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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第二章 実朝
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公暁と実朝(四)

「負い目は感じておりました」


 公暁は少々改まった口調で、実朝にそう言った。


「父と幸福に過ごした時も間違いなくございました。であるのに、生前の父の姿にも、亡くなられたあとの魂にも冷ややかな感情しか湧かぬことは、心苦しくなかったと申せば嘘でございます。

 ですが、ふとした折に気づいたのですよ。父もまた、わたくしにさほど情は持っていなかったのだと」


「公暁――」


 実朝はさすがに甥を諌めようとしたが、公暁は頑なに首を振った。


「鎌倉殿が何と申されましても、わたくしには分かります。やはり血のつながった父子にございますから」


 と反論したあとで、公暁は小さく笑い、それから袖を噛んで笑いを抑えた。父と子の血のつながりが教えるものが、互いの情愛の薄さとはあまりに皮肉である。その皮肉に、自分で可笑しくなったのだった。


「しかし、それに気づいた時には、正直に申せば安堵致しました。己の心が、父に優しき情を抱くことが出来ぬことは分かっておりました。それゆえ、もはや父を愛そうとして努める必要はないのだと、身が軽うなりました。親子の情と縁遠かったことは不幸ではございませぬ。ただ、情があると思い込んでいたのが不幸でございました」


 今度ばかりは実朝も、答える言葉がなかった。父、頼朝との関係についていえば、実朝にはそれ程不幸な記憶はなかった。しかしそれ以上に、公暁の目に映った頼家の姿と、自分が憶えている頼家の姿との間に見えた大きな差異に、戸惑ったためであった。


「明後日、御所で和歌会を開く。そなたも参るように」


 しばらく時を過ごしたのち、部屋を下がろうとした公暁に、実朝はそう声をかけた。


「歌は詠まずともよい。ただ、いつものようにうたた寝などせず、皆の詠むのを聞いておれ。何事も、始めは見聞きすることだ。そうして学べば歌は詠めるようになる。わたしは、そなたにもっと作歌に興味を持ってもらいたいのだ。歌について共に語らうことが出来れば、これ程心愉しいことはない」


 自らの孤独を誰よりも知りながら、孤独に心を蝕まれることに対してまるで無防備な甥の様子が、実朝には痛々しく思われたのだった。公暁は少し驚いたようにこちらに視線を向けたが、


「鎌倉殿の命であれば、従いましょう」


 小さな笑みを浮かべると、すぐにうべなった。その素直さが、自分に心を開いてくれているということなのか、それとも逆に無関心の現れであるのか、実朝には断ずることが出来なかったが。


      * * * * *


 それから数日後、実朝は近習らに命じ、御所の書庫を整理させた。

 男たちがせっせと書物を運び出して塵を払い、角をそろえて元に戻しているかたわらに、実朝と仲章が立って作業を見守っている。


「では、大納言は十人も任命されるのか」


 人々の動きを目で追いながら、実朝が低い声で訊いた。は、と仲章は大きく頷いた。


「九条兼実様が摂政を務められていた頃は、六人にまで減じられましたが、その後、上皇様の代になってまた十人に戻され、今に至っております――」


 大納言はそれ程門戸の狭い官職ではないから任命されるのではないかと仲章は続けたが、実朝は不満げな渋面であった。何か続けようとした仲章の口を手を上げて止めると


「太政官の中で、一名のみに任じられる官職は、何がある」


 と訊いた。

 太政大臣、左大臣と右大臣、そして内大臣があると仲章は答えた。ただし太政大臣については、これは功労者に対する名誉職といった位置づけであり、余程のことがない限り任命されないものである。そのため正規の官職の中で定員が一名となると、左右大臣と内大臣の三つということになる。


「なれるか」


 仲章はぎょっとして実朝の顔を仰いだ。彼は、実朝が欲しているのは大納言の職だとばかり思っていたのである。


「大臣に任じられるのは、摂関家とそれに順ずる清華家の家格と決まっておりますが……」


 仲章は困惑しながら答えたが、しかし過去に例外がないわけではない。武家でありながら太政大臣にのぼった、平清盛がそれであった。朝廷は、前例のないことには腰がひどく重い。しかし一つでも過去に例があると、道行(みちゆき)は意外に容易という性質がある。とはいえまだ何も見えぬ段階のことであり、仲章はうまく働きかければあるいは、と曖昧な返答をするにとどめた。


 実朝が無言で頷くと、仲章はその場を離れ、近習に混じって書物をあちこちと動かし始めた。先程から書庫中に舞っていたほこりにいい加減息苦しさを覚えた実朝は、部屋を出て廊下で風を吸った。書庫の薄暗さに慣れた目が、陽に痛んだ。


「まあ。一体何事でございますの」


 騒ぎを見とがめて信子が廊下を渡って来た。


「探し物がてら、書物の整理だ。『懐風藻(かいふうそう)』の写本があったはずなのだが。そなた、見た覚えはないか」


「さあ……。わたくしは見ておりませんわ」


「公暁に渡してやろうと思うてな」


 「懐風藻」とは、日本最古の漢詩集で、成立は天平勝宝三年(七五一)、天智天皇の孫にあたる淡海三船(おうみのみふね)が編纂したと伝えられる。この冒頭に、大友皇子の短い伝記と、皇子自作の漢詩が二編収められているのを、実朝は思い出したのだった。大友皇子とはいうまでもなく、天智天皇の嫡男であり、公暁が近江の皇子と呼んで心を寄せている人物である。


 近江朝の痕跡が全て消えた今、二つの詩は、大友皇子の存在を今に伝える唯一のものであった。公暁がそこに何かを感じてくれれば、作歌に向かう後押しになるかもしれぬと実朝は思ったのである。信子は目を細めた。


「それは、よろしきお心遣いにございますね」


「よろしいかどうか。漢詩は少々難し過ぎるかもしれぬ」


 そこへ、仲章が衣の塵を払いながら書庫から出て来た。


「どうも、見当たりませぬな。どなたかの屋敷に預けてある中にまじっておるのではございませぬか」


 増え過ぎて御所の書庫に収まり切らなくなった書物や裁判記録、手紙といった文書の中には、重臣らの敷地に文庫を建てさせ、預けてあるものも多々ある。仲章は、皆様に文庫を探索していただきましょうと言い置いて、廊下を下がった。


 しかし結局、「懐風藻」は公暁の手に渡ることはなかった。翌月十一日、まだ文庫の探索が終わらぬうちに公暁が御所に参上して来た。そして唐突に、上宮への参篭を許して欲しいと実朝に申し出た。


「千日の参篭を行いたいのです。なにとぞお許しを」


 公暁が近江から戻ってからまだ三月足らずであった。急な話に実朝は驚いたものの、かねてよりの宿願成就のためと重ねて乞われては、許さないわけにはいかなかった。


「ありがとうございます。鎌倉殿にはなにとぞ、お体を大事になさって下さいませ」


 公暁は深く頭を下げると、力強く背を向け、実朝の前から立ち去った。これが、いわば二人の今生の別れとなった。


 懐風藻がようやく見つかって実朝の手元に届けられたのは、それから十日ばかりあとのことだった。

 実朝は紙を繰ってみた。大友皇子の残した詩は、それぞれ「待宴」、「述懐」と題されていた。「待宴」は帝の威光を称えたもので、父帝、天智天皇の即位の酒宴で献じたと伝わっている。


 もう一つの「述懐」は、皇子が太政大臣に任じられた際に詠んだとされ、自らの未熟さを謙遜した詩だと聞いたことがある。実朝は「述懐」の方が、音の響きが美しく、良いと思った。


 ――道徳、天訓(てんくん)をうけ

   塩梅(えんばい)真宰(しんさい)に寄す

   ()づらくは、監撫(かんぶ)の術なきことを

   いずくんぞ、よく四海に臨まん


『まあ、わたしから書物なぞ貰っても喜ぶまい』


 何の意味もなくなった書物を実朝は部屋の隅に無造作に寄せ、そしてじきに忘れた。

 実朝は最後まで、公暁という若者を理解し得なかった。政子は公暁をどこまでも北条政子の孫としてしか見ようとしなかったが、実朝は、兄、源頼家の息子としてしか、公暁を見なかった。もっといえば、頼家との幸福な思い出の残像として公暁を捉えたに過ぎなかった。公暁の孤独は察しても、その向こうに重く巣食った心の闇に、実朝はついに気づくことはなかった。そして公暁が自分に向けていた情愛も、実朝は永遠に知ることはなかった。

(第六話・了)

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