嫌な夢・4
「お疲れになりましたら、すぐおっしゃって下さい。私がおぶって差し上げますので」
性格の良さそうなお兄さん、もとい、神殿騎士のキアー・オゼルはニコニコしてそう言った。
無駄にハキハキ元気な感じ。
幼児向け番組の体操のお兄さん、それも四月の番組改編でなりたてのホヤホヤで、いまいち現場の空気感が読めてない感じ? いや、それよりも何というか、自分の事を「良い人」だと思い込んでいて疑った事すら無さそうな雰囲気がダダ漏れで、本人に悪気はないんだろうが、ちょっとばかり俺はイラッと来た。
まあ、七歳相当の可愛い?笑みを浮かべて「ありがとう」と言ってはおく。
単細胞な脳筋野郎にしたって、憎まれるよりは好かれた方が無難だからな。
パッと見ほど単細胞男じゃない可能性も有るわけだし、オゼルという家名からすると帝国建国の際に功績が大きかった名門の出だと思われるし、何も好き好んで敵を作るほど俺も馬鹿じゃない。
神殿騎士になるためには、幼いうちに有力な神官に認められて神殿で修行を積むしかないのだが、衣食住も学問や武芸の指導も、さらには鎧兜から武器一切、馬に至るまで神殿が負担してくれるので、実家の負担は無い。
通常の場合、息子を騎士にするためには現役の有力な軍人に頼み込んで無給の従者兼見習いとしてもらうのだが、口利きをしてくれた人物や引き受けてくれる軍人の家族などへも様々に付け届けが必要だし、鎧兜・武器・馬は親が用意してやらなければいけないし、羽振りの良くない貴族には負担が大きい。そのため、全部タダで済む神殿騎士は有り難い制度なのだが……ここでも神気が問題なのだ。
大神殿の場合「試練の間」に入ったとたんにひどい頭痛を起こすような子供は、神殿騎士見習いには絶対採用されないのだ。都近辺以外の神殿の場合も、それぞれのエリアに「神気が強い」洞窟やら巨石やら泉やらが有る。どこの神殿でも、そういった「神気の強い場所」で平然としている男の子なら、神殿騎士見習いへの採用は即決定だったりするものらしい。
まあ、せっかく採用されるなら、設備も教育体制も整った格の高い神殿の方が良いわけで、帝国全土の神殿の総元締め的な地位にある大神殿の神殿騎士は、よその神殿騎士より格上と見なされている。
貴族でも「神気に弱い」者がいる一方で、庶民や奴隷の子供であっても神気に対して拒絶反応が起きない者がいる。そうした子供たちは神殿への出入りを許され、読み書きをタダで学ぶ事が出来る。
さすがに騎士への採用は難しいが、食費の補助になる程度の金品が十五歳になるまで神殿から支給される。ちなみに、この扱いは男女共通だ。学問を一通り終えると、男子の場合は就職の面倒を見てもらい、女子は本人の身分に応じて、神殿に縁の深い商家や地主などの家庭との縁組みを世話されるケースが多い。ちなみに神殿の加護を受けた女の子は必ず正夫人というか第一夫人として迎えないと神の祟りを受けるとされる。つまり女の子の親にしてみても、まずまずの家庭に嫁入りするまで神殿が様々にバックアップしてくれる事になるわけで、実に有り難い制度なのだ。
だがオゼル家は内福だという噂だし、費用を気にして息子を修行がキツイ神殿騎士にする必要は無いはずだ。
「キアーは自分でなりたくて神殿騎士になったの?」
自発的に志望というケースが名門の子弟でも全く無いわけじゃ無い。大抵名門の子弟は神官になる方を選ぶもんだが、エリート神官見習いに確実に採用されるためには幼児期から古語を叩きこまれないと無理らしいから、名門の子弟であっても、早く家を出て自立したい事情があったりする場合、神気が十分あれば即採用決定の神殿騎士の方が志願しやすいわけだ。
「ええ。父を訪ねておいでになった大神官様に直接お願いしました。当時はまだ七歳の子供でしたが、自分の一生がかかってましたから必死でしたよ」
「そんなに家を出たかったの?」
大人なら聞きにくい事でも、しれっと聞いてしまえるのが子供の特権だったりする。
「はあ」
おにーさんは、困ったなと言うような感じの戸惑いを感じさせる生返事をして、言いよどんだ。だが、俺が皇太子だからだろう。厳しい突っ込みを正面で受ける道を選んだようだ。まあ、職業が神殿騎士なら、正直なのは悪い事じゃないと思う。
俺の後ろに距離を取ってついてくる二人の護衛には聞かれたく無さそうにして視線をやり、少し声を潜めた。
「ずっと患っていた生みの母が六歳の時に亡くなりまして、後妻に入った人とはどうも折り合いが良くなくて、家を出たいと思ったわけです」
「腹違いの弟とか妹とかいたわけ?」
「まあ、その……兄も知らぬ間にいたようです」
「そうか。そりゃあ大変だったな」
「別にその……兄やら後妻やらにあからさまにいびられたとか言う事は無いのですが、自分が邪魔者あつかいされていると感じてしまいまして」
「なるほどなあ」
「あ、やはりこの話、やめましょう」
「わかった。すまなかったな」
「いえ」
「だが、六歳まで母御が存命なら、顔ぐらいはちゃんと覚えているよな」
「はあ……さようです……申し訳ございません」
ああ、こいつ、俺の母が俺を産んですぐになくなっていることを、やっと今思い出したんだな。
「何がだ?」
俺はわざと気が付かないふりをした。
「殿下は、その」
「うむ。母の顔を知らん」
「昔、御母君にお仕えしたという老女が父の邸におりまして、その者がお優しく美しい方であったと聞かせてくれた事がございます」
「そういえば、そちの母御は私の伯母上にあたる方では無かったか?」
「恐れ多い事ではありますが、まあ……一応は……そうなりましょうか」
「お名前は何とおっしゃったかな?」
「父はサミーンと呼んでおりましたが、本当はシャフルバヌーという名であったのだと老女たちは申しておりました」
サミーンは「高貴な」とか「貴い」とかいう意味の古語で、名門貴族の家庭で妻が降嫁した皇女である場合、しばしば名前代わりの呼び名とする。一方でシャフルバヌーとは「街の娘」を意味し、生母の身分が低い皇女につけられることが多い名前だ。
爺さんの一番年下の息子は親父様なわけだが、親父様の姉妹は全部で五十人は軽く超えるらしい。果たして何人の皇女が無事に成人して、さらにこれまた無事に結婚したのか、正確な数はわからない。そしてそのいい加減さが問題にもならないって、後宮は恐ろしい所だ。男尊女卑がキツイ国柄の所為で、男の子より女の子が粗末に扱われがちという事情もある。
俺の記憶が正しければ、オゼル家に降嫁したのは親父様と同じ年の人だったはず。
「お美しくて優しい方だったのだろうな」
これはリップサービスでもなんでもない。
名門オゼル家の正夫人に据えても大丈夫なレベルの容姿と賢さを備えていると見なされて、降嫁が決定したのは事実であろうから。
そもそも容姿・知能・その他の条件が整わない皇女は降嫁も認められない。一生飼い殺しならマシな方で、目立たない様に幼いうちに殺害されてしまう事が多いのだそうな。
人権侵害もいいところだが、人権なんて概念自体存在しない帝国では、驚くような話でもない。
「ええ。少なくとも私はそう思っております。ですが、父は母に対して冷淡でした。一方で後妻という人は父とは幼馴染でして……もしも私の母の降嫁が無かったならば、父の妻になるはずであったそうで……召使いたちも後妻の言いなりでした」
「それは、大変だったなあ」
するといきなり、左前方から飛んできた何かが俺の右耳を掠めた。
「やっ! 何者だ」
岸壁にあたった一本の矢が、地面に落ちた。
キアーはとっさに俺を背中に庇うようにして、剣を抜き、鋭い高い音で口笛を吹いた。
するとそれに呼応するようにピィーッと言う鳴き声がして、白い鳥が三羽ほど現れ、バサバサ音を立てて岸壁の上の人間らしきものを攻撃しはじめた。
神殿の白鷹が、侵入者を攻撃しているのだ。
鷹に続いて、数名の神殿騎士らしき人物が駆け下りてきた。
「殿下っ! 御無事ですかっ!」
口々にそんなことを叫びながら、次から次へと人数が増えていく。で、曲者の方は捕獲できたかと思われたのだが……
「しまったっ! 身を投げおったわ」
わずかなすきに、曲者は岸壁から飛び降りたのだ。遥か下は棘だらけの灌木の茂みだから、生きているとは思えない。それにしたって、今回の神殿行きは俺とハキムの間で急に決めたもので、知っている人間の数となると、ごく限られてくる。
俺、ハキムと妻のナフィア、そして……ラナ。
他の人間は、俺がどこに出かけるかは知らせていなかったはずだし、護衛二人は今日になって行き先を知ったはずなのだ。いやいや、ラナとは限らないか。まあ、本人が無自覚に情報をもらしている可能性は有るけれど……盗み聞きした人物がいないとも限らないわけだし。
神殿側から情報が漏れた可能性だってあるわけなんだが……そうなると、前途は多難だな。
神殿に到着すると、大神官の爺様が転がるようにして正門の所まで下りてきた。そして、弓での襲撃を回避できなかった事に関して幾度も詫びるのだったが、起こっちまった事は仕方ないよなあ。
俺としてはその場は爺さんをなだめて、神殿の中に入るしかなかったわけだ。
神殿全体が特別警戒体制に入り、俺が沐浴用の風呂に入って体を清めたり、食事をしたりするのも武装したキアー・オゼルがつきっきりだ。毒見もキアーが務めた。
別に飯は不味くなかったし、なかなかのごちそうだったが、キアーの苦虫を噛み潰したような顔が、雰囲気を暗くした。まあ、暗殺未遂事件が起きてしまったわけだし、犯人と言うか大事な生き証人に逃げられてしまったから無理もないが……
俺が寝るのは「試練の間」だ。
というのもそこが恐らく一番安全だからという大神官の爺さんの意見で決まった。
俺に「神の御加護」が有るようにという事らしいんだが、大神官の爺さんも寝具を持ちこんで同じ部屋で寝る事になった。異例の事態だ。警護の連中はピリピリしている。
「やはりここが一番御加護を受けやすいでしょう」
爺さんは、そう信じているようだ。
俺が寝るのは部屋のド真ん中のちょっと高い台座になっている部分で、そこに分厚いマットとふかふかの布団を敷いて寝る。一度経験済みだが、寝心地は悪くないのだ。爺さんの方は軍の将校が遠征先で使うような分割型のベッドにマットと布団を乗っけて寝る気らしい。
俺の付き添い役って事なんだろうか?
あるいは何らかの政治的な意味合いのあるパフォーマンスか?
布団に入ると、すぐ深い眠りに入ったと感じたが、急にあのガキんちょ臭い神の声が聞こえてきた。
「すみません。一度、日本と言いましたか、異世界のあの場所に戻りましょう」
「え? なんでまた? 別にいいけどさ」
「いいんですか? 案外あっさりしてますね」
「平成日本のサラリーマンの方が、こっちでわけわかんない状態よりマシみたいだからさ」
「すみません。あちらでの手違いを修正して、すぐにこちらに戻って欲しいのですけど」
「何? それ、鬱陶しい」
「ですから、あの、最後にぶん殴った女とのやり取りをですねえ、やり直してほしいのです」
「なんでまた」
「その、そうしないと、闇の力の干渉が大きくなりすぎまして、あなたが本来受けられるはずの幸運やら幸せやらが、大きく損なわれてしまうのです」
「それが、何か困るわけ?」
「はあ。私としても加護の力が弱まってしまうので、ぜひ、お願いします」
「あんな女、また、ぶっ叩くかもしれないぜ」
「いや、御気持ちはわからないでもないですが、曲げてどうにかもっと穏便に願います」
次の瞬間、何がどうなったのか。
俺は親父の葬式をすませた翌日の、あのアパートの部屋に戻っていた。
そして、ピンポーンと鳴るインターホン。
俺はドアを開けた。
すると、そこにあの女が立っている。
どういうわけか名前も思い出せない。
「話が有るの」
「お前、別の男と結婚が決まったんだろ?」
「え? 何で知ってるの?」
「お前が二股女だって、俺が知らなかったとでも?」
「何よ、その言い方」
「だって事実だろう。御自由になさって下さい、とでも言えばいいのか?」
「そ、そうね。後から難癖つけられたら困るのよ」
「すっぱりお前なんかとは縁を切るから、心配無用だ。じゃあな。二度と俺の前に姿見せるなよ」
「え? ええ。解ったわ」
ブツブツ俺の悪口を言ったようだったが、ともかくも俺は女を部屋に入れずにドアを閉めた。
「これでいいのか」
するとガキんちょ臭い声の神は「よろしいでしょう」と答えた。
「これで何がどうリセット出来たっていうわけ?」
「多分……ですけど、色々うまいめぐりあわせになって、全てが良い方向に向かうはずなんです」
「ほんとかよ!」
「本当です」
「なんか、あてにならねえな」
「そういわずに、まあ……」
「日本のサラリーマンの方が、ずっとマシな気もするんだが」
「それは困ります」
そのあとが聞き取れなかった。
何やら長々と話したみたいだったが、何を奴が話したのかさっぱり記憶に無い。
ともかくも、最後に「では、健闘をお祈りしています」なんて言われちゃったのは確かだ。
「神だっていう割に、他の神に祈るのかよ、バッカじゃねえの」
俺がそう突っ込んでも、どうやら返事は無かったようだ。
目が覚めると、心配そうな顔で俺を覗き込む大神官の爺さんの顔がそこにあった。
「殿下、大きな声で何か色々おっしゃっておられましたが、あれはどこの言葉なのでしょうか?」
「あれ? そんなわけのわからない寝言を言ってた?」
どうやら、思い切り日本語で怒鳴っていたみたいだ。