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王道斜め38度  作者: 北海
第二章:人形屋敷

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人形屋敷3

 どこか遠くで、水音がする。

 雫の落ちる音だ。ぴちょん、ぴちょんと文字にすればきっと可愛らしい音を立てて、不規則な間隔で落ちている。

 雨に濡れたからだけではない湿った匂いに、柔らかな花の香りが混じる。草の青臭さだけを抜いた雨上がりの花畑にでも寝転がっているのだったっけと思ったところで、内臓がきゅっと縮むような浮遊感を思い出した。

 目を開く。少しのめまい。そして、まあ、なんというか、暗い。あれ、私今目開けたよね? って不安になってくる暗さだ。

 もしかして目がくらんでいるのかと何度か瞬きしてみたけど、どうにも光源が一切ないらしい。夜目はそこそこ利く方だと思っていたのに、まるでなにも見えなかった。

 とりあえず全身、痛いところがないか確認してみると、下敷きにしていた誰かがもぞりと身動ぎした。

「起きたかい、ライラ」

「…………なんとか」

 うふふ、知ってた。だってこのお上品な鈴蘭の香水、理事長室入った時に嗅いだのと同じ匂いだもの。なんだっけ、繊細で古典的(クラシック)な香り、とかファンのおねーさま方がきゃあきゃあ言ってた気がする。古典的って褒め言葉なのかな、って首かしげた記憶あるもの確か。

 耳元でいつまでもこのイイ声を聞いてたら色々な意味でマズいなと、上半身を起こそうとすれば下敷きごと体が持ち上がる。うん、ソルヴェール卿も体を起こすよねそりゃあ。いつまでも硬い地面に背中をつけておきたくはないよねわかるわかる。

 多分、私が転げ落ちないようにだろう。背中を支える手があったかいなと思ったところで、そういえばこの場所はずいぶん涼しいと、今更なことに気づく。いや、涼しいとか通り越してむしろ肌寒いくらいかもしれない。くっついてたから気づかなかったんじゃない? って? ははっ。そういう都合の悪い真実からは積極的に目を背けていくのが小市民でいる極意なんだよ。うわーすごーい、きづかなかったなー、って死んだ目をするくらいでいいのだ、多分。

 明かりをつけるよ、とソルヴェール卿が静かに言う。不本意ながら抱き合って座り込んでいる体勢なので、声量に気を使ってくれたんだろう。っく、せっかく耳元で囁かれるのを回避するために起き上がったのに、ソルヴェール卿まで起きちゃったら元の木阿弥……! 

 ぽう、とソルヴェール卿の差し出した掌に光球が現れる。かなり初歩の魔術だってことは知識として知っていたけれど、私ならこれを一瞬出すだけでも体内魔力が枯渇してしまうのだ。ナチュラル・ボーン・チート様はこれだから。

「これは……地底湖か」

 光球を掲げて、ソルヴェール卿は感嘆とも、ただの驚きともつかない声を上げた。

 視線を追えば、そこには光に照らされてわずかに青みがかって見える黒々とした水がある。

 風がないからだろう。波のほとんど立たない水面は鏡のように上空の闇を映し出し、さっきも聞こえた水滴音の後、わずかにゆらりと身を震わせるけれど、すぐに静寂を取り戻した。

 視界の利く限り、遠くへ、遠くへと視線を転じて、果てがすっかり光の届かない闇に飲まれていることに気がついて、その広大さにぞっとした。

「お、弟と、グランロッソ博士は、まさか」

「いや……ああ、あちらも気が付いたようだよ」

 ほら、とソルヴェール卿が指し示す先。

 ほとんどなにも見えない、ソルヴェール卿の持つ光も届かない闇の中に、ぽつりと、小さな小さな光が現れた。

 夜空に浮かぶ三等星よりもか細く小さな光が揺れ、明滅する。応えるようにソルヴェール卿も光を動かして、また向こうの光がそれに応じる。

 そんなことを繰り返すことしばし。ソルヴェール卿は宥めるように私の背を撫でた。

「ふたりとも無事だ。怪我もしてない」

「そんな、わかるのですか」

「軍事用の連絡手段というのも、なかなか馬鹿にできないだろう?」

 つまり、あちらで光球を操っているのはジークなのだ。貴族の嫡子として、あの子は最低限の軍事訓練を受けている。既に伯爵位にあるソルヴェール卿は言わずもがなだ。

 自信に満ち溢れた表情に、いつもなら自分のコンプレックスが刺激されてそわそわと落ち着かない気持ちになるのに、何故だか今は、心から安堵の息がこぼれた。

 改めて周囲を見回してみれば、地下水によって侵食された地下洞窟と地底湖、といった様子である。私とソルヴェール卿は運よく比較的安全なところに――あるいは、ソルヴェール卿が何らかの魔術で安全にした場所に――落ちたみたいだけど、ごつごつとした岩場や槍の穂先のように並び立つ鍾乳石群、そしてなにより地底湖のど真ん中に落ちていたら、今頃三途の川を渡りかけていたに違いない。

「できればあちらと合流したいところだが、流石にこの距離を泳ぎきるのは」

「絶対に無理です」

「ははは。いい返事だ」

 目算、最低五百メートルはありそうな地底湖、泳ぎきれるなら私はしがない一般平民女性(求職中)なんてやってない。海運関係の仕事に喜び勇んで従事しているだろうともさ。

 養父の治めるレーヴィ伯爵領は運河を抱える平地の領地で、当然運河なんだから子どもたちの水遊びは禁止。それでも年に何回か、命知らずの人たちがこっそり泳ぎに入って船にぶつかって事故死、なんてことも起きている。

(真夏の暑い日なんかは、その気持ちもわかるけど)

 これでも一応、ご領主さまの養い子なんてものをやっていた身としては、人前で安易に肌をさらすことも、規則を破ることもできなかったのだ。結果、前世はともかく、今世では一度も泳いだことがないライラ・アーヴィングちゃんの完成である。うん、自分で自分のことちゃん付けするのはイタ過ぎたね……。今度気をつけよう本当に。

 こっち側は私が泳げない。向こう側は、多分ディエナディアちゃんが泳げない。公式設定頭でっかちのもやしっ子だったもんね。HPの低さと防御力の低さがネックで、うっかり油断すると戦闘不能になってて、慌てて回復アイテムを使うことが多かったもの。ジークは、ひょっとした泳げるかもしれないけどディエナディアちゃんを連れてっていうのは無理だ。うんその、ジークはあんまり背が高くないからね。

 さてどうするかと、ようやくソルヴェール卿は立ち上がった。立ち上がったのはいいのだけれど、まだ私の腰を抱いて持ち上げたまま、さくさくと周囲を探索し始める。

「あの、ソルヴェール卿。流石にお邪魔では」

「また何が起こるかわからない。さっきは運よく間に合ったが、次もそうとは限らないからな」

「……確かに、はぐれたら五体満足では帰れない気はしてますが」

 気はしてる、とか控えめな表現だったかもしれない。ええ、もしひとりきりだったらここで寂しく孤独死してた自信しかありませんが?

 だからといってこの年齢で、何を血迷ったか自分に求婚までしてきた相手に抱っこされていて平気なほど、私は女を捨てていないのである。それなりに豊かな自分の胸がソルヴェール卿のわき腹でめちゃくちゃ押しつぶされていることにも鈍感にはなれないのである! 地味に息苦しいのよこれ!

 ふと、ソルヴェール卿が立ち止まった。その隙にどうにか腕から抜け出して、久しぶりに自分の足で大地を踏みしめる。ああ、重力感じるわ~……ってその感想もどうなの私……。

 なるほど、とソルヴェール卿が何故か笑った。そして、ご覧と私の手を引く。

「どうやらあの方々は、ちゃんと私たちを招待してくれたみたいだ」

 ――〈人形師〉クラウス・アーヴィングの屋敷は〈闇の森〉に。けれどそれを見つけた者も、訪れた者もいない。いつからか、ただの伝説となってしまった〈人形屋敷〉。彼の〈人形師〉の活躍は、たった百年ほど前のことだというのに。

 中途半端に時代が近いから、ディエナディアちゃんも躍起になるのだろうと思っていた。もしこれが、例えば千年前の人物です、とかだったら、いくらなんでも伝説は伝説、事実とはかけ離れているのよ、くらいはあの子も言ったに違いない。実は私はそう思っていた。ちょっとだけ。きっと〈人形屋敷〉なんてものは最初から〈闇の森〉にはないんだと。ないものはそりゃ見つけられないでしょ、と。

 ところが、違った。確かに〈闇の森〉に隠された屋敷はあった。ここが()()なのかは、まだわからないけど。

「地底湖に浮かぶ古代イスタリア様式の屋敷。――いかにもいわくつき、といったおどろおどろしさじゃないか」

 地底湖の水が左右ぎりぎりにまで迫る細い細い道の先、蝙蝠の翼を持つ異形が両柱の上に配置された堅牢な門の奥に、茨の棘で覆われた建物。推定、〈人形屋敷〉。

 古代イスタリア様式。つまり、重厚な石造りで味も素っ気も装飾もない、軍事要塞と見紛う威容に私の腰が引けているのを、知ってか知らずか。

 わくわくしてきたな、とか、その感想は正直どうかと思います、ソルヴェール卿。

(こんなのまるきり、ただのお化け屋敷じゃないの……!!)

 あのガーゴイルもどき、ほんとにただの置物なんだよね? ね!?

 あまりにもあんまりなホラーハウスっぷりにドン引きしている間に、ソルヴェール卿はそつなくジークたちと連絡を取ったらしい。どうやら、私たちよりも遠回りではあるけれど、ジークたちの方にもあの屋敷に通じる道があったのだとか。

「あちらからは木々の塊が見えるそうだ。ふむ。いったいどういう植生なのか……」

「つまり、屋敷の正門はこちら側ということですか」

 そりゃそうだろうなあ。あのガーゴイル付き門、どう見ても正門だもの。がっつり閉じられてて入れない困ったなー! って展開を望む気持ちと、サクッと入れて何にもない廃墟だったねテヘペロ、って展開を期待する気持ちが半々だ。つまり、十中八九何事かあってトラブルに巻き込まれ……いや現状既に十分トラブル真っただ中だったね……ちょっと常識揺らぎかけてたね危ない危ない。

「さあ行こう、ライラ。エスコートは任せてくれたまえ」

「……正直かなり頼りにしてますので、どうかよろしくお願いします」

 ものすごくものすごく、ものすごーく! 複雑極まりないんだけど、他にどうしようもないからね……! そんでもって、どうしようもないとはいえそんな正直な気持ちをまるっとぺろっと態度に出すほどお子様でもいられないので……ええ、差し出された手を掴んだらナチュラルに恋人つなぎ通り越して腕組むことになったとか、貴重すぎる私の素直な態度にきらっきら瞳輝かせて鼻歌交じりに歩き出したソルヴェール卿のこととか、ぜんぶしょうがないの……必要な代償なのよライラ・アーヴィング……。

「ふふ」

「……なんでしょう、ソルヴェール卿」

「これが初恋の甘やかさというものかと思ってね」

「…………」

「ドキドキしているな、ライラ。私も同じだ」

 異性への耐性皆無な年齢イコール恋人いない歴な私に、喧嘩売ってます? 買いませんよ? 勝率ゼロな喧嘩なんて買いませんからね?

 なんだかさっきよりも目が死んでる気がするけど、気のせいじゃないので強く生きよう、私。

 ものすごく甘ったるい表情で幸せそうに微笑みかけられたって、それでついうっかり耳の先まで真っ赤になったって、強く強く生きるのよ私……!

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