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大変なお留守番・1

 邪魔くさい弁髪を結っているのは俺を海から救い上げた男たちだけじゃない。気が付けば、俺自身もかなり長い編んだ髪の毛の束を金やら宝石やらで飾った状態なのだった。男たちの弁髪のおさげが頭の真ん中から生えているなのに対して、俺のはやや左寄りに生えている。左に傾いているのは皇族の男子だけの特殊なバージョンなのだが……どっちにしろカッコイイとは思えない。弁髪用に髪を伸ばした部分以外は剃刀で念入りに剃らなくちゃいけないし、編むのも面倒だし。まあ、俺の場合は基本人任せなんだけど。


 何はともあれ、あんまり実用的じゃないし衛生的でもない。

 俺が成人したら、こんな変な髪形は絶対やめてやる!

 改めてそう決意する。

 大人は長いひげを生やしてるし、これも不衛生だな。

 そういやあ、世界史の時間にロシアのピョートル大帝は、長いひげに税金かけたって習ったが、そういうのもアリかもしれない。


 俺がこのシムルグ帝国の装飾過剰でくそ重たい服装に、まだなじめない内に、ボートは見覚えのない場所についた。

 だが、そこに立って俺たちを待っていた人物は良く知っている。

 この国の大宰相だ。

 名前はハキム。

 唯一の妻のナフィアは俺の育ての母とでもいうべき人だ。

 実際、母上とこそ呼ばなかったものの、四歳の誕生日にナフィアから実の母が亡くなっている事と父親が皇帝である事を教えられるまで、実の母と信じていたぐらいだ。


「御無事で何よりでございました。皇帝陛下の御帰還までに、ハーレムの連中が何かしでかすかとは思っておりましたが、このたびはさすがに肝を冷やしましたぞ」


 皇帝陛下というのは、俺のこの世界での父親。

 親父様と表だって呼ぶ事を許されているのは、皇太子である俺一人きりだ。

 ハーレムって、いわゆるニコポナデポキャハハウフフのおめでたい状態じゃないぞ。ドロドロの権力闘争まみれの後宮で、イスラム系の君主国に存在していたような代物だ。


 親父様は皇帝になったが、皇太子じゃなかった。

 後宮でも立場の弱い女奴隷が生んだ皇子とは名ばかりの、実に不安定な立場だったのだ。だが、皇太子がはやり病で急死し、同腹の弟やほかの有力候補も同じころに亡くなってしまった事から、生母ともどもド田舎の神殿に預けられていた親父様に出番が回ってきたのだ。

 だから即位当時の権力基盤は非常に軟弱だったのだが、幸いな事に大宰相のハキムは親父様に「帝国の未来を見出した」のだそうで、息子の俺ともども、非常に世話になっている。

  

 ハキムは属州ムシュキからの貢納奴隷出身で、先代の大宰相に才能を見いだされて官僚となり、俺の爺様にあたる先帝の代に大宰相となった。本当は奴隷制度を無くしたいと考えているらしいが、なかなか実現できないでいる。それでも奴隷を開放する様々な制度を法制化したり、残虐な取り扱いを禁じる法律を根付かせたりする実績は上げてきた。

 妻のナフィアはハキムと同郷の出身で年齢は親子ほども離れている。元はすでに大宰相となったハキムが先帝から賜った女奴隷で、実を言うと危険な後宮から「救い出した」らしい。あまり細かい事情は知らないが、ナフィアにとってハキムが命の恩人であるのは確かであるようだ。

 ハキムにはナフィア以外に妻も愛人もいない。

 主人に気に入られた女奴隷が子を産んで身分を開放されるのは良くある話だが、唯一の妻であるというのは一夫多妻が当たり前のこの国では、極めて珍しい。

 他の者がいないところでの夫婦の会話は故郷の言葉になる事が多い。俺を引き取る以前に、この夫婦は一人息子をふとした病で亡くしている。その後、子供には恵まれていないから、俺は唯一の子供みたいな扱いで育ててもらった。おかげでムシュキの言葉もかなりわかるようになっている。

 二人の故郷ムシュキがシムルグ帝国に併合されて百年以上にはなるが、文化や宗教が大きく異なり、非常に統治の難しい土地だとされてきた。山間部の盆地の小国で周囲の大国は積極的な介入をしてこなかったことも有り、独自の社会体制が長く続いていたのだ。

 基本的にムシュキには王とか皇帝とか、そんなものがいなかった。すべての国民が自由な身分で、奴隷も存在しない社会体制で、政治は集落ごとの合議制を軸に、国の代表を選出し、その代表たちを中心にした話し合いですべてを決めてきたのだ。

 全ての民が武装して敵と戦うという国柄であったが、それは裏を返せば職業軍人が存在しない国であったわけで、実際、農繁期に帝国軍の大軍に攻め込まれて国が滅んだのだ。

 当時、シムルグ帝国は大国から超大国へ脱皮しつつあった。もともとが騎馬民族の作った軍事色の強い国であったが、ひい爺さんにあたる先々帝のころから官僚制度が機能し、補給経路を確保して大軍を動かす体制が整ったのだ。


 当時既にムシュキと国境を接する国々は征服されてしまっていた。

 敗戦が決定的になると、約半数の民がムシュキの南方の山岳地帯を抜けて海に出て、すぐ対岸に見える自由都市国家ソリエラに粗末ないかだを作ってたどり着いたと聞いている。そのため、ソリエラにはムシュキ出身者が中心になって立ち上げた幾つかのギルドや互助組織が出来上がり、今ではなかなかに侮りがたい勢力を持つようになっているそうだ。

 当然ながら、それらの組織は反シムルグ帝国の立場をとっており、帝国に従わないあらゆる組織を資金的にも人的にも支える役目を担っているらしい。らしい、というのは、自由都市国家であるソリエラにおいては「金には色は無い」というのが国是だ。あまり声高に反帝国を唱えるのは商売のチャンスを逃がす。それはよろしくない、と考える者の方がソリエラでは多数派のようだ。実際、シムルグ帝国の御用商人として認められているソリエラの事業主や両替商もいる。

 儲かるなら死の商人的な活動も、奴隷の売買も躊躇はしない、それが商人国家ソリエラの建国以来の基本姿勢で、現在のソリエラの最高権力者にして大富豪の三家は、三家ともがシムルグ帝国との商いで大いに設けてもいる。さらにその三家はそれぞれ反帝国色の強いムシュキ系のギルドを傘下に置いており、帝国の宿敵ともいうべき西の大国バビア王国とも盛んに商売をやっているという現状だ。それを無節操というのは、帝国サイドに立った見方で、彼らは商人として、基本に忠実なだけなのだ。


 大宰相のハキムがムシュキ出身である事は、ムシュキの統治を容易にしたし、ソリエラに渡ったムシュキからの亡命者たちとの折衝を可能にした。爺様は色ボケの阿呆だったのかもしれないと思うが、ハキムを取り立てて大いに手腕をふるわせたのは、正しい判断だったと思う。


 ハキムの暮らしぶりは質素で、不正蓄財や贈収賄とも無縁だ。これは二百年以上にわたる帝国の歴史上、ほとんど初めてと言っていい。

 敵対するどこかの国の王が「シムルグの皇帝は三つの宝を持っている。一つは名馬ハビブ、もう一つは名剣カハールだが、もっとも得難いのは大宰相ハキムだ」と言ったとか言わなかったとか。ともかくもそんな人物が俺を養育してくれたのは、俺にとって非常に幸運な事であったのは間違いない。 


 ハキムは身長百七十センチ程度の痩せた老人で、いつもは穏やかな笑みを浮かべている。だが、今日はいささか険しい表情だ。一応十五センチ程のお下げを結ってはいるが、髪をそったりはしていない。白髪のポニーテールという感じだが、結構似合っている。


「殿下、先ほど遠征先の皇帝陛下御自身がしたためられた密書が届きましたぞ。陛下のお留守中は、この邸に御滞在なさるようにとのことにございます」

「わかった」


 爺さんは人払いを命じた。

 小さな船着場は、対岸の宮殿を見下ろせる庭園に続いている。


「これが殿下へのお手紙にございます。いよいよ陛下は伏魔殿の大掃除を御決意遊ばしたようですな」

「ハキムは、前々から準備していたんだろう?」

「さよう。ハーレムの大女狐退治は、灌漑事業と並ぶ重大事案でございますよ」

「そんなに?」

「現にお命を狙ってきたわけですしな。大女狐側もあせっているのでございましょうが、油断は禁物ですな。幼い御身が、かような危険にさらされましたのは、ひとえにこの爺の不手際でございます。まことに、まことに申し訳……」

「いいよ、無事だったんだし。さすがに焦ったけど、この邸にいれば大丈夫なんだろう?」

「目が届きませんと不都合ですので、ナフィアに御身辺の監督をさせることといたします」

「そうなると……ハキムも不便じゃないか?」

「なに、しばらくの事でしょうし、夜は私もこちらで寝泊まりさせていただきます」

「あっちには、どう思われているんだろうか?」

「こちらが臨戦態勢に入ったと、既に察知しておりましょう。ただ今の皇太子殿下の暗殺を企てたのですから、たとえ先の皇太子の生母で国母の称号を賜った身であろうともただではすみませんからな」

「でも、証拠が無いだろう?」

「今回は大丈夫です。先帝陛下もお隠れになられて久しいですからな、あの大女狐の神通力も弱ってきておるのですよ」

「ひょっとして、逃げ出したりしない?」

「さよう、あの大女狐は外国の商人どもとつながりも有りますからな、陸路も海路も封鎖できる手筈は整っておりますが、今のところは間違いなく宮殿内にとどまっております」 

「替え玉とか、偽装とかも用心が必要なんじゃあないのかな?」

「さようですなあ……」


 俺は何か嫌な予感がした。

 海千山千の大女狐、国母の称号を持つアルティンは俺の爺様である先帝の一番寵愛した女だ。

 もとは一介の女奴隷であったが、先帝の寵愛を独占して奴隷身分から皇族同然の身分に成り上がり、生んだ息子は皇太子になり、ついには「国母」の称号を賜ったのだ。その皇太子が病死してしまって十年たつ今でも宮殿の内外に及ぼす力は大きい。

 今の親父様に取って、外敵との軍事衝突よりアルティンの存在の方が、ずっと厄介な悩みの種になっている。だが、アルティンの国母の称号と権威を認めるのと引き換えに、親父様の即位を支持する……かつてそんな申し合わせが有ったせいで、いまだに力技でアルティンを排除する事もできずにいる。

 排除するためには、それなりの大義名分が必要だったのだが、俺を殺害しようとしたのがアルティンの手の者だと言う証が立てば、手荒な実力行使もやりやすくなる。


 今でもアルティンが居座っている国母宮は、親父様の後宮よりデカくて豪華だ。

 親父様の即位以来、アルティンは閨に侍る全ての女を支配下に置こうと様々な工作を続けてきたそうだ。俺の生みの母親のように、国母アルティンの介入に従わなかった者は、密かに殺害された。その数は一人や二人じゃなかったらしい。

 俺の生母の場合、ある日突然寝床で冷たくなっていたそうだ。毒殺の可能性が高かったが、ハーレムの奥医師までがアルティンを恐れて「急な病」などと言う始末だったそうな。俺は生まれてすぐから大宰相の邸に預けられていたから、無事だったのだ。


 俺の生母が殺害されたのは即位後三年目で、親父様の権力基盤はまだまだ弱かった。だが、その後、外征で連戦連勝し、国内でも豊作が続いた。

 即位十年目になる今、親父様の力はアルティンと戦えるほどには強くなったと思う。

 だから、親父様は俺を大宰相の邸から宮殿に一旦戻したのだ。

 現在親父様は外征中だ。

 その留守を皇太子の俺が守っているという形式を踏んでおきたい、そういう思惑も働いたのだろう。だが、自分たちの勢力が失われる事を恐れたアルティン一派は、通常の後宮から皇太子宮の内部にまで手の者を送り込んで、俺を殺そうとしたのだ。


 皇族の血を流した者は子々孫々まで祟られる、毒殺した者は地獄に落ちる。そんな迷信を後宮の者たちは固く信じている。

 七歳で奴隷として後宮に入ったというアルティンも、恐らくはその迷信を信じているのだ。だからこれまで殺害した多くの皇子・皇女同様に、俺も袋に詰めて聖なる海に沈めようとしたのだ。


「邪魔者が片付き、海の神にも喜んでいただける、これほどうまいやり方は無い」とアルティンが言ったとか言わなかったとか言う噂を俺も聞いた事が有る。ひどい話だと思うが、アルティンなら、本当にそう言いかねない。


 この国では昔から海の神が一番喜ぶ生贄は、高貴な血筋の幼子だとされている。アルティンがもっと合理的な考えの持ち主であれば、俺は刺殺されていたかもしれないし、あるいは毒を食らっていたかもしれない。アルティンが迷信深いお蔭で、俺が生き延びたのだと言ってもよいだろう。


 いや、前回はそれでも不意を食らって、溺死してしまったのだ。

 平成日本で一度生きた経験を生かせば、今回はどうにかやり直せるという事なのだろうか?

 あの頼りない神にも、その結末は予想がついていないような気がする。


                                    

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