第14話 ループ
「滝肇と林堂修一の二人に出会ってから二年が過ぎたか、別に平穏に日々は過ぎているように見えた。二人ともそれぞれ悩んだり拗らせたりしていたが、別にそれは若者にはありがちなことなのだと、そう思っていた。
しかし、事は私が思っていたよりもずっと深刻で、肇は元いた家の父親と兄を殺す気でいた。彼は神戸に行って舶来の匣を手に入れた。匣というのはな、大体碌なものが詰まっていないんだ。あいつが手に入れた匣には極大の使い魔、怪物が入っていた。名を『魔術師殺し』と言う。その名の通り魔術師を殺すにはうってつけだ。使役できればの話だが。
肇がしばらく顔を見せないので修一と心配をしていた夜、地震が起こった。しかし、どうも普通の地震ではない。よくよく感覚を研ぎ澄ませてみると、大学の方から尋常でない気配がする。私は修一を置いて大学へ行った。すると肇が『魔術師殺し』を召喚していた。しかし、案の定肇には扱いきれず暴走。
それを止めるには『魔術師殺し』を倒すしかないことは明白で、私はそれとの戦闘に入った。言っておくが、当時の私は怪我も何もしていない完全体だった。しかし死闘になり、結果として『魔術師殺し』とは相打ちになった。私は名前を刈り取られ、『魔術師殺し』は自爆した。私の身体は四分五裂した。それは……」
サドリは一瞬言葉を詰まらせた。
「それは、近くにいた肇も同様だった。完全に巻き込まれであって、本来死ななくてもよかった。二重三重に私のせいだ。
やがて修一が私達の様子を見に来た。修一は私と肇の肉片をかき集め私の家に持ち帰った。それから私は長い時間をかけて一つの肉塊となり、姿形を繕うことができるまでになった。しかし肇は助からなかった。もとよりこの家の魔方陣は私のために編んだものだったから。
あれから百年以上経つが私の身体は癒えず、この家の外に出れば崩壊が始まってしまう。どう活動するかによるが、大体外にいるのは一時間くらいが限度だ。これが私がこの街にずっと留まっている理由だよ」
彼女は溜息をついた。
「修一も死んだ。なに、あいつの場合何か事故があったわけではない。何十年も経った後の老衰。修一が死んでから二十年経った頃、墓参りに行くことにした。すると先客があって、どうも修一の家族らしかった。私はその中でも小さな女の子の様子が気になった。それがお前だよ。千沙。そして千沙について来たのが一沙」
サドリは二人の顔を見た。
「というわけで、私とお前達は百年以上のご縁があるんだ。もっとも、千沙を連れてくる気になったのは、千沙に才能があったからで、別に修一の子孫だからというわけではないがね」
窓の方を見ると日が昇ってきて大分明るくなってきていた。
「ああ、そろそろ昼ご飯の時間だ。この話はこれでおしまい。一沙、昼ご飯を作ってくれ」
お昼ご飯を食べ終わった後も、一沙と千沙ちゃんの二人はしばらく帰るつもりはないようだった。僕はそれがいいと思った。まだ研究所の人達がうろついているかもしれないから。
「サドリ、鏡を見てもいい?」
と千沙ちゃん。どうもあのサドリが見た過去を映す鏡を楽しんでいるのは、僕だけではないらしい。
「いいが、くれぐれも鏡面には触るなよ」
一沙と千沙ちゃんは青い布をくぐってお宝部屋へ消えていった。
「さて、私も昼寝でもしよう。今日は疲れた」
サドリもお宝部屋の方へ去って行く。その先の寝室へ向かうのだろう。僕は必然的に一人になった。僕は思案を始める。百年以上前の割とすごい話を聞いた後だったけど、僕は今の自分周りのことでもう頭が一杯になっていた。僕は岩田の言葉を反芻する。
『一つ確かなのは君がすぐこちらに来てくれたら、サドリ殿もお友達も傷つかなくて済むということだ』
僕は目を閉じる。僕が伯父さんの家と研究所に戻らない限り、サドリや一沙達に危害が加わる可能性があるということ。僕やサドリだけではない。もう一沙も千沙ちゃんも、岩田に顔を見られてしまった。二人がもし僕のせいで研究所に何かされるようなことがあったら、どうしたらいい。それはあってはならないことだ。
伯父の家にも研究所にも戻りたくはない。栞に触って分かったのだ。僕はずっと欺かれ自由を奪われてきた。二度とそんな目にあってたまるか。
しかし、しかし、僕がそう思うせいで三人を巻き込むなら……?
それは一層許し難いこと。この場合の解決策は一つ。僕が研究所に戻ることだ。
僕は耳を澄ました。お宝部屋からも寝室からも物音がしない。それぞれ、鏡を見るのに集中したり、眠ろうとしていたりするんだろう。幸いこの家の玄関は布がかかっているだけで扉はない。そっと出て行けば気付かれまい。
僕はなるべく布が音を立てないようにそっとそれをくぐった。外に出て立ち上がって家の方を振り返る。一日しかここにいなかった。けれども記憶をいじられない限り、僕は生涯この家のことを忘れないだろう。不思議な空間に建つ石造りの家。傷ついた不老の魔術師、二人の兄妹。
僕は坂道を歩き始める。もう振り返りはしない。それは束縛への道であり、しかし三人の平穏を約束する道のはずだった。向こうの方に雪に包まれる街が見え始めた。もうすぐ外に出る。外に出れば研究員が飛んでくるだろう。仮にそうでなくても僕から研究所に出向けばいいだけのこと。それでこの話はおしまい。僕の目の前には――
僕の目の前には赤い布があった。
「???」
あたりを見回すとそこはサドリの家だった。
「?」
意識でも飛んでいたのか、白昼夢を見たのか。街の方へ確かに歩いていたはずの僕はまだサドリの家にいた。
「……」
僕はもう一度布をくぐって道を歩き出す。道は太陽の光を浴びて所々きらきらと光っていた。一体さっきのは何だったんだろうか。ああ、そろそろ出口だ。そちらには、
赤い布。
また僕はサドリの家に戻ってきていた。
「…………」
これは一体どういうことだ。心臓がバクバクいっている。何かがおかしい。僕は今度は余裕を無くして乱暴に布を払いのけて家の外に出た。
すると前にあったのはまたしても赤い布。家の中。
僕は布に手をかける。すると手をかけたはずなのに僕は直立不動で布の前に立っている。布に手を。布に――
「お前何をしているんだ」
振り返ると後ろには銀髪の少女が立っている。本当に寝る所だったのか、寝ていたのか。白いネグリジェを着た彼女の髪は乱れて顔に覆いかぶさっていた。しかし、その隙間から目が見える。禍々しさを持つ青い瞳。僕はそこで気が付いた。僕が彼女に名前を教えた時も彼女の瞳は青く光っていた。つまるところ名前を教えることによって僕は彼女に一種の呪いをかけられたのだ。
どうもこういうことのようだ。
僕は彼女の許しなくこの家から出ることはできない。