最終日
「おっ、決まったか」
ブロック戦、最後の試合が終わったらしい。
残念ながら敗退した人たちが演習場を整備し直して、勝ち残った人たちの名前がそれぞれトーナメント表に書きこまれる。右端と左端にはディオンさんとアレク君の名前。二人とも隊長だから、決勝に行くまでは当たらないようにしたらしい。王女様は順調に勝ち進めば準決勝でディオンさんと当たる、右の山の左端に名前があった。
じゃあ左の山の右端は誰だろうと首を伸ばして、あ、と思わず目を見開いた。ラントさんの名前がある。
わたしの視線を追って、ディオンさんはああと苦笑した。
「アイツも一応、親衛隊の副隊長だからな。そちらさんの副隊長よりは腕が立つのよ」
アレク君の隊の副隊長、ロッズさんの名前は準々決勝で王女様と当たる位置。……これはラントさんよりも強いらしいアレク君を凄いと思うべきか、護衛対象のはずの王女様がさらりとナンバーツーもしくはスリーかもしれない実力を持っていることに戦慄するべきか、いったいどっちの反応が正しいんだろうか。
こうして遠目で見ると、あの従僕姿のラントさんは本当にイレギュラーだったんだなあとわかる。従僕さんたちの中に何人かいた緊急時の対応要員。そのひとりが王女様の親衛隊副隊長だなんて、思い返せば随分と豪華な話である。
(王女様は、アレク君がそれだけ心配だったのかな)
気づかれないような気遣いをするところ。昔と全然変わってない。
「明後日でひと月?」
その問いは唐突だった。
ディオンさんを見る。彼の視線はわたしじゃなくて前を向いていたけれど、なんとなく、本当はずっとこの先を聞きたかったんじゃないかと思った。
「長かったような、短かったような」
「間、十日ほどいませんでしたから」
予想していた不可抗力、なんて言い方はおかしいかもしれない。
そういえば、どうしてあの後七日間も目が覚めなかったのかというと、ルルとロロがわたしがどこに捕まっているのか見つけるために、ルルとロロがわたしの持ってるなけなしの魔力をごっそり使ってしまったかららしい。マスター認証しているわたしと彼女たちは魔力的な繋がりがあって云々と、天才少女に熱く説明されたんだけど、わたしの残念な頭では半分も理解できなかった。
わたしが魔術を使えないのは、実はこの辺りにも理由がある。
本当は、わたしも死ぬほど頑張れば下の下か下の中くらいの魔術師にはなれるかもしれない程度の魔力を持っている。ルルとロロのマスターになってしまった時点で、彼女たちに供給するためにほとんどの魔力が費やされていて、残った魔力は雀の涙以下なんだとか。しかも、この前みたいな戦闘行為を二人がしようとするとすぐに魔力が足りなくなってぶっ倒れて昏睡状態まっしぐら。チート? ああ、儚い夢だったよね……。
「期間限定は、限定のまま、か」
その言葉には、わたしは何も答えられなかった。
さて、とわたしは居住まいを正した。
今日は待ちに待った最後の日。既に関係各所にはお世話になりましたと挨拶を済ませてきてある。
今いるここはアレク君の屋敷。わたしの前にはアレク君。スチュワードさんが邪魔にならない程度に距離を取って佇んでいて、最後の打ち合わせという名の確認作業を終え、ようやくアレク君に向き直る。
「今日でひと月か。なんだかあっという間だったな」
座ってよ、とアレク君がソファを示す。無理に辞退するようなものでもないので、わたしは大人しく腰を下ろした。
ところが、当然正面のソファに座ると思っていたアレク君は立ったまま。
視線を向けると、アレク君は困ったように頬をかいた。
「あー、何から話せばいいかな。ひと月お世話になりました? ってのも変か」
「閣下がお礼を言われることでは。わたしは職務を全うしただけで」
そつなくこなせたとは言い難いんだし、感謝されると返って居た堪れない。
困惑するわたしに、アレク君は緩く首を振る。
「でも、ライラさんが攫われたのは明らかに俺の不手際だったし」
「それも予想されていたことですし、あの場合はわたしが――?」
待て。
いや、待て待て待て。
言いかけでやめてしまったことなんてどうでもいい。この際不作法だとかそういうのはまるっと脇にどけておこう。
今、アレク君は何を言った? わたしが攫われたと、そう言ったの?
(知らされてないんじゃなかったの?)
混乱する。風邪は治ったのかと尋ねたのは誰だ。目の前のアレク君だ。なら、あの時点では知らなかった? 知っていて敢えて? だとしたら弟のジークに負けず劣らずのイイ性格で……そういえば二人は親友だ。類は友を呼ぶ法則で似たような性格だったとしてもなんら不思議はない。いやでも、ゲームで描かれていたアレク君はそうじゃなかった。
なら、つまりどういうこと?
初めて会う人を見るような気持ちで、わたしはまじまじとアレク君を眺めた。
際立った特徴のない凡庸な顔立ち。やや大きめの瞳に、幼さの残る輪郭。人の好さを表すような、下がり気味の眉。隊服を脱いでいる今は、道行く一般人と見分けるのは難しい。
でも、その瞳は底知れない深みがある。そのことに、わたしは初めて気がついた。
「思えば、最初から変だなとは思ってたんだよ。家令のスチュワードなんて、悪趣味な冗談みたいな名前だし」
水を向けられたスチュワードさんは面白がるように目を細めた。だからその偽名はやめましょうって、あれほど言ったのに!
「とっかかりはそこだな。後はまあ、ジークがなんか色々考えて動いてるみたいだぞ、って思ったら、俺の知らない何かの事情があるんだろうなって思って。とりあえずしばらく様子見っかーって思ってたんだけど、すぐにあの武器横流し事件があっただろ? だからいろいろタイミング逃しちまって」
どうしようかと思っている内にわたしの勤務最終日が来てしまったらしい。……鋭いのかのんびり屋なのかよくわからない子だよね、アレク君。
「後は、あの事件以後何事もなさ過ぎたってのが逆に違和感だった。ライラさんも、スチュワードも」
「取り乱す方が良かったと?」
「いや、なんつーか、本題は終わったのかなーって」
前言撤回。やっぱりこの子は鋭いらしい。
ぱん、ぱん、とスチュワードさんが手を叩く。手袋越しに手がぶつかり合うせいでどこか間の抜けた調子の拍手。でも、アレク君はいきなりのことに目を丸くしてスチュワードさんを見る。
わたしとアレク君の視線を受けて、スチュワードさんはにっこり笑った。
「及第点です、アレク殿」
「期限ギリギリでしたが」とスチュワードさんはわざとらしく懐から時計を取り出す。真鍮製の懐中時計。パクンと音を立てて蓋を閉じ、「良しとしましょう」。そして、優雅に一礼した。
たったそれだけ。だけどそれで彼の纏う雰囲気はガラリと変わった。
たとえ家令の格好をしていても、今の彼を使用人だと思う人なんていないだろう。存在感が増したような、急にそこにマーカーを引かれたような。
「改めて自己紹介を。私はディノイア・フォン・レーヴィ。不肖の息子ジークヴァルドが世話になっているようで」
「ディノイア・フォン・レーヴィ……って、レーヴィ伯爵!?」
ぎょっとして、アレク君は後ずさった。うん、その気持ちはよくわかるよ。
多分今、アレク君はこのひと月のスチュワードさん改めレーヴィ伯爵、お父さんのあれこれを思いかえしているんだと思う。どこからどう見ても完璧な家令にしか見えなかった姿を。
(あれを見て、お父さんを正真正銘、生粋の貴族だとは見抜けないよね)
偽名のことは見抜いても、その正体は完全に予想外だったに違いない。むしろ見抜いていたら毎日ストレスからの胃痛に悩まされていたに違いないと考えると、気づかなかった方が良かったんじゃないだろうか、アレク君にとって。
きっちりと撫でつけていた髪は、本当の髪色を隠すための鬘。片手であっさり取り去ってしまえば、その下からは弟と同じ黒髪が表れる。ついでに胸ポケットから片眼鏡を取り出してかければ、そこにいるのはもう家令のスチュワードさんじゃなく、わたしのお父さん、ディノイア・フォン・レーヴィ伯爵だった。
そして、もう他人のフリをしなくて良くなったからか、お父さんは当然のようにわたしの隣に腰を下ろした。
「座りなさい、アレックス・ゲインズ。私は見下ろされながら話す趣味はないよ」
「うえっ!? あ、はい!」
お父さんの言葉で、アレックス君は素早く向かいのソファに座る。
今や完全に上下関係が逆転してしまっている。片や、一応他人の屋敷だというのに足を組んでゆったりとくつろぐ体勢に入っているお父さん。片や、仮にも自分の屋敷なのにガチゴチに緊張しているアレク君。
なんだか可哀想になってきてしまったので、さり気なくわたしを抱き寄せようとしたお父さんの右手は思いきりつねっておいた。余所様のお家で何をしようとしているのか、この父は。
それでも懲りない辺りは流石と言うべきか。子どもの我儘を許容する大人の表情で、お父さんはぽんぽんとわたしの頭を軽く叩いた。
「まだ思春期は終わらないのかい、ライラ」
お父さんは寂しい、と主張されても困る。そりゃわたしだって年齢を重ねて渋みと深みを増したお父さんに思いきりごろにゃんと甘えたいと思う時がないわけでもないけれど、ここはぐっと我慢だ、我慢。紫の上計画は絶対阻止、わたしは互いに自立した父娘関係を目指しますと、何度もレイチェルに宣言したではないか。
禁断愛キタコレ! なんて大興奮する友人を思い出せば、悲しそうな顔をするお父さんにぐらりと揺らいだ覚悟もなんとか立て直せた。そもそも揺らぐなとか言わないでいただきたい。本当は必要ない片眼鏡を、わたしが好きだからという理由で二十年も愛用してくれるお父さんに揺らぐなと言う方が無理だ。的確に娘のツボをついてどうする、と突っ込みを入れた勇者は今、お父さんの奥さんになって自分の迂闊な言動を思いかえしては日々頭を抱えている真っ最中なのだ。発言には重々気をつけなければ。
「そっか、ジークの父親ってことは、ライラさんも」
「当然、ライラは私の可愛い可愛い天使だ」
「あ、そうですか」
い、居た堪れなさ過ぎる……!
臆面もなく二十歳を過ぎた娘を「天使」とか言っちゃうお父さんの神経が心底恥ずかしい。いや、嫌なわけじゃないんだよ? でもこう、身内の欲目全開の発言を一切自重なしに繰り出してくる身内って、だからこそタチが悪いっていうか、正直とんでもない羞恥プレイだと思うんだ。割と切実に。
うわあ、って引いた様子もなく、アレク君はどこか生ぬるい笑みを浮かべている。これは確実に弟から諸々の情報を得ているんだろう。居た堪れなさ倍増。今すぐ弟をここに連れてきて道連れにすべきじゃないだろうか。
「ジークヴァルドはともかく、ライラに関してはいろいろと言いたいこともあるが、時間が惜しい。先に本題に入ろうか」
言って、お父さんは優しげだと勘違いしてしまいそうな笑みをアレク君に向けた。
「答え合わせをしよう、アレックス・ゲインズ。君の推測を話したまえ。舞台の表側から、いったいどれほどの裏側を知り得たかを」
緊張に、アレク君の表情が強張る。それが仕方ないくらい、お父さんは凄みのある笑みを浮かべている。
ごくりとアレク君が喉を鳴らした。一度目を閉じて躊躇いを振り捨てる。
どうしてとか、なんでとか。そういった疑問を差し挟まない素直さは彼の美点であり、欠点でもある。単に将軍位とはいえ身分的には平民のアレク君が貴族のお父さんに逆らえないとか、そういう生臭い力関係の話じゃない。彼は直感的に、これは答えなければならない問いだと理解したのだ。
膝の上に置かれた手はいつの間にか拳を握っていた。真っ直ぐな視線がお父さんに向く。
そして、ゆっくりと口を開いた。




