陽の当たる時
朝の空気は、少し冷たかった。
庭に出ると、
芝生がまだ露を含んでいる。
(……ちょっと寒い)
でも、
嫌じゃない。
私は、軽く腕を伸ばした。
ぎこちない。
体が、思うように動かない。
(……弱い)
理由は分からない。
でも、なぜか、そう思った。
湖から上がったときのことを、
思い出す。
水を掻いた感覚。
這い上がった必死さ。
(……あの時、もっと動けたら)
助けを呼ぶとか、
考える余裕はなかった。
だから。
「……ちょっとだけ」
誰に言うでもなく、
そう呟いて、体を動かし始める。
走る。
止まる。
しゃがむ。
立つ。
全部、ぎこちない。
でも、
息が上がる感覚は、確かだった。
(……生きてる、不思議でも)
それを、
ちゃんと感じられる。
「お嬢様?」
背後から声がして、
少し驚きながら振り返る。
執事だった。
「……そのようなことをなさる必要は」
「……なんとなく、です」
理由は説明できない。
でも、
執事は、それ以上言わなかった。
少しだけ考えてから、
静かに言う。
「無理は、なさらぬよう」
それは、禁止でも、許可でもない。
ただの、気遣い。
私は、小さくうなずいた。
昼下がり。
庭に、テーブルが出された。
お茶と、焼き菓子にマカロン。
穏やかな香り。
「お姉様~!」
ミアが、先にやって来る。
「今日のお菓子、当たりだよ!」
そう言って、
勝手に席に座る。
「……まだ、始まってない」
「細かいこと言わないの!」
そのやり取りに、
思わず、笑いそうになる。
そこへ、兄も来た。
鎧は脱いでいるけれど、
姿勢は、やっぱり騎士だ。
「……楽しそうだな」
そう言って、
私とミアを見る。
その視線は、
柔らかい。
少ししてから、執事も来た。
そしたら、ミアが
「シオも。ほら、おいで。座って。」
「ですが、ミアお嬢様……」
執事は何か申し訳なさそうな
困った表情をしていた。
だが、ミアは一歩も引こうとしない。
(しょうがない。)「…シオ座って。」
執事は渋々、最後に席につく。
全員がそろう。
それだけで、
場の空気が、少しだけ特別になる。
「ねえねえ、お兄さま!」
ミアが、兄に詰め寄る。
「この前の剣の話、続きして!」
「……あれは、危険な話だ」
「いいじゃない!話してくれたって。」
兄は、困ったように眉を下げる。
その表情に、
胸の奥が、じんわり温かくなる。
(……家族)
そう思って、
少しだけ、安心する。
お茶を飲む。
「甘っ…」
「大丈夫?お姉様。」
「…うん。」
「そっか、なら良かった。」
もう一回だけ飲も、甘い。
そんなことがありながらも。
会話が、続く。
笑い声が、混じる。
何も起きない。
何も決めなくていい。
ただ、ここにいるだけ。
ふと、兄が私を見る。
「……無理は、していないか」
さっきの鍛錬を、
知っているのかもしれない。
「……少しだけ、動いていただけです」
正直に言う。
兄は、少し考えてから、うなずいた。
「そうか」
それ以上、踏み込まない。
その距離感が、
今は、ありがたい。
ミアが、私の袖を引く。
「お姉様、あとで遊ぼ」
「……何して?」
「秘密!」
それだけで、
笑ってしまう。
日が傾き始める。
光が、庭を金色に染める。
(……きれい)
理由もなく、
そう思った。
この時間が、
ずっと続けばいいのに。
そんなこと、
考えるはずもないのに。
なぜか、
胸の奥が、少しだけ締め付けられた。
執事は、その様子を、黙って見ていた。
何も言わない。
ただ、
この光景を、目に焼き付けるように。
その夜。
部屋に戻って、
私は思う。
(……守りたい)
誰を、とは言えない。
でも、
今日のお茶の時間全部を。
理由は分からない。
ただ、
そう思ってしまった。
――まだ、明るい日常の中で。




