鎌倉の祭司(三)
* * * * *
酒宴が終わり、実朝が自室に戻ったのは、夜もだいぶ更けてからだった。
「お帰りなさいませ」
正室の信子がすぐに顔を出した。
「起きておったのか。先に休んでも構わなかったのだよ」
「まあ、せっかくお待ちしておりましたのに、つれないおっしゃり方ですこと」
細い指を伸べて信子は実朝をつねる真似をし、それから笑って夫の帯をとき始めた。
「二所詣の日にちはもう決まったのでしょうか」
「それが、まだ決まらぬのだ。陰陽師が申すには、このふた月は良い日がないと申すのでな。だがそうそう延ばすわけには行かぬゆえ、今月のうちに適当な日を選んで出立するつもりでおるが」
「厚手の綿衣を縫うておりますの。ご出立がじきであれば急がねばなりませんから」
「何、わざわざ手間をかけて縫わずともよいさ」
「あら。昨年、箱根からお戻りになったあと、もっと温かな衣をたずさえるのであったとさんざんこぼされたのは、どなた様でございますか。寒さがこたえたお話を、信子はずいぶん聞かされましたわ」
「申したかな、そのようなこと」
実朝は首をかしげた。
二所詣は御所恒例の神事である。古くから修験道の修行場として信仰を集めて来た箱根権現と伊豆の走湯権現の二所権現、そして同じく伊豆の三嶋社は、かつて頼朝が平家打倒を祈願した神社である。そのため毎年一月から二月のあたりにこれらの神社をまわり、祈願成就の御礼の参詣をする神事が、今も続けられているのだった。
実朝は首をかしげつつ、一年前のことを思い出そうとした。昨年の二所詣は、疱瘡を患って以来数年ぶりの旅であり、それもあってことさらに印象が深かった。久しく忘れていた旅情、日常から解き放たれた高揚、箱根路から眺めた芦ノ湖、伊豆の海。旅には体のあんばいを気づかって政子も同行したのだが、御所での政務から解放されたためか、神参りという本来の目的も忘れて、時に子供っぽく華やぎながら思い切り旅を満喫しているらしい母の姿も、眺めていて愉しかった。そして川勾神社で宮司の娘、清子と再会を果たした嬉しさも匂い立つように鮮やかであった。
旅の記憶は心にこれ程明瞭であるというのに、寒さという、身に直接訴えかける感覚の記憶はなぜかすっぽりと抜け落ちている。実朝はもう一度首をかしげた。
「困った殿でございますね。わたくしがおらねば寒いも暑いも忘れてしまわれるのでは」
信子はくすくす笑った。それから口調を和らげて、今日はお疲れでございましょう、と夫の体をいたわった。
「すぐにお休みになられますか」
「そうしよう」
手伝わせて寝衣に着替え、夜具に横たわると、やがて信子がかたわらに身をすべり込ませて来た。夜具の中で体に触れ、冷えておりますね、と信子は少し心配そうに言った。疲労のためか、実朝の肌には温もりが少ない。信子は夫を抱きかかえるようにして、腕や背をそっとさすった。
坊門信子が京から鎌倉へ輿入れしたのは、元久元年(一二〇四)十二月で、実朝が将軍職に就いたすぐ翌年のことであった。その時実朝は十三、信子は十二だった。
実朝と信子の婚姻はもとから決まっていたものではない。はじめは足利義兼の娘が正室の候補としてあがっていた。がしかし、その人選に実朝は難色を示した。
「妻は京の公家から求めたい」
そう言い出して、周囲を仰天させた。
頼朝が御所を置いて以来、鎌倉と朝廷とは表向きは良好な交わりを築いて来た。頼朝は生前二度の上洛を果たしており、後白河法皇をはじめ、九条兼実や土御門通親といった公卿との交わりも親密であった。早世したために実現はしなかったものの、長女の大姫を、まだ皇位にあった後鳥羽天皇へ入内させようと頼朝が奔走したこともある。
しかし、尾張で生まれ少年の折から宮中に出入りしていた頼朝はともかく、坂東土着の武士団には、大和朝廷以来、まつろわぬ民として苛酷な統治を受け続けた記憶が、血の奥に沁み付いている。畏怖の念と共に、歯ぎしりするような暗い不信感を、東の武士たちは朝廷に抱いていた。実朝の希望は当然のことながら皆の反発を招いた。
そうした周囲の反応を、実朝も予想出来なかったわけではない。また公家から嫁を迎えることで朝廷の要らざる干渉を受けるという、政治的な危険も理解していた。しかし全てを承知しながら、実朝が言をひるがえすことはなかった。彼の危惧はもっと切羽つまったところにあった。
これより少し前、兄、頼家の死が実朝のもとにはもたらされていた。その悲報によって、実朝は一つの事実に思い当たった。すなわち、足利氏の娘を娶り、その娘が男子を産めば、頼家と比企氏の上に降りかかった災厄は、いずれ必ず、そのまま実朝の運命となる。足利義兼は、父、頼朝の従兄弟にあたる源義家の嫡流で、源氏の中でも名家であるが、そんなものは何のあてにもならぬ。実際比企一族とても、源平と並ぶ武門の棟梁、藤原秀郷の末裔であり、北条氏とも長く密な結びつきがあったのである。兄の悲運は、たとえ誰であろうと武家から妻を娶ることの危うさを、実朝に示していた。
その点、公家の娘ならば、男子が生まれたとしてもそれが御所に直接的な軋轢を生むわけではない。そしてたとえ軋轢が生じることがあったとしても、公家の血を引いた妻子をおいそれと殺すわけには行くまい。そのことはそのまま、実朝自身の身を守ることにつながるはずであった。
結局、実朝の頑なさが大人たちを凌駕した。皆は、実朝の意向を単なる雅やかな京への憧憬と解釈し、使いを送った。朝廷では人選を行い、坊門信清の姫、信子の輿入れが決まった。坊門信清は、正二位、権大納言を務める公卿で、後鳥羽上皇には外叔父にあたる。上皇が皇位にあった十五年前までは、皇家の外戚として宮中に権力を振るった人で、実朝が密かな後ろ楯と頼むには申し分のない家柄であった。そしてこれ程の家筋ならば、足利義兼としても、面目がつぶれずに済む。使いの者から報告を受けた実朝の安堵は大きかった。
婚礼が行われたその夜、ようやく部屋に二人きりになった時、
「よく参ってくれた」
そう言って実朝はまるですがるように新妻の手を握りしめたが、それは偽らざる本心であった。
信子は驚いて、突然握り合わされた二つの手に目を落とした。信子の手はまだ童女らしいふくよかさを残していたが、実朝の手は既に、骨の硬さをあらわにした少年の手になっている。しかし丸みを失った細い手指は逆に頼りなげであった。
それから、信子は恐る恐る顔を上げて、夫となったばかりの人を見つめた。武家の嫡男らしかぬ、透けるような瓜ざね顔が美しかった。
あずまえびす、あらえびす、という言葉から信子が漠然と描いていた姿と、この年若い鎌倉将軍はあまりに異なっていた。そして両の目が曇りもなく澄んでいるので、信子は、今にもこの少年が壊れそうな気がして、何だかはらはらした。このように優しげなお顔立ちで、戦に行けるのだろうか。そんな心配が浮かんだ時、自分の手を握り締めている人がふと、いじらしく思われた。年は実朝が一つ年かさだが、このあたりの年頃は少女の方が心が大人びている。信子は、手のかかる弟を持った姉のような心持ちになった。彼女は実朝の手をしっかりと握り返し、にこりと微笑んだ。以来実朝と信子の間は、こんにちに至るまで仲睦まじかった。
(第一話・了)