人形屋敷2
それから、どれくらい歩いただろうか。いや正確には私は歩いてないんだけど、多分二時間以上は黙々と歩き続けていた気がする。
鬱蒼とした木々が突然途切れ、ぽかりと開けた場所に出る。すると、図ったように風が吹き抜けた。
森の中だというのにまるでビル風のような強風が、歩き続けて解れた髪をさらにぐちゃぐちゃにかき混ぜる。私の猫っ毛はもつれやすいというのに、いったい何をしてくれるのか。
「マスター」
エヴァの呼びかけに、風がぴたりと止まる。
最後までくるくると舞っていた木の葉が振り子のようにいったりきたりしながら地面に落ちて、次の瞬間にはぼこりと、地面が小さく割れた。
割れ目からひょっこり顔を出したのは、うーん、何だろうなあれ……遠目には先っぽが九十度手前に曲がった管、に見えるんだけど。あ、先端から反射光が見えた。レンズ、かな? なるほど、潜水艦が海上を見るための潜望鏡みたいなやつなのかも。
続いてもう二本管が出てきて、あわせて三本。森の中にある小さな野原に突き出てるわけだけど、この絵面、かなりシュールだ。どこからどう見てもトラップです本当にありがとうございません。
腰が引ける私をよそに、エヴァは軽やかな足取りで管の一本、一番長いものに近づくと、ひらひらと手を振った。
「ただいま戻りました、マスター。かわいいかわいいライラちゃんも一緒ですよ」
『――無断で屋敷を空けた言い訳はそれだけか?』
きゃあああああああ! しゃべったああああああ!?
こほん。古典的なボケで失礼。地面に突き出た管の内、片方からボワボワと反響した低い声が聞こえてきたので、つい。うふふどうしてかな初めて聞く声だけど激怒してるんだろうなこの声の主、って簡単にわかるよ……地を這うように低い声、って多分こういう声なんだろうなあ……。
そんな、聞いてるだけの私もビビッてしまうような声にエヴァは一切構うことなく。変わらず軽やかに、今にもころころと笑い出しそうな声音で続ける。
「ですから、ぜひ一緒にお迎えに行きましょうと誘ってあげたではありませんか」
『必要ない、と私は答えたはずだがな』
「ええ。なので、必要だと思った私だけでライラちゃんをお迎えしたのです」
こちらに背を向けているから、エヴァの表情はわからない。それでなくとも自動人形だから、きっと変化なんてないんだろう。
(なのにわかる、わかるぞ……きっと今、エヴァは懇親の『ドヤ顔』を披露してるに違いない……!)
その証拠に、次に聞こえてきた謎の声――十中八九「マスター」さんとやらだけど――は、さっきよりもめちゃくちゃ低くなって、もはやドスの利いた、としか表現できないものになっていた。
『それで。百歩譲って、そこの間抜けな娘を迎えに行ったのだとして、他の有象無象はいったいなんだ』
「ライラちゃんのお友だちです」
あれ、今間抜けって言った? まだひと言も喋ってない推定男性からいきなり暴言吐かれたのでは? せめて間抜け面ならわからなくもないけど間抜けって、そんなパッと見て判断されるほど私の外見ってアレなの?
そんでもってずいぶんざっくりした説明ですねエヴァ! 残念ながら今回の愉快なご一行に私のお友だちはひとりもいないんでほぼほぼ嘘ですよその回答!
『…………』
「ああ、ショックを受けているのですね、マスター。親しみやすくて人の好さが前面に押し出されたかわいいライラちゃんとは違って、マスターは偏屈すぎてお友だちなんていませんものね。でも大丈夫ですよ。ライラちゃんのお友だちということは、マスターのお友だちも同然。これはぜひ歓迎してさしあげないといけませんね」
『……お前にまともな弁明を期待した私が愚かだった』
なんだろう……初対面で会話する前から私のこと間抜けとか言ってくれちゃった相手なのに、同情の気持ちがこう、むくむくと……。
うわあ、と頬を引きつらせる私。無表情のままのディエナディアちゃん。ああ、姉さんとの血の繋がりを感じるよ、とかさらっと私にも被害を拡大しようとするジーク。仲が良いのだなと、まあある意味そうなんだろうけどあのやり取りで出てくる感想がそれなのか、なソルヴェール卿。うーん、カオスだね!
不毛なやり取りに、焦れたんだろうか。開けた場所の手前で止まっていた私たちの中から、ディエナディアちゃんが一歩前に進み出た。
「不躾な訪問で失礼したわね。アタシはディエナディア・グランロッソ。シジェス王国でお抱え機工機関士をやってるわ」
『…………』
名乗りを上げたディエナディアちゃんに、管の向こうは沈黙。それでも迷いなく管に近づいていくディエナディアちゃんに、ため息ひとつでジークが続く。護衛だもんね、ジーク。文官なのにね。
「自律型自動人形の試作型、エヴァに『マスター』と呼ばれているのが、もし本当にあのクラウス・アーヴィングか――もしくは、彼の後継者なら、教えてほしいことがあるの」
『何故私がお前の頼みを聞かなくてはならない』
「機工機関士にとって、自分が生み出した機工機関は我が子も同然。自分の子どもが怪我して動けないなら、助けようとするのが人の道ってもんでしょ」
「あはは。君が人の道を説くなんて、子どもの成長って早いなあ」
「アンタは黙ってなさい!」
そうだぞ、余計な茶々を入れるんじゃない、弟よ!
ディエナディアちゃんからのきつい一瞥に、おおこわい、とジークは肩をすくめて見せる。どうして無駄に挑発するかな? そういうところ、お姉ちゃんよくないと思うよ? ぜひ可及的速やかに改めよう?
これは放っておいたらディエナディアちゃんが憤死しかねないなと、ソルヴェール卿の肩を叩いて、私たちも続こうと視線で促す。というかそろそろ下ろしてほしいのだけれど! 淑女として!
意外にもソルヴェール卿は素直に私を地面に下ろした、かと思えば、そのままソルヴェール卿の左腕に手を添えさせられる。
エスコートするのが当然、みたいなあまりに自然な動きだったから、引っこ抜く隙が微塵もない。っく、これだからナチュラルボーン貴公子は……!
靴の下に柔らかな下草の感触がある。こんなろくに人の出入りもないだろう場所なのに、草の背は私の足首ほどもない。明らかに人の手で整えられた場所だった。
管の隣にエヴァが、そこから三歩くらい離れたところにディエナディアちゃんとジークが立ち、私とソルヴェール卿はふたりからさらに二歩ほど離れた左斜め後ろ。
「教えてちょうだい、知っているなら。クラウス・アーヴィングが生み出した他律型自動人形三号機――ロトを直す、方法を」
ああ、と吐息がこぼれる。ディエナディアちゃんの横顔は見れなかった。
そっか、やっぱり。ディエナディアちゃん、貴女はゲームのエンディングを迎えてもなお、〈彼〉の死に囚われたままだったんだ。これだから大団円ハーレムエンド、別名問題棚上げエンドは厄介この上ない。
もう遠い、ゲームの記憶で。ディエナディアちゃんは魔術師の大家に生まれた落ちこぼれで、ほとんど育児放棄されて育った子だった。
魔術師の才能、つまり魔力の有無だとかは遺伝するものだ、って考えられていたから、特に帝国系の魔術師一家では政略結婚当たり前、血統書付きの犬猫をやり取りするみたいに、息子や娘を結婚させては子どもを作り、別れさせてはまた別の相手と繰り返し。
そんな家に、魔力をほとんど持たずに生まれたディエナディアちゃんの居場所はなかった。処分されなかっただけ温情、なんてゲームの中で他の魔術師家出身の脇役が言っていたっけ。
それでも彼女がどうにか死なずに済んだのは、倉庫の奥底、隠すようにしまいこまれていた一体の自動人形を見つけたからだ。
識別番号は三、封じの箱に刻まれたマスター認証用呼称はロト。ある天才機工機関士の作品としかゲーム中では説明がなかったけど、クラウス・アーヴィングのことだったのか。
管の向こうからため息が響く。エヴァ、と再びエヴァが呼ばれた。
『お前が自分から動くと、本当にロクなことがない』
「まあマスター。それは思い込みというものですよ」
心外だ、とでも言うようにエヴァが両手を腰に当てる。ええと、第三者の私から見ても、マスターさんからしたらロクな展開になってない、ってのは簡単に見て取れるんですけども……。
「思いがけない僥倖、というものではありませんか。ライラちゃんが訪ねて来てくださっただけでなく、行方知れずになっていた子のこと、ずっと気にかけてらしたでしょう」
管の向こうは、再び沈黙。ディエナディアちゃんも相手の反応を待つように口を閉じてしまった。
そうなると、葉擦れの音がやけに耳に付くな……森の中だからこんなもの、と言われてしまえばそれまでだけど、緑に乏しい王都育ちが長くなってしまった身には、なんだか落ち着かない。
お義父さん、レーヴィ伯爵領も王都に比べれば当然田舎なんだけど、流石にこんな森の中よりは栄えていたし、正直、ヴァイルハイト男爵領よりは都会だった。伯爵領は港があるからなあ。とはいえ、海に臨む方の港じゃなくて、大河に臨む港だけれど。この世界に生まれてからこちら、潮の匂いとは無縁な暮らしだ。そもそもシジェス王国は内陸国で海沿いの領地は存在しないし。
いやでもしかし、それにしたって――葉擦れの音、大きすぎない……?
「ところで、さっきから地面揺れてる気がするんだが」
ぽんと、いきなりソルヴェール卿がそんなことを言い出す。
言われてみればと全員が足元を見て、思案すること暫し。
「……駆動音らしきものが聞こえるわね」
「なるほど、地面の下になにかあるな」
「それはまあ、あの管を見る限り……」
待て。いや待って。
鬱蒼とした広大な森で、特に地すべりとか地形的な要素がなくぽかりと開け、明らかに人の手で整えられた痕跡のある場所。うるさすぎるほどの葉擦れ。ここに来る前、ディエナディアちゃんは目的地のことを〈人形屋敷〉って……そういえばこの空き地、わあまるで狼が赤ずきんちゃんを誘い出した花畑みたい、とか呑気に考えてたけど、それにしたって広すぎる。
だってこんなの、ほとんどちょっとしたお屋敷くらいなら余裕で建てられちゃうくらいの……広さ、で……?
(そもそもこの管、あまりにも当然のようにエヴァが使っていたから流していたけど)
地面から生えたコレは、いったいどこに繋がってるんだ?
『お前も機工機関士だと言うのなら』
管の向こうの誰かが、ようやく口を開く。
『見ず知らずの礼儀知らずに我が子のことを教える義理はないのだと、わかりそうなものだがな』
「っ、待ちなさい! ロトは、あの子は――!」
「そこまでだ! 博士、何か来る!」
ハッとして、エヴァを見たのは誰が最初だったろう。
管の隣で、いや、管に捕まって。あらあら、と頬に手を当てていた彼女は、私たちを見て大きくうなずいた。
「マスターが皆さんをお招きする気になったようです。少々……手荒く、ですが」
「それってやっぱり」
地面の揺れが大きくなる。地震だ、と錯覚して、すぐに足元がもろく崩れていく感触が伝わって、咄嗟に、本当に無意識に隣にいた誰かに縋った。
「ええ。落ちます。お気をつけて」
だからそれ、そんなにこやかな声で言うことじゃないと思うんだけど!?
地面が崩れる。内臓が浮く。
私は誰かに縋りついて、誰かはそんな私を、しっかり抱きしめて。
そうしてそのまま、底の見えない暗闇に、バラバラになって落ちていった。




