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王道斜め38度  作者: 北海
第一章:始まり

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簡単なお仕事

 求人情報雑誌とかの説明書きによくある、「簡単なお仕事」。この文句ほど胡散臭いものはないと思う。

 代表的なものだとやっぱり風俗系とかだろうか。アダルティなお仕事ばっかりが載ってる求人情報誌を、友人同士で話のタネに回し読みしたことがあったのだけれど、いやあ、日本のそういう職種ってものすごく細分化されてジャンル分けされてるんだね。

 多分アレは求人もそうだけどお店の宣伝も兼ねるところもあったんだろう。「簡単なお仕事」、「○○するだけ」、「未経験者でも楽々!」などなど。そういう系統のうたい文句が氾濫していて、もはや「簡単な」という形容詞がゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。

 そんな感じにちょっとふざけて、敢えて空気を読まずにわたしの現状を説明するならば、そう。これはきっと「いたいけな少年に罵られるだけの簡単な」……うん、どう考えても怪しいお仕事だから、この言い方はやめようか。

 とはいえ。さも用事があって探してましたという態でアーノルドを食堂から連れ出したのはいいけれど、まさかその直後にその少年に詰め寄られる事態になるとは、流石のわたしも予想だにしていなかったのである。

「貴女は、何なんですか」

 彼の身長はわたしよりも低い。

 形振り構わず全力で抵抗すれば解けてしまうような拘束も、アーノルドからすれば精一杯のことなんだろう。まだ幼い少年なのだ。その認識が、わたしから抵抗しようという気力をがっつり削り取ってしまう。

 何も答えず瞬くだけのわたしに、アーノルドはくしゃりと表情を歪めた。

「本当は、アレックス将軍の補佐官は僕に任せてもらえるはずだったのに」

「…………」

 それは嘘だと、否定することを躊躇ってしまう。

 そうなのかと相槌を打とうにも、アーノルドはあまりに幼い。幼過ぎる。経験がないのはわたしと同じでも、年齢という大きな壁が性差よりも際立ってしまう。

 彼がどうしてそんなことを言うのかはわからないから推測にしかならないけれど、多分アーノルドは誰かから聞いたのだ。わたしさえいなければ、彼が補佐官としてアレク君に付いたのに、と。

 初日に見たアーノルドを思い出す。彼はきらきらとした瞳で真っ直ぐにアレク君を見上げていた。ヒーローに憧れる子どもさながら。いや、そのものだろう。

(男の子って、戦隊ものとか好きだからなあ)

 ぽんと浮かんだのは身近な男の子だった弟サマである。……うむ、アレは例外だな。英雄叙事詩とかを悉く「英雄って馬鹿しかいないの?」と斬って捨てたとんでもない男の子だったんだから。

 次に浮かんだアメコミヒーロー、もとい理事長の姿も頭から無理矢理かき消して、わたしはアーノルドに視線を向けた。

「行動の意図が図りかねます。アーノルド、貴方は今屋敷にいなければならないはずですが」

 要約すれば、自分のお仕事しましょうね。

 アーノルドにも大体の意味は伝わったらしく、きつく睨みつけられてしまった。

「閣下に知らせなきゃいけないことがあるんです」

「閣下は現在取り込み中です。伝言ならわたしが」

「僕が! 直接閣下に伝えなきゃいけないんだ!」

 声変わり前の高い声が、癇癪を起こしたように跳ね上がる。

 不覚にも驚いてしまったわたしは肩を揺らして、でもそれじゃダメだとわざと淡々とした無表情を維持し続けた。っく、いい加減表情筋が攣りそうだ……っ。

「貴方の身分では閣下の執務室に通すことはできません。火急の用件ならばわたしか、閣下の小隊の隊員に伝言を頼むべきではありませんか」

「それで本当に閣下に伝わるわけ?」

 アーノルドは嫌な表情を浮かべている。無理矢理笑みを浮かべたような。

 ……というか、わたしってそこまで信用ないの? あ、ないよね、愚問だったね、黙ります。

 ううん、アレク君の前では素直なよい子って感じだったのに、こうして改めて接してみると、ちょっと違う感じだ。よい子がどうかは別として、少なくとも素直ではない気がする。思っていたよりもひねくれてそう、っていうか。

 沈黙してしまったことで、アーノルドの懸念を肯定したことになってしまったらしい。掴まれた手首にかかる力が増した。

「邪魔は、させない」

「そうですか」

 そもそもそんな気はないのだけれど、言ったところで信じてもらえないんだろうなあ。

 職場での人間関係は良好なことに越したことはなくて、期限の一ヶ月が終わり次第すたこらさっさと逃亡する気満々のわたしでも、せめて同じ職場で働く間は好意まではいかなくとも敵意や悪意といった感情を向けられるのは勘弁願いたいと思う。

 もちろん、他人から嫌われることが好き、なんて人はある一部の特殊性癖を持っている人たちくらいなんだろうが、今までの自分の行動を省みても、いったいどこにここまでアーノルドの警戒心だとか反発心をくすぐるポイントがあったのか皆目見当が付かないというのが本音だ。

 だから、困ってしまう。どうすればいいのかわからない。

 そんな気持ちでいっぱいでアーノルドを見下ろしていると、彼はもう一度、ひときわ強くわたしの手首を握り締めたかと思うと、ぱっと体を離して足早に部屋を出ていった。

「巡回中の兵士に見つからないと良いけれど」

 もっと言うなら、無事にアレク君のところに辿り着かなければ良いんだけど。

 頬をかいて、ため息を吐く。部外者排除で動いているアレク君のところに、万が一にでも乱入してしまったら、きっとものすごく厄介なことになるに違いない。だから一応止めてみたのだが、かえってやる気をみなぎらせてしまったことに罪悪感がちょっとある。まさかあんなに反発されるとはなあ。

 あ。手首、赤くなってる。

 ひとり残された室内で、わたしはしばし、途方に暮れて立ち尽くしていた。






 その日はとうとうアレク君は執務室に戻って来ることはなく、彼の部下から先に帰っていてほしいと伝言を受け取って帰宅した。

 明けて翌日。弟はあれから帰宅していないらしく、馬車を使えばいいと進めるルルとロロにやんわりと断りを入れて徒歩でアレク君の屋敷に向かえば、出迎えてくれたスチュワードさんからアレク君も昨日から一度も帰って来ていないのだと聞いて、どうしたものかと頭を抱えた。

 わたしの仕事はアレク君の補佐である。でも文官登用試験を通ったわけじゃないので、わたしがしてもいい仕事には必ず但し書きで「上官(この場合はアレク君のこと)の監督の下」なんて文句が付いてくる。つまり、アレク君のいない状態でわたしにできることはほとんどないのだ。

 とりあえず前日と同じように屋敷の内部を点検して、花を換えて。アレク君の幼馴染ちゃんがぼろぼろにした部屋の修繕のため、明日の午後にでも業者が入ると教えてもらって、スチュワードさんと従僕さん何人かでどういう内装にするのかを相談した。

 以前とまったく同じ壁紙や意匠にするのはあまりに味気なく芸がないと、何故か力説するひとりの従僕さんに煽られて、スチュワードさんまで張り切って議論に参加するので司会進行役を勤めたわたしとその他の従僕さんたちはちょっとたじたじ。こだわりのない人間が、こだわりまくってる人間の相手をするもんじゃない。しみじみ実感しました、はい。

 今日が終われば明日は公休日だ。そう自分に言い聞かせて出仕する。

「アーヴィング補佐官には執務室での待機を命じられておりました」

「了解しました」

 一礼して去っていくのはアレク君の部下のひとり。名前は……うん、名乗ってもらってないから知らないや。

 案の定と言うか何と言うか。どうやら弟が持ってきた情報で「何か」を掴んだアレク君は、今その調査に忙しく走り回っているらしい。

 彼に従って第二兵団第三小隊の人たちもそれぞれ忙しくしていて、その間を抜けてアレク君の執務室へと向かう。きっと溜まっているだろう書類の整理をしなければ。

(執務室で待機って言われてもなあ)

 明日からの公休日を見越して、締め切りの迫っている書類を粗方片付けておいてもらったのが功を奏したのか、今すぐアレク君に確認してもらわなきゃいけないものがないのだけが救いだ。

 別の小隊や部署から届けられる書類を受け取って、種類や締め切りごとに整理して。忙殺されるほど忙しくはないけれど暇にならない程度に頻繁な書類持参の訪問を受けていると、いつの間にか正午を告げる鐘が鳴った。

 さてお昼だと席を立とうとしたちょうどその時。ノックの後に今朝見た部下さんが顔を出して、「昼食をお持ちしました」とトレーを差し出して来た。

「……執務室で待機、でしたね」

「はい」

「食堂に自分で行くのも」

「出来る限り私どもの目の届く範囲で、と」

 それはつまり、無理に食堂に行こうとすればこの部下さんや、下手したら他の人たちまでぞろぞろと付いて来ちゃったりするんだろうか。

 わたしはおとなしくトレーを受け取った。異性を引き連れて悦に浸る趣味はない。

 どうやらわたしの選択は部下さんにとってもありがたいものだったらしい。ほっとしたように僅かに瞳を細めていた。失礼しますと言う声もどことなく柔らかい。

 午後も午前中と同じように書類の整理に明け暮れて、でも今度は流石に手持ち無沙汰な時間ができたのでちょこちょこ執務室内の掃除もして。それでもぽかりと時間が空いてしまったから、アレク君の執務室の隣にある、兵士さんたちの詰所の掃除でもするかと掃除用具入れから箒を取り出した。

 実は、初日からずっと気になっていたのだ。

 流石に、書類が床に落ちていたりとか、そういうことはない。少ーしばかり、机の上が乱雑なところもちらほらあるけれど、そこは是非とも自分で片付けておいてほしい。

 わたしが気になったのは、その床だ。

 箒片手に執務室から出てきたわたしに、扉の前にいた部下さんがおや、と瞬いている。

 首を傾けて、何も言わずに箒を少し持ち上げる。部下さんは苦笑した。

「これでも、補佐官殿が着任される前に皆で慌てて掃除はしたのですが」

 うん。それが、あっちの方にある整理整頓の名前を放棄したような紙の束だよね。アレが書類の山だなんてそんな現実は知らない。山のところどころに、どうにも恋人のいない人を対象にした男性の御供的な冊子が紛れ込んでいるように見えるけど、わたしは当然、そんなの全く気づいていませんよ?

 男所帯にいきなり女が混じる弊害だよなあと遠い目をしつつ、土埃や砂埃でじゃりじゃりとした床を掃く。こればっかりは、みんな毎日鍛練をしているのだ。わたしが来る前に一度掃除したからといって、そのままずっと綺麗なままじゃいられないだろう。

 恐る恐る見守っていた部下さん達の何人かが、慌てて塵取りと雑巾、ついでに水を淹れた桶を持って来て手伝ってくれた。

 でも、その手つきは見るからにたどたどしい。慣れていないんですね、わかります。

 第一騎士団ならともかく、第二兵団はほとんど平民出身の人だから、こういう雑用仕事も慣れたものだと思っていたのだけれど。ううん、仕事場でこれなら、兵団の人達の独身寮とか凄いことになってそうだなあ。

 女学院は全寮制だったけれど、あそこは「良き淑女」を養成することも兼ねていた場所だ。自室の乱れは心の、引いては生活の乱れに繋がると、昼夜問わず抜き打ち検査なんてものがあってたおかげで、異性の目がなくともかなりの水準で整理整頓、掃除がされていたし、その状態が保たれていた。

 アレ、点検する側も大変なんだよねえ。昼夜問わずの抜き打ち検査なんて、つまり昼夜問わずお仕事してなきゃいけないってことだ。それに、監督する側もきちんとしていなきゃ説得力なんてないから、毎日昼と夜、ついでに手の空いた時や気がついた時にせっせと部屋中を整理して。

(いつ客人を迎えても慌てないように、だったっけ)

 おかげで、突然の引越しにもあまり時間をかけずに準備することができた。女学院の教え様々である。

「机上はともかく、床は鍛練の後はどうしても汚れてしまいますからね。差し出がましいようですが、毎日終業前か後にでも、箒でひと掃きしてみては如何でしょう」

「は、はあ」

「そうですなあ」

「皆さんは体を鍛えていらっしゃいますが、衛生管理も体調を整えるという点では必要なことかと」

 ああ、ほら。あからさまに面倒くさそうな表情しないでくださいよ。母親に自分の部屋の掃除を言いつけられた思春期男子じゃないんですから。

「こちらに来ている間は、わたしがしても良いのですが」

 言って、わざとらしく諸々の紙媒体が積まれた山に視線を投げてみせると、途端に兵士さん達は慌てだした。

「女性には、じゃない! 補佐官殿のお手を煩わせるわけには!」

「箒でひと掃き、でしたよね!? それくらいならば、我々にお任せください!」

「なあに、これも鍛練の内ですよ! はっはっは!」

「そうですか」

 やっぱり、あの山の中には見られたくないモノが混じってるんですね?


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