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第 五 章 『崩壊した抱懐』



 月下の研究特区。

 分け隔てなく降り注ぐ淡い光は真上からくるもので、建設途中の高層ビルディングの内部は暗闇に包まれていた。

「……どうしますか、零崎さん?」

 パーカー目深に被った中学生ほどの小柄な少年は、彼女に向かって問う。

 しかし零崎は返答せずに、割れ物を扱うかのごとく、腕の中で眠っているブロンド髪の幼い少女をそっと床に寝かせた。

「俺はやってやらないと気が済まない……!」

 左手で右耳を押さえるジャージの男――橘は歯噛む。

 その目には、恐怖によって生まれた殺意が宿っている。

「相手は電話越しに攻撃を仕掛けてくるようなバケモンですよ!? それに、ここがそう簡単にバレるわけないじゃないですか」

「たしかにな……。この広い研究特区で、それも昼間のうちはアリスを連れたていたとなると――」

「そう、奴はまだここを見つけてない。ハッタリですよ、ガキの使いそうな手だ。今頃必死になって街を走り回っているに違いありませんよ」

「それならそれで、こちらから仕掛けさせてもらうとしようじゃないか……」

「気持ちは解りますけど……」

 いきり立つ橘に少年は戸惑い、アリスの前で膝をついている零崎に視線を投げて助けを求めた。

 零崎は、すやすやと眠るアリスから目線を外し、ゆったりと言葉を紡ぎ始める。

「どうやら私達は彼に誘われるがままに罠にかけられたようですね、ものの見事に」

 立ち上がり、二人のいる方へと振り向いた零崎は、眉目秀麗を体現したような女性だった。

 髪留めでアップにした後ろ髪を指先で整える仕草すら麗しく思える。

「零崎さん、それはどういうことですか……?」

「彼はアリスという餌をちらつかせ、我々を誘い出し、そして喰らいつかせた。――その上、その餌が毒入りだったとしたらどうでしょう?」

「ははっ、まさか……あり得ないよ……。発信機でも付いてるって言うのか?」

「あの部屋から連れて帰る前に調べましたが、どこにもそのようなものはありませんでした」

 三人が、同時にアリスに目を向けた。彼女はパジャマという軽装で、発信機などを取り付けられる箇所は限られてくる。

「――……ですが、彼は『今から迎えに行く』と宣言していましたね、自信満々たる声色で。それに時間を稼いでいたようには思えませんしね」

「そういえば、橘さんの言葉を遮るように、まるでそれを知っているかのように……? じゃあ奴は昼間の行動も、全て計算した上で、ってことですか!?」

「断言は出来ませんが、その可能性は大いに」

「……逃げましょうよ。奴はヤバイですって。アリスは無事回収したんですし」

「俺は逃げる気なんてない……が、あの偽物が俺達を逃がしてくれると思うか……?」

「そうですね、迎撃しましょう」

「マジですか……? 橘さんは異能だけで戦いますけど、零崎さんは得物を持ってきていないわけですし……」

「それがどうした? 厭に乗り気じゃないな。偽物一人相手に」

「当然ですよ。ま、いくらなんでも『コレ』で不意を――」

 少年が、パーカーの前ポケットに手を入れた瞬間、零崎が先ほど自らのポケットにしまった携帯が鳴り響いた。

 着信音はベートーベンの交響曲第三番『英雄』。

 爽快にして壮快。雄大にして大胆。

 飛躍的かつ跳躍的で――そしてなにより『革新的』な曲調だった。

「ふふっ……」

「どうした、零崎?」

「いえ……ただ、この携帯電話の所持者に物申したい、と思いまして」

 零崎は、瞼を降ろしてアリスを抱え上げる。

「着信音を変えろ、シューベルトの『魔王』に……と!」

 かっと目を見開き、零崎はアリスを橘に手渡す。

「アリスを頼みます、『もしも』の時のために。それに、あなたは一昨日から異能を使い続けている状態ですから」

「……解ったよ。『アレ』は俺の役目であり、俺にしか出来ないからね」

「とりあえず、俺から行きます。二人は感情的になり過ぎて心配ですし」

「健闘を祈っています、嶺川」

「異能を使うこともなく、一発で終わらせてきますよ」


     *  *  *


「――テメェ、ふざけてんのかぁ……?」

 嶺川が銃口を向けた先にいる三白眼の少年――高城は『平然』と立っている。

 ……何が起こった?

 もう一度頭部に狙いを定めて、嶺川は引き金を引く。

 ど、という発砲音と共に弾丸が射出された。

 排出された空薬莢が、コンクリートの地面に落ちていくなか嶺川は捉える。

 弾丸が弾かれている様を、その目で。

「……んなチャチな玩具で何してくれてんだって訊いてんだよ」

 高城は、動いていない。

 両手をポケットに突っ込んだまま静止している。

「……念力……ですか?」

 嶺川は、この不可思議な現象を説明付けようと、自分の知識の中からなんとか答えを引っ張り出した。

 だが、高城は呆れたように項垂れて首を振るう。

「もういい、小物に用はねぇ」

 可笑しい。

 経験上、たとえ相手が同じ異能者だったとしても、銃で不意を打って殺せない人間など極僅かだった。

「なら、これで――」

 再び引き金を引いて、弾丸を射出する。

 音速で標的に向かっていく七ミリメートルほどそれは、二倍三倍と巨大化していく。

「――潰れろッ!!」

 ビル解体に使われる鉄球を連想させるほどの大きさまで巨大化した弾丸は、減速することなく高城に命中した――はず、だった。

「くっだんねぇ手品だな、オイ。期待外れもいいとこだ」

「――ッ!?」

 嶺川と高城の中間地点に当たる位置の天井から、砕け散ったコンクリート片がぱらぱらと舞い落ちる。

 見れば、高城はポケットに収めていた左手を抜き出していた。

「チッ、ミスっちまったぜ。もう一回頼むわ」

 コンクリート片の雨が止み、目線を天井に向けると、嶺川が撃った巨大弾丸と同等のサイズを持った丸穴が空いていた

 この男は一体何をして、何をしようとしていたのだろうか。

 ぐるぐると思考が回るが、答えは一向に浮かび上がってこない。

 それによって嶺川は己の状態を知る。

 自分は冷静なつもりではあるが、確実にそれを欠いている。つまり混乱している、と。

「……ひとつ教えてください」

「嫌だね。テメェに教えることなんざひとつたりともねぇよ」

「どれほどの質量を以ってすれば、あなたに弾かれずに済みますか?」

「弾くぅ……? まぁ、間違っちゃいねぇけどよ……」

 声を殺して笑う高城に向かって、嶺川は引き金を引く、引く、引く。

 射出された巨大弾丸がまるで流星群のように、高城へ次々と襲い掛かる。

 が、それら全てが高城の身体を貫く直前で一旦停止した後、ビルを倒壊させる勢いで辺りに散っていく。

「クソ――ッ!!」

 粉塵が視界を遮る中、計一二発の弾丸を射出しきった自動拳銃を、高城が立っているに方向へ投げつけて嶺川は駆け出す。「こんなバケモンは零崎に……!」

「――零崎ぃいいい?」

 声と共に、頭を鷲掴みにされる感触を得る。

「はッ……離せえぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

「ギャアキャアと喚くことしか出来ねぇのかよ? ほら、命乞いくらいして見せろ」

「クソッ! クソッ! こんなはずじゃ!  聞いてないぞ!」

「……橘といいテメェといい、異能者共はどうにもムカつく野郎ばかりだな」

 浮遊感。次いで頭から手が離された。

 しめた、と嶺川は口端を吊り上げる。

 だが、いくら足を前に動かしても進まない、地面に足がつかない、景色が変わらない。

「――っわぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!?」

 嶺川が自分が飛んでいたことに気付いたのは、ビルを覆うブルーシートに激突し、落下を開始した後のことだった。


     *  *  *


 そろそろ五〇階は越えただろうか。

 安定した駆動音をBGMに、資材運搬用の昇降機の欄干に背を預けているのは高城だ。

 夜空を仰いでいた高城は、右手で顔を覆って、恋煩い拗らせた乙女のように溜息を吐いた。

「れーいーざーきぃい……テメェは俺を落胆させてくれるなよ……」

 が、という重低音と共に昇降機が揺れる。

 右手を顔から離してポケットにしまい込み、停止した昇降機から降りた高城は辺りを見回す。

 広漠な空間。天井も高く、この階を仕切るものは何ない。

完成の暁には、恐らくパーティー会場として使われるのだろう。

 深奥の闇の先に、次の階へと続く階段があるはずだ。それを探して歩き出そうとした高城だったが、三歩足を進めたところで立ち止まった。

 こ、という靴底が地を叩く音。

 高城の耳が拾い上げたその音とは別に、透き通った女の声が届く。

「――来てしまいましたか」

 禍々しく口元を歪め、高城は暗闇の中から現れた女――零崎に視線を固定した。

 肩に穴の空いた藍色のカットソーの胸元は大きく突き出ており、下に目を向ければ黒色のホットパンツと膝上まであるブーツが目に入る。

 一見戦闘向きとは思えない格好だと思えるが、それを考慮した上での軽装なのだろう。

「……やられてしまいましたか、嶺川は」

「ったくよぉ、情けねぇ野郎だったぜ。回りくどい橘といい、異能者ってのはうざってぇ奴ばかりだな」

「橘に関しては同意せざるを得ません、嶺川はともかく」

「……お前、いいのか? 俺は女もイケる口だぜ」

「下卑た男ですね」

「御褒めの言葉ありがとぉお、零崎さぁん!」

「沙希……零崎沙希です」

「ほぉ……テメェが沙希か。いいねぇ、偽善者は殺しがいがある!」

「偽善者……? たしかにそうですね、私は偽善者です」

「じゃあ早速始めるとしますかぁ……」

「話しませんか、少し」

「お断りだねぇッ! 俺はキャッキャッウフフと談笑しにきたわけじゃねぇんだよぉおッ!」

「狂人が……」

 零崎の言葉を無視して、高城は右手をポケットから引き抜く。

 その手の人差し指と中指の間には、白色の粉薬の入った袋が挟まれていた。

 封を切り、大口を開けてその粉薬を唾液とともに流し込む。

「麻薬ですか、それは?」

 突如、眼前まで迫っていた零崎が問う。

 高城の頭の中でけたたましい警鐘を鳴り響くが、一瞬にしてぴたりと止んだ。

「――どうしたぁ、ホルスタイン?」

「っ……!?」

 側頭を狙ってハイキックを打ち込もうとしていた零崎の足が――停まっていた。

 零崎の足が向かっていた先には、耳の辺りまで持ち上げられた高城のか細い腕がある。

 ただそれだけなら、零崎が足を停めることはなかっただろう。

「それが……あなたの能力ですか?」

 零崎が足を停めた理由は、その腕に纏う火炎。

 異様な光景に目を疑うことなく、零崎は努めて冷静に訊ねてくる。

「恐ろしく速ぇな。正直見えなかったぜ。それがテメェの能力かぁ?」

 質問に質問で返した高城は、にやりと笑みを浮かべて、零崎の軸足を軽く払う。

 無理な体勢のまま立っていた零崎は、崩れるようにして後ろへ倒れていった。が、華麗にバク転を決めて地に立ち、じりじりと後退していく。

「その能力で嶺川を斃したとは思えませんね」

「テメェとは出来るだけ長く踊りたいと思ったんでね」

「私のステップは速いですよ、ついてこれますか?」

「く、クヒッ、ハハハッ! イイねぇ、ノッてきたッ!」

 次の瞬間、前屈姿勢を取った零崎の姿が消えた。と、思った時には高城の足元に出現。

 腹部目掛けて下方から足を突き出すが、しかしそこには既に高城の姿はない。

「なっ――!?」

「速ぇ速ぇッ! 頭が沸騰しちまいそぉおだぁ……!」

 零崎の背後、顳を左手の親指と中指でぐりぐりと押している高城が立っていた。

 一瞬きょとんとした零崎の表情が、急激に驚愕で歪んでいく。

「馬鹿なっ! 避けられるはずなど!」

 再び、零崎の姿が消えた。同時に高城も姿を消す。

 だが、刹那の間もなく、

「――か、はぁッ!?」

「イイ面だぁあああッ!!」

 高城の膝が零崎の腹部に刺さった形で、二人が姿を現した。

 くの字に身体を折り、口から飛沫を舞わせる零崎の髪を高城は強引に掴み取る。

 そうして、叩き込んだ膝の衝撃によって吹き飛んでいこうとしていた零崎を引き寄せた。

「こんなもんか……まぁまぁ楽しめたぜ……」

「ゴホェッ、ゴホッ!」

 咳き込む零崎は、涙目になりながらも目に角を立てる。

 そんな彼女にゴミでも見るような眼差しを向けて高城は口を開く。

「感想としては、『単調』の一言に尽きるな。どうやらテメェは直線上にしか動けねぇようだな」

「あり得ません、何を、どうすれば……」

「マジックの種をそう易々と明かすマジシャンがいるかぁ? まっ、テメェの異能とやらについては最後まで解らなかったけどよ」 

 一息。

 高く広い天井を見上げる。

「普段なら看破した上で蹂躙するが、今日のところはこれで満足してやるよ」

「もうここにはっ……いませんよ、アリスは……」

「くだんねぇ嘘を。居んじゃねぇか」

「やはり……。あなたは、アリスをどうするつもりですか?」

「どうもこうもねぇよ」

「――あの子は、『爆弾』ですよ」

「……はぁ?」

 高城が、顔をしかめた。

 『爆弾』――それがキーワードとなって、一昨日の記憶が再生されていく。

「ある異能者の異能によってその能力はどうにか規制されていますが、いつ……何のきっかけでそれを突き破るか……」

「……あのガキも、異能者ってことか」

「はい、あなたの予想に反せず。だから――」

「だから、どうした? 涙を飲んで隔離してます、ってかぁ? なんで殺さねぇ?」

「ッ……!」

「殺せよ、偽善者。あのガキが真実を知る前に。どっちが残酷かなんて少し考えりゃあ解ることだろ。それともなんだ? やっぱ将来的に兵器として使うために生かすか?」

「げっ……、下衆が! こちらの問題に口を出すな!」

「テメェから同情買うような話始めといてなんだそりゃ……信念が強過ぎるのも考えもんだな……」

 零崎の髪から手が離される。

 しかし、その手は即座に零崎の額を掴み、強く握り締めた。


「――捩じ曲げてやるよ、その凝り固まった信念」

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