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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第一章 公暁
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異端の嫡子(四)

      * * * * *


 過去のいくさよりも鎌倉でのいくさを案じた方がよいと犬丸が言ったのは、でまかせではない。事実、この頃鎌倉には不穏な動きがあった。


 ふた月ほど前のことである。幕府転覆の陰謀が明るみになった。鎌倉では以前より謀反の噂が聞こえていたのだが、そんな折、御家人を廻り謀反の与同者を募っていた安念法師という僧が捕らえられた。懐の書状から、彼が信濃国の御家人、泉親衡(いずみちかひら)の使いであること、そして執権北条義時を討ち、頼家の遺児、千寿丸を擁立する計画のあることが明らかになった。


 安念法師は厳しい詮議を受け、これまでに与同した者の名を白状した。それは首謀者、伴類合わせておよそ三百人にも及び、幕府を驚かせたのだったが、しかしそれ以上に驚いたのは、和田義直(よしなお)義重(よししげ)胤長(たねなが)の名が加わっていたことであった。


 和田氏は、頼朝が伊豆で平氏打倒の兵を挙げた時から付き従って来た旧臣である。相模から安房に広大な所領を有し、長老和田義盛(よしもり)は侍所別当を務める有力者であった。かつまた、無骨一辺倒の義盛の人柄は多くの御家人の人望も集めており、和田氏の勢力はあなどれぬものがあった。


 義直と義重は、その和田義盛の息子であった。そして胤長は甥にあたる。あろうことか、幕府の重役を務める長老の一族から謀反人が出たということで、幕府は対応に追われていたのだった。


「だがこの一件は一筋縄では行かぬぞ。きっと裏で糸を引いている者がおる」


 一人が面白そうに言い出して、衆徒の少年たちは何事かと目を見かわした。昨日、公暁のもとには政子から菓子が届けられた。噂を聞きつけた少年たちが菓子目あてに公暁の房に集まっていたのだったが、話は自然に、泉親衡のことへと移った。この事件が各地の御家人に与えた衝撃は大きく、その顛末はこの近江にも、ほとんど時を遅らせずに逐一聞こえて来ていた。


「和田殿が張本(首謀者)と聞いたが」


 一人がいぶかしげに眉を寄せた。畿内では、息子と甥が与同していたことから、謀反を主導したのは泉親衡ではなく、実は和田義盛であるとの噂が広がっていた。


「いや、少々、出来過ぎておるとは思わぬか」


 少年僧は得意そうにまくし立てた。

 将軍への忠誠を楯に、北条執権家が御家人の力を削ぎ、時には粛清を繰り返して、権力の集中化をはかったことは既に述べた。しかし和田義盛とその一族は、いわば北条家に抗し得る力を持った最後の有力御家人であった。


 北条家にとって目の上のこぶである和田一族から三人も与同者が発覚したとは、いささか都合が良すぎると少年は私見を述べてみせた。


「おまけにじゃ、執権殿の下された処罰も、和田殿をいたずらに(あお)っておられるように思われる」


 事件を知ると、義盛は一族を引き連れて御所へ赴き、三人の赦免を嘆願した。義盛の長年に渡る勲功に免じて、義直、義重は赦されたが、甥の胤長だけは赦免されなかった。泉親衡とならんで第一の首謀者と断罪されたためであった。胤長は一族の面前で縛り上げられたまま預かり人に下げ渡され、陸奥国岩瀬に流罪となった。


 この事件では十数人が捕縛されたが、そのほとんどはすぐに解き放たれた。しかも首謀者であるはずの泉親衡は、京の違橋に潜伏していたところを幕府の兵が囲んだものの取り逃がしてしまい、処罰すら受けていない。結局処罰を受けたのはほとんど胤長唯一人に近かったのである。義盛にとってはあまりに屈辱的であった。


 それだけではなかった。罪人の屋敷は一族の者に引き渡されるのが慣例である。しかし義時はそれを曲げ、強引に取り上げて泉親衡の乱の平定に功績のあった金窪行親(かなくぼゆきちか)に与えた。度重なる恥辱に義盛の面目は丸つぶれである。彼はひどく憤り、以来出仕を拒んでいるという話であった。


「――お主の話は少々長い。裏にいるのは誰だと言いたいのだ」


「つまり――」


 言いかけて、しかし少年僧は公暁に気づきはっと口をつぐんだ。夢中になるあまり、公暁の祖母が他ならぬ北条政子であることをすっかり失念していたのである。


「構わぬ、申せ」


 今さら慌てふためいて口をふさいだ少年に、公暁はにやりと笑った。


「わしはもはや、法体だ。北条の家とはかかわりない。申せ」


 そこまで言ってしまえば結論を言ったも同じであった。少年はばつの悪そうな口調で、執権殿だ、と言った。


「つまり、信濃殿は始めから執権殿の意を受けて、謀反人を募っていたということか」


「そうだ。和田一族を陥れるためでもあるが、密かに逆心をいだく者をあぶり出す狙いもあったのではないかと言うておった。――いや、と、わしは思う」


 少年はすぐに言いなおしたが、話を聞いていた者たちは思わず、くすくすと笑った。いかにも私見のようにして語っていたが、誰か大人から聞いたことの受け売りであったらしい。


「あ、そういうことであったか」


 それまで隅で聞いていた犬丸が、急に大声を上げた。


「信濃殿が、嫡男である若ではなく、弟君を担ぎ出したのは、それゆえか」


「そうであろうな。今しがた法体じゃと申されたが、若は将軍家の御養子じゃ。何事かあったら後を継ぐお方じゃ。謀の捨て駒には使えまい」


 皆は、一斉に公暁を見た。しかし公暁は黙って手を伸ばし、菓子を取り上げて口に放り込んだだけだった。


「若、今回の件、弟君の処罰はいかがあいなりましょう」


 犬丸は千寿丸のことが案じられるようだったが


「さて、出家すると聞いたが。京で何処かの寺に入るらしい」


 公暁の方は気のない様子で答えた。弟といっても千寿丸とは母が違う。兄弟たちはそれぞれの母のもとで養育され、しかも幼いうちに父が死んだため、兄弟同士で遊ぶ機会も、顔を合わせる機会すらほとんどないままに、こうして離れてしまった。公暁としては気持ちの向けようがないのだった。


 それに本音を言えば、公暁は千寿丸のことはあまり考えたくなかった。泉親衡が公暁を差し置いて千寿丸を旗頭に担いだという事実は、たとえそれが茶番であったとしても、公暁にとって愉快な話ではなかった。


 そのために、気持ちは異母弟よりも、むしろ和田義盛の方に向いていた。こちらも親しくかかわる機会はなかったものの、その風貌、人柄を公暁は覚えている。骨太な顔面に、鋭い目がよく光る老人であった。口元を飾る髭は老齢を映して既に雪のように白かったが、その白髯が、風貌を穏やかにするどころか、かえって面立ちを鋭く見せていた。己の武技ひとつをよりどころにして忠勤に励んで来た古風な武士らしく、人となりは直情的で面目を重んじるところがあり、荒野を駆け血を巻き上げた、坂東武者のいにしえの姿を彷彿とさせた。そのような老臣である、面目を丸つぶれにつぶされて、黙っているはずがなかった。そこに思いあたった時、公暁の胸はひらりと浮き立った。


「まことに、いくさになるかもしれぬなあ」


 つぶやいた声はひどく嬉しそうで、少年たちはけげんな面持ちで公暁の顔をうかがった。なじんだ鎌倉の地にいくさが起こるかもしれない、その期待が、公暁の胸を躍らせた。ただ、そのいくさに自分は加わることが出来ないのだという無念の思いも、そこには入りまじってはいたが。


 いくさの予感は驚くほど早く現実のものとなった。それからひと月も経たぬうちに、和田義盛は一族と共に叛乱の兵を挙げた。義盛のもとには武蔵、相模の武士団も加勢に馳せ参じ、二日に渡って御所周辺で激しい戦いが繰り広げられた。しかし、多勢の前に和田方は次第に数を減らし、義盛とその息子たち以下、一族郎党はことごとく討ち取られて、乱は終息した。境川の河原にさらされた首級は二百にものぼった。


 その話を聞いて、公暁は湖のほとりにたたずみ、鎌倉に吹きすさんだ戦いの嵐に思いを馳せた。夏の陽光は明るさを増し、光の切片は見渡す限りみなもを銀の色に覆っていた。まばゆさに酔いながら、公暁はいくさに流れた血の赤さを思った。ひらめいた鋼の生々しい匂いを恋うた。


 いにしえの都で散華した大友皇子という魂との出会いは、公暁の中にかすかながらも明確な彩を与えた。それは孤独の翳りであり、そしてもう一つは、流血と死への目くるめくような憧憬であった。

(第一話・了)

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