和田合戦(六)
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小町大路では和田義直が撤退をはかっていた。押し返せ、義直は声を枯らして兵を叱咤したが、敵の勢いを止めることは出来ず、逆に由比ヶ浜から軍勢はじょじょに押し遠ざけられるようだった。
義直は敵を蹴散らしつつ大路の奥深くまで入り込み、御所まであと数町というところまで軍を進めることに成功していた。だが、幕府方の勢いが圧倒的にまさった今は、それが仇となった。若宮大路のように土塀で囲まれていない小町大路では、敵はまさに四方八方から押し寄せ、矢を雨のように射掛けて来る。軍勢は既に幾つもに分断されて散り散りになり、義直は十数人の郎党と共に、敵中に孤立しつつあった。
肩口に矢が降った。咄嗟に袖を揺すり上げて防いだが、矢じりが肉を裂いた。
「おのれ」
弓を構えたところへ再び矢が降った。義直はあぶみを蹴って横跳びに飛びのき、しかし瞬間、がくりとよろめいた。馬が地面の血だまりに足を取られたのである。手綱をさばく間もなく馬体は大きく傾き、義直は馬もろとも泥の中に倒れ込んだ。矢が降り注いだ。義直の腿に矢が突き立った。駆け寄って、馬の下敷きになった義直の足を引きずり出そうとしていた郎党が背を射抜かれてその場に崩れた。
敵が押し寄せた。郎党が次々に倒れる中、義直は太刀を抜いた。血とこね合わされた泥が体の下に重くべたついた。地面に這いつくばったまま、腕の力だけで振り下ろされた薙刀の柄を切り落とした。腿の後ろに刃が入った。義直は向き直り、体を投げ出しながら敵の腿を薙いだ。倒れ込んだ顔の上にざあっと血が降った。目を血でふさがれた瞬間、四方から繰り出された薙刀が義直の体を突き上げた。
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愛息の討ち死にを知らされた義盛は、天を仰いだ。
「命あるものが死ぬるは世の道理じゃ」
低いながらも明瞭な声で義盛はそうつぶやいた。が、これが和田一族の長としての威厳を保ち得た、彼の最後の姿であった。突如、咆哮とも絶叫ともつかぬ声が、折れ烏帽子の乗った頭から洩れた。
「だが親より先に子が死ぬという道理があるか。何故わしが討ち死にするまで待たなんだ」
折れるばかりに喉を反らせ、義盛は血のほとばしるような声を上げた。天へ向かって大きく見開かれた目から、音を立てて涙が流れ落ちた。やおら、義盛は馬の鞍を引っつかんでよじ登った。周りの者の制止を振り切って鞭を上げ、陣を飛び出した。
戦う意志も生きる気力も失い、ただあてもなく戦場をさ迷ううち、義盛は敵の只中に入り込んでいた。
「お主らは誰の郎党か」
遠くに鎧武者の姿を認めた義盛は、太刀を手に駆け寄って来た敵兵に向かって訊いた。頬がやつれ切り、目ばかり異様に光らせた老将の姿にたじろぎながら、兵士は、武蔵国の御家人、江戸能範の配下であると言った。左様か、義盛は頷いた。
「我は和田一族の棟梁、和田左衛門尉義盛である。誰でもこの首を取って手柄とせよ」
大声で名乗りを上げた。和田義盛、兵士の間に驚愕が走った。あっと驚いた時には既に黒い影が敵兵の頭上を跳び越え、義盛は馬を駆っていた。叫び声とともに矢が飛んだ。肩に、背に足に次々と矢を突き立てながら、義盛は馬上の江戸能範めがけて突進した。
能範は慌ててえびらを探り弓を引いた。義盛はしかし避けようともしなかった。矢は胸板に深く突き通り、鞍上で体が揺れたと思うと、義盛の体はそのまま真っ逆さまに落下した。
「左衛門尉殿」
馬から飛び降り、能範は倒れた義盛に駆け寄った。義盛の体は背中一面に刺さった矢に支えられて、半ば宙に浮いたような形で、仰向けに横たわっていた。義盛の目が動き、水はあるかと訊いた。能範は竹筒を外し口に水を注いだ。義盛は喉を動かし飲み下した。
「美味かった。首取れ」
それだけ言うと、老将は目を閉じた。
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義盛の討ち死で、戦いの行方は完全に決した。軍勢は統制を失い、おちこちに放埓に散らばっては、乱戦の中で屍と化した。和田勢も幕府軍も見分けがつかなかった。ただ人が無秩序に入り乱れ、無機的に刃が交わり、無言で血が流れた。押し寄せる大軍の中で、もはや和田勢は水に没しようとする小舟にも似ていた。
何とか兵力を残していた者は、手勢を集め、今や戦いよりも殺し合いの様相を帯び始めた戦場から脱出を試みた。甘縄から前浜の付近で戦いを続けていた常盛、朝盛は、横山時兼らと共にあらん限りの矢を射尽くすと、雨のように降り注ぐ矢を全身に浴びながら海道を小田原の方へ逃れた。時兼と常盛はその後甲斐の大菩薩峠で追っ手に囲まれ自害したが、朝盛は郎党を身代わりにしてその場を逃れた。そしてこれより八年後、幕府と朝廷が戦った承久の乱で、彼は突如京に姿を現し、宮方の武将として幕府軍と戦うという、数奇な運命をたどる。
由比ヶ浜へ退いていた朝比奈義秀は味方と共に敵中を力づくで突破し、船で逃れた。所領の安房国へ向かい、しかしその後の行方は不明である。幕府側が作った戦死者の名簿には確かに彼の名があるが、自害とも討ち死にとも分からず、先の常盛のように死んだ場所の記載もなく、根拠に乏しい。逃れて高麗へ渡ったとの話もあるが伝説の域を出ない。恐らくつてを頼って遠国まで落ち延び、そこでひっそりと隠棲したというのが、この和田合戦の英雄の余生であったと思われる。
和田一族の中で命を拾ったのは、ほとんどこの二人だけであった。
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逃れる者が逃れ、討たれる者が討たれ、闇の訪れと共に二日に渡った戦いは終わりを迎えたが、あとに残された光景は酸鼻と呼ぶにふさわしかった。主な戦場になった各大路はもちろんのこと、細い脇道から草叢、叢林、田畑の中に至るまで、和田勢と幕府軍双方の死体が落花のように散らばり、死体のない場所などない有様であった。義時は命じて由比ヶ浜の砂浜に死体をかき集めさせた。篝火の炎が、積み上げられた死者の体を赤く彩った。
やがて境川の河原に首が晒された。鎌倉で討ち死にした者、追手に討たれた者、和田方の首級は合わせて二三四にも上ったといわれる。しかしこれは兜首だけの数であって、郎党、下人までも含めると、二日の戦でどのくらいの者が命を落としたのか、数えるすべすらなかった。風が吹き雨が注いでも消えずに漂い続ける血の匂いだけが、死者の数を人々の心にぼんやりと伝えた。
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陸奥に流罪となっていた和田胤長を処刑させた旨を伝え、義時が部屋を下がって行った。義時の背を見送ったあと、実朝は部屋の隅から文箱を取り上げた。金蒔絵で一面に経文がほどこされたふたを開け、中に入っていた巻紙を文机に広げた。
義盛の死により空になった侍所別当の職は、政所別当の義時がこれを兼任することが既に決まっていた。これで幕政の権限は執権が一手にこれを掌握することになる。有力の者を滅ぼし、為政者ひとりが力を掌握する、合戦の前夜実朝が信子に語ったとおりに、国の安定のために理想的な形が実現したのだった。
実朝は筆を置き、紙をもとどおりに巻いた。和田胤長、紙の端に黒く書き加えられた名が、まるで経帷子に包まれるように、白い紙の下に隠れた。これは死者の名簿なのだった。和田義直、義重、胤長が謀反の疑いで捕らえられてからこんにちまでに起こった、一連の事件、合戦で命を落とした和田一族の者の名が全て書き連ねてあるのである。新たに名が加わった名簿を文箱に納め、実朝は無言でふたを閉じた。
(第三話・了)




