ソルヴェール卿という人
ちょっとだけ、ソルヴェール卿のことをフォローしておくと。
わたしが女学院で教師になりたてだった頃、フリーダム過ぎる生徒たちの一部が脱走騒ぎを起こしたことがあった。それも夜間、五人もの集団でだ。
当然、良家の淑女を預かっている女学院としては大問題である。わたしは通いの教師だったから寮の宿直ではなかったけれど、宿直担当教師が一ヶ月の減給処分、見回りの衛兵さんは一ヶ月の減給に加え半月の停職処分になるなど、ちょっとした大事になったのだ。
もちろん脱走した生徒たちも無罪放免というわけにはいかない。反省室で一週間寝起きすること、三カ月の奉仕活動が処分として言い渡され、その監督役に何故かわたしが選ばれてしまった。
今から思えば、反省の色皆無の問題児たちが次に何をやらかすかわからず、厄介事は下っ端に押しつけてしまえってことだったんだと思う。ベテラン揃いの他教師の中、わたしの発言権なんて皆無だったし。
心配してくれる人もいたけれど、当時の校長は傍若無人を地で行く人だったからそんな人達の抗議も梨の礫。教師になって半年足らずで、わたしは胃痛とこんにちはを果たしたのである。
わたしが貴族じゃないことはとっくに知られていて、「どうして平民などの言うことを聞かねばなりませんの?」と言ってのけたお嬢様を筆頭に、奉仕活動は堂々とさぼられた。掃除場所まできちんと来たふたりが非常に居心地悪そうに、申し訳なさそうに体を縮込ませたのを見て、不覚にも目頭が熱くなったものだ。
探し出して説教しても、担当教師に注意してもらうよう頼んでもダメだった。仕舞には授業中にわたしの作法のダメ出しをするようになって、決め台詞のように「これだから平民は」。これである。
お前はどこの小姑だ! と怒りに燃える気持ちもあり、社会人一年目でのこの醜態に心が折れかけつつもあり、多分あの頃のわたしは毎日どよんとした表情で出勤していたに違いない。
自分でどうしようもないことを理由に否定されるのは悲しい。立ち居振る舞いだって、気を付けようと思えば思うほどぎこちなくなるのはわかっていた。でも、相談できる相手もいなかった。最初に助けを求めた相手にため息を吐かれて逆に叱責されて以来――相手はただわたしを鼓舞するつもりだったのかもしれないが――、誰かに相談できなくなったとも言える。
罰を受けるべき生徒が、奉仕活動をしているはずの時間に学外に出て楽しく買い物をしているところを、運悪く校長が目撃して。わたしは即日で呼び出され、教職員全員の前で厳しく叱責された。
わたしの監督不行き届き。確かにその通りなのだけれど、これ以上どうすればよかったというのか。俯いて校長の最早八つ当たりめいてきた叱責に堪えながら、わたしは泣きそうになっていた。
『彼女の監督不行き届きを責めるなら、まずは君の任命責任を問うべきじゃないか?』
ぽん、と。
なんてことないように、心底不思議でたまらないという口調で割り込んできたのが、理事長だった。
わたしはずっとぽかんとしていたと思う。結論は、「子ども論法ってすごい」。小さい子どもが身近な疑問を大人にぶつけるように「なんで」「どうして」の連続で校長だけじゃなく他の人達からも事情を聞いて、ふむとひと言。その後はもう、ソルヴェール卿の独壇場だった。
そもそもベテラン教師ですらもてあます生徒、しかも複数を新人教師ひとりに面倒を見ろというのが無理な話。その問題点を校長に指摘し、実は今日ここに寄った本題はねと出て来たのは校長の公金横領の証拠。裏口入学の斡旋に、薬物売買にまで手を出していたらしく、持っている領地と女学院の校長という職からすれば羽振りが良すぎると、ソルヴェール卿が独自に調べていたんだそうだ。
乗り込んできた騎士団の人達に、校長だけじゃなくその取り巻きだった人達まで連れて行かれて、残されたわたし達は何が何だか。放心状態で呆然としていたわたしに、理事長は「すまなかった。よく頑張ってくれたね」と言って頭をポンと――うあああ、お、思い出したらなんか恥ずかしくなってきた……っ!
後日談として、実は脱走した五人組は校長の悪事を察知し、夜中にこそこそひと目を忍ぶように出て行く校長の後を追いかけようとしていたのだとか。で、わたしは校長の手先だと思われて、如何にも垢ぬけない新人教師という風情だったので「攻めるならここだ!」と妙な確信を持ってチクチク攻撃(という名のいじめ)をしていたのだとか。
結論から言おう。超とばっちり。校長の裏稼業とか、理事長無双の時までまったく気づかなかった。校長の手先どころか、平民身分なのに養父が伯爵で伯爵家の後ろ盾持ってるとかでやっかまれて目の敵にされてる節さえあった。いや、あの子たちも誤解だったって謝ってくれたけど……謝ってくれたけどさあ……!
愛人かと思ったとぽろっと言われた時には心底落ち込んだ。実年齢プラス前世の年齢全部合わせても恋人すらいなかったわたしにまさかの愛人疑惑。どこかそれっぽいところがあったっていうだけでも、結構ショック。愛人かあ……恋人とかじゃないところがそこはかとなく……うん。
あれ、結局これソルヴェール卿のフォローになったのかな? ま、まあ、そんなわけで。その校長の件を皮切りに、旧態依然としていた女学院の体制に大胆に切り込んで、たった二年で改革をやってのけたやり手なのだ、ソルヴェール卿は。
ちなみに初対面時の印象は「アメコミのヒーローみたい」。登場のタイミングといい、悪役(校長)の追い詰め方といい、皆大真面目なのになんだか映画かドラマの一場面を見ている気分だった。
今もその印象はあんまり変わっていない。お昼休みになると「やあ、奇遇だな」とかひょっこり顔を合わせることがあっても、授業後細々とした用事を済ませて少し帰りが遅くなってしまった時に「途中まで送ろう。他の淑女方もご一緒に如何かな」とか気さくに声をかけてくれるようになっても、彼の言動に対する印象は「ヒーローみたい」。
ユリウス・フォン・ソルヴェールとはどんな人なのかとアレク君に聞かれたので、そんなエピソードを思い出しつつ「優秀な方です」と答えたわたしに、弟サマは不満そうにじっとりした目を向けてきた。
「なにか」
「べっつに~?」
「態度悪ぃぞ、ジーク」
咎めるアレク君を、弟は完全に無視している。
そもそも、弟はなんでここにいるんだろうか。
午前中の執務をこなすために机に向かうアレク君と、そんな彼に書類を渡しながら逐一説明したり、手持無沙汰な隙間時間にインクの補充と書き損じの処理をしたりしているわたし。を、室内にあるソファでのんびりくつろぎながら眺める弟。
仕事はどうした、ジークヴァルド政務官!
「でも、女学院の理事長に、財務官、それに伯爵ってことは領地の運営もあるんだろ? 忙しそうな人だよな、ソルヴェール卿って」
「他に製糸業にも携わっていたはずです」
「うげえ」
想像しただけでとんでもない。アレク君の言う通りだとわたしも思う。
朝ここに来たのだって、ぎゅうぎゅう詰めのスケジュールをやりくりして来ていたのかもしれない。……ちょっとそっけなくし過ぎたかな。反省。
「ソルヴェール伯爵のことなんてどうでもいいよ」
「ジーク」
「そういうわけにもいかねえだろ」
「そもそも」
がばっと弟が体を起こした。弟よ、そんなところで横になるから、髪の毛がぼさぼさになってるよ?
「伯爵が求婚して、姉さんが断って、この話はそこでお終いなわけ! それともなに? 姉さんは伯爵のことをチラッとでも『良いかも』って思ってるわけ?」
「いや、そりゃチラッとくらいは思うんじゃね?」
「僕は今姉さんに聞いてるんだよ」
「はいはい」
姉さん、と弟、ジークがわたしを見て来る。
わたしはもちろん、顔色ひとつ変えることなく、すっぱりと言い切った。
「就業時間中です。私的な質問は後にしていただけますか、ジークヴァルド政務官」
ライラ・アーヴィング。
現在わたくし、絶賛クールなオールドミス成り切り強化中でございます。
「用事があるならそう先に言いなさい」
「だって聞かれなかったし」
「…………」
あれ、確かアレク君が「なんでここにいる」的なことさっき聞いてたよね? え、記憶違いじゃないと思うんだけど。
そんなにわたしがばっさり弟の質問を切ったのが気に食わなかったんだろうか。……うん、気に食わなかったんだろうね。だってあれ以降ずっとわざとらしく頬を膨らませて他人の執務室のソファでふて寝体勢に入ってたしね。まさか昼休憩まであのまんまとは流石のお姉ちゃんでも思わなかったよ。
半目で弟を見るわたしとアレク君。多分、今わたし達ほとんど同じことを考えてると思う。子どもかコイツ、と。
冷静に考えるとジークはまだ十六歳。前世で言うと高校一年生だから、まだ子どもと言えるのかもしれないけれど、今は「政務官」なんて仕事をしている社会人。立派……かどうかはものすごく疑問が残るけど、大人の一員のはず、なんだけど。
「それで、どれが問題の報告書?」
「さっき姉さんが要検討の山の中に入れた報告者ガードナーってやつ」
「って、見てたんなら整理前に言えよ!」
「…………」
あ、胃痛が。
まさか義理とはいえ弟までストレス源になるとは……やっぱり後で地味な報復をしておこう。ルルとロロに言ったら嬉々として協力してくれるだろうし。それでいいのかこの夫婦とか思わなくもないけど。
さっき、ってことはそこまで山の中に入り込んでいないはずだから、とわたしは早速捜索開始。アレク君の手伝いの申し出は丁重にお断りしておいた。他の執務も待ってはくれないんだよ、アレク将軍。
問題の書類は下から数えた方から早いくらいの位置にあった。弟よ……!
「兵団員同士の喧嘩で兵舎の一部が壊れたってやつか」
「ただの喧嘩なら該当者の処分で済んだんだけどねえ」
はいこれ、と弟がまた違う報告書を抜き取ってアレク君に手渡した。……わたしの後ろから。
「こっちは酒場で酔っぱらいが暴れて……?」
「ね?」
わたしを後ろから抱え込むように、弟がわたしの肩越しに身を乗り出す。
体重はかけないように気を遣われているらしいけど、気を遣うところはどう考えてもそこじゃない。おかげでわたしまで腰を微妙に曲げる無理な体勢を強いられているじゃないか……!
「こっちの喧嘩の、該当者のここ。それと、酒場の方のここ」
「名字が同じだ」
「そういうこと」
うわあああ、耳がぞわぞわする。弟の口がわたしの耳に近過ぎるのだ。いや、耳に限ったことじゃなく、全体的に距離が無さ過ぎると思うんだけども!?
「僕の方で引っかかったのは、どうやら偽名の方だったらしい。仕事終わりでちょっとハメを外し過ぎちゃったのかな。こんなところで足が出た」
「……で? お前の方で引っかかったってことは、俺達に協力してほしいってか?」
「『ほしい』んじゃない。命令だと思ってほしいな、アレク将軍」
「言ってろ」
弟が笑う気配がした。対するアレク君も、悪童のような笑みを浮かべている。
間に挟まれたわたしは姉と年上の意地とプライドをかけて無表情に徹しているけど、末恐ろしい子たちだとしみじみ思う。これが主人公とその相棒の風格ってやつだろうか。……ギャルゲー主人公って単語、あんまり凄そうに聞こえないのはわたしだけ?
「これ、地下の独居房にまだ放りこんであるよな?」
「僕がそんな手抜かりすると思われてるなら心外だな。ねえ、姉さん」
「そうあってほしいと願います」
「あはは。硬いなあ」
だから、わざとらしく吐息を無駄に混ぜて人の耳元で喋るんじゃありません!




