神殿の人々・3
ずいぶん遅くなりました。
大神官は本気だ。だが、親父様が本当にそんな事を望んでいるのか疑わしい。
どうやらハキムから「お戻りください」といった内容の知らせが届くまで、俺はこの大神殿で待っていなくちゃいけないらしい。十日や二十日でどうにかなるとは思っていなかったが、予想以上の長逗留になるのかもしれない。
このところの俺の毎日の暮らしぶりは、実に規則正しい。
毎朝同じ時刻に起床し、大神官と俺とキアーの三人で朝食を食べ、その後大神官の爺さんの散歩と朝のお茶に付き合う。その後はキアーを相手に昼食まで鍛錬し、昼食後は書庫で本を読む。この世界で本は貴重品なのだが、ここの書庫の本は豪華な装丁をされた物が大半で、本棚と金属板をかぶせた本の背が長い鎖で繋がれている。棚ごとに番人役の見習い神官が見張っているし、入り口には司書役の上級神官もいる。滅多な事では外に本の持ち出しなんかできない。
本を読むときは番人役にの神官に命じて、読みたい本の棚からの鎖が届く範囲に書見台と座るためのクッションを置かせるのだ。番人役の見習い神官は本を棚から降ろして書見台の上にのせ、天窓からの採光の加減を見ながら書見台の角度や位置を微調整する。
番人が本を快適に読みやすいようにセッティングを済ませるまで、俺は待たなければいけない。手伝った方が早そうなのだが、手伝ってはいけない決まりになっているようだ。
本そのものは、それなりに面白いが、ジャンルは宗教・歴史・地理といった分野に偏りがちだ。今のところは帝国各地の動物や植物を細密な彩色画で描いて解説した大図鑑が一番面白い。小学校高学年レベルの数学や外国語の初歩的なテキストも有るが、こんな馬鹿デカい無駄に豪華な装丁の本だと使い勝手が悪そうだ。俺は一応「並みの成年皇族以上の学力」が有るとハキムが大神官に請け合ったおかげで、好きな本を好きなように読むことを認められているようだ。小うるさい教師役なんてつけられたら、たまったもんじゃないからな。
書庫の建物自体は頑丈な石造りの円筒形で、天井部はドーム型だ。壁面には幅五十センチ程度のガラスがはめ込まれた部分が均等に十六か所ある。他に三十二箇所に人間の頭部がやっと入る程度の小窓が作られていて、その日の天気に応じて開け閉めを行っているようだ。
で、この書庫も含めてだが、神殿全体が夜更かし厳禁なので、日のある内に本を読んでしまうしか無い。本の写しを取ることは許されているが、俺の一番好きな図鑑は絵が大事なんだからあまり意味がない。他の書籍類は既に承知している程度の内容が大半だった。
そもそも、書庫内は原則的に火気厳禁のため、ランプやろうそくは使えない。夏は涼しいらしいが、冬の冷え込みは酷いらしい。身分のあるものは焼いた石を包んだものを持ち込む事が許されるが、下級の神官などは衣類を着込むしか無いようだ。
今は春だから室温も採光の加減も悪くないが、それでも夕方になるとかなり冷え込む。鏡に日光を反射させる以外の方法で、手元を明るくする方法は認められていないので、どうしたって日没前に書庫を出ることになる。そんなわけで、書庫は日没と同時に締め切られてしまうのだ。
あとは湯を使って体を拭いて、神官では無いものに許された夕食を食べるぐらいしか、することが無い。同じ部屋で寝る大神官は夕食を取らないのだから、夜更かしなんて出来るはずもない。別にしたくも無いし。どうしたって、早寝早起きになる。というかほとんど日の出と同時に俺も起きるような感じになってきた。
「闇の汚れから身を守り、清浄な朝日をしっかり浴びる事は極めて重要ですぞ」
大神官の爺さんは、俺に幾度もそう言った。酒を飲んで騒いだり、風俗系の店で遊んだりなんて事は無縁なままに年齢を重ねて来たらしい。それも人生なんだろうが、やっぱり俺は嫌だな。
そんな風に考えながら眠りにつくと、また夢を見た。
神と自称するガキんちょの声が聞こえる。
「なぜ、あんたは姿を見せないんだ」
「見えないんですか?」
「ああ、声ははっきり聞こえるけど姿は見えない」
「てっきり、見えているもんだとばっかり」
「俺の考えている事とか、感じている事は読み取れ無いわけ?」
「ぼんやりとはわかるんですけど、ハッキリしない、そんな感じですかね。あまり信用されていないようだというのは伝わってますよ」
「あんた、俺に一体何をやらせようと企んでいるんだ?」
「この世界で一番大きな国の安定化ですね」
「親父様は、これから先、俺をどうしようとしているのか分かるか?」
「全く違う二つの事を考えていて、どちらを選ぶべきか迷っているようです」
「ようです、って……神だって自分言うくせに、そのあたりの事情は読み取れないのか?」
「あなた方親子の場合、考えている事がすごく読み取りにくいんです。フツーの人間なら、もっと簡単なんですが」
「じゃあ、親父様の側近連中はどうなんだ? あんたの話通りなら、奴らの考えている事ぐらい簡単に読み取れそうなんだけど」
「簡単ですよ」
「で、連中は俺をどうしようと考えているわけ?」
「まあ、三つの派閥に分かれますかね」
「どういう三つ?」
「皇帝自身が迷っていようがブレていようが盲目的に皇帝に従うと言う連中。数はごくわずかですが、狂信的で危ない連中です。一番数が多いのは皇帝に憎まれないようにしつつ、大宰相とも揉めたくない、という連中ですね。とりあえず困るのは、なにがしか自分とつながりのある皇子をあなたの後釜に押し込みたいという連中でしょうか。迷う皇帝を自分に有利な方向に誘導するためなら手段を選ばずって感じですね」
「俺にとって一番危険なのは?」
「盲目的に皇帝に従う連中です。それだけは確実です。そこでですね、そろそろ次の段階に入るべきだと思うんですよ。自分の事は自分で決めたいって言うあなたには、鬱陶しいかもしれませんが、安全を確保するうえでもですねえ……」
あれ?
そこで目が覚めてしまった。
すると、大神官の爺さんが、寝床から出て、じっと俺を見ている。見て考え込んでいる。
「あ、おはよう」
「おはようございます」
また俺の顔をじっと見る。嫌悪感とか恐怖とか言う感じではないが……爺さんの顔でも、どアップは落ち着かない気分なので、早く解放してほしい。
「どうかしたのかな?」
「先ほどまでの神気の塊は、大層強烈でしたな」
「そうだった?」
「はい」
なんか今度は床に座ったまま目をつぶって考え込み、結構デカい目をまた見開いて俺を見る。
「殿下、お体に何ぞ異変は有りませぬか?」
「異変?」
「もしや……と思ったのですが」
爺さんに言われて、右の手のひらに違和感を感じる事に気が付いた。
あれ?
「なんだこれ?」
右の手のひらのド真ん中に何か固いものが出来たようなので見てみると、乳白色で半透明のビー玉ほどの半球がくっついている。出来もの? 腫瘍? 痛くは無いが、微妙に熱い。
「ふむ、やはり殿下は特別な方なのですな……ですが、ちと、厄介な事になりました」
爺さんは、また思案顔になる。
「これなんなの?」
「聖なるしるし、聖印の中でも特に力の強い神玉でしょうな。実物を拝見するのは、実は私も生まれて初めてなのでして……」
爺さんは、その後、朝食の間もほとんど口を利かなかった。唸ってばっかりいる。ともかくも俺と一緒にすぐに書庫に行くのは、はっきりわかったが、何がなにやら訳がわからない。キアーは戸惑っていたが、爺さんが「ついてくるな」とも言わないので、いつも通り俺の後から一緒に書庫に入る。
爺さんが、司書役の神官に命じて一本のカギを受け取ると、青い色のガラスの嵌った窓の脇にある鍵穴に突っ込んだ。ひとしきりガチャガチャやると、右どなりの棚の板がポコッと言う感じで飛び出して、その板を外すと一冊の本が出てきた。この図書館の他の本みたいにデカい本じゃなくて、せいぜい漫画の単行本程度のサイズだ。表紙に『聖印詳論』と有る。
爺さんはしばらくパラパラめくっていたが、目的の箇所が見つかったようだ。
「これをご覧くだされ」
俺に突き出すようにして、渡した。
「確かに、こいつと同じみたいだな」
人の体に現れる聖なる印について、かなり詳しく調べて解説した本のようで、絵と言うか図というかは単色なんだが、かなりリアルな感じだ。俺の手のひらに出現しているシロモノと同じものは「極めてまれで、実際に見聞できなかった」ために、各地の古老から伝え聞いた話をもとにして「予想図を書き記した」のだそうな。
「そんなに、珍しいのか」
「さよう。この本は三代様がお隠れになって以降に書かれたものですからな」
ん? 三代様?
細かな字でびっしり書き込まれた解説を、改めて真面目に読む。
「ええ? 何か、すげえ厄介じゃないのか?」
「三代様のお手に有ったものと同じ印だと致しますと……陛下がどのようにお考え遊ばすか……御自身は何一つ印をお持ちではないように漏れ伺っておりますからな」
爺さんは地声の大きい方だが、やけに声を潜めている。
誰か聞かれると都合の悪い奴でもいるんだろうな。
あ、親父様と幼馴染の副神官派の連中か……
表向き、大神官と副神官の間に対立も緊張関係も無さそうだが、実は……って事なんだろう。
俺も、なるべく爺さんの耳元でヒソヒソ話す事にした。
この本を書いた人物は帝国の外まで旅をして、調査をしたようだ。そして、近隣諸国における政変と神印との関連性についても色々推論している。
「三代様の御生母の実母なのではないかと噂された方に、この聖玉が有ったようですな」
三代様の御生母については、謎が多い。
公式記録では皇族の出身となっているが、実は帝国に滅ぼされた国の王女だったとか、極めて神気の強い巫女だったとか、二代様は元々は養女として育てて他国に嫁に出すおつもりだったのだとか、いろいろ差しさわりの有りそうな話は伝わっている。そしてその出自や謎めいた死に関しても色々な話が伝わっているが、真相は歴史の闇の中だ。
「噂された方って……二代様が滅ぼしたレメソス王国の最後の女王?」
「さよう」
幾度も公式な歴史を取り繕っても消す事の出来なかった言い伝え、というのが問題なのだ。三代様の母方の祖母の正体はレメソスの最後の女王だという話は、二代様の御存命中から公然の秘密ってやつだったらしい。
レメソス王国は帝国の南西の方向の洋上にかつて存在した島国で、貿易により莫大な富を蓄え、幾つもの植民都市を支配していたそうな。
帝国は初代様の時代に自国と地続きの植民都市を強大な兵力に任せて奪い取り、略奪の限りを尽くしたらしい。レメソス本国は洋上の大きな島であるために、海軍が脆弱であった当時の帝国では攻めあぐねていた部分は有ったようだ。
二代様の時代になると近隣諸国を巻き込み、帝国沿岸部の海賊を手なずけ、いよいよレメソス本国に侵攻できる体制が整ったようだ。
さて、ここからが重要なのだが……力攻め一本やりだった初代様と違い、二代様は外交交渉にも長けていたらしい。いや、色好みだった? はっきり言うとスケベだったのかもしれん。絶世の美女で、神がかった力を持つというレメソスの女王を「皇后にしたい」と申し入れたらしい。
だが、レメソス側の返答は「女王を妻にしたいというなら、皇帝自身がレメソスに攻め入って手に入れればいい。十中八九有りえないだろうが」といった、散々なものだったらしい。
コケにされた二代様は、わずか一年でレメソスの対岸に大規模な軍港を築かせ、遠征軍を整えた。
だが、何という事だろう。
いよいよ侵攻開始となった当日に、レメソスの霊山が巨大な火柱と噴煙を吹き上げ、大波が起きたのだという。その結果、レメソス島は大半が海に沈み、帝国軍も多くの船と将兵を失った。対岸の軍港も使い物にならなくなったというから、そうとう大規模な噴火であったのだろう。女王は我が身を噴火する火口に投じたとも、霊山の神に自らの命をささげて大噴火を呼び起こしたのだとも言われている。
「レメソスの女王の怒りで山が火を吹いた、と当時はもっぱら噂されていたようですからな」
何がどういういきさつでそうなったかわからないが、そのレメソス女王の実子であるらしき幼女が帝国に引き取られて無事に育ち、やがて二代目様の後宮に入り三代目様の母となったわけだ。
二代様との年齢差は親子ほどであったと思われる。
その三代目様の御生母は皇后に冊立される事が決まった直後に亡くなっているが、死因に関する記述は残っていない。産後の肥立ちが悪かったせいなのか……そうではないのか、今となっては確かめようがない。
「幾人かの医師や、当時の重臣、宦官長などの証言やら記録やら日記やらも有りますからな、三代目様のお手には、御幼少のころから乳白色の玉が有ったのは確実でしょう」
どうやら大神官の爺様は、かなり以前から聖なる印に関して様々な記録をあさっていたようで、自信たっぷりに断言した。三代目様の手のひらには今俺の手のひらにあるのと同じような代物が有ったのは、ほぼ確定なんだろう。
「となると、色々マズいわけ?」
「はあ。ただ今の皇帝陛下は何一つ聖なる印をお持ちでないようですからな……」
「皇帝に印が無くて、皇太子にだけはっきり出たという事例は過去にもあっただろう?」
「ございましたが……いやはや、大変な事になるやもしれませんぞ」
ハキムにはすぐに密書で俺に出現した聖玉に関して知らせるが、他の者には可能な限り知らせない方が良い、そう爺さんは言う。そして俺の目の前で短い手紙を書き上げた。
「キアーよ、これを持って大宰相のもとに行け。急ぎこの事態を伝えねばならん。ようわかっておるとは思うが、くれぐれも内密にな。出来れば返書を受け取ってきた方が良い」
爺さんは、眉間にしわを寄せっぱなしだ。キアーは手紙を受け取ると押し頂き、すぐに書庫を出た。
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