ミアのいる朝
その日は、少しだけ胸が軽かった。
理由は分からない。
でも、昨日まであった重さが、朝の空気に 溶けている。
支度を終え、庭に出ると、
遠くから足音が聞こえた。
小さくて、軽くて、迷いのない足音。
「お姉~様!」
お姉様と呼ばれて、
自然と、振り返ってしまう。
「……あ」
そこにいたのは、
私より少し小さい少女だった。
明るく、ふんわりとした薄紫の髪。
よく動く表情。
そして――躊躇のない笑顔。
「もう! 返事しないから心配したじゃないすか!」
文句を言いながら、
当然みたいに距離を詰めてくる。
(……近い)
なのに、不思議と嫌じゃない。
それどころか、
胸の奥が、ふっと温かくなる。
「……ミア」
名前が、自然に出た。
一瞬、言ってから驚いたけれど、
ミアは、にっと笑った。
「そう! 正解!」
正解、って何だろう。
でも、
その言葉だけで、少し安心する。
「元気そうだね、お姉様。」
ミアは、私の顔をじっと見る。
探るようじゃなくて、
確かめるみたいに。
「……うん」
短く答えると、
ミアは満足そうにうなずいた。
「よかった」
それだけ。
理由も、説明もない。
でも、その一言が、
胸の奥に、すっと入ってくる。
(……妹)
そう思った瞬間、
分からないはずの記憶が、輪郭だけ残した。
守りたい。
隣にいてほしい。
それだけは、
理屈じゃなかった。
ベンチに並んで座る。
ミアは、いつも通り、よく喋る。
屋敷のこと。
最近のお菓子。
どうでもいい話。
聞いているだけなのに、
世界が、ちゃんと色を取り戻していく。
「……ねえ、お・姉・様」
ふいに、ミアが言った。
「湖、行ったでしょ」
心臓が、少し跳ねる。
「……どうして」
「分かるよ」
即答だった。
「だって、あそこ行った後のお姉様、
ちょっとだけ、静かになるもん」
責めるでもなく、
不安そうでもなく。
ただの事実として。
「……嫌じゃないよ」
そう答えると、
ミアは、少しだけ考えてから言った。
「そっか」
それ以上、聞いてこない。
その距離感が、
ありがたかった。
「じゃあさ」
ミアは、ぱっと笑う。
「今度は一緒に行こ」
胸の奥が、きゅっと鳴る。
(……うん)
声に出す前に、
気持ちだけが、先に答えていた。
日が傾くまで、
私たちは一緒にいた。
笑って、歩いて、
何も決めない時間。
別れ際。
「また来るね、お姉ちゃん」
その呼び方に、
一瞬、息が止まる。
でも。
「……うん」
自然に、返事ができた。
ミアの背中が見えなくなるまで、
私は庭に立っていた。
(……守りたい)
理由は、まだ分からない。
でも、その気持ちだけは、
はっきりしている。
その夜。
ベッドに横になり、
静かな天井を見つめる。
(……大丈夫)
根拠はない。
でも、
妹が笑っているうちは。
この日常は、
きっと、続く気がした。
――まだ、何も知らないまま…。




