嵐の前(一)
二所詣への出立は、一月二十二日と決まった。当日、実朝は由比ヶ浜で潮浴みして身を清め、鶴岡八幡宮へ参拝した。まず若宮大路を南下して海岸に出たのち、小田原までは海岸沿いの街道を進む。小田原から内陸に折れて箱根に向かい、参詣したあとは箱根路を越えて伊豆山の走湯権現、三嶋社というのが、頼朝以来ほぼ寸分も変わらずに継承されて来た行程であった。
先達を務める八幡宮の僧兵から警備の兵まで総勢二百人にも及ぶ隊列が進む中、白い浄衣をまとい葦毛の馬にまたがった実朝の姿は、隊列のちょうど中程にあった。背後には北条義時、義時の異母弟の時房など御家人が従い、馬を進める。
しわ一つなくぴんと張られた海原の上に、雲がたなびいている。青みの薄い冬空は水平線に近づくにつれさらに色あせ、そこへよりいっそう陰影の薄い雲が、筆で刷いたように漂う。それは決して動かぬもののように見えた。
吹きさらしの海道は潮を含んだ風が肌に痛いほどであったが、実朝は寒そうな様子も見せなかった。身を清め浄衣をまとった時から、実朝はもはや生身ではなく、寒さも疲れもさほど意識に上らなかった。鎌倉の祭司という役割は実朝が選び取ったものではなかったが、しかし、内向的で感受性の強い実朝のこうした精神には、宗教的な役割は確かに適任であったかもしれない。
出発した時は快晴だったものの、夕刻が近づくと空はにわかに驟雨をはらみ出した。一行はみぞれまじりの雨に打たれながら道を急ぎ、戌の刻(午後八時頃)に小田原の手前の川勾へ駆け込んだ。箱根参詣初日の宿は、川勾神社の宮司の屋敷と定められている。一千年近くもの間この地を鎮護している川勾神社は、かつて頼朝が政子の安産を祈願し、社領の寄進などを行った神社であり、その縁が続いているのだった。
「難儀致しましたことでございましょう」
挨拶に顔を出した宮司が気づかった。一緒に部屋に来た義時はひどく眉を曇らせていた。やがて、侍女が温かな膳を運んで来て、それをしおに宮司と義時は部屋を辞したが、夕げを済ませたあと、実朝は義時の様子が気にかかり、あらためて部屋に呼び酒に誘った。
「やはり、吉日を待つべきでございましたか」
杯を取りながら、義時が案じているのはそのことだった。そしてこの大雨が何かの凶兆でなければよいがとしきりにこぼした。
この当時、神仏に対する人々の恐れは強かった。天地を動かす神々は古来より道理も理屈も通じぬ相手であり、人々はただ小さくなって怒りに触れないようにしているしかなかった。大事な神事の初日が豪雨に当たったというだけで、普段は沈着な義時らしくもなく冷静さを失っていることが、彼の神に対する強い恐れを何より表している。
「参詣をあまり延ばすのもまた、好ましくなかろう」
実朝は義時を慰めた。
「吉日を選ばなかったのはそのとおりだが、身を清め、供物もそろえて非礼のないように参っているのだから、神仏もさほどにはお怒りにならぬと思うが」
しかし実朝の方はこの雨を不吉とは捉えていなかった。これは武人である義時と、祭司である実朝の、神との近しさの違いかもしれない。
「だとよいのですが」
語調は湿りがちであったが、それでも義時は、神との間を取り持つ者が請け合ったことで、幾分安堵したようであった。
実朝はなだめるように、手ずから杯に酒を注いでやった。大粒の雨がまた木々の梢をゆすり、一瞬潮騒のようなうねりになって屋敷を取り囲み、また去った。
「――ところで相模。上総の国司の件だが」
ふと実朝が口を開いた。と、杯の向こうで義時が身構える気配がし、実朝はしまったと思った。何もこのことを話すために呼んだのではない。凶兆の不安も去り、座の空気が穏やかになったのに誘われる形で何となく口に出してみたのだが、やはりいつ話題に上そうがこの一件は劇薬であった。
しかし、言いかけてしまった以上、何でもないと撤収させれば、それはそれで痛くもない腹を探られる恐れがある。義時の反発を既に肌で感じながら、実朝は半ば無理やり、言葉を続けた。
「くれてやるわけには行かぬだろうか。わたしは何も――」
「そのことならば、既に済んだことにございます」
思ったとおり、義時は実朝の口を手でふさぐような語気でぴしゃりと返答した。
「申文も戻され、左衛門尉殿にも納得いただき申した。決着したことをわざわざ掘り起こせば、よけいな確執の元になりまする」
水も洩らさぬ頑なさで実朝の反論を封じ込めた。
今から二年程前のことになる。和田義盛が上総国の国司を望み、推挙して欲しいと実朝に打診したことがあった。しかし、御家人を国司に任命することは頼朝の時に止められている。特例で許してやれないものかと実朝は政子にやんわりと持ちかけてみたが、頭を噛み砕くような剣幕で突っぱねられてしまった。結局この件はつぎ穂を失って、それきりうやむやにせざるを得なかったのだが、しかし実朝自身は今も、義盛を国司に推挙するのは悪い案ではないと考えていた。
やはり二年前に、このような出来事があった。御家人が頼朝から賜った守護職について、終身制から交代制にする政策を義時が出し、皆々から猛反発を食らったのである。あとになって義時は、諸豪族の反応を見る狙いであったのだと実朝に言い訳していたが、しかし義時の意図はともかく、あの時に噴出した反発の激しさは、執権として御所の権力を掌握しつつある北条一門に対する、御家人たちの感情をはっきりと表している。実朝はそれを懸念していた。
「たとえば武蔵の横山党だ」
実朝は続けた。横山党は武蔵国に盤踞してきた勢力であるが、今回の旅にも同行している北条時房が武蔵守に任じられたことに不満をつのらせているとの噂を実朝は耳にしている。東国を治めているのはあくまでも将軍家であり、執権家である北条は補佐ということになっているが、しかし在地の武士団の実感は北条に統治されているのに近い。特に横山党は古くから武蔵を治めて来ただけに、自分たちを差し置いて時房が武蔵守として座っているのは面白いはずがなかった。義盛を上総守に任じて北条家の一極体制をゆるめ、風穴を開けることで、地侍の不満を多少そらすことが出来るのではないかと、実朝は言った。
しかし聞いている義時のこめかみには、殺気にも似た険がある。実朝のこの考えは以前にも聞かされたが、義時には到底受け入れられないものであった。和田氏はもともと相模国の三浦半島が本拠であるが、頼朝の頃に誅罰された上総広常の領地を拝領され、守護に任じられたことで、今の勢力を得た。守護は兵粮徴発や兵士動員をになう官職に過ぎないが、国司となると上総の国政を完全に掌握するものである。つまり上総の広大な土地に加え国司の権力を握れば、和田はいずれ御所には抑え切れない程の勢力になる可能性があった。
義時は血生臭い東の歴史を肌で知っている。大勢の獣が喰い合い血を流し、勝って生き残った者が土地を治める。だがその力が衰えれば、再び獣の喰い合いが始まる。そうしたことを東国在地の武士団はずっと繰り返して来た。源氏の貴種を絶対的な頭に戴くことでようやく東は平安を得ようとしているのに、実朝の考え方は以前の血が支配する東国に一気に引き戻す危うさがある。義時の語調はつい、激しいものになった。
「殿の申されることは分かります。しかし広く国を治めるには秩序が何よりの大事と心得まする。鎌倉殿自らそれをひるがえしたとあっては、今は丸く収まっても、のちのち思いもかけぬ禍根となるやもしれませぬのですぞ。貴方様にはそれを――」
収められますまいと思わず言いかけて、義時は言葉を呑んだ。
叔父と甥、そして執権と将軍である二人の男の間に、断ち切るように雨音が落ちた。義時はご無礼仕りましたと低頭し、そそくさと部屋を辞した。
酌のために侍っていた侍女はかたわらで顔をこわばらせていた。もともと胡粉を塗ったような顔が、生気を失って人形のようになっていた。実朝は人がいるのが息苦しくなり、酒を命じる口実で女を部屋から追い出した。
義時の口走った言葉への憤りが首元に重くまとわりついていたが、それ以上に、普段は激情に駆られることなどない義時が、あのような無礼を吐いたことへの驚きの方が強かった。義盛を上総の国司にという一件は、思っていたよりもはるかに微妙な様相を持っているのだと、実朝は湿った息をついた。
* * * * *
侍女を追い出してひとりになったあと、実朝は杯も取らず、粗野な雨の音を耳に流し入れていた。そうやって不機嫌に黙り込んでいたが、急に、彼は顔を上げた。目に生き生きと光が射した。雨音の隙を縫い取るように、廊下に軽やかな足音が聞こえたのである。
戸がするりと開き、先程とは別の侍女が酒器を乗せた膳をささげてしずしずと入って来た。が、戸の陰にもう一つ小さな人影が動いている。実は既に丸見えなのだが、その花色の塊は隠れてこちらをうかがっているつもりであるらしい。
「清子、息災にしておったか」
待ちきれなくなって声をかけると、やっと笑顔がのぞいた。少女は部屋に入るなりたちまち駆け寄って実朝の首に抱きついた。
川勾神社の宮司の一人娘、清子に実朝が初めて会ったのは、最初の二所詣を行ったちょうど十年前になる。その時清子はまだ二才の赤子で、手足も短く髪も剃りこぼっており、可愛らしい芋虫といったあんばいだった。実朝は膝に乗せ鞠を手にいろいろとあやしてやったのだが、それ以来清子は実朝をすっかり気に入ったらしく、二所詣の行き帰りに立ち寄るたび、こうして子犬のように腕の中に飛び込んで、実朝を迎えるのだった。
「姫様、はしたのうございますよ」
膝に飛び乗って抱きついている清子を、侍女が青くなって諌めたが、清子は楽しそうに笑いながら、引き離されまいと首を抱く腕に力をこめた。子供とはいえ力いっぱい抱きつかれると食い込む腕が痛かったが、実朝にはその痛みもまた嬉しかった。自分に何一つ暗い感情を向けない者の心は快い。心の裏を読む必要もなく、ただ愚者のように情を信ずることのできる者の為様には、溶けるような安寧があった。