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嫌な夢・3

 「大神殿での試練」っていうのは、都であるウルスの街を見下ろす岩山の一番高い峰に有る神殿の「試練の間」って所で行われる儀式だ。

 「試練の間」なんて御大層な名前だが、実態は内部の広さが六畳間程度の岩穴にすぎない。床だけにかろうじて白大理石を敷き詰めてあるが、壁と天井は岩穴のまんまだ。別に化け物がいるわけでも、恐ろしい神様がいるわけでもない。

 五歳の俺は、その部屋で続けて三日寝泊まりした。

 試練なんて言うけれど、本当にそれだけだったのだ。

 ただそれだけの事が、なぜそれほど重要視されるのかについては、それなりの理由も有るようだ。


 

 問題の大神殿は今俺が滞在している元要塞と言うか邸と同じ岩山の、さらに一段高い頂上にある。

 大神殿と外界をつなぐ唯一の通路は、この邸の後背部にそびえる巨大な岩盤に刻まれた急な傾斜の階段しかない。しかも道幅は大人同士が、互いに体を横向きにして、どうにかすれ違うことができるだろうかというぐらい狭い。当然ながら、馬も馬車も使えない。輿を担がせるのも難しい。徒歩以外の手段は無いのが現状だ。自然と大神殿へ向かうためには、いかなる身分の者も全て徒歩という事になる。


 そもそもこの国では、どこの神殿であっても参詣する場合は身分や性別の如何を問わず、誰もが素足で参道を歩いて行くべきだとされている。大半の神殿が岩山の上や砂漠地帯に有るため、焼け付く真夏や冷え切る真冬は大変辛い。神殿の行事が春と秋に集中しているのは、当然といえば当然なのだ。


 地方の小さな神殿であっても神官たちは戒律に従って、めったに外には出ないものらしいが、大神殿の場合は更にその厳しさは徹底していると聞く。

 食料などの調達は、大神殿の一番高く大きな塔から滑車で真っ直ぐおろす大きな箱が使われる。箱の容量は「大人が中で二人並んで寝る事が出来るほど」らしい。滑車が下ろされるのは、大神殿に仕える奴隷たちの住む集落の中心ポイントで、そこの奴隷たちは箱の中の指示書に従って、命じられた品物をウルスの市場などで買い揃え、その日の内に箱に詰めて滑車で引き揚げる。物品購入の財源は、一般には信者からの寄進や帝国からの支給品だとされているが、実はそれだけでもないらしい。


 大神殿に仕える奴隷は何世代にもわたる世襲制で、売り買いされたり苦役に従事させらりたりする事は無い。その上、莫大な量の寄進された品物や金銭を運用する権限を持たされている。ハキムに聞いた話では、それらを元手にしてウルスの有力商人に資金を貸し付けたり、有望な事業に出資したりしているのだそうだ。近頃では商業国家ソリエラの銀行や事業主とも取引があるようだ。


 確かに大神殿直属の奴隷たちは、職業選択の自由や居住地を選ぶ自由は無いが、暮らし向きは一般の平民などよりよほど豊かだ。大神殿と同じまっ白い石で造った建物が岩山の裾野に張り付く様に並ぶ集落は、奴隷の棲家と言うよりは、小さな金融街と言う方が実態に即しているだろう。

 賭博と売春と飲酒が「神殿にふさわしくない」として禁じられているために「堅苦しくて息がつまる」という者も少なくはないようだが、大神殿の奴隷たちは学も有り金融知識も豊富だそうで、商売人の往来も絶えない。出入りする商人の内、敬虔な信者達は神殿奴隷の管理する小さな祠で祈りをささげ、奴隷たちの管理する取引所で資金繰りや投資に関する相談などを行うのを日課にして、ますます商売を繁盛させているらしい。

 その小さな祠は、大神殿の中枢部の真下にあたるポイントの岩盤をくりぬいた中に、大神官が白い絹地に揮毫した神号を祭っただけの素朴なものだが、霊験あらたかだと専らの評判だ。

 一般庶民は大神殿内部への立ち入りを許されていない。

 そのために小さな祠でも、非常にありがたがられるという事情もあるのだろう。


「なぜ庶民は、大神殿に立ち入りが許されないんだ?」

「あまりに神気が強く、並みの人間なら命を落とすからだと言われておりますな。その神気に馴染むことのできる選ばれた者のみが大神殿にお仕え出来ると聞きます。皇帝陛下御自身と、御血縁の方々には特別な御加護が有って、そのためにお参りなさることが可能なのだと言われております」


 そんな話をハキムとした事が思い返される。


 ともかくもそこの、地下の六畳ほどの広さの部屋で続けて三日寝るって事を五歳の時にしたのだ。修行とは言っても、トイレとか食事は身分の軽い神官たちが詰めている一階の部屋で普通にしていいし、ちょっと気晴らしに神殿の庭に出るぐらいはOKだったが、その他の時間は原則「試練の間」で過ごしたわけだ。

 ちなみに、その「試練の間」ってのに入る事が許されているのは、皇帝と皇太子と一定クラス以上の神官だけだ。それ以外のものが入ろうとすると、頭が割れるほど痛くなるとか言われている。たたりがあるとも言うな。その噂がどこまで本当か知らないが、少なくとも俺に仕えていた婆さん連中は、本気で信じていた。ハキムがどう思っているかは知らないけど、少なくとも試練の間には入った事が無いようだ。


「あのお部屋に近づくだけで、こめかみのあたりがズキズキいたします」

「胸のあたりが押しつぶされそうな、何やら重ーい感じがしますね」


 人によって表現は多少違ったが、皆、頭痛とか身体的な重圧感を感じるらしかった。

 ハキムも例外じゃないらしい。

 多少とも神官の血筋が混じっていたり、片親が神殿の奴隷だったりする者は症状は軽いらしい。

 俺は……皇帝の息子だからだろうか、まるで平気だった。

 昼間は上級クラスの神官の爺さんたちから面白い神話や昔話を聞かせてもらったし、食事も美味かったし、夜は気分よく眠ることが出来た。

 気持ちよく寝たら、その寝つきの良さを大神官から褒められたっけ。

「神がお認めになったお世継ぎは、さすが違いますな」とか何とか言ってたな。慣れているはずの神官でも、ちょっと頭が痛かったりするのが当たり前らしい。

 全く平気なのは大神官だけらしいのだ。


 

 俺が平気なのは「神の加護」の所為だと解釈されている。

 だが、俺にはそんなものは特に何も感じられない。海に沈められたり、毒を盛られたり、神の加護と言うより呪いでもついているんじゃないか?

 神気の正体もよくわかんないし。放射能とか、特殊な波長の音波とか、そんなものかもしれないし、もっとわけのわかんないものなのかもしれない。少なくとも神気の正体について真剣に分析やら研究やらしようなんて物好きは、未だかつていなかったらしい。何でも「神」って言われちゃうだけで、全ての思考が停止しちゃうような所が、この国の人間には有るようだ。


 さて、その神だけど、平成の日本で知られている神様たちと似ているような似ていないような。


 確かこのシムルグ帝国の公式に認められた創世神話では、光の神と闇の女神はかつて仲睦まじい夫婦で、天・地・海の三大神と太陽・月・星・風・雷・水・緑といった女神たちを生み出したのだという。だが、ふとしたことから仲たがいして、夫婦別れしてしまったとされている。

 原因は光の神が人間の美女に子を産ませたからだとも、闇の女神が冥界の大魔神と浮気したからだとも、言う。何しろ派手な夫婦げんかの末に別れたとかで、長いけんかの間中、この世界は天変地異の連続であったとか。その後、闇の女神は冥界に移り、大魔神と共にすごすようになったのだそうな。

 公式に認められたっていうのは、初代様の御世に帝国中の神官とか神学者とかいう連中に命じて編纂させた神話集が有るんだが、そこに掲載された話は公式に認められたものってことになる。無論掲載されなかった異伝も多数あるが、それらは全部非公式扱いだ。だが、非公式だってウソってわけじゃない。単に大人の事情だか、政治的な状況だかであえて無視されたってことだ。

 ああ、そうか。

 大喧嘩の際に、闇の女神の呪いにより、光の神は幼い子供の姿に変えられたっていう、非公式ではあるが有名な逸話というか伝説がある。皇帝を守護する最高神が子供の姿じゃマズイって事で、あえて無視されたらしい。

 という事は、俺が二十一世紀の日本からこっちに戻る際に聞いた子供っぽい声は、本当にこの世界の光の神の声だったのかもしれない。

 公式には光の神は光り輝く金色の髪と豊かなヒゲを蓄えた美丈夫ってことになってるんだけどな。

 あの声は、どう聴いても十歳になるかならないかの子供みたいな感じだった。


 えらく急な話だったが、ハキム爺さんの勧めで俺の神殿行きが決まった。というのも、神殿に手出しできる暗殺者は極めてまれだろうという推測と、事態をハキムから伝えられた大神官が「是非、おいでいただくべきだ」と返事を寄越したかららしい。


「殿下が神殿に御滞在の間に、邸内と宮殿でお仕えする者たちを入れ替え、御身辺には信頼の置ける者だけを配する様に致しましょう」


 どうやら疑わしい人物は配置換えするらしい。

 疑わしいという者たちも含めて俺に仕えている者たちは全員、親父様の持ち物である奴隷だったり、親父様の部下だったりする連中なのだが、皇帝の留守中に誰にどの仕事を任せるかは大宰相の権限だったりする。


「もし、神殿でも何か良からぬ出来事が起きましたら……それこそ殿下の御覧になった悪い夢が正夢だったという事なのでしょうからな、こちらも覚悟を決めねばいけません。少なくとも大神官殿は殿下のお味方だと信じて良いと思います」

「大神官に逆らって、俺に何か仕掛けることが出来る人間て……」

「副神官という事になりましょう。とは言いましても……今の状況では外部の勢力と結びついて大神官に背く可能性は低いでしょうが……」

「でしょうが、何? 何か気になる点があるんだろ?」

「はあ。大神官殿は何分にも御高齢ですからな。嘘か誠かは存じませんが、とうの昔に百歳を超えていると言う噂も有りますから……そのためでしょうか……これまでの大神殿の前例より副神官の権限は大きくなっています。俗世間との駆け引きが巧みで、大神殿の財政を潤すのに貢献したとか言われておりますしな。ですが現在の副神官は、その地位の割に神霊との相性がよろしくないとか、神気へのなじみ方が薄いとか言う噂も聞きます」

「つまり、副神官は神官の本来業務以外の仕事が得意ってこと?」

「そのようです」


 ハキムは副神官を要注意人物と見ているようだった。


「ですが、神殿直属の神殿騎士たちは全員が大神官に心服しております。副神官が勝手に何か出来ようはずもないわけでして……そういうわけですから、今の神殿は宮殿内部よりは確実に安全でしょう」


 その神殿騎士たちは全員が子供時分から大神官の指導を受けて育った子飼いであるのに対して、副神官は他所から配属された外様だ。神殿の保有する武力は神殿騎士たちの指揮下にあるのだから、確かに副神官と言えど、大神官の意向に反する実力行使は出来にくいだろう。


「副神官は、ただ今の皇帝陛下が子供時代を過ごされた地方の神殿から抜擢された人物です」


 ド田舎の小さな神殿の神官の息子なんだそうだが、要は親父様にとって幼馴染で悪友という感じの存在らしい。


 大神殿のエリート神官は生涯独身だが、田舎の神官は俗人と大差ないような暮らしをしている者が多く、本来は独身のはずの神官でも内縁の妻がいて子供がいるのが当たり前になってしまっている。

 そうした田舎の神官の子供は、親と同じように格の低い小さな神殿の神官になることが出来れば幸運な方で、大半は母親の実家の伝手で農民や商人などになるものらしい。格の高い神殿のエリート神官は大貴族や名門の子弟ばかりだから、大抜擢ということになる。

 神殿騎士はエリート神官ほどではないが、一応武芸の心得があるのが常識といった貴族の家の子弟たちで、田舎の神官より自分たちの方が「身分が上」とか思っているものらしいから、皇帝の後押しがあったにしても副神官はやりにくい立場に立たされているのは確かだ。


「人当たりが柔らかで、腰が低く、神官と言うより商人のような印象を受ける人物です。色々な噂が有りましてな、良くも悪くも融通が利きすぎると言いますか……不正蓄財の噂が私としては非常に気になるところです」


 ハキムはその副神官を信用できない人物と見ているらしい。


「神の使いとされる白い鷹たちが、副神官殿を嫌っているようでして、顔や頭をつつかれそうになったことが幾度も有ったようです。そのために神殿騎士たちは副神官殿の魂は穢れていると言ってますな」

「あの、真っ白い綺麗な鷹たちの事は、よく覚えているけど、俺は突かれたことなんて無かったな」

「幸い、私も有りません。魂が穢れているのかどうかは皆目わかりませんな」


 ハキムは白い鷹が突くのは、反副神官派の嫌がらせに過ぎない可能性が高いと思っているようだ。


「まっ白い鷹は美しいですが、まあ、鳥ですからな」


 ハキムの故郷ムシュキは狩りに適した鷹の産地だが、特に神聖視はしない。神聖なのは創造主である唯一の神だけという西方の国々と同様の宗教観をもつ住民が大半だ。ハキムは一応帝国の大宰相だから、帝国の伝統と風習を尊重している態度は見せているが、白い鷹が神の使いだとは思っていないという事なんだろう。


 何はともあれ、俺は神殿行きを決めた翌々日の朝に、迎えに来た若い神殿騎士とハキムの付けてくれた二人の護衛と共に岩山の参道を裸足で歩き始めたのだった。

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