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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第二章 実朝
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草薙の剣(三)

 二、三日ののち、広元は実朝に呼ばれた。参上すると、実朝は外出の仕度をしていた。


「おもてで話そう」


 手短にそれだけ言うと、するりと廊下へ出た。これから広元との間に交わされる話を、実朝は誰にも聞かれたくなかったのである。広元と、二人の供回りを従え、彼は御所を出た。


 八幡宮の前には常と変わらぬ景色が、昼下がりの陽光に守られて横たわっていた。紙細工のような鋭い角を見せる堅牢な土塀に導かれて、若宮大路は海へ向かって太く、長く伸びている。実朝は大路に入った。背後から不規則な足音がついて来る。この参道は公の参拝がない限り誰も歩くことはない。聞かれたくない話をするならば、人払いをして私室を閉め切るよりも、よほど安心なのだった。


 初夏の陽が道のおもてをくまなく覆っていた。足元の土は硬く乾き、そして陽の光を吸ってたいそう白い。その一方、両脇に連なる土塀や、その外側に茂る木々の下には、挑むように影が濃かった。この大路は、三年前の合戦では最も陰惨な戦場になった。だが今、光と影とが明快に塗り分けられた大路の姿は、いかにも健全だった。路を通して、遥か遠くに海風の音が聞こえた。


「広元、父上は、この地の神であったのだな」


 大路を二の鳥居まで下ったところで、実朝はようやく口を開いた。は、と広元は簡潔に応えた。


「では、神の子として生まれた実朝は、東の神か。――どうだ」


 これまで鎌倉殿の問いには全て打てば響くように答えて来た老臣が初めて言いよどむのを、実朝は敏感に背で感じ取った。広元のかすかな狼狽が伝わった。


 頼朝は東の神だった。それはまぎれもない。では、実朝は、果たして神であろうか。答えは、否である。神性のごときものは確かに実朝の身にも宿っている。祖霊を祀り、八幡宮で神事を行う唯一の祭司という実朝の役割が、それを示している。そして、畠山重忠、北条時政、そして和田一族、幕府による粛清は常に、実朝への不忠の名の下に行われた。その事実も実朝の神性を示している。


 しかし、神ではない。それは、母や重臣らによって惨殺された兄の最期が暗示していた。


 先日の夜、広元が濡れ縁で語ったではないか。東の民は、朝廷と、朝廷が頂く神への拭い切れぬ恐れを抱いていると。アマテラスを後ろ楯を持つ東の神であれば、誰であろうと頼家の命を奪うことを恐れるはずなのだった。兄は神ではない。ならば実朝もまた、神ではあるまい――。


「そうであろう」


 広元は答えなかった。広元よ、実朝は肩越しに振り返り、再び呼びかけた。口元に、ちらりと自嘲の笑みが漂った。


「佐殿が望まれたのは。

 ――望まれたのは、頼家様が武門の棟梁ではなく、御自身のように、神として東を治めることでございました」


 実朝の視線に促されて、ようやく広元は重い口を開いた。


 全てを万端に準備した上で、頼家には家督を譲りたい、生前頼朝はしばしばそのように語っていたと、広元はとつとつと語り始めた。頼朝が青写真として描いていたのは、統治と執政の仕組みを整え、そこに棟梁を象嵌のように嵌め込む、そうした後継の形であったという。


 幕府の機能を完成させるべく、頼朝はさまざまに腐心した。異分子の粛清を繰り返したのもその一環であったし、同時に、頼家を東の神の後継者として人々に印象付けることにも、頼朝は心を砕いた。


 その一つが、頼家が十二の年に富士の裾野で行われた巻狩りである。もともと狩りには、軍事訓練の他、山の神に棟梁としての資質を問うという、卜占にも似た意味合いがある。頼朝はその機会を最大限に利用した。伴った人数、日数共に類を見ない規模で行ったのもそうであるし、大勢の御家人が見守る中、頼家が見事な獲物をしとめるように演出もした。

「仕込んだのではございませぬよ。ただ、勢子(獲物を追い立てる役)には手だれを用い、ずいぶんと褒美もはずんだようでございます」


 ふとその時の頼朝を思い出したのか、広元の声がほころんだ。


 巻狩りの一件だけではない、大姫の入内も無関係ではなかっただろう。建久六年(一一九五)、頼朝は頼家と、長女の大姫を伴って上洛し、朝廷で麗々しく頼家の披露を行った。その機会に、頼朝は一方で大姫を後鳥羽帝の妃として入内させるべく、根回しを進めていたのである。二年後に大姫が病没したため入内は実現しなかったものの、もしも実現していれば、頼家は帝の義兄となるはずであった。


 血を分けた子に、自分が築き上げたものを継がせたい、それは統治者ならば誰でも望むものである。しかし実朝は、父が、将軍ではなく棟梁ではなく、あくまで神の後継者を望んだのが、少し解せない思いがした。


「恐れ多きことなれど、佐殿は帝の姿を描いていたのでございます」


 しばし苦い表情を浮かべたあと、広元は渋く答えた。朝廷に権力闘争が起ころうとも、頂点に帝が君臨するという構造は揺らぐことがない。まさに同じように、全てをお膳立てした統治の仕組みの上に、源氏の血筋が絶対者として鎮座し続ける、そのような鎌倉の形を、頼朝は考えていた。若年の頃に辛酸を舐め尽くし、そこから日の本の王に駆け上がった彼であればこそ、子には平穏な人生を与えたかったのであろうか。


 しかし、描いていた夢が実現されぬままに、頼朝は病没した。そして頼朝を失って初めて、広元は東の統治がいかに道半ばであったかを思い知ることになった。


「わたくしは、東の平定は八割がたは完成していたと踏んでおりました。しかしそれは全て、あくまでも佐殿という巨木あってのことでございました。事実、亡くなられていくらも経たぬうちに、相模や常陸、甲斐の豪族らの間に、不穏な動きが見え始めていたのでございます」


 広元が口にした国は、生前に頼朝が粛清の刃を振るった土地である。このままでは鎌倉は瓦解しかねない。それは、長年かけて頼朝と共に統治の仕組みを作り上げて来た広元には、耐え難いことだった。


「わたくしが思い当たったのが、秦始皇のことでございました」


 少しの間黙ったあと、広元は静かに言葉を接いだ。秦始皇とは秦の始皇帝である。歴史上初めて中国全土を平定したこの英雄は、平原津を巡遊中に病没した。しかし国の混乱を恐れた側近の李斯(りし)は、皇帝の馬車に死体と共に乗り込み、皇帝に変わって命を出しながら、ふた月もの間巡遊を続けたという逸話がある。


 無論、頼朝の死は既に周知であるから、死を隠すためではない。隠さねばならないのは、英雄の死によって人々の中に精神的な空隙が生じたという事実であった。李斯が秦始皇を演じたように、死んだ頼朝を演じ、それによって空隙を埋めることを広元は考えた。


 本来、李斯の役は当然、頼家が務めるべきであった。しかし、はたちにも満たぬ頼家一人に任せるには、荷が重過ぎる。そこで整えられたのが、重臣による合議制である。執政は経験の豊かなおとなが取り仕切る。これは鎌倉の肉体である。一方で、貴種たる頼家の務めは鎌倉の魂の部分を担うことである。臣下の上に神として座し、精神的な支柱となる。いうなれば、皆で頼朝の皮をかぶり、死せる神の演者となるというのが、広元の案だった。


 そういうことか、と実朝はつぶやいた。今広元が明かした将軍の性質は、確かに実朝が務めて来た役割と合致する。ということは、広元は頼家にも、実朝と同じ役割を求めたことになる。しかし、血気盛んであった兄が、実朝のような役割に甘んじることが出来たとは思えなかった。実朝の指摘に広元は、それゆえに、あのような悲劇になったのだと声を落とした。


「言葉を尽くしたものの、頼家様には納得なされませんでした。ご不満が高じた結果、気に入りの近習のみをそばに置いて我ら重臣の目通りも拒まれるようになり、それが、やがて頼家様を間に置いて御所が二分されるという事態を招いたのでございます。

 今となってはあの方のご不満も理解出来ます。父君のような棟梁となるべく精進して参ったのに、それが許されぬと言われたのでございますから。しかしあの時は、あの方の胸中に思いが及びませなんだ。

 広元が思うたのは、御所の屋台骨が二つに折れては全てが水の泡ということ。あれより他に手立てはございませんでした」


「そして、わたしが兄上の後継となった。幼い上に病弱であったわたしの方が、つまりは将軍の資質であったのだな」


 自らの存在の矛盾は、三代将軍に就いた時から察していた。しかしあらためて、実朝は人生の皮肉を思わずにはいられなかった。政治の機能を整え、その上に棟梁を象嵌のように嵌め込むという、生前頼朝が描いた鎌倉の形は、実朝の代で確かに実現した。だが、このような、神の皮を被った物言わぬ統治者の姿は、父が兄に望んだものとは程遠いに違いなかった。


 広元もそこは自覚しているであろう。合議制を始めとする幕府運営の仕組みを模索した時、頼朝が生前に語った青写真が彼の中になかったわけがない。だがそれを言わず、李斯のことしか口にしようとしないのは、頼朝に対する後ろ暗さの現れであろうか。


「尋ねてよいか。兄上の命を奪うことを決めたのは誰だ」


「それは、重臣の総意でございました」


「そのようなことを訊いたのではない。あれ程の大事だ。最後に断を下した者がおるだろう」


 当時の執権は、政子の父にあたる時政である。だが、実朝は直感的に、時政や、広元の決定ではなかったように思われた。


「広元。それは、母上ではなかったのか」


 ひとけのない空間に、実朝の声は墨を一滴落としたように、明瞭に響いた。のどかに注いでいた陽光が、急に重く澱んだ。静けさの中に、濁った沈黙が一筋流れている。ややあって、背後で広元が低く肯んじた。

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