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【第一章 幸運か呪いか】

西暦2135年――。


人類は前例のない技術水準へと到達していた。

摩天楼は巨大なホログラムで覆われ、街を歩くのは人間だけではなくアンドロイドも混じっている。

病気は過去の遺物となり、死さえも克服されつつあった。


すべてが完璧に見えた……少なくとも、表面上は。


子供たちや若者はホログラムデバイスで遊び、家族は繁栄した生活を楽しむ。

街のあらゆる場所に配置された監視ロボットのおかげで、殺人事件も死亡率も激減していた。


既知の病はすべて根絶され、最新の技術を手にした者は――不老不死さえも可能になっていた。

もっとも、それを享受できるのは金と権力を持つ限られた者たちだけだったが。


科学が全てを支配する世界で、神への信仰はほぼ完全に消え去った。

神はただの古びた神話に過ぎないものとなっていた。


――俺の名前はキセキ。十四歳の少年だ。


いつも「優しくて、親切で、頭が良い」と言われてきた。

勉強も運動も常にトップクラスで、模範的な生徒として知られていた。


だが同時に……俺は奇妙な存在でもあった。


俺の周囲には、何か得体の知れない雰囲気が漂っていた。

そのせいで、どんなに仲良くしていた人間も、いつかは俺から離れていく。

作り笑い、避けるような視線……。


「どうして……どうして俺だけ……」


心の中で呟くたびに、胸の奥が冷たくなる。


学校へ向かう道すがら、嫌な記憶がよみがえる。

本来なら死んでいたはずの事故――だが俺は、いつも無傷で生き延びてきた。

まるで何かが俺を守っているかのように。


「……いや、考えすぎだ……これは、ただの運だ……」


そう自分に言い聞かせ、胸に手を当てて小さく呟いた。


その朝、俺は寝坊してしまい、朝食も取らずに家を飛び出した。

台所には祖母が用意してくれた食事が残されていたが、振り返る余裕もなかった。


遅刻すれば教師にまた叱られる。あと一回注意されたら、退学すらあり得る。

皮肉なことに、どんな難問も解ける俺が、この「寝坊癖」だけはどうしても克服できなかった。


停留所でバスを待ちながら、首にイヤホンをかけて一息つく。

その時点では、俺の一日は順調だった。

テストは満点、友達と笑い合い、好きな子とも少しだけ会話ができた。


――だが、どこかに違和感があった。

説明できない不安が、胸の奥で微かに蠢いていた。


「……気のせいだろ」


そう思い、無理やり無視した。


……それが、あの出来事の前触れだったとも知らずに。


視界の端で何かが素早く動いた。

反射的に振り返る。


――銃口。


俺の額に、冷たい鉄の先端が突きつけられていた。


世界が凍りついた。

幼い頃の記憶、笑い声、自転車に乗れた日、約束、夢……

無数の断片が一瞬で脳裏を駆け抜ける。


「なぜ俺が……どうしてこんなことに……?」


――引き金が引かれた。


轟音。だが衝撃は来なかった。

代わりに、信じられない光景を目にする。


銃が暴発し、逆に撃った男の手を吹き飛ばしたのだ。

犯人は声も出せずに崩れ落ち、即死したようだった。


――沈黙。


街全体が一瞬で凍りついた。

その静寂を破ったのは、少女の悲鳴だった。


「きゃああああああああっ!!!」


周囲の人々が混乱し、恐怖に満ちた視線が俺に集中する。

俺自身も震えていた。


「これは……偶然じゃない……」


脳裏に過去の出来事がよみがえる。

車が俺を轢く直前に急ブレーキをかけた事故。

頭上から落ちた植木鉢が、あと数センチで俺を直撃しなかった出来事。

学校で起きた大事故――全員が怪我をしたのに、俺だけが無傷だった。


「三回……もう『偶然』では説明できない……」


背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。


その瞬間――遠くで「何か」が目覚めた。


形の定まらない黒い影が、ゆっくりと姿を現す。

それは巨大な「X」の形をしており、中央に不気味な一つ目が光っていた。


誰にも見えない。俺自身にも見えない。

だが、それが確かにそこに存在していることを、俺は直感で理解していた。


――俺は、一人じゃない。

――そして、それは決して俺を離さない。


夕暮れ時、家へ帰る途中。

街は妙に静まり返り、影が不気味に伸びていた。

胸騒ぎが強くなる中、不意に声をかけられた。


「ねえ……大丈夫?」


振り返ると、見知らぬ少女が立っていた。

灰色のストレートヘア、冷たい瞳。だがその声は不思議な落ち着きを持っていた。


彼女は学校でも有名だった。誰とも関わらず、授業が終わるとすぐに姿を消す謎めいた少女。


「えっ……あ、ああ……大丈夫……かな」

俺はしどろもどろに答えた。

「君……さっきの、見てたのか?」


少女は静かにうなずいた。


「ええ、全部見たわ……まだ信じられないけど」

そして小さく息を吐くと、低い声で続けた。

「でも、あなたの周りで奇妙なことが起きるのは、これが初めてじゃないでしょう?」


俺は目を見開いた。


「な……なんでそれを……お前、誰なんだ?」


少女は一瞬迷い、やがて口を開いた。


「私はルーシー(Lucy)。よろしくね、キセキ」


ルーシー――その名が脳裏に刻まれる。


彼女はさらに真剣な表情で言った。


「あなた一人じゃない。私も同じ……『あり得ない偶然』に巻き込まれているの。

でも安心して。いつか、すべての意味がわかる時が来るわ。

それまでは……生き延びて」


彼女の言葉が心に突き刺さる。俺は立ち尽くしたまま、拳を握りしめた。


「一体……俺に何が起きているんだ……」


胸の奥で、何かが崩れていく音がした。


夜、自宅に戻ると祖母が台所で夕食を準備していた。

「おかえり、キセキ。今日も無事でよかったわ」

「ありがとう、ばあちゃん……今日は、本当に疲れた……」


その夜、ベッドに横たわりながら、俺はルーシーの言葉を何度も繰り返した。


――あり得ない偶然。


まぶたが重くなり、次に目を開けた瞬間――そこは自分の部屋ではなかった。


紫色の淡い光に照らされた不気味な通路。

壁は人間の肉や臓器が絡み合い、異様な模様を描いていた。


「……っ!」


身体が動かない。声も出せない。

ただ目だけが自由に動く。


やがて、自分が誰かと並んで歩いていることに気づいた。

しかし、耳には一切音が届かない。

唇が動いているのに、声は存在しなかった。


隣を見た瞬間、全身が凍りついた。


――人間ではない。


男の体に、山羊の頭。

片方の角は渦を巻き、もう一方は折れて短くなっていた。

奇妙な眼鏡をかけ、俺に恭しく頭を下げていた。


「お、お前は……何なんだ……!」


叫びたくても、声は虚空に消えた。


通路の先、少し開いた扉から紫色の光が漏れている。

俺たちはそこへ向かって進み、そして部屋へ入った。


四隅には古びた燭台が置かれ、蝋燭がじわじわと溶けて床を汚していた。

中央には五芒星が描かれ、その中心に石造りの祭壇がある。


山羊の怪物が何かを告げる。

俺は頷いた。だが、自分の意思ではなかった。


次の瞬間、胸に鋭い痛みが走る――。


怪物が俺の心臓をナイフで突き刺したのだ。


だが、痛みはない。

血が噴き出しているのに、現実感がない。

ただ、怪物が血を容器に集め、古びた本の形をした石台の上に置いたのを見ていた。


俺の血は赤ではなく、薄く透き通った奇妙な色をしていた。


――そして目が覚めた。


ベッドの上、冷や汗で全身が濡れていた。

慌ててスマホを手に取り、表示された日付を見て息が止まる。


……三日間、意識がなかった。


「嘘だろ……!?」


祖母がなぜ何も言わないのか、記憶が飛んでいる間に何が起きたのか――

何一つわからない。


だが一つだけ、確かなことがあった。


――ルーシーを探さなければ。


彼女だけが、この異常な現象の鍵を握っている。


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