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王道斜め38度  作者: 北海
第一章:始まり

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20/43

収束

「そろそろ落ちついたらどうなんです」

「だが、まだこんなに青い顔をしてるんだぞ。いくら天才少女のお墨付きがあったって……」

「発情期の熊でもあるまいし。貴方がそうやってうろうろしていたところで、彼女の回復は早まったりしませんよ」

「わかっててても落ちつけないんだよ!」

「いい加減、オトしますよ」

 長く寝過ぎてしまった時の感覚、ってわかるだろうか。

 意識は半覚醒状態に近い。耳は確かに周囲の音を拾って、脳にまで届けてくれているんだけど、それが意味を成すのとほとんど同時にほろほろと取りこぼしてしまう。たった数秒前のことですらあれ、なんだったっけと思い出せなくなるような。ともかく、今のわたしはそんな状態だった。

 誰かが近くにいるのはわかる。ひとりじゃなくて、複数。男の人? 聞き覚えは、ある気がする。でも、それが誰かを考えようとする前に思考がバラバラになってしまう。

 おや、とそばにいる誰かが少し声のトーンを上げた。

 声が潜められる。まさにぼそぼそとしか表現できないやり取りが続いて、ドアの開閉音で途切れる。

「目が覚めましたか」

 どうしよう。多分わたしに聞いているのに、語尾が上がってない。疑問形なのに疑問符不在って、つまりわたしが起きてるのはお見通しだぜ、ってことなんだろうか。

 はい、って返事したつもりで、でも舌はうまく動かなかった。猫が甘えるような、妙に高い母音だけが喉から出て、咄嗟にパッと目を見開く。

「気分はどうです、ライラ・アーヴィング」

 そう聞いてわたしを見下ろしていたのは、感情の読めない茶褐色の瞳だった。

 この人は。誰かわかったと同時に、羞恥で頬が熱くなる。うう、恥ずかしい。さっきの声、聞かれてたよねえ。

「みず、ほしいです」

「どうぞ」

 ずい、と差し出されたのは水の入ったコップだった。わたしが欲しがるってわかってたみたい。だって間髪入れずに出てきたっていうか、もしかして聞く前から用意してあった?

 背中を支えてもらって、上半身だけ起き上がる。普段使っているベッドより柔らかくて、少しバランスが取りにくい。

 よりによってコップを受け取る時にぐらついたもんだから、相手も不安になったんだろう。背中を支えてくれている腕はそのままに、コップを口元まで持ってきてくれた。

 ひと口飲んで、自覚していたよりもずっと喉が渇いていたことに気がつく。なんだろう、喉がひりつく。

 一度に飲み込んでしまわないで、口の中で温くしてから喉を通す。そうしたらあんまり痛くなかった。

「もう一杯?」

 一杯飲みほしたところでそう聞かれ、首を横に振る。

 ひと息ついたところで、ベッド脇に佇んだまま、真っ直ぐにわたしを見下ろした。

「無理をしましたね」

「……面目ないです、ラントさん」

 当たり前なんだけど、ラントさんはもう従僕のお仕着せを着てはいなかった。

 騎士用の平服。この上からあの重そうな鎧を身につけるんだろう。肘や籠手などの最低限の鎧は今も付けっぱなしだけど。

 痛んで色が薄くなった髪が揺れる。わたしの金茶色よりもずっと色の濃い、個人的に馴染み深い色。これで顔立ちがもっと平坦だったらいいのに、ラントさんはこうして黙っていると妙に威圧感がある。

「終わりましたか」

「ええ。貴女が呑気に七日も寝込んでいる間に」

「七日!?」

 そりゃ喉も乾くわけだ。

 言われてみれば、なんだか体全体が重くてだるい。試しに右手を握って、開いてを繰り返してみる。うーん、心なし、握力も下がった?

「そういえば、ラントさん、お仕事は」

「貴女の世話が今の俺の任務です。諸々の説明役も仰せつかっています」

「もしかして」

「もちろん、俺に命令できるのは二人しかいませんが」

 おもむろに、ラントさんはサイドテーブルから林檎を取り、ポケットからぺティナイフを取り出した。

 慣れた手つきで八等分にして、そのひと切れをくれる。これも、水の時と同じ。意識していなかっただけでかなりお腹も空いていたみたいで、甘酸っぱい匂いに反射的にぱかりと口が開いた。

 しまったと思った時には当たり前のように林檎は口の中へ。はからずもあーんをしてしまったというのに、ラントさんはちらとも表情を変えない。いや、動揺してほしかったとかじゃなくて、でもこうまで無反応だとなけなしのプライドがうずくようなそうじゃないような。乙女心は複雑なのだ。

 あ、美味しい。もぐもぐと口を動かすわたし。ラントさんは説明を続けた。

 アレク君は無事軍内部の内通者を特定しらたしい。今は尋問を行っているところで、一応罪状は兵団の武器庫からの武器不正持ち出しということになっているけれど、余罪がまだ複数あると予想されているんだとか。

 ジークが改竄された書類を持ち込んだの日から考えると、驚くほどのスピード解決だ。そうこぼすと、ラントさんは「お膳立てされていましたからね」と素っ気なく言う。

「レーヴィ政務官にいいように使われたと、将軍は嘆いていたそうですが」

「……まあ、弟は昔からそういう子だったので」

 要領が良いというか、相手と自分の力量を見極めて適材適所の働きをさせるのが上手なのだ。わたし? もちろん待機組でしたけども何か。

 例外は、今回だけ。

「アーノルドとスコットは」

「既に死亡しています」

 息を呑む。

「貴女を街中で追い回した使い魔を使役していたのは第一騎士団所属の魔術師でしたが、こちらも確保と同時に自害しています」

「……他に、捕らえた人達は」

「多少の抵抗はありましたが、全員牢に転がしてありますよ」

 言葉が見つからなかった。それを察したんだろう。ラントさんはわたしの言葉を待たずに続ける。

「捕らえた者たちは二人に指示されたことに従っただけだと言うばかり。実行犯こそ捕らえましたが、捜査は暗礁に乗り上げた状態です」

 疲れを感じた。どうしてなのかと、ぼんやり思う。

 大陸有数の武器産出国として知られるこの国で、国庫の武器をどこかへ流したことはもちろん重罪だ。横流し先によっては国家転覆罪として極刑も有り得るだろう。だけど、ラントさんはアーノルドとスコットが処刑されたとは言わなかった。

 それは、いったいどういう意味なんだろう。

 ラントさんが口を噤んだ。わたしを覗きこむように見て、目を細める。

「今日はここまでにしましょう。貴女にはまだ休息が必要なようだ」

 何も言えず、わたしは黙って頷いた。

 ラントさんが退室する。その直前、わたしは彼に問いかけた。

「目を覚ます前、ラントさんともうひとり、誰かいませんでしたか」

「いいえ、誰も」

 彼は、振り返らなかった。

 ドアが閉じる。遠ざかる足音が聞こえなくなってから、わたしはぼすりとベッドに仰向けで倒れ込んだ。

 今さらながら、どうしてわたしはこんなところにいるのだろうかと疑問に思ってみる。天井の木目は見覚えのない模様だ。王宮ではない。レーヴィ家の別邸でもない。もちろん、わたしが弟の突撃! お宅訪問を受けるまで使っていた下町の下宿でもない。最後の可能性としてアレクくんの屋敷もあるが、わたしの記憶にはこんな内装の客間は存在しない。はっきり言ってまったく未知の場所だった。

 考えなければならないことはたくさんある。でも、そのために必要な情報は少ない。わたしは目を閉じてひと月前のことを思い出そうとした。弟に問答無用で協力させられたその始めを。

 明日から補佐官やってね、なんて言われて即時対応できるほどわたしはスペックが高くない。人の倍努力して人並みになる要領の悪さは親馬鹿のお父さんでさえ否定できないのだ。そんなわたしのために用意されたひと月足らずのスパルタ補佐官講座。たかが書類整理と言うことなかれ。アレク君の補佐官として配属する上で関わり合いになるかもしれない相手全員の情報と関係部署周辺の地図を叩きこんで、わたしがなにをさせられるのか、その触りだけを教えられた。スチュワードさんを始めとした、現在アレク君の屋敷で働いている人たちとの顔合わせもこの時だ。

 もちろん、初顔合わせの時はお互いお仕着せなんてないから私服、普段着のまま。よろしくお願いしますと言って握手のため手を差し出したスチュワードさんの服装に眩暈を覚えたのも今では良い思い出だ。どうしてあの人が家令なんて役割を担うことになったのか。アレク君が約半月後、スチュワードさんの素性を知らされる時パニックに陥らないかが今から心配である。……「面白そうだから黙ってようよ」という弟の笑顔の脅しに屈したわたしが言えることじゃないけども。

 アーノルドとスコットは、その顔合わせの時にいなかった。数度あった打ち合わせの時にも。アレク君と使用人たち(わたしたち)の初顔合わせの時に初めて見て、だからすぐにわかったのだ。彼らがそう(・・)なのだと。

 普通の対応をしてほしいと弟は言った。何も知らされていないフリをして、と。実際知らされていたことはスチュワードさんはともかくわたしはほとんどなかったから、その指示に従うことはそう難しくなかった。

『色々引きずり出したり試したり、出方を見たい人がいるんだよね』

 姉さんはそのための撒き餌のひとつ、と堂々と言ってのけてしまう弟にコノヤロウと思わないでもない。

(でも、約束を、したから)

 様々な可能性を提示してくれたのはスチュワードさんだった。人質、誘拐、襲撃、最悪の場合、死ぬかもしれないと。

 あれほど大勢の人たちを巻き込んで、狙いが兵団内の不正だけだったとはどうしても考え難い。アーノルドとスコットをトカゲの尻尾切りよろしく切り捨てた誰かを、弟は引きずり出したかったんだろうと思う。試したいっていうのは、ちょっとよくわからないけど。出方を見たい人っていうのも。

 物語の脇役たちは、主役の起こす騒動に巻き込まれた後、いったいどの程度まで事情を知らされるものなんだろうか。




 三日後には補佐官として復帰して、同じような毎日を淡々と繰り返すことになった。

 ラントさんが事情説明をしてくれたのはあの一度だけ。次に目覚めた時にはレーヴィ家の別邸にいて、両脇にぴたりと寄り添うようにルルとロロが寝ころび、じっとわたしの寝顔を見つめていた。うん、軽くどころか真剣にホラーだからやめようか二人とも。

 復帰初日、アレク君は風邪は治ったのかと開口一番尋ねてきた。どうやらわたしが攫われた云々の事情はまるっと隠されているらしい。アレク君の後ろ、両手でバツ印を作るロッズさんに内心わかってますよと苦笑して、適当に調子を合わせておく。ちょうど王宮内で風邪が流行っていたからそんな理由にしたんだろうけど、それならそれで事前に知らせておいてほしいものである。

 残り半月。通常業務の合間に入る騒動は酔っ払いの喧嘩の仲裁からここ王都内で起きた強盗、殺人事件まで幅広い。今月はアレク君の隊が王都内警備担当の月だから仕方ないのだが、夫婦喧嘩の仲裁に駆りだされる兵団の人たちを見ていると、何とも言い難い、生ぬるい気持ちに襲われる。

「魔物討伐担当月に比べればのんびりしたもんだよ」

 そう言って笑うのは、王女様の親衛隊隊長ディオンさんだ。

 今月二度目の合同演習。今回は前回と違って一対一の個人戦をすることにしたらしく、アレク君の隊と親衛隊の人たち全員を無差別シャッフルしたトーナメント戦をしているのだ。

 もちろん、人数が人数だから最初からトーナメント方式にはせず、幾つかのグループに分けて総当たりのブロック戦を行い、それぞれで勝ち抜いた人たちが本戦に当たるトーナメント戦に出場できるようにしている。ただし、隊の隊長、副隊長たちはいわゆるシードとしてトーナメント戦からの参加。ここで良い結果を残せば昇進も有り得るとあって、兵団の人たちはもちろん、親衛隊の人たちも気合十分だ。

「王都周辺を哨戒して街道の安全を確保する、でしたか」

「冬に入る前が一番厄介。越冬のために普段は山や森の奥にいる魔物まで、下りて来ることもあるから、気が抜けないんだ」

 王女様はアレク君と並んで何か話しているから、気を遣ったのかもしれない。もしくは、手持無沙汰なわたしを心配してくれたのか。時折親衛隊の人たちに指示を出しながら、ディオンさんはわたしの話し相手になってくれた。

「兵団は月替わりだけど、騎士団なんか年単位だからね、可哀想なもんよ? 国境警備に飛ばされて、下手すりゃ二年、三年王都にゃ帰って来られない」

「国境は各辺境伯が防衛を担っているのではないのですか?」

 少なくとも女学院ではそう習ったし、教えた覚えもあるのだけれど。

 わたしの疑問をディオンさんは笑わなかった。そういう建前、と皮肉気に唇を歪める。

「帝国ならそうだけどね、この国じゃほとんどの辺境伯はもう自前の軍を維持できるほど余裕はないのよ。始めは補助とか補佐とか、そんな程度の派遣だったんだけどねえ」

 いつからか騎士団が本体で辺境伯がその補佐にと、立場が逆転してしまったらしい。おかげで騎士は皆早婚か晩婚かのどちらかなのだと冗談のような話が続く。

「国境警備に回されるのは嫌がらせみたいに結婚適齢期の騎士ばっかりだから、中には派遣中に振られたり離縁状が届いたり、惨憺たるもんよ」

 それでも騎士志望の若者が後を絶たないのは、爵位を継げない貴族の次男以下の子息にとって、一番手っ取り早い就職先だからなんだとか。

 余程絶望的な運動神経をしていない限り、騎士養成学校に入学するのは難しくない。はっきり言ってしまえば、現役もしくは引退騎士の推薦状一枚あれば入学できる。学費も家庭事情によっては減免措置があり、実家がたとえ田舎の貧乏貴族でも王都の大貴族でも、等しく同じ教育を受けることができる。座学も必修で、特に優秀な成績を修めた場合、文官養成の特別学級に移動することもできるんだとか。

 この辺り、ざっくばらんに女子を教育する女学院との違いがあって面白い。まあ、女官でも侍女でもどこぞの貴族に嫁入りするのでも、求められる基礎的な素養が大して変わり映えしないっていうのも原因かもしれない。でも、あくまでも女学院はプラスアルファの価値を与える程度の意味しかないのに対し、必須の知識やスキルを与えてくれる教育制度っていうのは、ちょっと羨ましいかもしれない。

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