8月2日
掛け軸には、毛並みの豊かな狐と、それに手を差し伸べた格好のウカノミタマらしき人物が描かれた絵が描かれていた。
聖域の入り口は、榎田達の目論見通り、この掛け軸であった。
もちろん、彼らとしては聖域は入る際の儀式やそこで起こる物事について、一般の人々に見られるわけにはいかない。
昨日の深夜は、掛け軸を見せてもらったとして、一体どうやって聖域に入るのか、その点について話し合ってはいたものの、特に答えが出ないまま。
人間悩むと頑張って早めに解決しようとする人間と、時間がある時は後回しにする人間の2種類がいるが、義亀は前者、榎田は後者であった。
8月2日。少し周りが白んでくる時間帯を迎える。
「コケコッコー」と半ばやかましい鶏の声の後、町内放送を流すために、平里町の各家々には設置してあるスピーカーから、例の体操の音楽が流れ始める。
全国の小学生のなかで、または過去、そうであった大人たちのなかで、この曲が心から好きだと言える人間は一体どのくらいいるのか。
榎田たちにとっては好きになれなかった音だが、社会人になると余計に快眠を邪魔してくる妙にテンションの高い音楽となって、嫌でも耳に入ってくる。
考えることを後回しにした榎田はともかく、一晩中悩んで眠れなかった義亀は、やっとこさ、うとうとし始めれたところを邪魔され、心の中はささくれ立ってしまった。
「あ・たーらしーい あーさがきた
きぼーうの あ・さーだ
よろこーびに むねをひーろげ
おおぞーらあおーげー」
「はい。それでは腕を大きく振る運動から!
さんはい!」
「最後に深呼吸。8月2日のラジオ体操。今日も元気に1日を過ごしましょう!」
終わってみると、体も目覚めた感じがして、やってよかったかもしれないと思えてしまう辺り、ラジオ体操というのはよくできている。いや、人間が良くも悪くも騙されやすい生物なのかもしれない。
大学生の不摂生な生活で、眠い目を擦りながら体操をやりきったさやかは、そう思った。
榎田は今日の予定をぼんやりと考えて、義亀はささくれ立った心を癒し、漂う眠気を振り払ってくれることを願って、真剣に朝飯の献立を妄想していた。
今日の朝ご飯は、鮭の切り身と白ごはん、納豆にワカメ入りの味噌汁と、まさにテンプレートともいうべき日本の朝食的献立である。
粒が立ち、ふっくらとたけた白ごはん。そして程よく味噌の色が溶け込んだ汁から立ち上る湯気と味噌の香り。そしてそれらを引き立たせるように、皮が少し焦げ、油の乗った鮭が、堂々と、添え物のキャベツとトマトのサラダと同じ皿の上で輝いている。
夏の日差しが差さない涼しい朝、黙々と、うまそうに、食事をかきこむ音が、食卓に響いていた。
食事を食べながら、榎田は目覚めはじめた頭を回転させる。
・・・・・・
榎田たち死神は、基本のルールとして、
・原則として儀式その他、死神としての仕事を一般人に知られてはならない。
・神が穢れによって暴走、又はその予備軍だと判断された場合、できる限り速やかに排除し、生まれ変わらせる、もしくは、別の神を配置する。
・現実世界において、犯罪を犯してはならない
この3つを守る必要がある。というよりも、これ以外に守るべきルールというのは、あまり明確に存在してはいない。
死神にもとりまとめを行う上部組織が存在はするが、神の暴走、または予備軍の発見と、その神の場所への死神の派遣の業務がほとんどであると言われる。
現代社会において、超常現象とも言える力を制御する彼らは、表社会どころか裏社会にも存在を把握する者は、ほぼ皆無である。
それには、彼らが人間のために行動しているという事実と、信条をもっており、かつ、犯罪を犯さない、社会のルールを乱さないようにしている事も理由として大きい。
ここらへんの事情は榎田達も把握している。
しかしながら、死神は人間が生まれて、かなり長く存在する存在であると言われているにも関わらず、なぜ死神が暴走する神を排除する必要があるのか、そもそも神とは何なのか、人間と神との関係性はなんなのか、死神が神を排除してなぜ人間の為になるのか、なぜ、彼らが「死神」と呼ばれるのか。
そういった疑問については、少なくとも榎田達は知らなかった。
もしかすると、死神の上部組織の誰か、例えばトップあたりがその情報を握りながら、危うい情報であるために握り潰しているのかもしれない。
死神として働き始めると、誰もがそのように考えるのだが、結局のところ、彼ら死神は命懸けの仕事についている事情もあり、まずは自分が生き残ること、明日のことを考えているうちに、有耶無耶になってしまうのである。
一番肝心な話をするのを失念していた。
死神に支払われる仕事への対価は「寿命」である。
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榎田は考えた。
掛け軸が聖域の入り口であることは間違いなく、また、狐が稲荷神の遣いである事もほぼ確定である。
神というのは実体化できないからこそ、現実世界の生物を遣いとして世界に干渉する。
そのことから考えるに、狐は聖域からやってきたのではなく、ここらに住む狐が遣いとしてこの家にやってきていた、というのがおそらくは正しい状況である。
であるならば、やってきていた狐のように、家の外の生物に干渉できる方法、つまり、掛け軸以外にも聖域へと入ることのできる入り口が、この平里町のどこかにいくつかあるのでは無いのか。
榎田:「八代さん。ここらへんでお稲荷様を祀ってる神社とか、土地とかお家とかって、京子さんの家以外にありますか?」
八代:「えぇ?聞いたことないがねぇ。ばあちゃんなら知ってるかもしれんが。
ばあちゃーん。ちょっと。」
さやかの祖母は縁側に座っていた。
八代:「ばあちゃん。ここら辺でお稲荷さん祀ってる神社とかって、京ちゃん以外のとこにあったっけ?」
祖母:「うん?なんて?....お稲荷さん?
そりゃ、山川寺じゃ。」
榎田:「なるほど。寺ですか。でも仏教系のお稲荷さんは九州にあったかな?」
祖母:「そんなんしらん。私はここらの事しかわからんし、他がどうかまでなんて答えられんが、山川寺には稲荷のお社があったとおもうがね。こめ(*1)して誰も気づかんし見向きもせんがよぉ。」
榎田:「わかりました。お二人ともありがとうございます。」
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8月2日
今日は、榎田さんが狐の社の話をおばあちゃん達から聞き出してた。
多分その後そこに行くんだろうと思って、私も見に行きたいって二人に行ったら、あからさまにそんなとこ行かないってはぐらかして。
あの時、義亀さんの姿が消えたのは、何か理由があるのは間違いない、、、。
山奥の片田舎に蔓延る巨大な陰謀、そしてその場所は私の実家!
ただはぐらかされたからって諦めるような年齢でもないし、大学生の暇さを舐めるなよ!
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さやかは、ダメもとで二人に同伴しようとしてやんわり断られた後、田舎のコネを活かして、山川寺の中学生、山川颯太(15歳)に電話をかける。
さやか:「颯?久しぶり。さやかよ。
悪いんだけど今から山川寺に男が二人やってくると思うから、ちょっと見張っててくんない?」
補足
(*1)「小さい」の意。この地方の方言。
色々拙い文で申し訳ないですが、ぜひコメント等々よろしくお願いします。