嫌いじゃないけど苦手です
さて、二日目である。
ちょっと眠るくらいのつもりだったのに、結局昨日はそのままぐっすり寝こけてしまったみたいで、寝過ぎで少し頭痛がする。でも目が覚めたら寝台の両脇にルルとロロがいたから目覚めはすこぶる良かったです、はい。義妹可愛いよ義妹。寝ぼけながら「義姉さま」とか呼ばれたらもう、きゅんきゅんしちゃうよね!
昨日の晩ご飯を一緒に食べられなかった分、朝ご飯は皆一緒に食べて、玄関までお見送りまでされちゃったりして。
ああ、爽やかな朝! これで気持ち良く今日も仕事を……しなきゃなあ……。
「うわ。やめてよね、朝から不細工な顔するの」
「それは自分が美形だからっていう嫌味? 嫌味なの?」
出かけに「一緒に行こうか」って言うから一緒に馬車に乗ってるのに、その言い草はないんじゃないかな!
ルルとロロも一緒に行きたがったけど、お仕事だからしょうがない。馬車に乗り込む時にげしげし夫の足を蹴ってたのは……ううん、やっぱりよくわらかないなあ、この夫婦。
向かい合わせに座る弟は今朝も美少年だ。陽光を受けて天使の輪が出来てる黒髪が風にさらさらなびいたりして、無駄に爽やかさを増している。っく、これだから美形は!
「僕の気のせいかな。顔むくんでない?」
「よおーしそれはお姉ちゃんに対する挑戦だな!? 後で地味に報復してあげるから覚えてなさい!」
「そこでわざわざ宣言しちゃうのが姉さんだよね」
今日はいつもより三割増しで暴言が多いんじゃないかな、弟よ。
にこにこ笑っているからといって、ことこの弟サマに対しては油断なんぞしちゃいけないのだ。やられたら倍返し、常識でしょ? みたいな。う、うむ。報復はひっそりこっそり、地味~にやろうかな。気づかれない程度に。
またアレク君の屋敷の裏口に馬車をつけてもらってスチュワードさんを呼べば、彼は弟を見てちょっと驚いたみたいだった。
「ああ、僕はただの付き添いだから」
「それはそれは」
ひらひら手を振る弟は、身内の目から見てもかなり軽薄そうに見える。
スチュワードさんは目を細めて、でもそれだけだった。すぐに仕事の話に入ると、まるで本当に弟がそこにいないかのように振る舞った。流石、プロだ。
打ち合わせの内容は、ほとんど昨日の確認と一緒。わたしが帰ってからなにか変わったことがなかったかとか、そういうことだけ。聞けばアレク君は今朝ご飯を食べてるところらしいので、ついでに屋敷の中をぐるりと回って掃除の具合のチェック。そこ、小姑みたいとか言わない! これも大事なお仕事なのです。
「客間と東階段のところの花は今日中に入れ替えた方がよさそうですね。後は、厨房横にある使用人用のダイニングが……」
すごいことになってました。大事なことなので二回言っておこう。すごいことになってました。
え、なにこれ爆発でもあったの? と聞きたくなるような煤けた壁に、ぼろっとした椅子テーブル、床板にこびりついたナニカ。隅っこにいる従僕さんが「ひと晩かけてなんとかここまで」とか、疲れ果てて据わった目で言うのに、思わずほろりとしてしまう。
この惨状の下手人はどこだ! なんて……聞かなくてもわかります。幼馴染ちゃんだよね、昨日の。お片付けはどうしたんだ。
「これは、業者を入れた方が良さそうですね」
この壁紙はどう考えてもアウトです。床板も張り替えしなきゃ、衛生的に不安過ぎる。
「あれ。いつの間に爆弾魔……じゃない、モニカ将軍が襲撃してきたの?」
そんな報告聞いてないんだけど、とか弟が言う。そのモニカ将軍ってアレですかね。アレク君のハーレム要員こと、隣国の女将軍さんのことですかね。
いえ、これはとか何とか、従僕さんも言葉を濁している。そりゃ、これが善意で行われた料理の結果とか、言い難いよね。暗に爆弾で爆破されたの? って聞かれてるようなものだし。
「ミリアだよ、それ」
いつの間に来てたんだろう。弟の後ろで、こちらもまた従僕さんと似たりよったりな表情でアレク君がため息を吐いている。
どことなくよれっとした雰囲気の彼も、きっと一緒に片付けをしていたんだろう。目の下に薄ら隈が見える。……今日の執務は大丈夫ですか、将軍。
「ミリアちゃん? 後ろから刺されるんじゃなくて爆殺されそうになるなんて、斬新な痴情の縺れだね」
「お前絶対違うってわかっててそんなこと言ってんだろ……!」
「えー?」
にやにや笑う弟は本当に、本っ当に性格が悪いと思う。誰に似たんだろうなあ、アレ。もしかしなくともお父さんだったりするのかなあ。
じゃれ合うふたりは置いといて。業者の手配はスチュワードさんがしてくれるそうなので、この機会に屋敷内で気になったあれこれもついでに直してもらえるようにしとこう。
後で書類にまとめます、と言うとにっこり微笑んでくれたスチュワードさんが頼もし過ぎる。助かります、本当に。
「そういやなんでお前までいんだ?」
「うーん、ちょっとした野暮用? まあ、王宮に行けばわかるよ」
「嫌な予感しかしねえ……」
後から思えば。
わたしがスチュワードさんと従僕さん三人であーだこーだ修理の話をしてる時に、アレク君と弟が脇で話してたことをもうちょっと注意して聞いておけばよかったのだろうけれど。
後から悔いるから後悔なのであって、その時のわたしは新しい壁紙のこととか、修繕の見積もりとかのことで頭がいっぱいで、弟たちの方を気にする余裕なんてまったくなかったのだ。
「お前、また何かロクでもないこと企んでんじゃないだろうな」
「ロクでもないなんてひどいなあ。仮にも友人に向かって」
「仮にもってなんだよ……っつーか否定しろよ」
「あはは」
「やあ、おはよう! 良い朝だな!」
「お、おはようございます……?」
なんか、いた。違う、なんか、いる。
アレク君の執務室の前、腕組みをして仁王立ちまでしているのに周囲にきらきらと煌めくエフェクトの錯覚が見えそうなくらい爽やか好青年の姿に、アレク君は困惑して目をぱちくり、弟サマは怖いくらいの笑顔。そしてわたしは――即座に、ささっと俯いて弟の後ろに移動した。わたしは空気! わたしは空気!
「ええっと?」
「ああ、名乗るのが遅れてすまない。私はユリウス・フォン・ソルヴェール。王宮では財務官の役職を戴いている」
「あ、これはこれはご丁寧に。……じゃなくて! 失礼しました。俺は第二兵団団長麾下、アレックス・ゲインズです」
「そうか、ではアレクだな!」
はっはっは、と、アルファベットでエイチエー、エイチエーと表記されてそうな妙にアメリカンな笑い声をあげるソルヴェール卿。……もう皆さんお察しのことと思いますが、彼こそがわたしが勤めてた女学院の理事長で、求婚を断ったソルヴェール伯爵でございます……。
アレク君も、ソルヴェールの名前に聞き覚えがあったんだろう。聖女様がよく「あのソルヴェールめが!」って言いながらクッションをタコ殴りしてストレス発散してるらしいし。聖女様に一体なにしたんですか、理事長。
白い歯をキラリと輝かせるソルヴェール卿は、前世でのガムの広告を思い出させる。芸能人は、歯が命! いやいや、彼は芸能人じゃなくてお貴族様ですけどね。財務官でもあるらしいけど。
何にせよ、第二兵団の官舎とは無縁の人だ。なのにどうしてこんなところにいるんだろうか。
「そう構えないでくれ。ここに来たのは、あくまでも個人的な用向きだ」
「はあ。個人的、ですか」
釈然としない様子のアレク君。わたしはさらに身を縮込ませて息を殺す。わたしは空気、わたしは空気。
無駄な努力、とか弟が小さく呟いた。なにおう!? とわたしが弟を睨むと、返ってきたのは胡散臭い笑顔。すぐに視線をそらしたわたしは我ながら情けない姉だと思う。だって、だって笑顔なのに目が笑ってなかった……!
と、そらした先でソルヴェール卿とバッチリ目が合った。
彼がきょとんと瞬きしたのは一瞬。すぐにパアアっと笑顔がさらに明るくなって、大股二歩で距離を詰めてきた。
「ライラ! ここにいたのか!」
「っ」
ぎゃあ、来た!
ぐい、と無理やり視界に入りこんできた、ソルヴェール卿。近い近い、近過ぎる!
ソルヴェール卿は文官職だけれど、将軍位にあるアレク君と隣り合っても見劣りしないくらい上背がある。その背を丸めてわたしに視線を合わせて、覗きこむように見つめられて心臓はばっくばくだ。もちろん、ときめきなどではなく緊張と驚き、後は単純な動揺。年齢イコール恋人いない歴を舐めないでいただきたい!
多分、体も鍛えてるんだろう。貴族の義務だとかで、有事の際には戦場に立たなきゃいけないそうだから。神業級の素早さとさりげなさでいつの間にか手を取られ、包みこむように握る手は肉厚なのにごつごつとして骨っぽい。あ、これは剣だこかな? ペンだこっぽいのもある。
陽光を受けてきらっきら輝く金髪に碧眼。美形と言うには男くさい、でも整った顔立ち。どこを取ってもアメコミのヒーローみたいだと思う。そんな顔が目の前にあって、軽く思考が現実逃避をし始めた。だから近いってええ!
「会えるといいとは思っていたが、まさか本当に会えるだなんてな。俺は運がいい」
「あ、う、その」
「本当はもっと早く会いに来たかったんだが、いろいろと手間取ってしまってな」
遅くなってすまない、とか謝られても、わたし別に理事長、じゃない、ソルヴェール卿と会いたいなんてひとっ言も言ってないんですけど!?
完全に引け腰になっているわたしに、ソルヴェール卿はずずいとさらに顔を寄せてくる。近過ぎて焦点が合わない。あ、なんかソルヴェール卿の顔がぼやけてきた……って、現実逃避してる場合じゃない!
「はいはい、そこまで」
弟よ! お姉ちゃんは今君をかつてないほど頼もしく思っています!
ソルヴェール卿から引きはがすように、弟がわたしのお腹に腕を回して自分の方に引き寄せてくれた。おかげで、視界が一気に開ける。
正面にいるソルヴェール卿は、弟を認めておや、と片眉を上げた。
「レーヴィ政務官? 何故ここに」
「あはは。さっきからずっといたんですけどねー」
「それはすまない。ライラを前にすると、どうも平静ではいられなくてな」
「……うっわなにコレ。想像以上にうざいんだけど」
「こら、しーっ!」
何をぼそっと言っているのだ、本人の目の前で!
身長差からしょうがないんだけど、わたしの耳元で不穏なことを呟かないでほしい。腹黒さが隠しきれてないし、まだ声変わりしきっていない弟の声は微妙に掠れていて、ソルヴェール卿はとは違う意味で心臓に悪いんだから。
「えーと。それで結局、ソルヴェール財務官は何の用なんですか?」
「いや、なに。やはりひと言挨拶をしておくべきだと思ってね」
「挨拶?」
「アレクはライラの上官なんだろう? なら、私とも無関係ではないからな」
「いやあ、無関係なんじゃないかなあ。ねえ、姉さん」
「えっ……ハイ、ソノ通リカト」
話が見えない。
だから急に振られた話にもうまく反応できずにいたのに、気の抜けた声を出した途端、お腹に回った腕に遠慮なく脇腹の肉を掴まれて脅された。やめて、わたしのライフはもうゼロよ! だからむにむに人の余分なお肉を揉むんじゃありません!
そこで、ソルヴェール卿はキリッと表情を改めた。あれ、この表情見たことがある……そして嫌な予感がして堪らない……!
「そうはいかない。結婚を望む相手のことだ。自分にできる限りの誠意を尽くすのは当然のことだろう」
「へえ……って結婚!? ライラさんと!?」
あれ、何だろう。そんな大仰に驚かれると、こう……何とも言えない複雑な気分になるんだけど。そんなにわたしの結婚話って意外ですかね。いい加減やさぐれていいんじゃないかな、これ。
「あの。そのお話は、お断りしたと思うのですが……」
だからその、既に婚約を済ませているかのような言い方はやめていただけませんかね。
だけど、これで説得されるようなら理事長じゃない。ついでにわたしは女学院教師を辞職なんてしていない。
案の定、ちょっとだけ切なげに眉を下げたソルヴェール卿は「確かに一度断られたが」と弟に抱え込まれているわたしを真顔で見つめる。
「それで諦めきれるような想いなら、そもそも求婚などしていないさ」
「…………」
ここで「いえ、是非諦めてください」とか言ったら、わたしは一気に悪役である。悪女である。
だけど上手い返しなんてできないので、とりあえず沈黙しておく。いやもうほんと、すっぱり諦めてくださいませんかね……。
正直な話、ソルヴェール卿のことは嫌いじゃない。でもだからといって好きというわけでもない。端的に言えば、ソルヴェール卿は「苦手」な人だ。
悪い人じゃないんだけどなあ。どうにも合わないというか、向けられる好意的で親しげな態度に嬉しく思うより先に戸惑ってしまうというか。
引け目があるのかもしれない。ソルヴェール卿は伯爵で、女学院の理事長をする傍ら色んな事業に携わってしかも成功を収めていたりもするバイタリティあふれる人で、国王陛下からの信頼も厚いという社交界の花形。対するわたしはあんまりパッとしない人間で、言ってみれば舞台袖の観客のようなもの。スポットライトを浴びる華やかな場所に立つ人とは、文字通り住む世界が違うのだ。
もちろん、こういう考え方がソルヴェール卿に対して失礼だってことはわかってる。考え方が卑屈過ぎるってことも。でもなあ。わかっていてもどうにもならないのが、こういう感情なんだと思う。
気まずくなって俯くと、頭上で弟サマがわざとらしくため息を吐いた。うう、見透かされてる気がする……。
「身内のそういう話を間近で見る趣味はないので、そういうのはふたりきりの時にしていただきたいですね」
「ははっ。手厳しいな、レーヴィ政務官は」
「いや、アレは手厳しいっつうか……ソルヴェール卿、とりあえず事情はなんとなくわかったんで、ここは一度戻ってください。そろそろ始業時間ですよ」
「もうそんな時間か。騒がせてすまないな、アレク将軍。それにレーヴィ政務官も」
「本当ですね」
「おい、ジーク」
最早猫を被る気もないのか、弟の刺々しい返事をアレク君がたしなめる。
ソルヴェール卿は気にした風もなく笑って、最後にひと言、「ではまた。ライラも、後でまた話そう」と言って帰って行った。その「後」がいつになるかは、宣言していかないんですか。また不意打ちで来られたら今度こそ脱兎のごとく逃げてしまいそうなので、できれば事前に報告していただきたいんですが。
「申し訳ありません、将軍。私事でご迷惑を」
「いやまあ、ライラさんのせいじゃないし」
あ、でも「ご迷惑」ってとこは否定しないんですね。うん、ご迷惑だよね、他人の、それも親しくもない部下(仮)の色恋沙汰関連のごたごたって。本当に申し訳ない。
今回ばかりはアレク君もとばっちりだ。でも昨日からの諸々を含めたらプラスマイナスゼロってことでここはひとつ!
「はあ。なんだか朝から無駄に疲れた気がするよ」
「そりゃ俺のセリフだろ……」
弟の呑気な発言に、アレク君は今度こそ肩を落としている。
いや、あの……本当にごめんなさい……。




