お稲荷様と守子
守子は自分がしでかしたことに、遅ればせながら驚き、狐をみた。
それをみた狐は、まるで
もうダイジョウブ
とでも言うように、特に体に異常がなかったかのように、何処かへと歩いていった。
その年の末、珠江はさりに容態が悪くなり、病院で入院生活を始める。
医者からは老衰だろうと言われ、そう長くないことを告げられた。
守子の生活は、介護が無くなり、少し余裕ができた。病院に通い、もう物の認識もおぼつかない珠江に話しかけながら、その日が来るまではと、珠江との時間を大切に過ごしていた。
何かスイッチが入る日があると、珠江が昔のように戻る時があった。当然のように守子の事を守子だと認識して、たわいも無い思い出話や、何十年も前の体験をさもさっき体験してきたかのように興奮して話してくれたりした。
そのスイッチが入っていた冬のある日。
珠江は、守子にこういった。
ウチの息子の嫁に来てくれてありがとう
色々と迷惑かけて本当に申し訳ありませんでした
ごめんなさいね
狐ちゃん、嫌わないであげてね
でも、本当にありがとう
あなたみたいな嫁がもらえて、わたしは幸せでした
守子は病室で、珠江とふたりきりの空間で、静かにボロボロと泣いた。
守子にとって、久しぶりに訪れた、嬉しい時間だった。
その日の深夜、珠江は静かに息を引き取った。81歳だった。
珠江が亡くなった後、守子は夫の転勤や京子の県外への就職もあり、家を離れることになった。それが20年前、災害によって平里町が壊滅的な被害を被る前年である。
平里町へ帰ってきた時には離れはほぼ壊滅していた。家宝でもあった掛け軸だけは探し出し、他は後処理で全てを更地にした。
帰ってきてからは狐は家にやってこなくなった。
守子は、比較的穏やかな日々を送っている。
だが、後悔もある。
あの時狐を傷つけたこと、しかしそれによって、珠江を傷つけずに済んだこと。それらは確かに守子の中に刻まれている。
後悔、謝罪の念と、感謝の念、両方を抱えながら、毎年同じ時期、つまりこの夏の初めになると、珠江に教えてもらった稲荷寿司を作り続けている。
そしてやってこない狐の代わりに、掛け軸にお供えをして、ごめんなさいとありがとうを伝える。これがこの時期の彼女の日課になっている。
・・・・・・
話を聞き終えた一行は、
どこか重たくも温かな気持ちになりながら、
静かな一時を過ごした。
どうせこの時期は掛け軸は出すから、またおいで。と守子に言われた榎田と義亀。
その日は解散となった。
いくら陽の長い夏といえど、辺りはすっかりと暗くなり、月と星が強い光を携えて、空に居座っていた。
・・・・・・
義亀:「遅くなりました。」
八代:「晩御飯、とってありますよ。」
風呂、食事と済ませ、
デザートに出た栗きんとんを、お茶と一緒に食べながら、ゆっくりとする。
義亀:「あんなことがあったんですね。」
榎田:「何がだ?」
義亀:「守子さんですよ。」
榎田:「ああ。」
義亀:「狐、来なくなった理由って、やっぱりそのことで稲荷神が怒ったからとかでしょうかね?」
榎田:「まあ、ないとは言えんが、あまりその線はないんじゃないかと思ったんだよなぁ。」
義亀:「というと?」
さえこ:「何話してんの?」
気が抜けて仕事の話をしようとしてしまった事に一瞬冷やりとしたものの、
「さえこちゃんも京子さん家、行ってたんだろ?俺たちも気になって話、聞きに行ったんだよ。」と、話題をそれとなくごまかす。
すると、今度は一瞬、
さえこがどこか動揺した顔をした後、
「あ、ああ。なんか狐が来てたって話、本当なんだね。」と言った。
義亀:「そうらしいね。ところで、なんでさえこちゃん狐の話なんか、わざわざ聞きに行こうとしたわけ?」
さえこ:「えっ。それは気になったからに決まってんじゃん。そっちこそ、なんで聞きに行ったのよ。」
墓穴を掘った質問だったと義亀は心中で思ったが、榎田がすかさず、
榎田:「俺が狐好きなんだよ。会えるもんなら会いたいし、触れられるなら触れたい。第一、狐なんて北海道にでも行かなきゃなかなかお目に掛かれるような動物じゃない。
だったら行かない手はないし、来ない理由があるなら解決して、来てもらえるようにすればいいだろ?」
さえこ:「........暇なんだね。仕事はいいの?」
榎田&義亀「ちゃんとやってきたわ!きました!」
さえこ:「なにムキになってんの。ガキじゃあるまいし。」
・・・・・・
義亀:「で、どうします?」
榎田:「....何が。」
義亀:「さすがに寝室までは入ってこないでしょ。」
榎田:「いや何の話だよ。」
義亀:「もろもろですよ。手綱神社もそうですし、祭り関連、それに稲荷神も。」
榎田:「....正直、色々手一杯な気もしてきたが、出来ることなら稲荷神の協力は何としても取り付けたい。
古くから同じ地で、特に領地の取り合いもせず共生してるんだ。
何かしら手綱の神が抱えてるっぽい秘密も探れるだろ。」
義亀:「例の掛け軸が聖域への鍵だってのは、十中八九間違いないとは思いますが、京子さん家に狐が来なくなったのは、やっぱりなんか理由があるんでしょうね。
そこら辺の解決法も、榎田さんわかってるんですか?」
榎田:「いやお前もすこしは考えろよ。
......まあ、なんとなくだが、怒ったりとかはしてないだろ。多分。稲荷神も。
そもそも俺たちは神についての知識はそれなりにあっても狐とか動物についてはあんま詳しくねぇから分からん。それが神の遣いだって言われてもなおさらな。どういう存在かはある程度把握できるが、大体地方によってシステムかなり変わるから現場じゃないとわからないことが多すぎる。
ま、そういう事も含めて、掛け軸見せてもらったからになるだろ。」
義亀:「その、怒ってない云々の根拠はどこにあるんですか?」
榎田:「あ?カンだよ。」
義亀:「だと思いました。」
そうして夜はふけていく。
8月の最初の日、まだ平里町は平和である。
人々は救いなど求めていない。