3.後見人
セリーはマルマローへ行く前に、母ニコルの弟である叔父ゼルマン伯爵を訪ねた。
今後父との関係が悪化し、父から支援してもらえない場合など、自立するまでにセリーに何かあった時の後見人になってもらうことを頼むためだ。
「大きくなったね。もう四年ぶりになるのかな?」
「はい、アレットには会っていましたが、ご無沙汰いたしました」
叔父に会うのは母の死の翌年祖父母が亡くなり、その葬儀以来だった。
従姉妹のアレットはロランス子爵家に時々遊びに来る仲だ。
母と同じ褐色の髪を見たとたん、セリーはひらめいた。
そうだ、あの顔を塗りつぶした肖像画の父は叔父にすればいいのかも。
私の髪を金髪に描かせようとしているのだから、お返しよ。
問題は自分に絵心が無いということだ。
叔父を描いたつもりで、自分の画力では似ても似つかない人物の姿になってしまいそうなのだ。
私、絵を習わなくちゃいけないわ。
マルマローから帰ったら、そうしよう。
「義兄上が再婚したそうだね」
「はい。愛人とその息子がやって来ました」
「······そうか。セリー、君も婚約したのだったね」
「ええ、そうです。半年前に」
叔父に父の再婚が不満であること、婚約者から結婚を前倒しにしないかと言われていることなどをセリーは話した。
父が再婚で浮かれていてセリーの髪を肖像画に金髪に描こうとしていると言うと、叔父は困ったような表情を浮かべた。
「セリー、君もじきに結婚する歳になったから、話しておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
叔父は侍女らを下がらせて、セリーと二人きりにした。
「君の本当の父上は先代のロランス子爵で、当代子爵は君の異母兄なのだよ」
「······え?」
セリーの顔から笑顔が消えた。榛色の瞳が驚きと不安で揺れた。
「······叔父様、何をおっしゃっているの!?」
「驚かせてすまない。やはり姉上は君に教えてはいなかったのだね」
お祖父様がお父様で、お父様が私のお兄様ですって!?
叔父はこんな冗談は間違っても言わない人だ。
とても受け入れられないけれど、それでもこれは事実なのだろう。
母方の祖父母は孫の自分になぜか距離感があるような気がしていて、長い間ずっと疑問だった。
父方の祖父母も、特に祖母には幼い頃から嫌われているようで近寄り難かった。
祖父母達からの疎外感は、祖父母は自分を必要としていない、 自分は母にしか愛されていない、そう感じて来たのだ。
セリーは孫として可愛がってもらった記憶が無い。
その理由、原因がわかって腑に落ちた。
「······お母様は、お祖父様の愛人だったのですか?」
「い、いや、そうではないよ」
「それならどうして?」
叔父が返答しにくそうに顔を歪めた。
セリーは小説などでしか読んだことのない、最悪の可能性を口にした。
「結婚後、お祖父様がお母様に手を出したということですか?」
「······そうだ」
叔父は絞り出すように言った。
セリーは自分が誰にも望まれない子どもだったことに気がついた。
母すら、母こそが最も自分を望んでいなかったのだ。
「お父様が愛人を持ったのは、そのせいなのですか?」
「いいや、それとは関係ない。姉上と結婚する前から彼らは恋人関係だったようだからね」
父はカーレンとの結婚を望んでいたが、祖父母らが反対し引き離されたという。
自分が不義の子として生まれたことで、母と父、祖母のことも苦しめて来たのだ。
ロランスの屋敷の者達が父の再婚を歓迎するのは当然だ。
父が母を避けていたのも納得できた。私は本来ロランスにいてはいけない禁忌の存在なのだ。
······それなのに今まで何も知らずに来てしまった。
「叔父様、勝手なお願いなのですが、もし父と上手く行かなくなったら、私が学園を卒業するまで後見人になっていただけませんか?」
「なぜだい?」
「卒業したら結婚せずにロランスを出て侍女として働こうと思います」
「バイイ子爵令息と結婚しないのかい?君にとって悪い話では無いだろう?」
波風立てずに、このままエクトルと結婚してロランス家を出るのが最も平和的解決なのはセリーにもわかっている。
それもできるだけ早い方が誰からも歓迎されるということも。
「君とロランス子爵が異母兄妹だと周囲に明かす必要はないよ、それは悪手だからね」
「······わかっています」
「後見人の件は引き受ける。これからのことは、焦らずに考えなさい」
「······ありがとうございます」
「これは君のせいではない。君が悪いのではないのだから、気に病む必要はないのだよ」
叔父のような男性が父だったら良かったのに。
──なぜ自分の息子の嫁に手を出すような男が父親なのだろう。
今まで憎んで来た父は自分の兄だったなんて······。
父にすら、自分に流れる父の血を一滴も残らずに抜き取ってしまいたいと思っていたのに。
あまりにもショックで涙も出ない。
祖父バチストという獣の血、自分は汚れた血、異常な血を引いた人間のように思えてしまい、堪え難かった。
まさか自分が婚外子だったなんて。
しかも嫁と義父の間の子という、あってはならない禁忌の子だったことに、セリーはおぞましさで吐き気と目眩がした。
──こんな自分がこのまま結婚して良いのだろうか?
結婚というのは、他家に血を入れる、血を混ぜるということなのだ。
良い血ならいいけれど、悪い血を入れるのをどの家も嫌がる筈だ。
家と家とは、血と血ということなのだ。
家門の良さとは財力とか権力ではなくて、本来は血の清さなのだとセリーは実感した。
それは差別なのではなくて。
可能な限り良い血を入れたいというのは、家門を守ってゆこうとする人達にとって当然のこと、本能みたいなものなのだと思う。
エクトルに言わずに嫁ぐことはできない。
子爵の娘ではなく子爵の異母妹を妻にするということなのだから。
黙っていればいい、バレなければいいなんて、それは結婚相手への裏切りだ。
はじめから相手を裏切るなんて不誠実そのもの、それだって不義のうちだ。
愛の無い相手なら、愛を感じない相手なら騙してもいい、裏切ってもいいということではないのだから。
正式にはエンゾは私の甥、カーレンは義妹なのだ。
セリーにはあまりにも信じられず、乾いた笑いが込み上げるしかなかった。