大将軍ヴェイグ・エーダー
弟はアレク君を半ば引きずるようにして連れて行ってしまった。
向かう先は第二兵団の兵舎地下にある牢屋だろう。さっきまでそんな話をしていたからね。
第一騎士団の兵舎にある地下牢と違って、第二兵団の地下牢に収容されるのはもっぱら一般人だ。罪人が貴族とか、力を持ってる商人とかだった場合は騎士団で、平民なら兵団で。わかりやすい基準である。
牢屋っていうのは基本的に犯罪者を収容する場所だ。何が言いたいかって言うと、関係者以外立ち入り禁止。わたしがひとりぽつねんと置いていかれたのは、つまりそういうこと。無関係なんだってさ、わたし。けっ。
「……食堂に行こう」
アレク君の執務室はしんと静まり返っている。
この部屋がわたしの仕事場になってからまだ二日目だというのが不思議だ。アレク君が書類を処理していく横で、室内にある色々なものをわたしが使いやすいように動かしたりしたせいだろうか。初日のよそよそしさがずいぶんと緩和された気がする。
でも、さっきのひとり言はちょっとわざとらしかったかもしれない。別に置いて行かれたからって拗ねてるわけじゃないんだからね。違うんだからね。
しっかりと戸締りをして、廊下を歩く。吹きさらしの回廊がやたらと入り組んでいるのは、侵入者と逃亡者の防止のためなんだと初日に聞いた。直線距離なら遠くないのに、実際に歩くとなるとこれが結構大変なんだ。
こういう時、自分が方向音痴じゃなくてよかったと心底思う。同じ場所なら二、三回注意して通れば道に迷うことはない。
何度目かの右折の後、次の角を左に曲がれば食堂だというところで、わたしはおやと瞬きした。……昨日このアレク君が兵舎内部を案内してくれた時に教えてくれた「目印」――食堂前の大壺が、ない。
この壺、先代の兵団長が先々代騎士団長からもらったありがた~い壺とやらで、各隊に順番で回ってくる掃除当番の時には細心の注意を払うようにとわざわざ通達されているもの、だと聞いたんだけど。昨日は確かにあったのになあ。
壺が置かれていた場所の床を見つめながら、首を傾げる。壺の底があったところの床は、それ以外の床とは色が違う。だから、ここにあの大壺があったのは間違いないはずだ。
……あんまりにもみすぼらし、げふんごふん! えーっと、侘び寂びあふれる通好みな壺だったから、別の場所に移したのかな?
「そこで何をしている、アーヴィング補佐官」
「っ!」
お、おおう。びっくりした。
後ろからの声に慌てて振り返ると、そこにいたのは髭もじゃの不審者――ではなく。我らが第一兵団兵団長、ヴェイグ・エーダー大将軍だ。
ちなみに、この国に大将軍は全部で三人しかいない。軍部のトップは元帥で、その下に騎士団長と兵団長がいる。この二人ともうひとり、国王陛下の親衛隊隊長だけが、大将軍と名乗ることができる。
ちょっとややこしいのは、軍部には「役職」と「称号」、二通りの肩書があるってことだろうか。
アレク君を例に挙げるとすると、彼の「役職」は「第二兵団所属第三小隊隊長」である。うん、長い。こうしてわたしが覚えてるのも、昨日今日散々アレク君が書類にしたサインをチェックし続けたおかげだ。
で、彼の「称号」が「将軍」というわけ。この「役職」と「称号」のふたつは、昔まだこの大陸で大小様々な国が小競り合いを繰り返していた時の名残り。「役職」の方が平時、つまり戦のない時の軍部における身分で、「称号」が戦時にどれだけの指揮権を持つかっていう基準だ。
まあ、平和な現代じゃ「称号」の方はほとんど名誉な肩書っていう程度の意味しかないのだけれど、それでも緊急時には元帥は愚か国王陛下の指示を待たずに全軍の半分を動かすことができるのが、大将軍という「称号」なのである。
つまり、軍部的にはエーダー大将軍は実質的なナンバースリー。かなりのお偉いさんのいきなりの登場に、わたしの胃がきゅっと縮まった気がした。
ともすれば緊張で引き攣りそうになる表情を隠すために、すかさず頭を下げて挨拶する。
一拍の沈黙。エーダー大将軍は「ひとりか」とわたしの背後を一瞥してから言った。
「ゲインズはどうした」
「将軍は現在レーヴィ政務官と地下牢に」
「そうか」
く、空気が重い。
エーダー大将軍の声は低く、重々しい。そういう声質なんだと思う。二メートル以上はありそうな身長と武人らしい筋骨隆々とした体躯。に、目元が完全に隠れるくらい長い前髪。あれ、前ちゃんと見えてるんだろうか。
ぐっと引き結ばれた唇は薄い。彼は太陽を背にするように立っているから、逆光になって表情はまったくわからなかった。そうじゃなくても長すぎる前髪で表情どころかエーダー大将軍の正確な顔立ちもわからないのに。
……無言でじいっとこっちを見つめてくる大男って、威圧感がありすぎると思う。
声をかけてきた理由、最初の質問の答えを待たれていることに気づけたのは奇跡に近い。目は口ほどにものを言うとか言うけど、その目が見えないのでね! わからないよね、普通!
「ここにあった壺がなくなっていたので、どこにいったのかと」
「事故だ」
「……事故」
「ああ」
なんと、喋っている途中で遮られてしまった。
壺のあった場所を見て、エーダー大将軍を見る。……こころなしか、目が泳いでいるような……いや、長過ぎ且つ厚過ぎる前髪ガードで見えないんだけど、雰囲気がそんな感じというかなんというか。
これは怪しい。そう思いながら嫌がらせのようにじいっと、じいいぃぃっとエーダー大将軍を見上げ続けていると、彼は少し顎を引いて顔をそらした。
「……調子は、どうだ」
「まだ二日目ですので、何とも」
「そうか。……そうだな」
「はい」
生温い視線をエーダー大将軍に送ってしまった。話をそらしたかったんだろうけど、話題の変え方が強引過ぎるし変える話題の選択も下手過ぎますよ、エーダー大将軍。
目の前にいるエーダー大将軍の年齢がどれくらいかは知らないけれど、兵団長まで昇進するだけでも結構な年月がかかるはずだ。決して若いとは言えない年齢のはずなのに、この嘘が吐けない感じは大丈夫なんだろうか、色々と。
居心地が悪そうにしていたエーダー大将軍は、ひとつ咳払いをすることでなんとか平静を取り戻したらしい。一転して落ち着いた真摯な声音で、「聞きたいと思っていたんだが」とわたしを真っすぐ見下ろした。
「君から見て、ゲインズはどうだ」
「どう、とは」
「気づくと思うか」
その問いに、わたしは思わず沈黙した。
……それをわたしに聞きますか。聞いちゃいますか。弟ジークヴァルドの手駒でしかない、ライラ・アーヴィングに。
わたしはエーダー大将軍に対する印象を変えなければいけないらしい。壺の件では兵団長の役職に不相応なほど動揺して取り繕うことひとつ出来ていなかったのに、今ここで、わたしにその問いかけを投げてくるなんて。
なんとも答えようがなくて、わたしは曖昧な笑みを浮かべた。流石にエーダー大将軍にまで無感動な無表情で慇懃無礼には対応できないよ、わたし。
もっとも、この微妙過ぎる愛想笑いと無表情、どちらがマシかと聞かれたらどっちも同じくらいアウトなんだろうけどね。
「閣下は、どう思われますか」
「……俺はその問いの答えを持つべきじゃない」
「なら、わたしもです」
たとえば、今回アレク君と一緒に地下牢には行けなかったように。
わたしは紛れもなくこの事態の当事者でありながら、同時に部外者でもある。どちらかと言うと部外者の要素の方が強いのかな。
言うならばエキストラの通行人。主人公たちの背景となって、確かにそこに存在しているのにピントを合わせてもらえない役者。重要なのはそこにいることであって、何か為すべきことがあるとか、そういうことじゃないのだ。
だから、わたしは何をしてもいいし、反対に何もしなくてもいい。どちらであっても、弟や他の誰かが描いた筋書きは何も変わらない。
前髪越しにエーダー大将軍がわたしを見つめている。見極めるように? 見定めるように? わからない。わからないけれど敵意は感じないから、居心地の悪さを感じつつも特に弁解などはしない。
エーダー大将軍はひとつ息を吐いた。何か言おうとして口を開く。その時だ。
「あらあらあら~?」
場違いに明るい、すっとボケた女の声。わたしとエーダー大将軍は同時にそちらに振り返った。
「こんなところで、そんなに熱ぅく見つめ合われて……ロマンスの香りがしますわあ」
プンプンですわあ、と語尾を伸ばして恥じらうようにいやいやと頭を振る姿に、わたしの体からどっと力が抜けたのがわかった。エーダー大将軍に至っては頭痛を堪えるように頭を抱えている。
……これ、わたしが声をかけなきゃいけないんだろうか……いけないんだろうな……。出来れば全力で見なかったフリして逃亡したいんだけど……。
ちら、と問題の彼女に視線をやる。……頬を手で押さえてわざとらしく恥じらっている。いやいやどころかいやんいやんと全身で身もだえする姿は実に……実に、こう。見る人の気力をがっつり削る光景だ。もうわたしもげっそりだよ……アレが同い年で、女学院時代の友人かと思うと。
「まあまあまあ! わたくしのことは全っ然、まったく、これっぽっちもお気になさらなくて結構ですのよ、ライラ・アーヴィング! それにヴェイグ・エーダー閣下。ささ、ずずいと続きをぶちかましてくださいませ」
「……違うとわかっていて誤解を真実にしようとしないでくれませんか、レイチェル・クラン」
それと、お前の敬語は敬語じゃない。女学院時代で何を学んできた。仮にも王宮侍女が「ぶちかます」なんて下町言葉を使うんじゃない。
一応勤務時間中、しかもこの場にはわたし達だけじゃなくてエーダー大将軍もいるということで、わたしもレイチェルも敬語で会話しているけれど、彼女の敬語は敬う気持ちが希薄過ぎてヒドい。しかもそんな女が侍女の中でもエリート中のエリートである王宮侍女の格好をしているんだから、世も末だ。
きらきらを通り越してぎらぎらを瞳を輝かせて、メモ帳と万年筆片手にわたしとエーダー大将軍を観察する気満々のレイチェルに、わたしはエーダー大将軍と顔を見合わせた。どうします、アレ。
「うふ、うふふふふふ……昨日は聖女アニス様直々に縁談の面倒を見る約束を取り付けて、今朝は情熱的な求婚者の襲来。さしずめ今はひねくれ弟の居ぬ間に密会、熱愛発覚!? といったところですわね!」
「すみません、閣下。彼女、ちょっとした病気なんです」
変態という名のね。もしくはオタク。流石に「萌えー!」なんて叫び出したりはしないけど、ひとり言にしては大きすぎる声量でぶつぶつ呟いてうふうふにやける姿は普通にドン引きものだ。たまに笑い声が「むふむふ」とか「ぬふふ」になるのも不気味さが増している。
エーダー大将軍は絶句しながらも哀愁漂う疲れた風情で頭を振っている。打つ手なし、手遅れ。わたしの苦し紛れのフォローに大丈夫、わかってるからとでも言いたげな雰囲気で優しく肩を叩くのはやめてくれませんか。居たたまれなさ過ぎる。
「でもでもどうなのかしら。やっぱりここはトンビに油揚げよろしく今までまったくのノーマークだった閣下のひとり勝ちなのかしら。それとも腹黒がまさかのサヨナラホームラン? 紫の上計画フラグはまだ健在なのかしら、天使を汚す背徳の悦びに目覚めちゃうのかしら、どうなのかしら。ああでも、爽やか好青年との明るい監禁生活なんかも………じゅるり」
「…………」
……ドン引きである。もう一度言おう。ドン引きである。
黙ってにっこり微笑んでいれば男性も十人中八人は騙されてくれるだろう愛らしい容姿をしているクセに、一度スイッチが入るとこんな風に自分の世界に浸りきってひたすらにやにやするのだから、彼女以上の残念な美少女もいないと思う。出来れば妄想のネタはわたし以外の人間にしてクダサイ。
覚えているだろうか。まだわたしが幼い頃、わたしとお父さんのやり取りを見て「……紫の上計画?」と呟いてくださったのがこのレイチェル・クランだ。あの頃は天使だったのにな、彼女も。それがどうしてこうなった。
野球のないこの世界で「サヨナラホームラン」だとか、日本も平安京も存在しないのに「紫の上計画」とか口にしていることからもわかるだろうが、彼女もわたしと同じ世界で生きた前世の記憶を持っているらしい。この世界がとあるギャルゲーの世界と酷似していると最初に気づいたのもレイチェルだ。
出身地が同じだと共通の話題があって仲良くなりやすい。その例に洩れず、レイチェルとわたしはお互いに一番古い友人同士だ。気心も知れている。が、いつまで経っても彼女のこの妄想癖には慣れそうもない。
とりあえず、仮にも友人であるわたしが男性向け18禁同人的展開に遭う妄想をするのだけは控えてくれないかな、友人として!




