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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第二章 実朝
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公暁と実朝(二)

 義時はこの人事には不満であった。仲章は将軍職に就いた直後から実朝の侍読(教育係)と近習を務めているが、朝廷の官吏でもある。事実、そうした立場を利用して、京と鎌倉を行き来し意思疎通の役割を担っていた。朝廷との橋渡しは無論大事だが、しかし義時には、仲章は朝廷と鎌倉、どちらに忠心を持っているのか分からないという不信がある。朝廷の意を受けているかもしれない者が政所の中核に座ることに、彼は危うさを覚えていた。そして実はその不安は的中している。


 しかし、そうした政治的な懸念よりも、義時の心身を直接的に騒がせているのはもっと生臭い不満だった。彼は執権であり、政所に加え、御家人を統べる侍所の別当も兼任している。政の中核にいるのは紛れもなく義時であるのに、立場上は朝廷の紐付きの仲章が上席というのは、どうにも腹に据えかねるものがあった。


 次席に任じられてからの仲章は義時の頭越しに実朝に進言することが増えたように義時には感じられてならなかった。しかし仲章は実朝の近習であるから、そばに侍ることが多いのは以前からである。また、先日、後鳥羽上皇がおこり病(マラリヤの一種)を発して経過がかんばしくないとの使いが京から届いており、仲章が実朝の部屋を頻繁に出入りしているのは、上皇への見舞いについて話し合っているためであることは、義時も認識しているのである。しかし、仲章や実朝、朝廷に対する苛立ちが、彼の目をゆがませていた。


 義時は肩越しに後ろを振り返った。仲章が実朝の部屋に消えて行くのが映った。この廊下の先には実朝の私室があるきりなので、実朝を訪うたことは見なくても分かる。だがそんなことをわざわざ自分の目で確認しなければ気がすまないほど、義時の中には、ある偏執的なものが生まれている。


      * * * * *


 八月、御所では庚申の夜明かしが行われた。庚申の日に眠ると体内から三尸(さんし)の虫が抜け出して天帝に日頃の悪行を注進し、寿命が縮むとされている。御所では夜通し和歌会が催されるのが恒例で、政子に命じられて、公暁も顔を出していた。といっても、今宵も例によって政子のかたわらにつくねんと控えているのみである。


 園城寺の師、公胤(こういん)は新古今和歌集に一首が入集される程の歌の巧みであったが、公暁は歌については師から何一つが学んでいなかった。以前にそこを尋ねると、公暁は、師も始めこそ作歌の伝授を試みたが、弟子の資質のなさに匙を投げたのだと涼しい顔で答え、柿本人麻呂が東征将軍ではなく歌詠みだというのが師から教わった全てだと語って、実朝をあきれさせた。


 しかし、公暁が御所を訪うた際に二人で庭の景色を眺めるともなく眺めて過ごしていると、実朝はほんのたまさか、公暁の言葉の端に、景物に対するみずみずしい目を感じることがあった。このように荒々しい性格では腰を落ち着けて作歌を学ぶのも骨であろうが、この若者の心からどのような歌の世界が広がるのか、実朝には密かに興味がある。公暁が公胤から歌を学ばなかったことが、実朝は内心残念であった。


 夏の暑さにも翳りが見え始め、陽が落ちると夜風が快かった。月も涼しさを取り戻しつつあり、いきおい、歌の題は月や晩夏といったものに集まった。そうして順ぐりに歌を詠んで一刻ばかりも経った時、


「あれ、公暁――」


 広間のひと隅から頓狂な声がした。驚いて皆が振り返ると、政子がかたわらに座った公暁に取りすがるようにして揺さぶっている。急な病かと人々は色めき立ったが、眠ってはなりませぬ、という政子の声に、一瞬広間に走った緊張はたちまち笑いの中に崩れた。


「寿命が縮んだらどうするのです。虫が出ぬための和歌会であるというのに。そこで寝ては何にもならぬではないですか」


 狼狽気味に耳元で言い立てる政子の声と、周囲に沸きあがった笑い声で公暁はようやく目を開いたが、まだ半ば寝ぼけているらしく、状況を呑み込めていない様子であった。


「別当殿、虫は抜けておりませぬか」


 誰かがおかしそうに言った。公暁はようやく目が覚めたと見え、虫か、とつぶやきながら衣の隙間から手を差し入れ、腹をもぞもぞと探った。


「ああ、まだおりました。大事ございませぬ」


 すました顔で答えると、広間にはまた、笑い声がどっと沸いた。

 その後も、皆は面白がって歌の合間にちょくちょく公暁に声をかけ、覚醒をうながした。公暁はそのたびに大真面目に腹の中にいる三尸の虫の様子を報告し、笑いを誘った。何だか普段の夜明かしとは少々毛色の違った、滑稽な和歌会となった。


 そんな公暁の様子を見て、実朝はやはり公暁は兄の子だとつくづく思うのだった。あまりよく憶えているわけではないが、頼家の周りにもよく笑い声の輪が出来た。ちょうど和歌会の時の公暁のように、つまらぬ戯言も頼家が言うと、笑わずにはいられない、何ともいえないおかしみがあるのである。それはやはり、人となりの明るさゆえであったのだろうと実朝は思う。実朝にとっても、不安と鬱屈が覆う彼の人生の中で、兄と相撲を取り、木剣で斬り合いの真似をして遊んだわずかな時は、そこだけ違う人生を生きていたかのように、翳りを持たない明るさを持って思い起こされた。


 しかし、公暁と頼家が似ているという実朝の見方を、政子は好まなかった。後日、ふとした折にこのことを話に上したところ、政子は手で払いのけるような口調で、言下に否定した。


「まあでも、目元の辺りは確かに似ておるようですね。血は争えませぬゆえ」


 声色の鋭さに自分で気まずさを感じたのか、政子は無理に追従してみせたが、実朝に言わせれば面立ちこそ似ていなかった。頼家は父の頼朝に似て、額や頬骨が張った骨太い作りをしている。一方公暁の方は、これは顎や鼻梁の流れるような線や、唇の豊かなふくらみが目に残る面立ちであった。


 では美丈夫かというと、そう呼ぶには切れ長の目が鋭過ぎた。繊細な顔立ちをしているにもかかわらず、時に頼家や頼朝よりも強い猛々しさを感じるのは、今にも糸が切れそうに鋭い、その両目の印象なのであろう。


「公暁は僧侶なのですから」


 しばらく黙ったあと、政子がぽつりと言った。


「金吾(頼家のこと)と同じ心ばえでは困るのですよ」


 政子とてめくらではないから、公暁と頼家の共通点に全く気づいていないわけではなかった。ただ、実朝は頼家の人となりを明るさと捉えていたのに対し、政子は、傲岸不遜と捉えている点が、異なっていた。


 頼家はまさにその性格が災いして重臣との間に確執を生み、修善寺で死ななければならなかった。せっかく手元に呼び戻した公暁が頼家と同じ性質を持っていると言われては、政子にしてみれば不吉でならないのである。


 政子の様子から、実朝は敏感に政子の胸の内を察した。母の感情を気遣って、このことはもう言わぬ方がよかろうと決めた。しかし同時に気がついたこともある。政子にとって公暁とは、北条政子の孫ではあっても、源頼家の息子ではないのかもしれなかった。その感覚は実朝には理解しがたかった。ただ、やはりそれは健全な愛情ではないように思われてならなかった。


      * * * * *


 季節は秋に移り、実朝は相模の城ヶ島にでかけた。

 折りしも旧暦九月十三日、中秋の名月が近づいており、それに合わせて島で月見をしようというのだった。城ヶ島は三浦半島南端の沖合いに、陸地をちぎったように浮かんでいる島である。由比ヶ浜から船を出し、海岸沿いに南下して行けばそのまま三浦半島を経て城ヶ島に至る。内海であるから、波も穏やかで、のどかな船旅が楽しめた。


 発案は、この三浦の一帯に本領を持つ、三浦義村である。和田合戦の一番の功労者といってよい義村であったが、しかし彼はその後の幕政において思ったほどの影響力を得ていなかった。今回の招待は、乳母子である公暁の帰国と関係がないわけではない。公暁が八幡宮別当という重職に納まったことは、三浦一族にも追い風になると見ている。そんな中での接待であるから、実朝や信子、義時を始め、主だった重臣ら全てを招いての、なかなか大がかりなものであった。


 島に着き、一行は島の北側の浜に設けられた旅亭に入った。島は北側が三浦半島に面し、南側が外海に面している。北岸は波も風も穏やかで、なだらかな砂浜に浦里が点在しているが、南側は激しい海風と波に洗われるため、切り立った岩礁が連なるという、二つの景色を持っていた。


 旅亭の目の前には水を流したように砂浜が伸び、沖合いのおちこちには、緑濃い松をいただいた奇岩が点在していた。白浜青松と呼ぶにふさわしい景勝を眺めながら、政子はいつになく華やいだ様子だった。生前、頼朝はこの島の風景を愛し、政子を連れてしばしば島に遊んだ。それまで尉ヶ嶋と呼ばれていた島の名を、城ヶ島と改めたのも頼朝であった。


 政子はしきりと南岸の方へ足を伸ばしたがった。吹き倒されそうになりながら頼朝と一緒に眺めた、荒々しい岩礁の景色が懐かしいのだという。


「およしになられた方がよいでしょう」


 義時が止めた。


肉置(ししお)きが豊かであったあの頃とは違い、姉上も今はずいぶんと軽くなっておられる。風にさらわれても助けられませぬゆえ」


 旅情ののどかさに気が緩んだのか、義時は珍しくそのような軽口を叩いた。政子は目をきっと見開くや、手を伸ばして弟の尻を思い切りつねった。

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