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第11話 交渉決裂

 トレンチコートの男はかなり大柄らしいが、ひらりと遊歩道から川面まで降りると、水の上を歩いてこちらまで来た。遊歩道へ上がり、僕達の数メートル手前の位置で足を止めたその男は、刈り上げた頭がごま塩のようになっている、筋骨隆々とした大男だった。


 彼はサドリに向かって深々と頭を下げる。


「直接お会いするのは初めてですな、サドリ殿。私はこの街で研究所の副所長をしております岩田と申します」


 岩田の言葉には本物の敬意が含められていた。しかし、彼の名前は偽名だと僕は直感した。理詰めで考えても魔術師が自分の名前を無防備に相手に曝すことなどありえない。岩田は彼の本当の名前ではなく、単に通用させている名前だろう。サドリは仏頂面で彼の方へ一歩足を進めた。


「岩田か。知っているぞ。剛腕の魔術師。研究所の二番手というのも実力相応だと聞いている」

「恐れ入ります。千古の魔術師のお耳に入っているとは光栄です」

「安倍は息災か」

「所長ですか。所長はこの二日心を痛めております」


 トレンチコートの大男はちらりと僕を見た。


「理由はお分かりでしょう」


 岩田は一歩足を進めた。


「彼を返していただきたいのです、サドリ殿。とうにご存じのはずです。彼は日本が世界に誇る至宝。彼に対する研究によって我々魔術師の歩みは百年二百年と早まるかもしれないのです。我々はあなたと違って定命の者、時間は限られているのです。我々の切なる思いどうか分かっていただきたい」


 サドリは右手を黒い上着のポケットに突っ込む。


「至宝とやらはお前達の所から逃げ出してきて私の所へ来たのだ。彼の意思を尊重してやったらどうかね」


 岩田は哄笑した。


「御冗談を。本人がどうのこうのという問題ではないのです」


 岩田は僕を見た。眼光が鋭い。


「高井悠理君。こちらへ来たまえ。どうせ君は既に色々聞いたのだろうが、一つ確かなのは君がすぐこちらに来てくれたら、サドリ殿もお友達も傷つかなくて済むということだ。既に応援は呼んである。二十分も経たぬ内にこの結界を我々の研究所の魔術師が総出で包囲するだろう。逃げられはしない」


 僕は岩田の言葉に気圧された。自分の認識は甘かったのではないか。サドリが大丈夫だと言うならそうなのだろうと思って外へ出てきたが、それは取り返しのつかない過ちだったという気がした。確かに岩田の話が本当なら逃げ出せそうもない。


 僕が返答を迷っていると、サドリが上着のポケットの中で指を鳴らした。


 地中からゾルリと音がした。黒く光る波のようなものが僕と一沙、千沙ちゃんを囲むように現れる。やがてその波は僕たちの周りに二重にとぐろを巻き、鎌首をもたげた。それは僕の腕の長さ程も太さがある巨大な黒い蛇だった。頭の上からシューッという音が聞こえる。その蛇は岩田と僕達の間の往来を阻んでいた。「サドリの使い魔」と千沙ちゃんが呟いた。


 サドリはポケットから右手を出す。


「岩田よ、悪いが交渉は決裂だ。我々はお前のお仲間がやってくる前にさっさと帰らせてもらう」

「できるとお思いですか」


 岩田の低い声が風に乗って聞こえてきた。


「私を誰だと思っている」


 岩田はサドリに向かって少し頭を下げた。


「あなたは誰もその名を知らない千古の魔術師。我々の間で聞こえ伝わっているあなたの伝説は無数にあります。敵意を持つにせよ、敬意を抱くにせよ、サドリ殿、あなたが他を圧倒する魔術師であることは衆目の一致する所です。本来ならば到底私ごときが敵う相手ではございますまい。しかし」


 岩田の目に僅かに同情の色が見えた。


「お噂は存じ上げております。百年以上前にお怪我をなさり、お名前もその時に無くされたと。お名前を無くされては御自分にまともに高等魔術をかけることもできない。あなたのお怪我が一向に癒えないのもそのせいなのでしょう」


 サドリは黙っている。


「あなたは今、御自分に強化の魔術も治癒の魔術もかけられない状態で私と戦おうとなさっている。どうかおやめください。武術と魔術の組み合わせで私の右に出る者はこの国にいません。肉体も反射神経も何も強化していない少女の身体では私には勝てない」


 銀の髪が風になびいている。髪に隠れて彼女の顔は見えない。サドリのブーツの足元からちろりと青い炎が生え、それはやがて雪を溶かしつつ彼女の周りに広がっていった。


「……正直高を括っていた。人通りの多い所では接触してこないだろうと。まさかこの短時間で結界を張って人を遠ざけるところまでやるとは思わなかった。それに、お前のような地位にある者が一番先に出てくるというのも意外なことだった」


 そう呟く彼女からゆっくりと広がる小さな炎は岩田の足元をも焦がしていた。岩田は動じず彼女を真直ぐ見ている。


「今日はついている。久し振りに骨のある相手と邪魔の入らぬ状態で戦えるのだから」


 炎は急に酸素を食らったかのように勢いを強めた。そこから生じた上昇気流に彼女の銀の髪が巻き上げられる。サドリは瞳を青く輝かせ凶暴な笑みを浮かべていた。


 不似合いに大きなコートを羽織った彼女は両手を広げる。


「果たしてお前の言う通りになるか試してみよう。しかし、確かに今の私ではお前と相性が悪いようだ。うっかり加減し損ねて殺すかも知らんがそれは構わんな?」


 岩田は細く長く息を吐くとその場にトレンチコートを脱ぎ捨て、半身を前にして構えをとった。


「構いませんが、しかし残念です。サドリ殿。私もあなたを相手にして余裕などありません。こちらも加減は致しかねます」


 その大男は言い終えるとサドリに向かって二歩距離をつめた。


 たったの二歩。しかし、それは一種の跳躍だった。その二歩で岩田はサドリとの間にあった数メートルの距離を詰め切っていた。サドリの目の前で体を沈めた岩田は拳を作り彼女の心臓に向けてアッパーカットを放った。


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