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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第二章 実朝
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源氏の血(三)

      * * * * *


 京でもろもろの事を片付け、熊野詣を済ませたのち、政子は四月の末になって鎌倉に帰国した。藤原兼子と政子の会談は円滑に進み、兼子は鎌倉将軍の後継者として自らの屋敷で養育していた頼仁(よりひと)親王を推挙した。親王の母は坊門信清の娘、西の御方であり、つまりは信子にも甥にあたる。


 しかし信子との近縁よりも、兼子が重視したのは当然、自身との縁の近さであろう。息子ともいえる親王を推したことの意味は大きい。実朝の案が朝廷にも兼子にも旨味があるものであったことがうかがえる。頼仁親王はこの年十八。八年前に既に親王宣下も受けており、条件は申し分なかった。


 頼仁親王下向の件は、政子と兼子の間で密約という形で決定した。二人の会談はとにかく非常に感触の良いものであったらしく、政子は兼子の推薦で、在京中に従三位に叙せられている。


 ただ、肝心の後鳥羽上皇の方は、兼子の伝えるところによれば親王の下向に強い難色を示していた。政子との会談はなかなか実現せず、四月十五日になってようやく対面が許されたものの、今度は政子の方がそれを辞退してすぐに京を去っている。恐らく、上皇の態度が硬化したままでの会談は得策ではないと考え、説得を兼子に一任して退散したのであろう。


 朝廷に大きな発言力を持つ藤原兼子の助力を取りつけたことに実朝はとりあえず満足を示し、老母をねぎらった。


 この年の夏は、左大将の叙任にまつわる種々の儀式に追われて過ぎた。六月には、鶴岡八幡宮で叙任の礼参りが行われ、京からは少将である藤原実雅ら公卿衆がわざわざ下向して列席した。


 翌七月には、実朝の直衣(のうし)始めの儀が執り行われた。直衣とは三位以上の公卿の平服であるが、着用には朝廷の勅許が必要であった。実朝は三年前に既に正二位に昇っていたが、今回左大将の就任で初めて直衣が許されたのである。本来ならば直衣をまとって内裏に昇殿するのが例であるが、鎌倉にいる実朝は、直衣姿で八幡宮への参拝を行い、昇殿に代えた。


       * * * * *


 忙しく日々が過ぎるうち、ある日、信子は不穏な噂を耳にした。

 公暁が実朝に呪詛を行っているというのである。彼が、宿願成就と称して八幡宮の上宮に籠もってから数ヵ月が経っていた。八幡宮の供奉僧によると、少し前から公暁は何日も一室に籠もって護摩を焚き、読経を続けるという荒行を断続的に行っていた。しかしその様子が、目が爛々と光り、読経の声もまるで獣のうなり声のようで、何とも恐ろしげだという。これは宿願成就などではなく呪詛に違いないと、皆はしきりと噂しているのだった。


「ただのお籠もりにしては気味が悪すぎます。おかしいと思ったのですよ」


 預けられた寺で勉学もせず暴れまわっていたお方が参篭など……。と、噂を持って来た女官も眉をひそめたが、


「根も葉もない噂だ」


 しかし当の実朝は、信子の前で笑い飛ばした。


「宿願成就の参篭をしている者が昼夜を問わず読経して、何の不思議がある。その女官も公暁のありさまを見たわけではあるまい。風聞から空想した姿を、恐ろしいの、気味が悪いのと申しているのであろう。まさか、そなたは真に受けておるのではあるまいな」


「いえ、そのような」


 信子はすぐに否定したが、不安げな表情は消えなかった。そっと実朝の方へ顔を寄せると、公暁殿ではなく、御所の方々の呪詛を案じております、と聞こえるか聞こえぬかの声で囁いた。


 左大将叙任からこんにちまで、実朝の周囲は異常な静けさと平穏を保っていた。実朝が、皆々をあざむく形で左大将に昇ったことも、朝廷との接近の意向を明らかにしたことも、義時始め、広元も、政子ですらも一言の諫言もせず、まるで何も知らないかのようにふるまっている。御所の他の人々も同様であった。だが、誰も彼も、何も思っていないはずはないのである。


 実朝を取り巻いている平穏は、冷たい水の平穏であった。怒り、憎悪、そうした情念を底に沈めて沈黙しているだけで、ひとたび決壊すれば実朝の命など一飲みに飲んでしまう。いや、既に決壊しかけているのではないか。隠し切れなくなった人々の暗い感情が公暁の体を借りて溢れ出し、それが呪詛の噂になっているのではないかと、信子は用心しながら実朝に語った。


「殿、この間のお話――」


 信子は顔を寄せ、鎌倉から出奔するというお話です、と、さらに声を潜めた。


「まさか、誰かに聞かれたのではないでしょうね。それが噂のきっかけになったのではと、わたくしそれが案じられて……」


「いや、それは、ないだろう」


 実朝は言下に否定した。


「あれが聞かれておれば、噂などでは済まぬさ」


 信子は冷水を浴びせられたような気がして、声を飲んだ。実朝はそれきりこの話を打ち切り、文机の方に向き直ったが、その静かな背から、信子はどんな感情も読み取ることが出来なかった。


      * * * * *


 在京の御家人である佐々木広綱からの使者が馳せ参じ、実朝の内大臣叙任を告げたのは、十月十九日のことだった。九月十日、中宮の九条立子が皇子を出産したのだが、それに先立って大臣の任命があったのだという。まず、左大臣には九条良輔が任じられた。彼は、かつて太政大臣なども務めた九条兼実の息子である。正室は坊門信清の娘、位子を迎えており、信子には義理の兄にあたる人物だった。


 そして三条公房の従一位と太政大臣への昇進も定められた。公房はそれまで内大臣を務めていたため、彼の昇進で官職に空きが生じたことになる。そのために実朝に席が回って来たのだった。左大将の官職に変更はなく、実朝は大将と内大臣を兼任することとなった。


『ご出世が早過ぎはせぬだろうか』


 信子は密かに案じた。鎌倉を出奔するためには太政官に昇らなくてはならない。そこからすれば今回の内大臣昇進は喜ぶべきことだが、しかし左大将の叙任から日が浅すぎる。吉事による急な人事とはいえ、わずか半年余しか経っていなかった。ただでさえ左大将の件でささくれている皆の感情を、さらに波立てることになりはしないかと、信子は内心穏やかではいられなかった。


 気がかりなことはもう一つある。養子の話が進まないことだった。いや、全く進んでいないわけではない。内大臣叙任の報からほどなくして、今度は政子の従二位昇格を告げる使者があった。今回も藤原兼子の推挙によるものである。頼仁親王を下向させるべく、兼子は確かに動いてくれていた。あせらずとも、遠い京で物事は進んでいるのだと自分に言い聞かせつつも、しかし実朝の身を守るものがないという事実は、信子を際限もなく不安にした。ともかくも、皇子が鎌倉に来ることは、実朝の身を守るために不可欠なのである。


 実朝は、将軍の代わりがいない今しばらくは、自分の身が害されることはあるまいと言った。が、


『殿の申すとおりだといいけれど』


 信子の不安は消えない。成程、実朝を弑すれば御所は柱を失う。けれども、時として人はそれほど理性的ではない。実朝は確かに理性と秩序の人であった。でも、鎌倉のもののふは、理屈どおりに行動するとは限らないのだ。


 京にいた童女の頃、東えびすは血が流れることなど何ほどにも感じない、野蛮な者どもと聞いていた。しかし、鎌倉に嫁いで十五年、信子は、坂東武者というものを頭や知識ではなく、肌で理解するようになっていた。京の公家であろうが、東国の荒武者であろうが、人をあやめることが暗く恐ろしいのは変わりがない。しかし恐ろしいからこそ、人は理性ではないものによって刃を振るう。激情かもしれない、迷妄かもしれない、何が人に太刀を抜かせるのかが見えないのが、信子には怖かった。

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