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雪の灯(ともし)  作者: 李孟鑑
第二章 実朝
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和田合戦(一)

 義盛が御所への出仕を止めてから十日あまりが経った。義盛からは何の音沙汰もなく、しかし、和田屋敷には何やら不穏な動きがある。御所と重臣の屋敷はほとんど全て、鶴岡八幡宮の周囲に集まっている。広元や義時の屋敷もそうであるし、和田屋敷に至っては八幡宮のすぐ目の前にあった。そのため、何か動きがあればほとんど筒抜けに御所まで伝わって来るのである。


 最も気になるのは、武蔵国の横山党の棟梁、横山時兼(ときかね)が密かに義盛を訪ねたとの噂であった。横山時兼の叔母は義盛の妻であり、また妹は義盛の嫡男常盛(つねもり)(朝盛の父)に嫁いでいるなど、和田一族とは浅からぬ縁がある。このような者が出入りするとは挙兵の計画以外にはあり得ないと、御所の人々は色めき立った。町では戦火を恐れて逃げ出す領民も現れ、鎌倉は日一日と物騒な色合いを濃くしていた。


 どうにか義盛と話が出来ぬものかと、実朝は気を揉んでいた。しかし今、義盛を呼んだところで、素直に参上するとは思えなかった。しかもそれは和田の者たちに不要な不安と憤りを与えることになる。かつて、頼家を挟んで比企氏と北条氏が対立を深めた時、呼び出されて北条時政の屋敷に出かけた比企能員が、騙し討ちに遭い骸で戻ったいきさつを、多くの者はまだ覚えているはずであった。


 このまま捨て置けば、事態は最悪の方向へと流れる。しかし義盛と話そうとすればそれが戦の口火を切ることになりかねない。手を打つに打てなかった。


 手の中から砂がこぼれ落ちて行くような心持ちで日を送っていたある夜、義盛が出仕を止めて以来自身も蟄居していた朝盛(とももり)が急に御所に姿を見せた。


「おお、三郎」


 その時、実朝は和歌会の最中であったが、嬉しさのあまり、筆を捨てて朝盛の名を呼んだ。朝盛は長い無沙汰を詫び、御所への忠義には何もやましいところはないと述べた。


「では、明日から元のようにわたしに仕えてくれるのだな」


 問いかけに、朝盛は黙って深く頭を下げた。実朝はすずり箱を持たせ、地頭職の下知を記すと朝盛に与えた。地頭職は土地の軍事、治安を管理する職掌だが、要は新たな領地を与え、それをもって朝盛の勝手な蟄居を赦したのである。朝盛は目を伏せたまま、まるで宝玉でも受けるように下知状を押し頂いた。実朝の求めに応じて歌を詠み、月が天頂にかかる頃、朝盛は暇を告げた。


 こうして朝盛が姿を見せてくれたならば、義盛と和解する手立てもあるかもしれぬと、実朝は希望を抱いたのであったが、それがあまりに楽天的な考えであったことを、彼はその翌日に思い知らされることになった。


 朝盛が、御所を辞したその足で出家逐電したとの話が飛び込んで来たのだった。朝盛の離反に和田屋敷は騒然となり、やがて鬼神の如き形相の義直(よしなお)が、甥を追ってすさまじい勢いで馬を飛ばして行ったという。


 三日ののち、朝盛は結局義直の手で連れ戻されたようだという知らせを、広元が持って来た。


「御所に弓引くか、一族への義を通すか、その板挟みになった挙句の出奔であったようですな。寝間に文が残されてあったとか」


 あの夜和歌会で朝盛が詠んだ歌には、そうした鬱屈は何も感じられなかったと、実朝は苦い思いを噛んだ。広元は言葉を継いだ。


「用心なされませ。挙兵は間近いと思われまする。新兵衛尉殿(朝盛のこと)は弓の上手であるのみならず、兵を動かす器量にも長け、合戦を前に失うわけには行かぬ人物でございます。出家した者を追って連れ戻したのは、つまりはそういうことでございましょう」


 広元の言葉を、実朝は背で聞いていた。戦は最高権力者を擁している側が絶対的に有利なのである。このまま兵を挙げれば和田一族は必然的に逆賊にならざるを得ない。それは鎌倉の全ての御家人を敵にまわして戦をすることを意味する。いかに勇猛果敢な武者ぞろいの和田一族とて、とても勝てるとは思えなかった。


 だが義盛を討ち死にさせずに済む道がひとつだけある。実朝が独り密かに御所を抜け出し、和田の屋敷に駆け込むことであった。それで、北条と和田の官・賊の立場は逆転する。しかしそうなったら、今度は一転逆賊となった義時を討たねばならない。義時ばかりではない。広元や源仲章を始めとする御所の全ての人々、何よりも政子、そして信子の身までを刃に晒すことになる。北条にも和田にも就きたくはないというのが、実朝の苦しい本心であった。


 実朝は一縷(いちる)の望みをかけて、朝盛を御所に呼んだ。僧衣に身を包み髪も髭もを落とした朝盛は別人のように面変わりしていた。


「三郎、左衛門尉に伝えよ」


 その手を実朝はしかと握りしめた。周りに洩れるのも恐れず、言葉を継いだ。


「そなたの無念は察していると。だが今は堪えよ。わたしは、義盛という忠臣を失いたくはないのだ」


 屋敷に戻った朝盛は、実朝の言葉を義盛に伝えた。義盛は月明かりの流れる濡れ縁でじっと聞いていたが、やがて朝盛の方を振り返り、静かに首を振って見せた。


 義盛が一族を率いて挙兵する意志を固めたのは、実朝が想像したよりもはるかに以前であった。義直や胤長の捕縛を伝える急使が走った時、義盛は本領の上総国伊北(いほう)荘にいた。それから彼が息子たちの助命をするべく鎌倉に戻るまで、ひと月近くの空白がある。その間、義盛は武蔵や相模の諸豪族の中で、かねてより北条に不満を抱いていた者に使いを送って事態を明かし、何かの際には共に太刀を取って北条に対抗する密約を結んでいたのであった。


 義盛は、鎌倉に政権が樹立してから今日まで、謀反の名の下に有力御家人の粛清をその手で行って来た男である。一度粛清の標的となった以上、その先は腹を斬るか兵を挙げるか、その二つの道しかないことを、彼はよく知っていた。実朝の魂があの時直感的に感じ取ったように、全ては既に、実朝の手ではどうにも出来ぬところまで進んでいたのである。


 だが、義盛を挙兵に動かしたのはそれだけではあるまい。東国武士の間には古来ある美学が根付いていた。東国の武士団は各々独立心が非常に強い。たとえ勢力争いに敗れて膝を屈したとしても心から服従することはなく、もしも主の力に翳りが見えた時は、ただちに反旗を翻し主を討つ、それこそが坂東武者にあるべき気風とされていたのである。源氏の御曹司である頼朝をある種絶対的な棟梁に頂いたのちは、さすがにその気風はすたれた感もあるが、義盛のように古風な武将の中には、謀反を疑われること、主君に弓を引くことはむしろ誉れであるとする美学がいまだ強く残っていた。


 義盛はもはや挙兵の意志を隠さず、和田屋敷の周りにも異様な慌しさが満ち始めた。鎧兜に身を固めた者どもが屋敷近くに集まり出し、太刀、弓などの武器が運び込まれた。屋敷に仕えていた尊道房という僧が姿を消し、それは義時との戦を前に戦勝祈願のため伊勢神宮へ参ったのだとの噂が飛んだ。


 実朝はとうとう使いを立て、事の真偽を確かめさせた。使いが屋敷に赴き、謀反の噂について問いただすと、義盛ははっきりと挙兵の意思をあらわにした。


「鎌倉殿には何の恨みもございませぬ。ただ、相模殿の傍若無人を正すための武備にございます」


 この時義盛のもとには、横山時兼ら武蔵の御家人を始め、相模、下総からも多数の与同者が集まっていた。そしてそれ以上に義盛を勢いづかせたのは、三浦義村の助力であった。三浦は北条、和田に次ぐ兵力を有していた。和田方の軍勢は今や幕府にも劣らぬものがあり、これならば勝てると義盛は見込んでいたのである。御所に攻め込んで実朝の身柄を奪い、しかるのちに義時を逆賊として討つ、それが義盛の描いた戦術であった。


 しかし、その最も頼みとした義村によって、全ては瓦解することになるのである。それを義盛は知るよしもなかった。


      * * * * *


 夜、義村はひとり自室にいた。挙兵の日を明後日にひかえているというのに、ここには和田屋敷のような高揚はない。代わりにあるのは押し固められたような沈黙である。義村のかたわらにも酌の侍女ひとりおらず、手酌の酒が、杯の中に不安げに揺れていた。


 ふた月前、事件を受けて戻って来た義盛は、鎌倉に入ると真っ先に義村の屋敷を訪れた。息子と甥の無実を断言し、そして続けて、これは和田の力が目障りになった北条の謀略である。向こうが和田を潰す気で矛先を向けた以上、いずれ必ず刃を交わす時が来る。兵を挙げる時は共に立ってくれと言った。


 義村は一も二もなく承諾し、その場で同心の起請文を書いた。二人の話はそのまま密議に流れた。御所を攻めるにあたっては、まず義時、広元らの屋敷を囲んで御所を孤立させ、和田勢が南門、三浦勢が北門を固めて実朝の身柄を確保するといった具体的な戦術まで話は及んだ。従兄弟であり、竹馬の友であり、長年苦楽を共にして来た義盛の苦境に手を差し伸べることに、義村はその時何の躊躇(ちゅうちょ)もなかった。

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