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純文学(?)

夭折賛美

作者: タルト

開いていただきありがとうございます。

今年最後の投稿となります。


評価・感想お待ちしています。

 私は、夭折を好ましく思っております。


 夭折とは、即ち早世のことであります。若くして死ぬことであります。何十年、百十数年と続く生のうちの、その前半分の内で死ぬことであります。

 この世には、生きることそのものが苦痛と感じる方々がいます。恐らくは、私もそのうちの一人です。


 恐らく、というのは、何かの間違いで長く生きてしまった私がいた場合、その後の私は、今の私の抱ききれぬほどのこの気持ちが果たして本当だったのかを考えるでしょうから、その時の自分に判断を委ねたく思うがための、断言しないための恐らくです。


 さて、皆様は、歳をとる、ということをどのように捉えているでしょう。肯定にしろ、否定にしろ、多くの意見が出ることと思います。

 私の場合、歳をとる、ということは、醜いことであると感じております。

 数多くの研鑽を積み、武勲を重ねてきた老年の兵士であれば、その様を、格好よいと、そう思います。

 しかし、そんな大層な生き方をした者は決して多くおりません。

 近頃は、娯楽に溺れ、歓楽に身を浸し、その先の人生を決定づける若き時代を無為に過ごす、そのような者で溢れかえっております。

 その人らは、その先に生きて、果たして何を成すでしょう。一体、何を成せるでしょう。

 ごく一部の者を除けば、大半はそれまでの人生の延長線上でしかない、無為な生を過ごすこととなります。そのような者は、醜いのです。

 気力を奮い立たせて娯楽に打ち勝つことができれば人生を変えることができた、そんな若き時代が過ぎ去って、人生の在り様が完全に決定せられて尚も生きるのは、醜いのです。


 では、夭折していたらどうでしょう。

 この無為な者でも、過ぎ去る日々のどこかで溢れんばかりの気力を得、人生を変えようと努力をしていたかもしれないと、周囲の者は、その若き死者に対して、そういった夢想ができるのです。

 その者の行く先に、希望が持てるのです。

 本人の意思や先々の希望の有無、そんなものはお構いなしに、その人生を、在り様を、色とりどりの光で修飾できるのです。

 そこには、その短き生を歩んだ当人の醜さはありません。たとえ周囲の者が醜くても、当人は、若さという強さと、希望を持ち併せた美さとを保ったままに幕を閉じたのです。


 ですから私は、夭折をしたいのです。

 このまま、皆に惜しまれ、そうして死にたいのです。


 私は、私自身に、輝かしい未来があるとは思えません。

 そして私は、夭折を好ましく思っております。

 ですから、どうか、先立つ不孝をお許しください。




 男は、手紙を書き上げると、足場に登り、首に梁から伸びた縄を掛けた。

 男の部屋は、足場を蹴り退かした音を最後に、静寂に包まれた。

お読みくださりありがとうございました。


今作は2ヶ月ほど前に、鬱が再発した最中に思いついたものになります。

『暗晦』と同様の、暗く、おどろおどろしい、そんな心中の一端を込めました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 死により美しいまま己を保存する。結果として前向きではあれど、その解に到達する過程は悲しい。だからこそ胸をうつものがあります。武士の潔さに通ずるものがありますね。生き恥を晒したくない。なんて…
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