表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王道斜め38度  作者: 北海
第二章:人形屋敷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/43

発端

 馬車の車輪が轍を刻む。

 整備を担うのが基本的に街道周辺にある村や町ということもあり、大都市から離れて行くにつれ、道の舗装は剥がれ、かつては石畳であったのだろう石がまばらに残るだけになっていく。

 その名残りの石すら見なくなったのは正午過ぎだったろうか。粘土質が強いのか、赤茶けた地面が後ろに流れていくのを、わたしは幌付き馬車から見るともなしに眺めていた。

 街道を行く乗合馬車には幾つか等級がある。単純に馬車や馬の質を基準とするだけでなく、護衛が付くか、その護衛がどこのどんな傭兵団(ギルド)から派遣されたのかでも等級は簡単に左右される。とはいえ、ある程度懐に余裕があるなら個人的に護衛を雇い馬車を仕立てて街道を進むので、目玉が飛び出るほど高い料金の乗合馬車はないから、わたしみたいな絶賛求職中の身でもある程度安全に旅することはできる。

「王都を離れるの、久しぶりかも」

 レーヴィ伯爵領に最後に里帰りしたのは、女学院を卒業する直前の長期休みだったろうか。

 そのまますぐに教員養成課程に一年通って、母校に就職したんだから、間違ってないはずだ。一度でもいいから帰って来てほしいというお父さんの手紙は、断腸の思いで無視させてもらった。それもこれも、お母さんから「一度でも帰ってきたら二度と傍から離すつもりがないようだ」という忠告のおかげである。この年齢まで育ててもらっておいてなんだけど、お父さんの執着っぷりはこう、何というか……ヤンのつくデレ属性だったりするんだろうか。真面目に考えると空恐ろしくなってくるから、あんまり考えたくないんだけど。

 ジークが勝手に区切ってしまった一週間の期限が昨日で切れたことを思い出して、ちょっとだけ身を震わせる。だ、大丈夫だよね? 特にお父さん本人には何も言って来てないけど、一応書き置きは残したし、ついでに昨日王都に向けて手紙も送ったし……大丈夫、だよね?

 わたしの脳内には「私の天使が! ライラが家出した!」と騒いでいるお父さんの姿がはっきり浮かぶ。もっと小さい頃、それこそジークが生まれて来る前にお母さんとお出かけして、夕方帰ってきたら屋敷内で大騒ぎしていた時の記憶だ。そこで誘拐じゃなくて家出だと思う辺りにお父さんとわたしの信頼関係が現れてると思う。そこは建前でもいいから誘拐だと思おうよ、お父さん。

 あの時も確か、わたしは書き置きをしてから出かけたはずだったのだけれど。盛大に頬を引きつらせたお母さんが「やっぱり重度のロリコン……」ってうっかり口を滑らせて、大変なことになってた。大変なことになってた。大切なことだから二回言っておこう。ちなみにもちろん、主に未成年お断りな方向で、だ。いくら本音でも、新婚ほやほやの新妻が夫に対する感想じゃなかったよね。わたしは何も見てないし聞いてません。次の日夕方近くになってようやく起きてきたお母さんの動きがぎこちなかったのとか、目の下に隈があったとか、そんなこと気づいてないったらない。

 思い出してたらいつの間にか遠い目をしてしまっていたんだろう。はっと我に返ると、正面に胡坐をかいた少女にじっとりと睨み付けられていた。

「なにいきなりへらへら笑ってんのよ、気持ち悪い」

「……ごめんなさい」

 年下の少女の正直な感想は心臓に悪い。

 確かに思い出し笑いは傍からみてれば気持ち悪いだろうなと反省して、きりっとした表情を作った。すると、それはそれで彼女の気に障ったらしい。

 ふんと鼻を鳴らして、少女は再び視線を手元の地図に戻す。それで、と続く言葉は刺々しい。

「アンタ、ちゃんとアタシの話は聞いてたんでしょうね」

「ええ、それはもちろん」

「聞いてなかったのね」

 ごめんなさい、聞いてませんでした。

 はあと少女はため息を吐く。荷台の床を叩く指はいら立ちを如実に表していて、内心ビクつくわたしをさらに追い詰めていくようだ。

 くしゃりと前髪を崩して、少女は頭を抱える。

「アンタがあの(・・)〈人形師〉の血筋だと思うと、世の中の理不尽さに眩暈がしてくるわ」

「わたしはむしろそのディエナディアちゃんの言葉に理不尽さしか感じないんだけれども」

「ちゃん付けしないでって、最初に言ったわよね?」

 前髪の向こうから、再び彼女に睨みつけられる。それにわたしは苦笑を返した。

 どうして王都を離れ、乗合馬車にディエナディアちゃんと二人揺られているのか。それを説明するには、三日ほど前まで時間を遡らなければならない。





「いよいよ明日だね。もう荷造りは済んだの、姉さん」

「もうやだこの弟」

 何度目かの就活失敗に意気消沈して帰宅すると、ちょうど玄関で行き合わせたジークはそうにこやかに聞いてきた。

 もちろん、私の就活が思うように進んでいないことなど百も承知でこの態度である。唇をへの字に曲げて睨んでも、どこ吹く風と飄々とする弟は、くい、とずれてもいない眼鏡を押し上げた。

「あのままだったら父さんは多少強引にでも姉さんを領地に引きずっていっただろうね。それをわざわざ一週間も猶予をあげた弟に対して、その言い方はどうかと思うよ」

「ぐうの音も出ないくらい反論の余地はないけど、少しは傷心中のお姉ちゃんを気遣ってくれても罰は当たらないと思うよ!」

「気遣ってるじゃないか、今でも十分」

「そこら辺は根深い見解の相違があるよ、絶対に」

 ま、頑張ってと言い残して、弟は夕方の街に消えていく。

 その背中にいーっと舌を出して――はあ、とため息を吐いて肩を落とした。

 はっきり言って、再就職のアテは今日で全て潰れてしまった。もともと私自身が持ってるコネやツテなんてたかが知れていて、最後の頼みの綱はつい先ほどぷっつりと切れてしまった。

 パタパタと屋敷の中から足音がして、ルルとロロが顔を出す。相変わらずの無表情で口々に「お帰りなさい」と声をかけてくれるけれど、笑い返す気力はもうなかった。

 二人が顔を見合わせる。そして同時に、きゅっと私の袖を掴んだ。

「義姉さま、悲しいの?」

「義姉さま、寂しいの?」

「んー、そういうわけじゃないよ」

 多分、強いて言うなら情けないのだ。

 ジークはわたしが女学院を卒業するのと同時に王都に出てきて学院に入学し、飛び級を繰り返してあっという間に官吏になった。具体的に一体何の仕事をしているのかは、守秘義務らしくて詳しく教えてはくれないけれど、あの年齢で既に何人も部下がいるということは知っている。

 姉と弟。比べてしまうのはわたしのちっぽけな自尊心のせいなのだけれど、お父さんとお母さんの本当の(・・・)子どもだと、どうしても考えてしまう。そういう線引きは無意味で、気にしているのはわたしくらいのものなんだって、わかってはいるんだけれど。

「でもやっぱり、ニートは嫌だなあ」

「伯爵、張り切ってたよ」

「張り切ってた。悪い顔で笑ってた」

「悪い顔」

 それはやっぱり、と考えてこめかみを揉んでいると、メイドさんが控えめに声をかけてきた。わたしを訪ねて、お客さんが来たと。

「アーヴィングの娘を出せと……王室研究員の身分証を提示されていましたが」

「王室研究員!?」

 しまった、声が裏返った。

 思い当たる相手は特にない。研究者とマッドサイエンティストは紙一重なんだと、確かアレク君が頭を抱えていたっけ。世間一般での認識もまあ似たようなもので、良くも悪くも一般大衆とは縁のない人々なのだ。

 首を傾げつつ、待たせているという応接室に向かう。わたしがこの屋敷にいることを突き止めてここまで来ているのだから、会わないわけにもいかないだろう。居留守も通じそうにないと、わたしの勘が言っている。

 ルルとロロがわたしの両脇にぴったりと張り付いているせいで少し歩きにくい思いをしながら、大丈夫だよと彼女らの背中を軽く叩く。無言の瞳がわたしを見上げてきたけれど、応じて視線を返す前に応接室に到着してしまった。

「遅いわよ。アタシの貴重な時間を浪費させるなんて、いい度胸してるじゃない」

「――グランロッソ博士?」

 驚いた。そりゃもう、普通に予想外だった。

 ディエナディア・グランロッソ。すっかり記憶の彼方だったけど、アレク君のハーレム要員のひとり……じゃない、王室研究所に最年少で登録された、自他ともに認める天才少女。

 気の強そうな釣り目を猫のように細めて、ディエナディアちゃんは腰に手を当てた。

「仕事の話をしに来たのよ。アンタ、今探してるんでしょ」

「どうしてそれを」

「アレクが言ってたのよ。アイツはアンタの弟から聞いたらしいけど」

 ジーク……! どうしてそう、あの子は人の事情をペラペラと……!

 憤りとも何ともつかない感情に思わずぐっと拳を握ったところで、落ち着け落ち着けと深呼吸をする。

 根性で唇の端を引き上げて、とりあえず席を勧めてみる。どうしてかはわからないけれど、ディエナディアちゃんは部屋の真ん中で仁王立ちしていたもので。

 ところが、「ゆっくり腰を落ち着けて話してる時間はないの」とディエナディアちゃんはそれを一蹴した。

「この前はなんだか知らないけど面倒くさそうなこと真っ最中だったみたいだから諦めたけど、今仕事を探してるってことは暇なんでしょ? だったらちょっとアタシに付き合いなさい」

「ええと、私、グランロッソ博士の助手になれるほどの知識も才能もないんですが」

「そんなの知ってるわ。誰がアンタの頭をアテにしてるなんて言ったのよ」

 馬鹿じゃないの、とディエナディアちゃんの視線は如実に語る。わたしは頬が引きつるのを自覚した。

 もの凄く好意的に解釈すれば、ディエナディアちゃんは単に自分に正直過ぎるだけなのだ。毒舌というか単純に失礼なんじゃないだろうかと思ってしまう言葉も、嘘や誤魔化しがない率直過ぎる意見なのだ。……そっちの方が心に響く、というか痛いんだけどそこはまあ置いておいて。

「敬語を使うの、やめても構いませんか」

「やめたいならやめれば?」

「……じゃあやめる。それで、ディエナディアちゃんがわたしをアテにしてるの理由は?」

「ちゃん?」

 じとりとディエナディアちゃんの瞳が据わる。わたしは敢えてにっこりと笑顔を返してみた。

 今度はディエナディアちゃんがこめかみを引くつかせて、イライラとつま先で床を叩く。

「なるほど。アレと姉弟だなんてあり得ないって思ってたけど、案外イイ性格してんじゃない。ま、いいわ。それくらいの根性がないと、こっちも迷惑だから」

 確認したいんだけど、とディエナディアちゃんは苛立ちを消して真っ直ぐに視線を合わせてきた。

「アンタの名前、本当に『ライラ・アーヴィング』で間違いないのね?」

 今更確認するまでもない。むしろそれ以外の名前を名乗ったことはないので、わたしは頷くより先に首を傾げてしまった。

「そういえば、妙にその『アーヴィング』って名字を気にしてたけど」

「当然よ。あの屋敷は、〈人形師〉クラウス・アーヴィングの血族にしかその門を開かないって言われてるんだから」

「あの屋敷?」

「――人形屋敷よ」

 言葉を区切って、ディエナディアちゃんはわたしに丸められた紙を放った。

 取り落としそうになりながら受け取り、視線で促されるままに広げて中身を見る。記されていたのは、この国の北西の一部と、隣接する帝国を描いた地図だった。

 本来、地図というのは最重要国家機密だ。詳細な地形が誰にでもわかるようになってしまうと、非常時に敵国に容易く攻め込まれてしまう。かと言って完全に秘することは交易の面から言っても不都合しかないから、市井にはかなり簡略化された地図が出回っているのだ。

 今ディエナディアちゃんが投げて寄越したのは、そのどこにでも出回っている地図よりは詳しく街道が描きこまれてはいるけれど、国家機密には到底なりそうもない精度のもの。まあ、だからわたしに見せたんだろうけど。

 それで、これがどうかしたんだろうか。

「地図の中央に大きな森があるでしょ。まずはそこに向かうわよ」

「でもここ、〈迷いの森〉ってメモ書きがあるんだけど」

 しかも大きくはっきりと。赤文字なところに、このメモ書きをした人がどれだけここを危険視してたのかが伝わってくる気がする。

 だけどディエナディアちゃんにとってはそれは大した問題じゃないようで、「磁場が狂ってるのよ」とあっさり言ってのける。

「しかも、森自体に古い魔法がかけられてるから、ある程度自分の魔力を制御できないと、歩けば歩くほど方向感覚が狂わされてくわ」

「だから〈迷いの森〉」

 それにしても、随分簡単に魔力の制御なんて言ってくれるものである。とは言え、この目の前の天才少女にとっては本当に簡単なことなのだろうけれど、そもそも大概の人間にとっては制御できるほど魔力なんて多くあるものじゃないのだ。まあとにかく、これは富士の樹海の魔法バージョン、って解釈で良いのかな。

 ふと気が付くと、ルルとロロが地図上の一点を凝視していた。

 彼女たちの視線を追って気が付く、もう一つの走り書き。漠然と森を丸で囲んで、記された言葉はたった一言。

「人形屋敷……」

「アンタは、アタシたち機工機関士がずっと探していた唯一の手がかりよ。クラウス・アーヴィングは弟子を一人として持たなかったから、彼の技術はずっと彼が残した僅かな遺作から読み解いていくしかなかった。百年以上経った今でも、彼の持っていた技術には到底辿り着けてないわ」

「それは……何というか、とんでもないね」

 百年以上前の人が、今の技術でもたどり着けていない境地にまで到達していたってことだ。とんでもないとしか表現できない。プライドの高そうなディエナディアちゃんが、どことなく熱っぽく語るのも仕方がないのかもしれない。

「そのとんでもない〈人形師〉が生前工房として使っていた場所。それがこの屋敷だと言われているわ」

「だから、〈人形屋敷〉」

 地図から目を上げると、ディエナディアちゃんは一見落ち着いた様子で真っ直ぐにわたしを見つめていた。

 でもわかる。抑えきれない興奮が滲む声音。今の彼女は、追い求めてきたものに手を伸ばす期待に満ち満ちている。

「アタシに協力しなさい、ライラ・アーヴィング。機工機関の未来のため、そして何より、アタシ自身のために」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ