帰郷 (二)
* * * * *
しかし辻殿のことよりも、公暁には叔父の実朝の方が気にかかっていた。帰国の挨拶をした時は気づかなかったが、その後御所で何度も顔を合わすうち、どことなく、叔父がひどく面変わりしたように感じた。
「何と申せばよいか……。裸身に抜き身の太刀を抱いているような感じがするのだ」
実朝の印象を、公暁は屋敷を訪れた義村と備中阿闍梨に向かってそのようにたとえた。確かに、ふくよかな頬も切れ長の目も、そしてそこに宿った穏やかな表情も以前のままであった。一見したところでは、他の人々と同じように実朝もまた、数年の隔たりは感じさせない。だが時折、穏やかに微笑む口元の陰に、全てを拒むような空虚な緊張が透いて見えるように思われ、会うたびに、公暁は言いようのない不安を覚えずにはいられなかった。
肌にまといつく暑気に閉口しながらしきりと扇を使っていた義村と阿闍梨は、思わず手を止めて顔を見合わせた。
「下帯一つでいくさに出るとは、また珍妙なたとえですな」
義村には暗喩は通じないらしく、彼は怪訝そうに首をかしげただけだった。公暁は阿闍梨の方へ視線を向け、同意を求めた。
「鎌倉殿には、尼御台所様を始め、周りの方々との間に溝が生じておられます。恐らくはそのことが、お心に影を落としておられるのでございましょう」
廊下に濃い影が動いて、駒若丸が部屋に入って来た。切り口を涼しく光らせた瓜の盆を三人の前に置くと、無駄口を言わずにすぐに出て行った。
「軋轢のもとは朝廷にございます。いや、鎌倉殿と申すべきでございましょうか。つまり、ここ二、三年の鎌倉殿は、京の朝廷に近づくご様子を見せておりましてな」
「それは」
「例えば政所別当のことにござる」
義村が渋い口調で脇から言った。
昨年、実朝の命によって政所が再編され、長老の大江広元、実朝の近習であった源仲章ら四人が新たに別当に加えられた。
源仲章はもともと後鳥羽上皇の近習であったが、幕府にも人脈があり、そのかかわりから在京御家人となって朝廷と幕府の連絡役を長年務めた人である。実朝が将軍職に就いたのを機に下向し、実朝の侍読(教育係)から近習となって、現在に至っている。しかし近習になった今も朝廷の官吏という立場は保持しており、時折京と鎌倉を行き来しては、両者の意思疎通という役割を依然としてになっていた。
朝廷との間に緊密な疎通が築かれることは幕府にとって必要なことであり、仲章が幕府と朝廷を行き来すること自体にはこれといった問題はない。しかしその人物が幕政の首脳部に加わるとなると、話は別であった。
鎌倉御所は朝廷の出先機関などではなく、ある種の独立政府として鎌倉に在る。京の朝廷は、表向きは承認を与え鎌倉との穏やかな関係の維持を望んでいる様子を見せてはいるが、しかし幕府のそうした性質を、必ずしも快く思っているわけではなかった。
しかも実朝は、別当の筆頭を長老の広元とし、それは良いとしても、広元の次席に仲章を置いた。つまり、仲章は事実上、執権の義時よりも上席となったことになる。義時にとって愉快な人事でないのはもちろんだったが、政所という、財務や御家人の訴訟を扱う幕政の中心機関において、朝臣である仲章が発言力を持つことは、彼を通じて朝廷が干渉を加えることが容易になる。御所の内情について、知られたくないことが朝廷の耳に入ることも懸念しなければならなかった。
「官位のこともございます」
阿闍梨がつけ加えた。実朝の昇進は目を見張るものがある。将軍職に就いた建仁三年には従五位下であったが、二年後には従五位上に昇叙し、翌年にはすぐさま従四位下、さらに翌年には従四位上と、ほぼ一年ごとに昇叙している。現在の官位は正二位であり、官職は権中納言と左近衛中将を兼任していた。しかし実朝は京に使いを送り、もう一段上の昇進を打診しているのだという。
「御所の方々が危惧しておられるのは、いずれ鎌倉殿が、大納言、ひいては内大臣へと昇られることでございます」
左大臣、右大臣、内大臣は朝廷の最高機関である太政官の官職である。幕府の長である将軍が太政官に入ることは、そのまま幕府が朝廷の機関に組み込まれてしまいかねない危険があった。実際、父の頼朝が同等の官位を賜ったのは四十を過ぎてからであるというのに、まだ二十六と若く、しかも朝廷に対しこれといった功もない実朝にこのような高位を与えているのは、実朝を取り込んで鎌倉を骨抜きにしようという、朝廷の狙いの現れであるようにも思われた。
幕府は朝廷の隷属物ではないという自負が、東国の武士団の間にはある。確かに鎌倉は独立国のごときものではなく、あくまで朝廷の承認の下で営まれている政府であったが、長い年月、侮蔑と冷遇に甘んじて来た坂東の地が、ようやく朝廷と対等に渡り合える力を得たのだという思いは人々の間に強い。武力、政治力の堅守は、幕閣、御家人、武士団共通の意思であるのに、しかし肝心の実朝の様子は、政所の人事のことといい、官位のことといい、まるで自ら朝廷に取り込まれようとしているかに見える。御家人の間には実朝に対する不満と不信が広がっているのだった。
「解せぬな」
公暁はつぶやいた。御家人の、それ以上に政子や執権の義時の反感を買えば、実朝の立場は危うくなる。現に公暁の父、頼家はそのために殺害されたことを、実朝が知らぬはずはない。であるにもかかわらず、あからさまに朝廷にすり寄り、同じ轍を踏もうとしているのが、公暁には解せなかった。
「東国は今、一枚岩ではございませぬ」
阿闍梨は声を押し殺した。実朝と政子及び義時、そして実朝と御家人の間に、亀裂が深まりつつある。そればかりではない、不穏な空気は北条家と御家人の間にも流れていた。表向きは、将軍と執権が頭となって武士団を統轄する体制が確立したように見える。しかしそれは御家人たちが、和田一族が御所に反旗をひるがえし無残に叩きつぶされた、その末路を目のあたりにしておとなしくなっているだけのことであって、独裁を強めつつある北条家に対する不満がなくなったわけではなかった。
「このようなありさまであるところへ、若がお戻りになられた。これまで危うく保たれていた均衡が崩れることも、ないとは申せませぬ」
「……」
「最悪の場合は、和田合戦のような乱が再び起きるやも知れませぬ。もしそうなったら若も否応なく巻き込まれる危険がございます。なにとぞお気をつけられ、御身を慎みなされませ」
公暁は眼を上げた。阿闍梨の顔をじっと凝視し、目だけで頷いて見せた。そしてすぐに視線をそらした。盆の上から瓜を一切れ取り上げ、噛みしめた。香りが立ち、口元に漂った。果肉の甘みが、にわかに舌に強く感じられた。とろりとした果汁が咽をゆっくりと流れ下った。
「鎌倉殿がにわかに宋に渡るなどと申されたのも、あるいは京の差し金であったのかな」
瓜をつまみ上げながら、義村が憮然としてつぶやいた。
昨年、実朝は宋の仏師で陳和卿という者の言に従い、渡宋の計画を立てていたのだった。由比ヶ浜に巨大な船まで建造させたのだが、海に浮かべ出すことが出来ず、計画は頓挫した。恐らく、遠浅の由比の海に浮かべるには船が大き過ぎたのであろう。
「どうでありましょう。それは穿ち過ぎであるようにわたくしには思えまするが」
阿闍梨が首をかしげかしげ、答えるのが聞こえた。
件の巨船は結局今も浜に残されたままになっており、公暁も見に行ったことがあった。船の建造が終わったのは、公暁が鎌倉に戻るわずかふた月前のことであったから、船は汀に打ち捨てられながらもまだ生き生きとしていた。潮に濡れた船腹にフジツボやトコブシといった貝がびっしりと巣食っている以外は、船はまぶしいほど新しく、木の香りを残したまま、晴空の下でひとり白い巨体を波が洗うままにしてたたずんでいた。
やがて陽が傾き、阿闍梨と義村は帰った。二人が帰ったのちも、公暁は座敷の濡れ縁に立って、ひとり庭を眺めていた。宵闇は既にひんやりと冷たかった。流れ込んだ夜風が衣の裾にふれ、草や土の匂いを置いてはまた去った。駒若丸が瓜の盆を下げに来た。軽やかな足音が廊下を遠ざかって行った。
御谷の山に抱かれた屋敷は、陽が落ちると世俗の種々の音からは置き捨てられてしまう。厚く積み重なった静寂が、朽ちかけた泥のように公暁を捕らえた。公暁の帰国が鎌倉に乱を呼ぶかもしれぬ。備中阿闍梨の言い置いた言葉が、耳に残っていた。繰り返すたびにその言葉は蜜のように溶けて体を流れ、痺れるような痛みをもたらした。
公暁は唇にこぶしを押しあてた。歯に骨の硬さがふれた。公暁の心は、少年の日に夢見た、いにしえの戦絵巻を追った。大津宮に攻め込む兵士、恐怖し逃げ惑う人々と、矛に突かれ斃れて行く宮城の守備兵、そしてひとり馬にうち乗り死に向かって駆け去って行く、皇子の姿。そしてまた公暁の心は、数年前鎌倉を舐めた和田合戦の戦火を思った。あの時、戦いの火の手は鎌倉の町の至る所で上がった。火は御所をも焼き、攻め寄せた和田側の兵との戦いで南門は血に濡れた。その炎の色、土に流れた血の色、境川の川辺に累々と並ぶ首級の連なり。血が流れ尽くしたあとにのみ与えられる静謐。何故実朝が宋に渡ろうとしたか、公暁には分からない。だが今も由比ヶ浜に覚めることのない夢を見、夢見ながら死んで行く船の姿は、実朝の心の深い闇を示しているようにも思われる。
ふと、抜き放たれた刃の匂いが鼻をついた。太刀が青白く踊ったのを見たように思った。美しい期待に胸を衝かれ、公暁は顔を上げた。しかし太刀と見えたのは、ただ漆黒の中空にのぼった三日月であった。刃と思ったのは、ただ血の匂いであった。戦いの幻想を追うあまり、いつしか手の甲を噛み破っていたのである。屋敷を囲む山林が夜風の中で一斉に笹鳴いた。公暁の耳には鎌倉を呑み込む鬨の声に聞こえた。一瞬、快いめまいに襲われ、公暁は自分の身がさかしまに落下して行くような酩酊を覚えた。