和田合戦(三)
数日前の夜、義秀のもとを高井重茂が急に訪れたのだった。人払いを願うと重茂は、自分は一族から離反し御所へ就くつもりであることを打ち明けた。驚き、説き伏せようとする義秀を重茂は押しとどめた。
「これはお主と刃を交わすためでもあるのだ。これを逃せばわしらが戦う機会は二度とないかもしれぬ」
「む……」
「わしは大恩ある将軍家のために力を尽くして戦う。お主は一族のために力を尽くす。互いにやましさも後ろ暗さもなく戦うことができるではないか。どうだ、いずれが東国無双のもののふか、雌雄を決してみたくはないか」
言い返そうとして義秀は言葉に詰まった。自らの膂力や弓馬の技は東国に並ぶ者はないという自負が彼にはある。しかし一方では、重茂の武技の鋭さ、戦いでの豪胆さは義秀も密かに認めるところであった。弓術や相撲では二人の腕は五分といってよい。だが、合戦という桧舞台に立った時に、はたして勝っているのはどちらであろうか。それは義秀も常々思っていたことだった。自らが認めた相手であるからこそ、命がけで戦ってみたいというのは、これはもののふの性かもしれなかった。
「よかろう」
しばらく黙ったのち、義秀は口を開いた。
「わしは恐らくは南面の総門を任されることになる。南庭で相まみえることとしよう」
* * * * *
やがて援軍が次々と合流し、御所を囲む和田勢の勢いは、いや増しに増した。湧き上がる怒号は嵐となり、地面に並べられた篝火の炎をはらんで洪水のように御所へ押し寄せ、呑み込もうとする。血と炎のたぎりが極点に達した時、義秀の兵が総門を破った。
「火を放て」
なだれ込んで行く黒い濁流の中央で義秀が叫んだ。兵士がばらばらと進み出た。暮色が覆い始めた空に流星のような赤い尾を引いて火矢が次々と弧を描いた。いっときの沈黙のあと、おちこちの屋根がぱっと炎を上げた。
御所の前庭に赤々とした火の色が流れ落ちて来た。頭上が炎に照らされるその分、足元にはどす黒い影がたまった。炎が作る影は泥のように濃く、重い。燃え盛る火の下で赤と黒の陰影が激しくうごめいた。影の中に時折、薙刀の刃が水しぶきのように躍り上がった。義秀は馬上から弓を引き絞った。弦が鳴ったと思うと、敵将の一人が額に矢を受け鞍から転げ落ちた。中へ行け、鎌倉殿を探せ、二の矢、三の矢と放ちながら義秀は怒声を上げた。
「殿、あれを」
かたわらの郎党が大声を上げた。火の粉の降る下を、郎党を従え一人の武者がこちらへ馬を駆って来る。乱れる火が白糸威の大鎧に映っては流れ、炎をまとっているように見える。高井重茂であった。義秀は弓を捨て太刀を抜いた。応えて、重茂も太刀を白く抜き放った。
一瞬のにらみ合いのあと、義秀と重茂は馬を駆った。同時に手綱を絞り、二頭の馬は鋭いいななきを上げて仁王立ちになり、胸をぶつけて組み合った。
* * * * *
義秀と重茂が対峙していた頃、北門では常盛と朝盛が門扉を破っていた。警備兵と和田勢の太刀、薙刀が入り乱れ、もみ合う中、朝盛は馬で敵兵も味方の兵も蹴散らしながら必死に御所をめざした。殺し合いと血の興奮は、いつしか兵士を暴徒に変えつつあった。事実、和田勢の一部は敵には目もくれず、金目の物を略奪しようとあちこちへ乱入している。和田勢にとっては、今は実朝を捕らえることが目下の目的である。しかしこの混乱と興奮の中では、実朝は捕らえられるどころかその場で殺されかねなかった。
「殿、朝盛にございます」
駆け込んで朝盛は声を限りに呼ばわった。兵たちの怒鳴り交わす声や建具が破壊される音、刃の打ち合う音が満ちていながら、御所は何か腹の底が冷えるような静けさをたたえている。朝盛は実朝の私室へと廊下を駆けた。鎌倉殿、再び叫んだ時、視界の隅に鮮やかな色がかすめた。何事か考える間もなく朝盛は咄嗟にその影を腕に捕らえ、そして勢いあまってもつれ合いながら床に転がった。体の下にかすれた悲鳴がして、初めて朝盛は、それが実朝の側仕えをしていた女官の一人と気づいた。
「落ち着け、三郎朝盛だ」
何かの事情で逃げ遅れたらしいその女官は、打ち伏したまま恐怖で気を失いかけていた。朝盛は女を抱え上げて揺さぶり、落ち着かせようと自分の名を告げた。
「案ずるな、そなたを害しはせぬ。鎌倉殿はいずこへ」
大声で尋ねた。朝盛と分かって女官は幾分落ち着きを取り戻し、少し前に法華堂の方へお移りになられました、とか細い声で言った。法華堂は頼朝の墓所で、御所の背後にそびえる山中に建てられている。やはり遅かったか、と朝盛は歯噛みしたが、一方で実朝の身に何事もなかったことには、安堵を覚えずにはいられなかった。早口に命乞いする女官の腕をつかんで立たせ、大声で郎党を呼んだ。八幡宮へ避難させるようにと命じ、女官を預けた。
* * * * *
南庭では馬を駆っての戦いが続いていた。二人の武者は手綱をさばき互いに相手の馬を倒そうと試みる。馬はたてがみを振り立てて、相手に組みつきのしかかり、時には長い首に歯を立て、激しくもみ合った。興奮した口から火のような息と共に泡が飛び散った。この国では近代になるまで馬を去勢する習慣がなかった。そのため、家畜とはいえその気性はほとんど猛獣であり、戦場での役割も、移動手段よりは戦車に近いのである。
重茂が再び馬体をぶつけた。義秀は手綱を引き、馬を御した。馬は大きくよろめきながらも後足を踏ん張ってこらえ、義秀があぶみを蹴るのに応えて猛然と反撃に転じた。体をしならせてひと飛びに襲い掛かり、相手の喉にまともに食らいついた。二つの馬体はもつれ合って荒れ狂い、鞍上では二本の太刀が激しく打ち合った。義秀と重茂が互いの袖を捕らえた時、苦痛に耐えかねた重茂の馬が、肉がちぎれそうな勢いで躍り上がった。二人は同時に鞍から跳ね上げられ、もんどりうって地面に転がった。
義秀はすぐさま太刀を拾って跳ね起き、重茂に斬りかかった。薄闇を裂いて太刀が乱打するかたわらでは、双方の郎党、下人が駆け寄り、争っている馬を引き離しにかかった。炎が風を巻き上げ、柱が一直線に裂けた。火の粉が二人の頭上にどっと降り注ぎ、交差して白いものが飛んだ。紅蓮の吹雪の中、重茂の太刀が真二つに折れたのである。
重茂は太刀を捨て、短刀を抜いた。それを見た義秀もまた太刀を捨て、徒手のまま重茂の懐に飛び込んだ。短刀を握った手首を捕らえ、渾身の力でねじり上げた。
義秀は海に潜って大きな鮫を引きずり上げたという逸話を持つ程の、怪力の持ち主である。重茂の顔がゆがみ唇から見る間に血の気が引いた。重茂は歯を食いしばって兜の前立てを義秀の顔めがけて思い切り打ちつけた。口から血の飛沫が飛び、しかし義秀は手首をしかと捕らえて離さない。郎党が加勢に駆け寄ろうとした時、うめき声と共に異様な音が響いた。
よろめき後ずさった重茂の右手首があり得ない方へ曲がっているのが、袖の上からでも見て取れた。わなないた歯が音を立て、手中から短刀が落ちた。
重茂は左手で短刀を拾い、構えた。だがそれでは急所の左脇を守るものがない。彼は負けを悟ったであろう。義秀の太刀が短刀を跳ね上げ、刃はそのままひるがえって脇の下から心の臓を貫いた。
崩折れた骸のかたわらで、義秀は目を伏せたようだった。だがすぐに彼は短刀を引き抜き、作法どおりに首を落とした。
「高井重茂は、朝比奈三郎義秀が討ち取った――」
御所の一帯に響き渡るような大音声を上げた。




