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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第一章 公暁
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帰郷 (一)

 帰国を促す急使が鎌倉から公暁のもとに着いたのは、園城寺に入室してから七年目の、六月のことであった。鶴岡八幡宮の別当、定暁が、以前より患っていた背中の腫物が悪化し、先月の十一日に不帰の客となったのである。使いがたずさえた書状によると、公暁には急ぎ鎌倉に戻り、定暁の後を継いでもらいたいというのが、実朝を始め御所の意向であった。しかしこれは実朝よりもむしろ政子の意向が強く働いたのであろう。


 受戒の師の突然の死に驚くいとまもなく、公暁は急ぎ身の周りをまとめ、少年時代を過ごした寺を後にした。建保五年(一二一七)、公暁は十八になっていた。


「御坊、こうして歩いていると、時が戻ったようだ」


 夏の陽射しに焼かれる鎌倉の町を歩きながら、公暁はかたわらの備中阿闍梨(びっちゅうあじゃり)に幾分戸惑い気味に言った。鎌倉を発って、東海道を近江へ向かったのは、もはや数十年も昔のように感じられる。しかしこうして戻ってみれば、故郷の姿は驚くほど変わっていない。町の様子も、由比ヶ浜に荒々しく砕ける波も、鶴岡八幡宮上宮の、急峻な山肌を背負って鎮座するその表情も、童の時に眺めた姿と何も変わりがなかった。心が感じる記憶の遠さと、眼前の光景が呼び起こす記憶の生々しさとのずれに、公暁は自分で驚いた。


「若いうちは、時の流れ方が速うございますからな。そのせいでございましょう」


 備中阿闍梨は杖をつきながら言った。


「そのようなものかな。しかし御坊のしなびぶりを見ると、老いた方がよほど時の流れが速いようだが」


 公暁はそう言って笑った。現在、八幡宮の供奉僧の長老であるこの阿闍梨は、鎌倉に戻った公暁の後見を務めることになっている。阿闍梨とはかつて定暁の屋敷で時折顔を合わせたことがあった。あの頃の御坊と今の御坊を比べると、川を泳ぐ鮭とすはやり(鮭の干物)くらいの違いがあると公暁は憎まれ口をたたき、阿闍梨は苦笑した。彼は知人を訪ねて遠江に滞在していたのだが、公暁が鎌倉へ下向するとの知らせを聞いたため、途中で合流してここまで連れ立って来たのだった。


 屋敷は、定暁が生前使っていた御谷の別当房が用意されていた。屋敷に入り旅装を解くと、公暁はすぐさま御所に赴いた。


「公暁。たくましゅうなられたこと」


 叔父の実朝をはじめ、政子、執権の義時や三浦義村、懐かしい顔の並ぶ広間に入り帰国の挨拶をすると、政子が真っ先に目を細めながら声をかけた。


「よく戻って来てくれた。今後は鶴岡八幡宮の別当として、わたしを助けて欲しい」


 政子に続き、実朝も以前と変わらぬ微笑みを向けた。こうして眺めると、変わっていないのは景色ばかりではない、御所の人々もまた、六年前から切り抜いて来てはめ込んだかのようにほぼそのままの姿形であった。その中で公暁ばかりが、肉体も精神も元の姿が残っていないほどに変貌しているのは、どことなく居心地が悪いものであった。


 ところでこの席には、母の辻殿の姿はなかった。病が癒えて日が経っていないため、穢れが移ることを懸念して遠慮したのだという。数日後、公暁は自分から、母の寺を訪ねた。


「立派になって」


 辻殿は笑って公暁を迎えたが、そこには再会の喜びよりもむしろ戸惑いのようなものが透けて見えた。


「そなたは、殿には似ておりませぬな」


 簡単な挨拶をかわした後、辻殿は久し振りに会った息子の顔をじっと見つめていたが、ふと、そんなことを寂しそうにぽつりと言った。


「父上ではなく、母上の血を濃く引いているのですよ」


 公暁は咄嗟に剽げたが、辻殿は冷たく首を振った。頼家が命を落としたあと、辻殿は落飾して寺に入り、公暁の方は政子の屋敷で養育された。致し方ないと頭では理解しているつもりでも、辻殿には、息子とはその時に遠く隔たってしまったのだという思いがどうしても拭い去れない。しかもようやく再会してみれば、成長した公暁は幼少の頃の面影をほとんど全く失っており、かといって、しげしげと眺めても父母に似ているわけでもない。血を分けたはずの息子に距離を感じるのも、無理からぬことであった。


 辻殿はしかし、せっかく会いに来てくれた息子に、知らずむごいことを言ったと気づいた。今度は屈託ない笑顔を作り、快活に言った。


「でも、まことに立派になりましたこと。母は見違えました」


「近江へ発ってから六年ですよ。今も童のままでは、それこそおかしゅうございましょう」


 公暁も笑い返しながらそう答えたが、辻殿は笑みを消してびっくりしたように顔を後ろに引いた。傷ついた表情が目に浮かんだのを見て、公暁の方が狼狽した。公暁は当然、戯れ言を言ったつもりであったのだが、辻殿は自分が向けた情をはねつけられたと受け取ったらしかった。


 気まずさが漂った。公暁は母が何事か言うのを待った。母の言葉をいとくちに、今度は気持ちをやわらげるようなことを言おうと待ちかまえたが、辻殿は押し黙ったまま、気後れしたように手の中でしきりと数珠玉をまさぐっているばかりだった。白い指の間に水晶の玉が無表情に光った。


「母上」


 沈黙に耐えかねて、公暁はむりやり口を開いた。しかし口を開いたとて、話したいことがあるわけではない。口ごもってさらに気まずさを重ねたあげく、

「以前、綿衣(わたぎぬ)を送っていただいたことがございましたな」


 大して大事でもないことを思い出し、話題に乗せた。


「あれは重宝致しました。近江も、冬は思いのほか冷えまするゆえ」


「そうかえ。まことはそなたの好みの色を送りたかったのですよ。けれど尼御台所様が皆決めておしまいになられたものだから」


 辻殿はやるせなくため息をついて、それきり言葉は行き場所を失った。そのあとも母子は話を続けたが、努めれば努めるほど、互いの会話は朽ちた布のようにこまぎれに途切れ、疲労と虚しさばかりが積もった。四半刻もそのようなことを続けたあと、公暁はいい加減重苦しさに耐え切れなくなった。いとまを告げると、辻殿は頷いて、引き止めるでもなかった。


「親子のつながりなどあてにならぬものだな」


 御谷の屋敷に戻った公暁は、衣を着替えながら思わずこぼした。共に暮らしていた童の頃、公暁と辻殿の仲は決して悪くはなかった。むしろ母とは日々さまざまなことを飽きずに語らい、よく笑い合ったことを、公暁はまだ鮮明に覚えている。たとえ年月が経っているとはいえ、あれ程に言葉も意思も通わぬようになるものかと、公暁は寂しいよりも不思議であった。


 しかし思えば、公暁の上に十余年の時が流れたように、母の上にも同じ長さの年月が流れている。変わっておらねばおかしいと公暁は冗談を言ったが、それは母にもまさしく当てはまることなのだと、そのような当たり前のことに、公暁は今さらながら思い当たった。


「さようでございましょうか」


 先程からそばで着替えを手伝っていた少年が、遠慮がちに公暁の言を否定した。


摩耶経(まやきょう)など学んでおりますと、母子の縁は切っても切れぬものがあると存じます」


 彼は三浦義村の四男で、寺稚児として公暁のそばに侍している。名を駒若丸(こまわかまる)といった。寺稚児は僧侶に仕えて身の周りの世話をする少年である。身分は僧になるのだが髪は落とさず、衣も、墨衣ではなく色鮮やかな水干をまとった。そのまま出家する者もあったが、大抵はある程度の年齢になると還俗し寺を出た。この駒若丸ものちには三浦家に戻って光村と名乗り、幕府の評定衆などを務めた。


「やはり、元は身一つでございますから」


「ふむ」


 駒若丸は摩耶夫人(まやふじん)のことを言っているのだろう。摩耶夫人は釈迦の生母で、釈迦を産み落とした七日のちに、産褥で命を落とした。死後はとう利天に生まれ変わって解脱した釈迦と天上で再会を果たしたとか、釈迦の入滅時には天から駆けつけ、釈迦はそれに応えていっとき死からよみがえり、嘆く母のために無常の理を説いたなど、母子の情愛を物語る逸話が、摩訶摩耶経(まかまやきょう)には登場する。そのような記憶がすらすらと出て来るところを見ると、駒若丸という少年は公暁と違い、学問熱心であるらしかった。それは澄んだ目や物静かな表情からもうかがえた。


 ちなみに公暁の方はといえば、摩耶夫人を初めて知ったのは、仏典ではなく夜中に兄弟子が語った猥談であった。釈迦が初めて天界に生母を訪ねた時のことだが、子供を産んですぐに没したため、摩耶夫人は再会した釈迦が本当の息子なのか分かりかねた。そこで彼女は襟をくつろげ、二つの乳房を揉んだ。するとたちまち乳汁がほとばしり、弧を描いて釈迦の口に入った。それによって摩耶夫人と釈迦は、互いに母子であることを確信したのだという。これは実は、中国の寧波にある古刹、阿育王寺(あしょかおうじ)に伝わるれっきとした仏教逸話なのだが、不勉強な公暁は今に至るまでそれを知らなかった。

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