新たな生活とほのかな不安
次の日の朝。俺は玲奈さんとちゃぶ台を挟んで話し合いをしていた。
ちなみに篤人たちは高校に行った。
不良っぽい見た目から学校もサボりまくっているのかと思ったが、そんなことはないらしい。
何度も言うが、あいつらは変なところで真面目なのである。それもこれも、玲奈さんの教育の賜物だろう。
「それで、篤人たちと同じ高校に行くって言うのは無しなの?」
「えぇ、まあ・・・」
戸籍が無い人間が入れる高校は無いだろう。
思案顔の玲奈さん。
「一応聞いておくけど、気を悪くしないでね。何か・・・犯罪をして逃げてるとかじゃ無いのよね?」
「それは違います。本当にそんなことはありません。あ、喧嘩ぐらいはしてますけど・・・。
篤人たちや玲奈さんに顔向けできないようなことは絶対にしてません。」
うなづく玲奈。俺は言葉を続ける。
「それで、タダでおいてもらうのも悪いので、何か働き口を探したいと思うんです。」
「気にしなくていいんだけどねー。でも、幸仁君はタダでいさせてもらうのを気に病むタイプだよね。ある程度お金を入れて貰えると助かるし。」
「ええ。なのでこの辺のコンビニとかでバイトしようと思ってます。」
「うーん、バイトかぁ。高校も行ってないし。手に職はつけたほうがいいわよねえ。・・・わかった。私に任せといて。」
夜。玲奈さんに連れてこられたんのは雰囲気の良いバーだ。
こういう場は初めてなので少し緊張する。扉には「Bar At」と書かれている。
ここは、玲奈さんがママをしている店らしい。
つまり店名のAtは、篤人→アットということだろう。
篤人たちの飯は作り置きしてきている。昨日は週に一回の休みで家にいたようだ。
篤人もそれをわかって俺を家に連れて行ったのだろう。
「ママ、その子は新しいウェイター?」
「うーん、ちょっと違うの。」
平日の夜にもかかわらず、かなり繁盛している。玲奈さんの人気はかなりのもののようだ。
明るく朗らかで息子と同じ美形な女性なので、玲奈さんと話したいと思うのも納得できる。
玲奈さんは、カウンターテーブルの端に座っている男性に声をかけた。
騒がしい店内の中で、気難しそうな雰囲気を放ちながら、一人静かに酒を飲んでいる。
かなり歳を召しているようで、六十代以上のようだ。
「シゲさん、ちょっといい?」
「ん?どうした?」
この職人然とした男性はシゲさんというらしい。
「この子、シゲさんのところで鍛えてくれないかしら?」
「んん?いやに急な話だな。そいつはどこの誰なんだ?」
想定とは違う方向に話が進んでいるが、口を挟むことはできない。黙って状況を見守る。
「うちの篤人が拾ってきた子なの。篤人と同じ十七歳で、ホームレスをしてたらしいのよ。」
「あの悪ガキが拾ってきたのか。ならまあ人格面は問題ないだろうが・・・。」
篤人の評判はかなり広がっているらしい。
「おい、お前。名前は?」
ついに話の矛先がこちらに向いた。
「新堂幸仁です。」
「お前、なんでホームレスなんかやってたんだ。」
やはりこの質問はされるだろう。
「それは、言えません。」
これが理由で断られたら、玲奈さんの顔に泥を塗ることになるが、仕方ない。言っても信じて貰えるわけがないし、うまい言い訳も思いつかない。
「ふん。訳ありか。まあ、ママの頼みだ。とりあえず数日だけ見てやる。来週からうちに来い。」
「ありがとう、シゲさん。」
「ありがとうございます。」
そう感謝を伝えると、シゲさんは一人飲みに戻った。だが、重要な疑問点が残っている。
「あの・・・」
「うん?まだ何かあるのか?」
面倒臭そうにこちらに顔を向け直すシゲさん。
「シゲさんは何をしてらっしゃる方なんですか?」
その言葉に一瞬呆気に取られた顔をする玲奈さんとシゲさん。二人はすぐに大笑いし始めた。
「いや、すまんすまん。それを言わないとな。うちは大工だ。ビシバシ面倒見てやるから覚悟しとけ。」
言葉は厳しいが顔は笑っている。このちょっとしたコミュニケーションでシゲさんとの距離が縮まったようだ。
「おう、きたか」
時は過ぎ、翌週の月曜日。俺はシゲさんの現場への初出勤の日を迎えていた。
朝礼で、シゲさんから従業員たちに俺の紹介が行われた。
「こいつが先週言った新入りだ。とりあえず、雑用から始めさせる。おい、自己紹介しろ。」
「はい。新堂幸仁です。今日からここで鍛えていただくことになりました。至らぬ点も多いと思いますが、何卒よろしくお願いします。」
従業員たちのまばらな拍手。
「おし、じゃあ今日の現場に行くぞ。おい白石、お前世話係な。」
俺の世話係に任命された白石は、日焼けした二十代後半くらいの男だった。つなぎに頭に巻いた手ぬぐいで、典型的な現場のにいちゃんというスタイルだ。
「おう、よろしくな。何にもわからねえとは思うが、まあそれはその時々に教えてやるから。じゃあ、俺の軽トラの助手席に乗りな。」
白石は気のいい青年のようだ。急に入ってきたよくわからない新入りにも明るく接してくれる。
今請け負っている現場は、新居の建設で、ある程度作業は進んでいるようだ。
「おう、新堂。とりあえず今日は白石のいうこと聞いて仕事の流れ勉強しろ。」
新人に任せられることは多くない。とはいえ、俺は以前この世界にくる前に現場で働いていたこともある。少しでも早く役に立てるよう励まなければ。
「おう、今日の仕事は終わりだ。片付け始めろ。」
その一言と共に、従業員たちが自分の作業をまとめ、上がり始めた。
来た時と同じように白石の軽トラに乗せてもらい、事務所へ帰る。シャワーを浴びて出てくると、シゲさんに声をかけられた。
「おう、どうだ初めての現場は。」
「なかなかわからないことも多くて、勉強しなければいけないと感じています。」
「そうか。しっかり励めよ。」
同じくシャワーから出てきた白石も会話に混ざる。
「いやいや謙遜しなくていいよ。正直予想よりもずっと動けてる。パワーも他の人たちよりもあるし、気もきいてる。今までどこかの現場で働いてたのかと思うくらいだよ。」
その通りである。その通りではあるが、何も言えないので苦笑しながらいえいえ、と返す。
「本当か?まあ、ママの紹介だからそうしようもなく使えねえってことはないと思ってたが。それなら白石につけて、もうちょっと色々やらせてもいいかもしれんな。」
「はい。新堂なら全然こなせると思いますよ。」
初日の評価は上々のようだ。前の世界で現場で働いていた経験が生きた。
最初は厳しい扱いを受けるかと思っていたが、これならしっかり働いていればすぐに認めてくれるかもしれない。」生計を立てる手段の目処も立ってきた。
俺は、この世界で生きる覚悟を固めたのだった。
シゲさんの工務店で働き始めてから一ヶ月ほどがたった。今日は日曜日。
シゲさんは、基本的に土日は休みにしてくれている。
そのため、同じく学校が休みな篤人たち三人と遊びに繰り出すことにしたのだ。
篤人たちは普段玲奈さんから小額の小遣いをもらい、ぶらぶらしてお金を使わないように過ごすらしい。
篤人はバイトもしていないし、孤児院暮らしの二人が自由に使えるお金を持っているとも思えないので、当然といえば当然の話だ。
だが、最近俺に初任給が入った。大した額ではないが、今回の遊びにかかる費用の多くを俺が出すことにした。
篤人たちは渋ったが、今回は無理やり押し切らせてもらった。
今の俺は、この世界に来た当初に比べれば遥かに恵まれた環境にいる。
そんな環境まで俺を連れてきてくれたのは、紛れもなく篤人たちだ。
篤人たちには、本当に感謝している。
こんなことで恩を返せるとは思えないが、それでもあいつらにしてあげられることはしたい。
そんな思いで提案した遊びだった。
まずは、ボーリング場だ。
俺たち四人の誰も行ったことがなかったので、シューズやら玉、長えた玉が戻ってくるシステムに、残ったピンの回収システム。
行き慣れた人なら当たり前のものに、俺たちはいちいち驚いた。
何事にも騒ぎ立てるので、相当周りの人からしたらうるさかっただろう。
結果はもちろん大失敗。四人とも一度もやったことがないのだから仕方がない。
それでも、本当に楽しかった。ガターだろうが爆笑が止まらなかった。
一度だけ、篤人がストライクを出した時なんか、驚きで10分ほど騒ぎ立てたものだ。
そんな最高のボーリング初体験の後、公園で玲奈さんが作ってくれたお握りを食べていると、見知らぬ女性から声をかけられた。
「あっ、篤人じゃん!」
その声の主を見ると、高校生らしき女性たち二人組がいた。
「なんだ、花と京子か。」
どうやら篤人たちの知り合いらしい。
「誰?」
こっそり翼に聞いてみると、詳しく教えてくれる。
「二人とも中嶋さんの同級生です。明るいショートカットの方が花さんで、黒髪ロングの方が京子さんです。」
そこで翼は声を潜めて、俺に顔を近づける。
「花さんは、篤人さんのコレです。」
そう言いながら翼は小指を立てる。なるほど、彼女か。
「そんなんじゃねえよ!」
翼はこっそり伝えてこようとしたが、篤人には筒抜けだったらしい。翼は篤人のアイアンクローを食らっている。ミシミシという音が聞こえてきそうだ。
「あの、そっちの人は?」
「ああ、こいつは新堂幸仁。俺らとタメ。今うちに住んでるんだよ。」
「新堂です。どうもよろしく。」
「新堂さんは、篤人さんの相棒で、俺らの兄貴分なんですよ。」
翼がそう補足する。いつのまにやら俺は相棒で兄貴分になっていたらしい。
だが、気分は悪くない。
他に仲間がいないこの世界で、この気のいい奴らにそう思ってもらえているのは嬉しいことだ。
話を聞くと、花と京子はコレまでショッピングを楽しんでいて、これからカラオケに行く予定だという。
「篤人たちもきなよ!」
どうせ予定もなかったので、俺たち四人も、彼女たちについていくことにした。
だが、カラオケに行って問題が起きた。
俺は、この世界の曲を全く知らないのだ。
もちろん、篤人たちとテレビを眺めているときに流れてきていて、メロディーに聞き覚えがあるというレベルの曲はあるのだが、今の生活に慣れようと必死だったこの一ヶ月間で、一曲丸々歌えるほどに覚えている曲などない。
いや唯一知っている曲はある。
我らが国歌、「君が代」だ。
だが、他のメンバーたちがアイドルの最新ソングやらポップミュージックやらを歌っているのに、急に君が代なんて歌い出したら場が白けることは確実である。
花は初対面ということもあり、気を遣って歌うよう勧めてくる。
普通ならありがたいところだが、今は正直言って迷惑だ。
とはいえそんな気持ちを表に出せるはずもなく、事情を察している篤人たちのフォローもあり、なんとかその場をやり過ごした。
そんな気まずいカラオケではあったが、花や京子も、篤人の友人だけあって気のいい人たちだ。
それからも篤人たちを交えてちょくちょく一緒に遊ぶようになんたのだった。
またしばらくたったある日。仕事を終えて家に帰ろうとしていると、シゲさんに呼び止められた。
「おう、新堂。ちょっと残ってろ。」
「え、はい。いいですけど・・・」
「今日、『Bar At』に連れてってやる。ママもお前の現場での様子が気になってるだろ。」
「!ありがとうございます!」
そんなこんなで、連れ立ってバーに向かった。ところが、その日はいつもと様子が違った。
開店時間から少し立っているはずだが、まだ開店している様子がない。だが、鍵は空いているようだ。
「ん?今日は休みか?」
「家、今日も普通に営業しているはずですが。ちょっと様子見てきますね。」
ドアに手をかけたところで、大きな叫び声が聞こえた。
「いいから帰ってください!何度言われようとこの店は売りません!」
そんな言葉が聞こえ、慌ててドアをあけると、そこには玲奈さんと、柄の悪いスーツ姿の数人の男がいた。
「ちっ、邪魔が入ったな。まあいい、またくるぜ。それまでにもう一回考え直しときな。」
男たちはそんな捨て台詞を吐きながら、横柄な態度で店を出て行った。
「幸仁君。この店に来るなんて珍しいね。」
「俺が連れてきたんだ。」
シゲさんがそう言いながら遅れて店に入ってきた。
「今のは、井納組の奴らだな?最近ここらで強引な地上げしてるって噂だが、この店もやられてたのか。」
先ほどの男たちは、ヤクザらしい。
「ええ。数ヶ月前からね。最初は普通に金をちらつかせるだけだったんだけど、最近は悪戯電話やらさっきみたいな脅しやら、やり口が過激になってきてるの。」
「大丈夫なんですか?警察に相談した方が・・・」
「うん、そうしてみる。」
「気をつけろよ。最近あそこはいい噂を聞かねえ。」
「ありがとう。さっ、座って座って。幸仁君を連れてきてくれたってことは、現場での様子とか聞かせてくれるんでしょ?」
不穏な空気を払拭しようとする玲奈さんの言葉に従い、俺とシゲさんはカウンターに座る。その後、玲奈さんと話していると、常連客も多く訪れ、いつもと変わらぬ景色が戻ったのだった。