屋台
人の声が近い。
笑い声が高い。
油のはぜる音が、空気に混じる。
(……生きてる音だ)
そう思った瞬間、袖を引かれた。
「お姉様! 見て! あれ!」
ミアだ。
目を輝かせて、屋台を指さしている。
「落ちるよ」
「落ちない!」
即答だった。
兄が、向かいからため息をつく。
「……少しは落ち着け」
「お兄さまは堅すぎ!」
「お前が軽すぎるんだ」
そのやり取りに、思わず笑いそうになる。
(……家族だ)
理由もなく、そう思えた。
最初の屋台は、串焼きだった。
香ばしい匂い。
焼けた肉の音。
兄が、何気ない顔で一本取る。
ひと口。
少しだけ間を置いてから、うなずいた。
「……問題ない」
「なにそれ、検査?」
ミアが笑う。
「違う」
そう言いながら、
兄は、もう一本取って私に渡した。
(……?)
気のせい、だと思った。
次の屋台でも。
その次でも。
兄は、必ず先に口をつける。
偶然にしては、
きれいすぎる。
「……お兄さま」
「どうした」
「……全部、先に食べてますよね」
一瞬。
本当に、一瞬だけ――
兄の目が、揺れた。
「気のせいだ」
笑顔は、完璧だった。
だからこそ、
胸の奥に、細い違和感が残る。
ミアは、気にせず頬張っている。
「おいしい!」
その一言で、
深く考えるのをやめた。
今日は、楽しい日だ。
人混みを歩いていると、
ふと、背中が寒くなった。
(……見られてる)
振り返る。
知らない顔。
知らない人。
でも、
視線だけが、確かに残る。
兄が、私の半歩前に出た。
守るみたいに。
「人が多いな」
「……うん」
それだけで、
安心してしまう自分がいた。
日が落ちると、
屋台に灯りが入る。
赤。
橙。
揺れる影。
その光の中で、
ふと思う。
(……きれい)
理由はない。
ただ、胸に残る。
この景色を、
後で思い出す気がした。
忘れたくない、
最後の普通。
帰りの馬車。
ミアは、膝の上で眠っている。
兄は、外を見たまま、動かない。
執事は、静かだ。
私は、指先を握る。
(……楽しかった)
それは、本当だ。
でも。
胸の奥に、
小さな棘が刺さったまま。
それが何かは、
まだ分からない。
ただ――
この日が、
切り取られる側の日常だったことを。
私は、まだ知らない。




