半年位眠ってた
大学受験まで、あと少し。
高校に入学して、三年生になって、春が終わって、夏が終わって、毎日受験勉強に励み続けていたら、いつの間にかこんな時期になっていた。
特別仲のいい友達がいるわけでもなく、かといってクラスで浮いてるわけでもないような、曖昧な立ち位置でのらりくらりと日々やり過ごし、そのままスルスルと時間は過ぎて、いつの間にか。
他の人も同じような感じなのかな?
それとも、楽しい思い出が一杯で語り尽くせないって感じなのかな?
別に、羨ましいとも、妬ましいとも、どうでもいいとも思わない。
どうでもいいとも思わない。という、良く言えば哲学的、悪く言えば一行矛盾な考えに違和感を覚えたけれど、今一度自分の身に起きたことを考え直してみると、あながち間違っていないようにも思う。
今日は一週間ぶりの、周期的に訪れる、二連休の初日だったはずだ。
早朝、ぬかるみに肩まで浸かっているかのような気だるさと格闘しつつも起き上がり、手や足を使わずに腰やら首やらをぐるりと回し、ベッドの枕側に位置するアナログ時計に目を向ける。
腰やら首やらが痛くなる姿勢のまま、今にも停止してしまいそうな思考をフルに使って現在時刻を確認しようとする。
しかし、寝ぼけた頭はいつまで立っても長針と短針の位置から時刻を計算することができず、諦めて勢いよくベッドに寝転んだ。
今日はどうしようか、いっそのことこのまま寝入ってしまおうか、などと考えながらゴロゴロと寝返りを繰り返していると、だんだん頭が冴えてきたので今一度現在時刻の確認を決心する。
なんとなく起き上がるのが面倒で、仰向けのまま少し仰け反ることで強引にアナログ時計を視認する。
十時十五分
左右反対に考えて、二時を十時だと誤認しているわけではない。
長針と短針を間違えているわけでもない。
確か昨日は・・・勉強がうまく身に入らず早々に、そう、九時頃に寝たはず。
十三時間睡眠?
体に掛かっていたキャラクター物の可愛いタオルケットをバサッと投げ飛ばしながら起き上がり、アナログ時計と対面して睨む。
何度確認しても、十時十五分。十時十五分。
いや、今、十時十六分になった。分針が動いたという事は時計が壊れているわけではない、という事になる。
十三時間も寝るだなんて、相当疲れがたまっていたのかな?
休日の貴重な数時間を無駄にしてしまったような、損をしたような気分でだいぶ遅い朝食を取ることにした。
台所に行き、三秒程考えたのち、パンをトーストで焼いて、牛乳と一緒に食べた。
皿とコップを洗いながら、今日のスケジュールを考える。
スケジュールと言っても、前々から決まっていた予定事があるわけでもなく、何をしようかな、なんて具体性のない思考をしていただけ。
本当のことを言えば勉強をするべきなのだけれど、昨日に続いて今日もやる気になれない。
こんなことは普段ないのだけれど、十三時間も眠っていたほど疲れていたのだという今朝得た免罪符と、この季節特有の天気の良さを言い訳に、散歩をしてみることにした。
散歩なんていつぶりだろう。駅前でもぶらつこうか、それとも、神社にでも行ってみようか。
そんな事を考えながら、今日の季節の割に暖かい気候に対応できる服に着替えて、金属製の玄関ドアを開け、一歩、外に出た。
玄関ドアを開けた途端、むせ返るような湿気を含んだ熱風が吹いて、それは視界を歪める陽炎と相まり、ドロリとした液体のように、全身にまとわりついてきた。
季節の割に暖かい、なんてレベルではない。
何をどう考えても、これは、夏だ。
今は冬の始まり頃で、日に日に寒くなっていく時期のはずだ。冬とは思えないほど暖かい日が時々あったりするけれど、この湿気と陽炎はどう考えてもおかしい。これは異常気象と言うやつだ。多分。
そんなことを頭で考えながら、体は玄関ドアを閉じて部屋に戻り、学校で貸し出されているノートパソコンを開いて検索窓に「今日 異常気象」と入力し、エンターキーを押した。
乱立されるニュースサイトか、気象庁の報告か何かが検索トップに出るかと思ったけれど、気象庁の、冬が始まるこの頃唐突に訪れた猛暑日とは全く関係のない、至って通常運転のサイトがトップに出た。
いくらスクロールしても、今さっき私が感じた大きな驚きが共感できる内容の文面は見当たらず、呆然と真っ白な光を放つ液晶を眺めていると、自然に、液晶の右下の、デジタル時計に目が行った。
十時四十分
次に、日付を示す数字群を見て、あまりの驚きに全身に痺れを感じた。
普段なら、こんなに驚きはしなかっただろう。しかし、いまだ新鮮に残っている湿気と陽炎の不快な記憶が、その数字にファンタジーとリアリティーを与えていた。
昨日は、あと少しで受験と形容するのが正しい日付だったはずだ。
決して、決して夏の始まり頃なんかじゃなかったはずだ。
「今日 いつ」と検索し、テレビを付け、親の部屋にある日付まで表示するデジタル時計を見に行った。
思いつく限りの日付を確認できる方法は全て試した。至極当たり前に、全てにおいて確認できた日付は、ノートパソコンのデジタル時計に示された日付と一致していた。
つまり現実として、今日は夏の始まり頃であり、冬の始まり頃に訪れた夏のような猛暑日は、夏なのだから当たり前であり、それに対して困惑している私の認識がおかしいのだと。そういうことになる。
は?
まだ残されているかもしれない僅かな可能性にかけて思考を巡らせる。
ドッキリ?いや、どうやって気候を変えるんだ。
気のせい?どこからどこまでが気のせいで済ませられるんだ。
夢?おそらくこれが、最ももっともらしく、歪な現実を現実として受け止めずに理解する方法の一つだろう。
けれど、私は朝起きて、朝食を食べて、そしてそれぞれの機微を覚えている。
私は朝、寝ぼけすぎて時計から時刻が読めずに一度諦めた。私は朝食の時、パンにバターやジャムを付けようかと考えたけれど面倒で止めた。
こんなこと夢の中では考えられないはずだし、もしこんなことを夢の中で考えられるのなら、夢と現実の区別の仕方が私にはわからない。
いや、それらのことは全部どうでもいいことだ。あまり重要じゃない。
これを現実として受け止めた時、空白の半年間私はどういった状態だったのかを知るのが最優先なはずだ。
家族は?学校は?どうなった?私は今、社会的にどういった立ち位置にいるんだ?
受験は、どうなった?
こんな状況になって一番気になる事が受験というのは、悲しむべきなのか、笑うべきだったのかわからないけれど、私は急いで学校用のカバンを開き、受験のことなどをメモしている生徒手帳を手にした。
手元の、いつも目にしている生徒手帳を、まじまじと眺める。
なにか、違和感があった。自然な風景に紛れた、今の私でなくちゃ気付けないような、そんな違和感を感じた。
生徒手帳の表紙には上から、校章、校名、名前、四桁の生徒番号が記されている。
校章と校名と名前は昨日までと、いや、寝る前までと変わらない。けれど、学年と、組と、出席番号を組み合わせた四桁の生徒番号の、千の位が、増えていた。
つまり、私は、私が知らない間に、私が知らない学年に進級していたということだ。
私は、話半分に考えていた昔にいたらしい哲学者たちの言葉を思い返していた。
彼らは、他人を疑い、自分を疑い、世界を疑い、それらの中に確定して言える答えを模索していた。
私は哲学者ではないから、自分や世界の疑い方を知らない。けれど、常識や時間さえも、私は信じるとができなくなっていた。
ほんのさっきまで心配でしょうがなかった受験のことが何だかどうでもいいようなことに思えてきて、手に持っていた生徒手帳を学校用のカバンに向かってポイと投げた。
生徒手帳はカバンの側面部に当たり、正常に働く物理法則に従って落下する。
私は、地面と正常に衝突した生徒手帳を横目に、自分の部屋を後にした。
自分が建てた予定通り、私は散歩をすることにした。
夏用の服に着替え、外に出てむせ返るような湿気と陽炎を受け取め、空を見上げた。
太陽が増えていることも、一面紫色になっていることも、戦闘機が銃撃戦を繰り広げていることもない、いつもの空があった。
徒歩三十秒ほどの公園に向かった。
公園では、私の知っている位置に私の知っている木が生えていて、至極普通の子供たちが至極普通に遊んでいた。
ただ一つ、西側にあるブランコは、五席ではなく四席だったはずだ。
これが私の記憶違いなのかどうかは分からない。けれど、私が常識を信じられない以上、真実の確かめようなんてない。
次はどこに行ってみようか、駅前?高校?久々に中学校にでもいってみようかな?
なんて考えながら私は、道のりに沿ってただ歩いた。
歩いている最中、ずっと何かを考えているようで、何かを考えていないようでもある、不思議な感覚だった。
ただ確実に言えることは、私が知らない店や小道が、私が見知った道にあるという事。
私が知らない半年のうちにできたのか、それともずっと前からそこにあったことになっているのか、それは分からない。
けれど、私からしたらそれはどちらも同じことだ。
気が付いたら、私は神社の鳥居の前に立っていた。
ここはそう、私が小学生だったころ、ずっと一人で来ていた神社だ。
小学生の私には、この竹林の中にある神社がとても特別な物のように見えて、何か特別な物があるんじゃないかとずっと一人で探索していたんだ。
成長してから見てみると、この神社はとても小さい。
誰が管理しているのかもよくわからないし、何の神社なのかもわからない。
ただ、だからこそと言えるかもしれない。この神社に、私を助けてくれる神秘性があるかもしれないと感じた。
鳥居を潜り抜けて、神の道らしいとどこかで聞いた砂利道の端を歩いた。
私の身長と同じくらいの、神がいるとされているのであろう木製の建物の前に立って、手を二回たたいて深く頭を下げた。
神社での正式なふるまいなんて知らない。
そもそも今の私からしたら、正式なふるまいを教えられたとしても、それが私にとっての昨日までの世界での正式なふるまいと同じなのかなんてわからない。
そんなことを考えながら、じっと頭を下げていた。
カラスの声がとても近くから聞こえて、咄嗟に目を開けた。
さっきまでと何の変哲もない、神がいるとされているのであろう木製の建物と、竹林があった。
別に、神に祈ったから私の望みが叶うだなんて信じちゃいない。
けれど、私の常識が通用しない世界なのなら、私が信じていないことも起こり得てもいいと思った。
思ったのだけれどなぁ。
なんとなく、神社の奥に行ってみなくなった。
ある程度賢い子供だった私は、神社の奥にはただの山が続いていて、危険か、徒労があるだけだと知っていた。
けれど、賢さを持つ意味を見失った私からすれば、その先に危険か徒労しかないと知っていても、行く理由は「なんとなく」だけで十分だった。
上ることを考慮されていない山道はある程度険しかったが、素人でも上る事ができる程度の傾斜だった。
登っている最中、素人なのだから当然怪我をした。
足と腕を、尖っている枝で切った。
痛かった。
腕からは軽く血が出ていた。
体中を虫に刺されて、全身が痒かった。
別に、辛いとも、嫌だとも、どうでもいいとも思わなかった。
ずっと、色々なことを考えていて、気が付いたら山頂に到着していた。
空は暗くなっていて、夜と呼ぶのが正しい時間だった。
夜の空も私の常識の範囲内にいてくれており、星はある程度綺麗に輝いていた。
山の麓と比べて密度の下がった林冠の隙間から、街頭やらで光る街を眺めた。
山頂から街を眺めて最初に考えたことは、小学生の頃見たアニメのことだった。
そのアニメでは、なぜかは覚えていないけれど山に登って、山頂から煌びやかな街を見下ろして、何かを決心していた。
どんな内容かも覚えていないけれど、何かを決心していたことは確実に言える。
私も決心してみようか。
けれど、特にしたい事があるわけでもない。
出来ればこの私が知らない世界から抜け出したいけれど、私個人レベルの力ではその方法を探る事すら出来なさそうだ。
よし、じゃあ、家に帰ろう。
家に帰って寝れば、元に戻っているかもしれない。
そんな思考停止ともいえる思考をした事実にクスっと笑って、来た道へ一歩、前に出た。
前に出した私の右足は、腐りかけのぬめった落ち葉を踏み抜いた。
右足による支えを期待していた左足はすでに体を支える事をしておらず、私の体は緩い斜面を転げ始めた。
緩い斜面だったから、頑張れば転がる体を止めることは出来たかもしれない。
けれどなんとなく、このまま転げ落ちたらどうなるだろう。と思って。
私は力を抜いていた。
私からすれば「なんとなく」は十分な理由だった。
私の体が止まったころ、私の体は力を入れても動かなくなっていた。
出血箇所が数え切れない位増えていた。
全身が痛かった。虫刺されの痒みは収まった。