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嫌な夢・2

 朝食はハキムの爺さんと一緒だ。給仕役はナフィアとラナが務めた。大宰相夫人自ら給仕役なんて、普通はしないもんだが、毒物対策をしっかりやろうという事なんだろう。



「ナフィアもラナも一緒に食べたらいいじゃないか」

「さすがにそうは参りません」

 ナフィアはトンデモナイという感じで、首を横に振った。

「でもさ、みんなで食べた方が美味いじゃないか」

「ですが……」

「格式とか仕来りなんて、儀式で必要とかいう場合だけで十分じゃないか。それに皆で同じ物食べた方が、気が付くことも色々有ると思うし」

「なるほど、それは一理ありますな、殿下」

「ハキムもそう思うだろ?」

「だから、ナフィアもラナも、さあ、食べた食べた」


 ラナは座ろうとしない。俺がなおも促すと、硬い表情でこう言った。 


「奥様は御家族でいらっしゃいますが、私の身分ではあまりに恐れ多いかと……」

「じゃあ、命令。一緒に食べれば、一緒に食事も終わるじゃないか。その後の仕事にもさっさとかかれるだろ? ちゃんと食べなくてラナが病気になったら、俺が困るし。だから、食べろ」


 シムルグ帝国式の食事の仕方は、テーブルや椅子を使わず絨毯の上で胡坐をかいて食べるのが普通だ。貴族の家庭でも同様で、食器や敷物が贅沢になるだけのことだ。もっとも、皇族になると自分専用の敷物の上に小ぶりで贅を凝らした細工の机を置いて一人で食べることも多いが、俺は好きじゃない。


「なンと言うかさ、皆が囲んで座れる大きな机が欲しいな」

「そういえば西のソリエラやバビアでは、椅子に掛けて大きなテーブルを囲みますなあ」

「そのテーブルの足の長さをうンと短くして、食事用小机ぐらいの高さにすれば、みんなで使えるじゃないか」

「なるほど! 別に特殊な技術が必要というわけでもなし、簡単なものならすぐにできるでしょうな」

「宮中の細工職人か大工にでも作らせたら、すぐ出来そうだね」

「早速作らせてみましょう」


 これまで日本の和風旅館の座敷にでも置いてあるような座卓と言うか、ローテーブルと言うか、そんなものが無かったのだ。俺は食後さっそく寸法を書き入れた簡単な見取り図を描いて、ハキムに渡した。すぐに制作にかかって貰えそうだ。 


 その日は日課の鍛錬と学問は休んだ。

 溺死騒ぎに毒殺騒ぎと続いたから「お疲れ」だろうと言ってもらったので、甘えた。それが却って良くなかったのかどうかわからないが、また変な夢を見た。



「アルティンの伝言とやらは、まともには受け止めかねるが、無視もできぬ」

「女狐の事ですから、陛下を欺いているだけなのかもしれませぬ」

「だが、今のカリムは赤子の時にすり替えられたアルティンの不義の子だと言う報告は、三つの別々の筋からもたらされた物だけに、無視できん」

「疑わしき方を皇太子に据えたままというわけには行かぬのはわかりますが、万が一……」

「万が一、あれが誠に我が息子であった場合、どうなのだという事だよな」

「はあ」

「なまじカリムが神童などでなかったら廃太子とするのも容易いが、大宰相がなあ」

「大宰相ハキムは、カリム様びいきですな」

「報告が正しければ、ハキムに預けた時には既にすり替えられていたという事になろうが、ハキムはあれの血筋に関して、いささかの疑念も抱いておらん様だ。若いころから親父様に仕え、先の皇太子の死後の後継指名に俺を真っ先に強く推挙した当の本人だからな、俺も迂闊な事は言えない。ハキムの人柄は誰もが認める通り、温和で賢明、暮らしぶりも質素ときている。心を寄せるものも多いようではあるし、あれを大宰相の職から退けるのは、皇帝の権限をもってしてもなかなかに困難だ」

「軍内部での大宰相の力は侮りがたいものですからな」

「親ハキム派の将は、いずれも優れた者たちばかりだ。あれらに俺がカリムの血筋を疑っている事や、俺がハキムの権勢をそがねばならんと考えている事など知られるわけにはいかん。このような話は、ハリル・スナイ、お前にしか出来ぬのだ」

「はい、我が君様」


 すっぽんぽんとおぼしきオッサン二人が、暗い中、寝台でゴソゴソやりながら、こんな会話を交わしているのだ。親父様とラナの親父のハリル・スナイ……なんだろうな。

と言うような事を、夢の中で考えたような気がする。すると、場面が切り替わった。また薄暗い部屋だ。さほど若くは無さそうな女の声がする。


「あのバビア女は、カリムがわらわの息子かもしれないと伝えたのかのう?」


 カリムって俺だし。何か、このねっとり感のある声の響き……げっ、アルティン? 話に出たバビア女っていうのは、バビア出身で親父様のお気に入りらしい娼館のおかみかな?


「そのようです」


 答えた男の声は聞き覚えが無い。


「ふふふ。それをあの小心者は信じたか」

「信じなくても、疑念は抱いたようです」


 クスクスという感じの笑い声が漏れた。一体このオバサン、何がそんなにおかしんだか。本気で面白がっている感じがする。


「それならば重畳」


 そういってから、まだクスクス笑っている。人の事を小心者呼ばわりするだけに、このオバサンは肝が据わってそうだ。んー、小心者って、やっぱ親父様の事なのか?


「今から、何やら血なまぐさい騒ぎとなるやも知れませぬな」


 話し相手の男の方は全然笑っていない。


「当分高みと見物としゃれ込むのも一興じゃのう」


 また、オバサンはクスクス笑っている。


「カリム様の件、真なのですか?」

「そなたはどう思う?」

「全くの嘘とも思えません……我らの……」


 しばらく沈黙があった。重大な秘密に関わるから、あえて口にしないが、アルティンも男もその秘密について十分承知している、そんな雰囲気だ。アルティンのクスクス笑いが止んだ。


「何が言いたいのじゃ?」

「いえ、よろしいのです」

「なんじゃ。つまらぬ男じゃ」

「申し訳ございません」

「つまらぬが、それもまたお前らしい」

「一生お傍にお仕え出来れば、それで十分ですから」

「誠に? もっと欲は無いのか?」

「ございません。このまま御一緒に、ここソリエラで穏やかに過ごす事が出来ましたら、それも幸せかと思っております」

「ソリエラでなら、そなたと夫婦ということにしてもまかり通りそうじゃの」

「恐れ多い」

「ふふふ、そのように思っておらぬくせに。嘘の下手な男よの」

「嘘ではありませぬ」

「おや、怒らせてしまったか。これはすまなんだ」


 男の声が、誰かに似ている。誰なんだろう?

 なんか秘密めいた衣擦れの音がして、あれ? こっちも? この男って、アルティンの愛人と言うかツバメと言うかそういう存在らしい。

 なんかモヤモヤする。

 話に出た小心者って、もしかして……親父様のことか? 

 そう思ったとたん、目が覚めた。


 最初に見た嫌な夢と、今しがた見た二つの夢、時系列的にどうつながるのかわからない。


「それこそ夢みたいな話だし」そんな話を、たとえばハキムにするとどうなる?

 大宰相のハキム自身、主君である親父様の「勢力をそいでおきたい」的な圧力を感じているとしたら……なんかまずいかも知れない。過去に「皇太子の謀叛」って名目で大粛清が行われたケースも有ったしなあ、だいぶ昔だったと思うが……だが、逆に……暗愚な父親を廃して権力を掌握して即位した皇帝もいる。いずれのケースも勝敗を分けたのは大宰相だった。時の大宰相が加担した方が勝者となったのだ。

 ハキムは実力者だし、俺の育ての親で実質的な保護者だから、俺を担いで親父様を退位させるぐらいの事は、恐らく可能だ。そういう事態を親父様は恐れているのか?


 俺は帝位になんかつきたくはないが、それ以外に生き延びる方法が無いとなれば、そういう気の重い展開もアリなのかなあ。


 それにしても、親父様は本当に俺の廃位を望んでいるのか?

 俺よりも扱いやすい、弟たちのうちの誰かを皇太子に据えた方が良い、ぐらいのことは考えているかもしれん。だが、あの不穏な会話も夢だし、俺がすり替えられた子だって言う話も夢だし、夢に過ぎない事を現皇太子の俺が迂闊に口にすると、混乱の引き金になったりする可能性も有る。


 だが、ハキムには気をつけろって警告はした方が良いのかもしれない。そう感じた。だから、一言触れておこうと決めた。朝食の際は、他の人間の目も有る。だから、ヒマな俺の方からハキムの執務する部屋の方に出向いた。

 幸い、ハキムは一人で山積みの書類相手に格闘中だった。各地の地方官から上がって来た税の徴収に関するものが大半のらしい。いつもならいるはずの秘書官たちがいないのは、何か理由がありそうだ。


「すごい量の書類なのに、ハキム一人で、どうしたんだ?」

「色々ございましたので、皆、出払っております」

「その書類、地域ごとに仕分けするよ」

「申し訳ございません」

「軍関係はひとまとめにしておくね。いつもいる秘書官たちは、今、何やってるわけ?」

「宮殿の書庫で古い記録を探させております」

「なんで?」

「たび重なる御親征で、軍資金のやりくりに苦慮している中、ここ二か月ほどの間に、新たな皇子様御二方と皇女様御三方がお生まれになりました。格式に配慮した形でなるべく簡素に諸々の儀式などを済ませるにはどうすれば良いのか、先例を調べさせております」


 何それ、ベビーラッシュじゃんか。親父様、色々と凄すぎ。


「俺、そんなに弟と妹が増えたって、全然知らなかったよ」

「いずれも御生母の御身分は軽い方ばかりですから、お祝いなどもごく内輪の事で、お披露目なども特に行われませんからな。それでも皇帝陛下から『十分配慮せよ』との御言葉が有りましたから、それなりの格式は必要となります。とまあ、そこまでは予定した臨時出費ですが、困るのは、先月来の天候不順による大雨と洪水の対策費用ですな」

「壊れた堤防の補修費用とか、かかるんだろうなあ」

「さようです。避難民の食料は備蓄分を放出させればどうにかなりそうですが、堤防の補修は大きな出費で、どこを削って捻出しようか、困っております。被災した者たちは開祖様以来の措法に従い、租税も一年は免除ですからなあ」

「俺用の経費をあてたら、どう?」

「殿下は質素にお暮らしですからな、正直申しまして、焼石に水です」

「国母宮の方は?」

「どのお住まいも別宮も、留守番の小者が多少いる他は、主だった侍女や護衛達の姿も無く、めぼしい宝石や金銀などは、すっかり持ち出されたようです」

「じゃあ、どうやって資金を工面する?」

「さよう。三代目様の折の大宰相にならい、厄払い富くじでも売り出そうかと考えております」

「へええ、賞金は?」

「売上金から捻出させたいので、何か上手い方法が無いか考えております。殿下、何かお考えがございませんか?」


 復興宝くじって所だな。金の有る連中が、まとめ買いなんかしてくれると良いんだろうな。


「あんまり使い道は無いけど、貴重品って感じの品物を宮中の倉から出してきて、一等賞のおまけに付けるとか、親父様とかハキムの揮毫した物を前後賞の景品にするとか、どう?」

「もぬけの殻状態の国母宮から、何か持ってきますか。皇帝陛下の御真筆は良いかも知れませんな。私の物はさほど喜ばれませんでしょう。おお、そうだ、殿下が何かしたためられたら宜しいのでは。たとえば、何か縁起のよさそうな文字でもお書きになれば、皆、喜びましょう」

「ええ? 俺が?」

「次期皇帝陛下ですからな。大人気間違いなしですぞ」

「どうかなあ。まあ、役に立てそうなら書いたって良いけどさ。それはそうとして、国母宮の主は、どこにいるんだろうな」

「昨夜、それに関する密書が届きましてな……」


 何でも、深夜に国外の情報提供者から密書が届いたらしい


「ひょっとして、あの人、ソリエラに潜伏中だったりする?」


 ハキムは、手をとめて俺の顔を覗き込んだ。


「なぜ、そう思われましたか」

「夜なんだけど、変な夢を見たんだ」


 あまり具体的な描写はまずい気がしたので「国母が夢の中で、そんな話をしている様子を夢に見た」といった程度にとどめた。

 ちなみに親父様の夢の方は、あまりに物騒なので話をするのを止めた。


 ハキムのつかんだ情報では、かねてから用意されていた大型船で国母たち一行はソリエラに入ったという。国母アルティンは、かなり以前からソリエラの大富豪三家の筆頭であるニコロ・クレメンテと頻繁に文通していたらしい。今ではクレメンテ家の経営する銀行の大株主で、かつてクレメンテ家の離宮だったとかいう瀟洒な別荘まで所有しているとか。クレメンテ家もアルティンも、実に抜け目がない。

 アルティンは閨事だけで成り上がった女のように一般には言われているが、実は資産運用や投資に対するセンスは抜群で、そのあたりも商業国家ソリエラの要人たちと好を結ぶのに役立ったようだ。

 まあ、感心ばかりしている場合じゃないか。

 アルティンが俺の殺害を計画しているかどうかは不明だが、少なくとも俺の味方ってわけでも無いのは、確かだからだ。


「なあ、ハキム」

「いかがなさいました? わざわざここまでお越しになり、手伝って下さったからには、何かお話になりたいことがまだ、お有りなのでしょう?」

「このところ立て続けに変な夢を見る」

「御身辺が騒がしかったせいでしょうかな」

「それもあるのかもしれんが……」


 ハキムは穏やかな視線を俺に向ける。


「神からの警告、と言うようなものかも知れんと感じた」

「警告ですか。たとえばどのような?」

「親父様の回りの者たちは……俺と俺の後ろ盾であるハキムをどう見ているのかな」

「目障りと思う者も、少なからずおりましょう。ですが、それは政にはついて回る類の話です」

「親父様は、俺を皇太子にしたことを後悔しておられるのではないか? ならば、弟たちの内の誰かに地位を譲った方が良いのかもしれない……そんな気もするのだが」

「少なくともあなた様を皇太子にとお決めになったのは、他ならぬ陛下御自身です。近頃の陛下の御様子から拝察して、何やらご心境の変化があったのかもしれぬとは思いますが、一旦皇太子をお定めになった以上、それ以降は皇帝陛下でもおいそれとは変えられないものなのです」


 ハキムは親父様の子を産んだ女たちの画策で、俺を貶めるような噂が流れたとしても気に病むなといった。


「ああした浅はかな連中の流す噂で、皇帝陛下の御判断が狂うなどという事は無かろうと思っております。ですが……」

「ですが?」

「万が一の事があった場合、殿下をお連れして、国外に逃げる程度の算段はいたしておりますよ」

「なんか物騒な話だな」

「皇帝陛下が心から想うておられたのは、恐らく殿下の亡き母君お一人だけでして、現在のところは、その他の方々にはさほど深い御気持ちは無いように思います。たとえ、これから先、新たに寵愛する方が現れたにしても、それだけで皇太子の位と言うのは簡単にはすげ替えられぬものなのですよ」

「そうか? 皇太子を誰にするかは皇帝自身の専決事項だろ? 誰にも止められないんじゃあ……」

「殿下は五歳で大神殿の試練を無事に済まされておられます」


 そういやあ、有ったな。


「なんか洞穴みたいなところで、三日三晩寝起きした、あれか?」

「さよう。それでございますよ」

「あれが、そんなに重要な意味があるの?」

「ございますとも」


 ハキムはそう言ってうなずいた。



更新が滞りがちで、申し訳ありません。二十四時間三百六十五日、誤字脱字の御指摘は、大歓迎です。

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