1話 邂逅
■カレン
×× XX:XX
──自分が、夢の中にいると理解するのに時間はかからなかった。
暗い──
冷たい──
寒い──
まるで、深く深く冷たい水の中をゆっくり落ちているようだった。
周囲の様子は暗闇でありながら、自分の状態は自然と分かる。度々目の前に灰色のモヤがかかる。
そこには子供時代の私が映っていた。
『これは……あぁ、あの時か』
いつごろだっただろうか、時期は分からない。ずっと施設にいたから……
でも、どういう状況かすぐに分かった。
──横にいた一人の女性によって。
『……エマ』
そうだ…確かこの時に初めてエマと出会ったんだ…
突然、白衣を身にまとった女性が部屋に入ってきたから驚いた記憶がある。
(あなたに会いに来たの)
私に?なんで?
本当に最初は冗談かと思った。その人は私に会いに来たと言ったのだ。さすがに耳を疑った。
なんのために私に…
(あなたと話してみたかったの)
──そこから私達の関係が始まった。
灰色のモヤは散っていき、新たな光景を映し出す。
それは、つい最近先程まで蒼空の上で起こっていた出来事だった。
──大切な人から生きてと言われた。
──大切な人から世界を見てこいと言われた。
──大切な人から希望を貰った。
──大切な人に…助けてもらった。
映像はやがて別れの場面へと到達する。
私が落とされるシーンだ。
今思い出しても少々腹が立つ。
(もっと他に方法があったはずでしょ…もう……ふふ)
でも、あの人らしいと、自然と笑みがこぼれる。
映像の中のエマと私は互いに涙を零していた。
こうやって、客観的に自分たちを見ていることに多少の違和感を覚えたけど、本当に互いを大切に思いやっているんだと強く感じた。
その直後──私は落ちた。
文字通り、私は空高くから落ちた。
そして私の大切な人は、私に背を向け遠くへ行ってしまう。振り返る際に、僅かな水滴が見えたような気がした。
『やだ……行かないで……』
それでも彼女は歩いていく。
落ちていく私との距離は、ただただ開くばかりだ。
『いや……いやぁ……』
手を伸ばす。
その人を掴もうと、必死に繋ぎとめようと、しかし虚しくもその手は空を切る。
『いか、ないで……マ……エマ…エマーーーッ!!!!』
瞬間──景色は暗転する。
『はっ!!はぁ、はぁ、はぁ…』
──目に入ってきた光景は白い天井。それに向かって伸ばす私の手だった。
『…こ、ここ…は?』
ありがちなセリフを発した後に周りを見渡す。
自身には布団がかけられており、右隣と頭側は壁。右側の壁にはスライド式の窓が付けられていた。
足元には机が1つ。勉強机だろうか?
左には数人が囲って使う円形のテーブルと小型の座椅子が数個があるのみだった。
しばらく見渡していると時計を見つける。
短針は6と7の間を、長針は6丁度を刺していた。
外が薄暗いことから午後の6時半。
自分が落ちてからそれなりに時間が経っていることが分かった。
そして、私はゆっくりと起き上がる。
『うっ……痛い…』
脇腹を抑えながらそう口にする。
『なんでだろ……まさか本当に効果が切れて地面にぶつかったの……?
で、でも助かってるし……脇腹がちょっと痛いだけだし……だけど、ここはどこなんだろう…私を助けてくれた人の家なのかな…』
身に起こったことを整理していると、部屋の外から話し声が聞こえてきた。声音から男の子と女の子の2人のようだ。
「いっつつ……まだ痛む…」
「そりゃそうだよ。あんな無茶したんだもん。智くんが悪いよ」
「でも…」
「でもじゃない!!私、すごく心配したんだからね?あの子が助かったからいいものの…」
「……うん、ごめん」
「…うん、分かったんだったら…いい」
やはり私を助けてくれた人のようだった。
何故か落ち着かずソワソワしてしまう。
そして、ドアが開き2人が入ってくる。
真っ先に女の子の方と目が合った。
私が起きたことに安堵したのか、目に涙を浮かべながら私の元へ駆け寄ってきた。
「良かった…目が覚めたんだね!! 良かった……怪我は!?痛いところない?智くんが思いっきり飛び込んだらしくて心配で…」
私の手を取りながら女の子がそう言う。
『あ、えと、はい、大丈夫です。ちょっと脇腹が痛む程度です…』
「え、痛むの!?ほら智くん!ちゃんと謝って!」
「えぇー…俺、頑張って助けたのに…」
「えーじゃありません。女の子に怪我をさせたんだから。ほら」
『あっ、いや、いいですよ!軽い怪我ですからしばらくしたら治りま──』
「だめ!」
『うっ…』
本当にちょっと痛むだけなのだけど、この子は我が強いようだ。私の発言が終わるのを待たずに静止してくる。でも、そのくらい私の事を気遣ってくれているのが伝わってきた。
(なんだろう…胸の奥があったかいな……)
自分の胸に手を当て、その不思議な感覚に浸ってみる。
(この感覚、エマと話してる時に似てる…)
「智くんも智くんだよ、考え無しになんで突っ込んでいくかな」
「亜希、それもう5回目だぞ……」
「関係ない!智くんは昔っからそう。変に正義感あるもん」
「でも…」
「でもじゃない」
「…だっ──」
「だってじゃない」
「ぐっ……」
私が不思議な感覚に浸っている間も横ではずっとこんな会話が繰り広げられていた。
女の子強すぎない?
(仲が良いんだね……なんだか、私とエマみたい…)
私がエマを怒ってた時のようで親近感が湧いてきた。
『…ふふっ』
そんな仲睦まじい光景に安堵を覚え、つい笑ってしまう。
「あ、やっと笑ってくれた…良かった…」
「いえ、すいません笑っちゃって。仲が良いんだなぁと思って」
「うん、いいよ。私と智くんは幼馴染だから」
「幼馴染ですか、いいですね」
「うん」
そうしてしばらくの間会話が弾み、少し遅れての自己紹介が始まった。
「あ、そうだ、名前教えなきゃだね。私の名前は白瀬亜希。この家に住んでて、今いるこの部屋が私の部屋だよ。それで隣にいるどこにでもいそうな男の子が──」
「蒼井智哉。よろしく。呼ばれ方は特に気にしてないから好きに呼んでくれて構わない」
『白瀬さんと蒼井さん…はい、こちらこそよろしくお願い致します』
2人の自己紹介が終わり、次は私の番。
『…私の名前はカレン。カレン・エルミネスです』
──────────
◇白瀬邸・2階・亜希の部屋
■蒼井 智哉
pm7:00
結論を言うと、日常が大きく変わり始めた気がする。
今朝普通に起きて、学校に行って、家に帰る。
確かにいつもと変わらない毎日を送っていたはずだった。でも、一つだけ、普通では起きないことが今日起こった。起こってしまった。
それが目の前にいる《カレン》と名乗る女の子が突如、空から落ちてきたことだ。
不謹慎かもしれないが、今のこの状況に胸を高鳴らせている俺がいた。
「カレンちゃんって言うんだね。しかもエルミネスって…日本生まれじゃないの?」
あ、それ俺も気になってた。
「いえ、えっと、その……よく、分からないんです。私、小さい頃から施設を転々としていたので…」
「あ……ごめん私、不謹慎だった」
「あーいえいえ、いいんですよ。特に気にしていませんから。謝らないでください」
露骨に落ち込む亜希をカレンは慰める。
知らなかったんだから無理もない。これは仕方がない。
「それにこの名前は私の……親同然の人に付けてもらった名前なんです。なんでも"明るい"とか"光り輝く"って意味があるらしいです」
「ほわぁ…凄くいい名前……いいなぁ」
「ふふ、私も結構気に入ってます」
確かに凄くいいと思う。
なんとなく語呂もいい気がする。
すると、カレンがこっちを向いてきた。
「あ、あの…その…話の流れからして、蒼井さんが私を助けてくれたんですよね?」
あー、その事か。
『うん、そうだよ。亜希と二人で帰ってた時に、空から落ちてくる君を見つけた。警察に連絡しようとも考えたけど、気づいたら走ってた』
「そう、ですか…」
『それに、明らかに落下速度が遅かったから、何かしらの魔法がかかってたのはすぐ分かったし、ただ事じゃないと思った。オマケに魔法の効力が切れかかってたし、四の五の言ってられなかった。まぁ、空から落ちてるってだけでもただ事じゃないんだけどさ』
その時の状況を簡潔に説明をする。
途中「…やっぱり切れかかってたじゃん(ぶつぶつ)」とカレンが言っていたような気がしたが触れないでおこう。触れたらなんか……やばそう。
「ふぅ……そうですか…あ、えっと、蒼井さん。今更になるんですけど…た、助けてくださって、ありがとうございます…」
少々照れくさいのか、太ももの間に両手を挟み、身体をモジモジとさせながらにカレンは言う。
『うん、大きな怪我もしてなくて良かったよ』
隣で亜希が「うんうん」と頷いている。
『…さて、と』
自己紹介も終わったし、状況確認も簡潔にだけど終わったしそろそろ本題に移ろうか。
俺はカレンの方を見る。
俺の真剣な目を見てどのような質問か察したようで、カレンは少し身構える。
そして、1つの疑問を投げかけた。
『──なんで、空から落ちてきたんだ?』
質問し終えた直後、部屋が静寂に包まれる。
亜希も気になっていたようで、息を呑んでカレンの回答を待っている。
「そう、ですよね…ちゃんとお二人には話さなければいけませんよね……分かりました」
すっと息を吸い、はぁっと吐く。
──数秒後、カレンの口が開かれる。
「…私は、とある組織の人体実験の道具として他の施設への輸送中、ある人物の助力もあり、そこから逃げてきたんです」
「……え」
『………』
──再び場は静寂に包まれる。
勇気を振り絞り答えを出した少女に対して、何か言わなければいけなかったんだろうが、衝撃すぎて口が開かなかった…
空から落ちてくる時点で異常だと思っていたけど、あまりにも普通じゃない。
俺達は、次に紡ぐべき言葉を見失っていた──。
to be continued