序 章 『白と黒の同期』
深く覆い被さった闇が、犇めくようにして立ち並ぶ白色の研究施設を薄黒く染め上げている。
そんな研究施設よりも色濃く染め上げられた路地に、少年が一人立っていた。
彼の纏う白色のTシャツは夜闇ではその色がよく映える。ダメージ加工の施された黒色のジーンズ――下半身から下は、周囲の闇と同化しているようで、その姿はどこか怪異的だ。
ふと、まるで置物のように停止していた彼が、ゆっくりと顔を上げていく。
ショートボブに近い形で切り揃えられた黒髪の下には、猛禽類のような鋭利な顔つきがあった。
「待ちくたびれたぜ……」
笑う。
瞼を閉じたまま、口角を吊り上げた少年は、静かに笑う。
「くひひ……同期のお前とやるのはずいぶんと久し振りなような気がするな……」
「ボクは出来れば二度とやりたくなかったケドね……」
前方から声がきた。舌っ足らずで幼さを感じさせる声色は、女のものだ。
「さぁ、早速始めようぜ。楽しい楽しい『実験』を、よ」
「ボクの話は無視!? いくら死なないからって痛いものは痛いんだ!」
「相変わらずうるせぇガキだな……」
「ボクの方が年上ですからっ!!」
闇の中で何かが蠢いた。呼応するように少年が瞼を上げる。
顔つきに見合った三白眼が、上下左右と獲物を探るように忙しなく動き、
「そこかぁ――ッ!!」
振り返ったと同時に飛び掛ってきた『影』を鷲掴みにして、地面に叩き付けた。
「キャウンっ!?」
「オイオイ、『狼』が小犬みてぇな悲鳴上げてんじゃねぇよ……」
それは比喩表現ではない。彼の眼下では、闇に溶けてしまいそうなほど黒い毛並みをした『狼』が横たわっていた。
ぴくぴくと痙攣し、叩きつけられた側頭からおびただしい量の血が溢れ出ている。
「いっ……痛いなぁ、もう!」
しかし、すぐさま立ち上がり、狼は飛び退った。
「……お前、これで何回死んだ?」
「数えてないね。今のアンタでもボクを殺せるかどーか」
ふん、と狼は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ハッ、ソイツぁ面白ぇ……ノッてきた……」
「今のはハンデだよ、ヨユーぶっこいちゃってるアンタのためにねぇ」
「無用なお心遣い痛み入るぜ!」
「本気だせっていってんの!」
激突。
首元に喰らいつかんとした狼の牙を掻い潜って、少年は捻り気味に腕を上げて腹部に打撃を当てにいく――が、直前で狼の前脚に弾かれた。
両者後退。体勢をを立て直し、再びぶつかる。
肉を貫く牙が迫るが、少年は上体を逸らして回避行動を取った。
それがチャンスだといわんばかりに肉を抉る爪が下方から少年の喉元を狙う。
「ハハッ! イイ感じに成長してんじゃんッ!」
だが、歓喜の叫びと共に狼は天高く蹴り上げられた。
「まぁこんなもんか……」
「――こんっの戦闘狂が!」
狼は、中空でくるりと縦に一回転を行って体勢を立て直す。
顎を持ち上げ、遠吠えを響かせると同時に、突如として身体から黒色の発光を見せた。
不可思議なその光は、通常の光と変わらず眩いもので、少年は反射的に左腕で目を庇う。
次の瞬間、少年が胸元に衝撃を感じた時には、ウェーブがかったロングヘアの『少女』が馬乗りになっていた。
「へへーん、どお? 」
十代後半と言ったところ見た目である少年に対して、小学生程度の齢にしか見えない少女は、自慢げに謙虚な胸を張って見せる。
「で……?」
「え……?」
「人間に戻っちまったら、圧倒的にお前が不利だろうが」
「……嘗めんなーっ!」
鼻っ柱に向けて少女の小さな拳が、放たれた――
「……オイ」
「……うん」
が、その拳は鼻の頭に触れるか触れないかの微妙な距離で停められている。
「とりあえず降りろ」
「かぁー……せっかく一発入れられるところだったのにぃー……」
少女が少年の身体から降りて、がくりと肩を落とすと、ショートオールの肩紐がずり落ちた。
「さぁて、この場合どうすんだっけなぁ……」
のそのそと起き上がり、先ほどまでの活き活きとしていた彼とは打って変わって、気怠げな声で呟く。
「連行でしょ」
「生きてりゃな」
黒色の発光と共に、狼へと姿を変えた少女が、闇の中で浮かぶ人影に向かって駆けていく。
その背中を見送った少年はジーンズのポケットから、白色の粉薬の入った袋を取り出す。
素早く封を切り、顎を上げてその粉末を唾液と共に一気に喉奥へ流し込む。
咽喉に張り付いた粉薬の嫌な感覚を憶えつつ、少年はハンドポケットで歩み始めた。
「――さぁ、狩りの時間だ」