑みを浮かべて言った。
「真っ赤だ、ライラ」
「~~~~っ!!」
こ、こんのセクハラ大魔神××××が……!!!!
*
「姉さんが僕以外に遊ばれている気配がした」
「なに言ってんのアンタ」
バカなの、という言葉はかろうじて口内で消える。ふざけた言葉とは裏腹に、目の前の男がひどく冷徹な人間であることを思い出したからだ。
推定〈人形師〉からの手荒い歓迎で落下した先、人工的に整備された地底湖でふたりきりになるのは心から遠慮したい類の人間である。
ジークヴァルド・フォン・レーヴィ。交易の要衝を代々治める伯爵家の後継者にして、文官登用試験を史上最年少で突破した秀才。
ものごころつく前から機工機関士たちが集まる研究所を遊び場にしていたディエナディアほどではないにしろ、年齢だけ重ねたくだらない人間の多いあの王宮で、アレックス・ゲインズと合わせて三人、そこそこ目立っていた自覚はある。分野は違えど同期みたいなもの、とはそのアレックスの言葉だったか。
地底湖の向こうを見つめる顔からは表情らしい表情がごっそりと抜け落ち、それこそ人形めいた容貌を普段は眼鏡と薄ら笑いでごまかしているのだということに気づかされる。
機工機関で明かりを確保しながら、ディエナディアは皮肉げに頬をゆがめた。
「監視者の一族の割に、あっさり引き離されちゃったじゃない」
大失態なんじゃないの、アンタ。
ディエナディアを流し見る眼差しに温度はない。
もう少し育ちが悪ければ舌打ちのひとつやふたつしていたことだろう。ディエナディアははん、と鼻を鳴らした。
「アンタが何をどう考えてるのかなんてどうでもいいけど、アタシの許可証にサインしたのはあの王女サマだから。文句があるならそっちに言いなさい」
無駄に自信と胸肉にあふれた王女サマのことだ。万一本当にこの男が苦情を言っても馬耳東風、なにも気にしないだろうけれど。
遠見の機工機関でぐるりと様子をうかがえば、規則的に明滅する光のもとに、ソルヴェールとライラの姿がかろうじて確認できる。ソルヴェールが何らかの魔術で落下に対応したのだろう。あちらは怪我ひとつなさそうでまったく結構なことねと、苦い気持ちで機工機関を下ろした。
「てっきり僕は、アーヴィングの自律型自動人形について知りたがっていたと思ってたよ」
「優先順位の問題よ。今の私には、〈人形師〉が作った他律型自動人形でさえ理解しきれてないんだから」
彼はまるで、本当に生きた人間のようだった。
幼くして家族に見捨てられたディエナディアにとって、唯一家族と呼べる存在。彼が父親でも兄でもなく、ましてや人間ですらなかったことを、幼く愚かだったディエナディアは知らなかった。
知らなかった。そう、知らなかったからあの日、魔術の的にされた彼女を庇った彼がひび割れた破魔石を露出して活動を停止して初めて、温度を持たない手に育てられたことを知ったのだ。
(あのロトでさえ他律型だった。理論上は、アタシでも直してあげられるはずなのに)
外殻の修理はとっくに終わっている。だが動力となる破魔石はとても手が出るような代物ではなく、だからこそアレックスたちを手伝わせて国中探して回ったのだ。
そもそも破魔石というものは普通の鉱石とは違って鉱脈などが存在しない。ある時は川や海から、またある時は山や森、時には墓地や草原から思いがけず発見されるものであり、その大小、質、果ては外見に至るまで様々である。見分ける方法は膨大な魔力を含有しているか否か、その一点のみなのだ。
機工機関が必要とする魔力は、基本的に機工機関全体の大きさや刻印された術式の複雑さに比例する。他律型とはいえ成人男性と変わらない外殻を持つロトには、かなり上質な破魔石を埋め込む必要があった。それこそ、もし金銭を対価にしようとすれば、一国まるごと買い上げることが可能なほど希少な破魔石が。
同年代よりは高給とはいえ、もちろん、ディエナディアに用意できるような金額ではない。だから望み薄とわかっていても探すしかなかった。
結果、どうにか質、大きさともに以前のものと決して見劣りしないものを探し出したのは偶然に偶然が重なってのこと。しかし喜びもつかの間、新しい破魔石を組み込んだロトが再起動することはなかった。
外殻も、術式も綻びがないことは半年かけて確かめた。ならば、まだなにかあるのだ。〈人形師〉を〈人形師〉たらしめた、現代の機工機関士たちには継承されていないなんらかの技術が。
それを知るために、ディエナディアはここにいる。――地下に落とされた程度で、あきらめてなどやるものか。
「君のそういう、冷静に自分の力量を推し量って最善の道を迷わず選び取るところだけは、鬱陶しくないのにな」
「あっそう。アンタのそういう余計なことしか口にしないところ、アタシは心底嫌いだわ」
「魔術を使えるところがさらに気に食わないんだろ? ごめんね? 頭脳どころか魔術の才能にも恵まれてて」
「おまけに家族にも恵まれてるですって? 極刑ものの不正でも見つかって死ねばいいのに」
「へえ。やっぱり姉さんのこと気に入ってたんだ。うらやましいだろ? バカ可愛くて」
「はん。アレはバカなんじゃなくて、気づかないフリに必死な臆病者って言うのよ」
憎まれ口を叩きあいながら、どちらから促すでもなく歩を進める。
行き先は、こちらに背を向けて佇む謎の建物だ。
「足引っ張るんじゃないわよ、蛇男」
「そっちこそ、猫女」




