第5話 君の名は。
「余計な事すんな。危ないだろう!」
「は?」
(あらまあ、そこは、助けていただいてありがとうじゃないの?)
残りの3人を片づけたらしい、汚れた自分の服を払っているお坊ちゃまが、お坊ちゃまらしからぬ発言。
金髪を一本で結んでいる。発言は気に入らないが、無事で何より。
「そう思うんなら、そんな、いかにも僕お金持ちです、って格好で下町歩いてんじゃないわよ?ぼく?」
「あ?」
振り向きざまに人をにらんできたお坊ちゃま…ジスランちゃんじゃないか???
多分…間違いない。学院で見るより、目つき悪いけど。
いやあ、同じ学院の人にこのことがばれるのはキツイな。
「あ、まあ、無事で何より。」
ノートと本が入った布バックで顔を隠して、そそくさと路地を出る。
「待て。」
「・・・・・」
「おまえ、掃除道具を忘れてるぞ。」
「・・・・・」
顔を隠しながら、ブラシを奪い取る。あらまあ、柄が折れてしまったな。
今日の私は、親切な通りがかりの庶民。その辺にいるおせっかいの庶民…。
そう、たまたま通りがかっただけの通行人…。
「おまえ…どこかで会ったか?」
「いえ、お会いしたことないですね。一般庶民ですし。じゃあ。」
ほええ、危ない危ない。
まあ、いいか。ここのところストレスがたまっていたから、少しさっぱりした。あと3人ぐらい殴りたかったなあ…。
ブラシを借りたおばあちゃんのところに向かう。座り込んで待っていてくれた。所要時間は5分くらいだったかしら?
「あの…すみません。ちょっと事故があって、ブラシの柄を折ってしまって…。商売道具を本当に申しわけございません。弁償します。」
深々と頭を下げて、ワンピースのリボンの隙間からお財布を取りだそうとしたら、にゅっと肩越しに手が伸びる。
「これで足りるかな?ごめんね、おねえさん。」
おばあちゃんの手に銀貨を一枚握らせて、ジスランちゃんがおばあちゃんの手をそのまま握りこむ。満面の笑顔だ。デッキブラシ、何本分よ???
(・・・こいつ…女には無差別だな…。)
頬を染めたおばあちゃんが去るのを手を振って見送る。
「お前、あれだな。ほら、隣の席の。思い出した。」
「・・・・・」
いや…もうね、2か月近く隣の席だけどね。名前くらい覚えておけよな。一緒にお当番だってやっただろう?だがしかし!今はいい。
「なんだっけ?あ…アスラン?」
「・・・・・」
「あ、からだったよな?アジアン?」
「アリアンよ!!!」
あ、終わったかな。
にこり、とジスランちゃんが笑った。ちょっと怖い。
*****
「で?ジスランちゃんは何でこんなところを歩いていたわけ?」
「あ?ああ、母が朝早くから男子寮前でひと悶着起こしてな…。」
ああ。
「どうしてもどうしても、家に一度帰って来いと言うもんだから。この通りを突っ切っていくと近道なんだ。」
「お母様と馬車で帰ればよかったのでは?」
「・・・いろいろあんだよ。けっ。お前は?」
あーあ。女と約束とか?
「あたし?あたしはノート買ったり、本買ったり。あ!あたしのお昼ごはんが!!!」
ぺったんこです。あんなにふっくらして美味しそうだった、チーズ練りこみパンが…。
「しかし、お前、楽しそうに片付けてたな。」
「・・・・・」
「なかなかやるなあ。やりなれてるよな?ケンカ。」
「・・・いやあ、私の隣の席の奴がちゃらんぽらんで、女受けいいもんだから、クラスの女子からねちねちねちねち言われてさあ…。もう、ストレスマックスだったわけよ。好きで隣の席になったわけでもないのに。ね?」
「は?」
「それからさ、中庭の植え込みの陰で上級生とよくいちゃいちゃしてるけど、丸見えだからね、私の席から。昨日も違う女だったな。勘弁してくれよ。ジスランちゃん。場所考えなさいな。」
「・・・・・」
「それからさあ、朝ちゃんと来いよ。せめてお当番の時は来い。わかったか?一緒にお当番をしなくちゃいけない相手のことも考えるんだぞ?な?」
「・・・・・」
「それからさあ…」
「まだ何かあるのか?」
「あんたが変な輩に絡まれてたから、助けに入ったら、私の大事なチーズ練りこみパンがつぶれたわけよ?わかる?この悲しみが!!」
「・・・・・」
*****
「まあまあ!どうしたのジスランちゃん!お洋服が汚れていますわよ?」
ジスランちゃんのお母様には、私は見えないらしいな。透明になった気分だ。
あわててジスランちゃんに近づいたかと思ったら、ハンカチであちこち拭いている。
「お母様!帰ってくる途中で不良に絡まれて…。」
「んまあ!!!ケガは?ケガはない?」
「この人が僕を助けて下さったんだよ。」
「んまあ!!!あなたが!ありがとう!ジスランちゃんの命の恩人ね。」
「・・・・・」
手を握られて、ぶんぶんされる。
(いや…それほどのことではございません。)
「今度は護衛を付けましょう?ね?」
「いえ、お母様、今度はお母様の馬車で一緒に帰りますよ。」
「そうね。その方が安心ね。無事でよかったわ、ジスランちゃん。」
つぶれたチーズ練りこみパンのおわびに昼ご飯をご馳走してくれるというので、うっかりついてきたらジスランちゃんのお家だった。どっかのカフェにでも行くのかと思ってたのに…。まじ??
歴史あるクレール侯爵邸は、それはそれは大きく美しい屋敷だった。植え込みは綺麗に整えられ、芝生はまぶしいほどきれいに刈り込まれている。
ジスランちゃんのお母様も初めて見た。あの会話だし、寮の先生と言い合ってたし、さぞやギスギスした女性を考えていたが、ふっくらした人のよさそうな…。まあ、人間、見た目に騙されちゃいけないな。
いいお見本がここにいる。
「・・・そうだね、お母様。」
「・・・うん。気を付けるよ、お母様。」
何が、お母様、だ。人格に問題ありだな。さっきまでは俺様発言だったジスランちゃんを眺める。
「なんだよ?あ?」
「何でもありませんわ。ジスランちゃん。」
「さっきから、なんで《《ちゃん》》呼びなんだ?」
「・・・・・」
「昼飯は庭だってよ。今、準備させてる。少し待て。」
「はいはい。で、さ。今日あったことは秘密にしてくれる?」
「あったことって…。お前があっという間に3人の男を沈めたこと?」
背が高いジスランちゃんに見下ろされる。怖いわ。その笑顔。逆光だし。
「いいよ…その代わり、俺のことも黙ってろよな?」
「あ?マザコンってこと?みんな知ってるみたいだけど?」
「ちげーわ。俺は体弱くて、剣術の授業も出れない子なの。」
「へええええ。」
(さっさと3人片づけたくせに?)
「いいな?じゃないと、ばらすぞ?」
「・・・・・」
いやあ…みんなにやさしい母親思いのジスランちゃんが実は腹黒男子だったなんて…誰に言えっていうんだ!!!!




