表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

高嶺の花は俺には安すぎる。

作者: 五月秋高

 元友人が刺されたらしい。

 正確に言えば刺す方は未遂で、刺されそうになり逃げた先で足を踏み外して重傷、命に別状はないとはいえ深刻な負傷をしたらしいが。


「わたしが悪かったのよ。ちょっとした気の迷いであなたを裏切ってしまった。だけど、わたしはまだあなたとの長い関係を忘れてない。だから……」


 どうもそれがこの目の前で繰り広げられている茶番の原因のようだが。


「ねえ、何とか言ってよ」

「なんとか」

「ふざけないで!」

「いや、さぁ。何を言えっていうの」

「ひどいわ。それが彼女に言うことなの?」

「元、彼女な」


 市内に一軒だけあるファミレスでひとり晩御飯を食べていたときにやってきたこの目の前の女。

 俺の元彼女、唐木愛子。

 スラっと背の高いスレンダーな女性で、ちょっとツンっとした目つきが特に容姿に目を惹かせる美人だ。

 学生時代はアニメのように靴箱からラブレターがあふれ出すとも、メアドがとんでもない価格で取り引きされているとも噂されていた人物だ。そして俺はそれが事実だということも知っている。

 SNS全盛期に個人メールアドレスというのも、そもそも個人SNSでやり取りできる間合いまで入れる奴が皆無、それでも何らかのつながりを持ちたい奴が目を付けたのがメール。1対1でやり取りできるメールの希少性がここに来て注目される結果となったわけだ。


 高校までは同じ学校の同級生、もう少し驕るなら異性の友人と言ってもいいか、共に大学に進学し県外へ。

 別々の大学に進学するも偶然街中で顔を合わせてとりあえず食事でもということになり、そうこうしているうちに同郷人のよしみもあり俺が彼氏に昇格、彼氏彼女となったわけだ。

 そして卒業後にUターンして出身の県で就職、仕事について数年、いよいよ独身生活にピリオドを打とうとしているとこで、な。


「お前さ、俺の部屋を出ていくときに『あなたのようなつまらない男と一緒だなんて息が詰まるわ』とか言ってたじゃねえか。何をいまさら」

「気の迷いだったのよ。あなたから離れてみてやっとそれがわかったの」

「わかったってお前。やっとそれがわかったの、で済むと思うの?」

「ごめんなさい。だけど」

「だけどじゃねえよ。お前が俺に一方的に別れを告げて3か月、荷物も全部お前の部屋に送ったし、連絡手段を全部消した。その上……」

「やり直せないの?」

「ちょっと自分のしたことを考えてみろよ」

「確かにわたしはひどいことをした。けどもう一度1対1で」

「そこじゃない。……ああ、1対1のとこな、そこだよ」


 愛子がハッとした顔で俺の顔を見る。俺が何を言いたくてそこを指したのか気が付いたのだろう。


「お前が部屋を出て行って以降、俺の評判は奈落の底だ。まだ、冴えない男だとか怪しい趣味だとかは許す。事実だからな。

 問題はDV男だとか、浮気したとか、借金とか、そういうやつだ。俺はお前を殴ったことはないし、付き合っていた間お前以外と関係をもったわけでないし、借金も車を買ったときに親から借りた金だけだ。しかももう返済している。無かったことでどれだけ俺が責め立てられたか、お前にはわかるまいよ」

「わかるわ。だって」

「いやお前にはわからんよ。どこまで噂の種に水を撒いたかは知らんし今更興味もない。だが、お前はこの3か月いや3か月弱か?こっち見てなかっただろ?」

「そんなことない!」

「そんなことある。だってさ、俺を悪者にして、アイツのとこに行く口実に仕立て上げたんだろ」


 反射的に何かを言いかけて、声にならずに口をつぐんだ愛子。


 ここで出てくるのが冒頭の、元、友人だ。名を柳田良太と言う。

 簡単に言うと俺の正反対のタイプ。会話が上手く社交的で、いかにも出来る男の風情を漂わせている。

 俺より若干背が高く、俺より若干金回りも良い。今は知らんが。

 そのへんで俺と柳田をふたり並べてどっちを彼氏にしたい?と聞いたらまあ100票あれば100票柳田に入れるだろうな。俺も、見た目だけで判断するんなら柳田に入れる。

 

 で、見た目だけで、と注釈を入れる理由がある。

 コイツ、大変性格が悪い。ひとを、使える人間と使えない人間とに差別する癖がある。で、使えないと思う人間には何をしてもいいと思っている。

 俺が友人枠に入っていたのも友人枠から外されたのも、つまりは俺を友人枠に入れる理由があり、理由がなくなったから友人枠から排除したというだけのコイツなりの理屈からである。


 薄々わかっていると思うが、まああまり言いたくないし認めたくもないが、つまりは愛子をモノにするための踏み台だったってわけだよ諸君。

 で、すべて計画の通りニヤリというわけで、愛子はアイツのベッドに飛び込んでいったわけだ。


「まあ積極的に俺を貶めるよりは、柳田とのハニーなムーンを楽しむ方が建設的だわな。だから評判を狂わせたのにはお前が積極的に関わっていたとはあまり思わん。美女と野獣、野獣か俺?が別れたなら、火のないところに放火して楽しむやつが絶えないだろうしな。

 同時に、俺がひどい評判に右往左往されていたことを知っているとも思わん。しょせんは他人事、言うなれば、元、彼、だからな。どうなろうが自分に火の粉が飛んでくるまではどうでもよかろう」

「そんなこと……」

「まあ、今更そんなこと終わったことだ、もうどうでもいい。だから俺は飯を食う。帰れ」


 俺は片手を振り、話しているうちに冷めた料理に再び箸をつけようとした。

 その箸を俺の手ごとガチッと握りしめ、愛子が俺の手を止める。


「どうしてもわたしと、あなたは縒りを戻せないの?」


 ジッと俺の目を睨みつける愛子に、同じように睨みつけた目を反してはっきりと言ってやる。


「ああその通りだ」

「なぜ?」

「そうだな……今お前は、わたしと、あなたは縒りを戻せないの?と俺に言った。わたしはあなたとではなく、な」

「それの何が問題?」

「わたしのような美人で気立ての良い女があなたのような冴えない男に再び付き合おうって言ってるのになんでこのバカはそれを受け入れようとしないんだこのバカ、と言ってる」

「……何を言ってるの?」

「お前さ、ちょうど1月前、どうしてた?」

「どうって……」

「言い方を変えようか。柳田のやつが刺されそうになって重傷を負い入院し、そして退院してきたころだ。怪我の後遺症もはっきりしてきたころだよ」

「そうね、彼の退院手続きとかしてたわね」


 シレッとした顔で愛子は言うが、額に浮かんだ汗を俺は見逃さなかった。


「……なあ、ここから先を俺は言っていいのか?」

「何を?」

「帰れよ。俺から離れて、俺の知らない所で俺の知らない相手と幸せになれよ」

「なぜよ。なんであなたではダメなの?」

「……」


 愛子とテーブルを挟んでにらみ合いとなった。俺も引く気もないが、愛子も引く気はないらしい。

 

 あまり言いたくない。

 同時にはっきりと言ってやりたい気もする。


「俺はなんでお前が柳田のベッドに飛び込んだのか知ってるぞ。柳田の奴が自慢げに俺に言ったからだ。

 そしてなんでお前が俺のとこに戻ってきたのかも知ってるぞ。柳田の奴が使い物にならなくなったからだ」


 柳田の奴は愛子と付き合いながらも他に2人、合計で3又をかけていたらしい。もっと多いのかもしれんがそこまでは俺も知らん。誰が本命で浮気相手なんだか、あるいは本命無しで所詮は3人とも遊び相手だったのかもしれんが、結果としてその歪な関係は発覚した。

 ある日、愛子の留守中、愛人1号が包丁を腰だめにして柳田の部屋を強襲した。

 柳田のやつは逃げるために2階のベランダに出たのはいいものの、そこから飛び降りる際に足を滑らせて変な落ち方をして1階の物干し竿に落下。下半身を打ち付けて……


「まあ、アレは折れたが子どもは作れるらしいな。内臓の機能は影響なかったのはアイツにとっても不幸中の幸いってやつだ。何なら柳田のとこに帰れよ。わざわざ捨てた俺のとこに戻ってくることはない」

「そんな体の事なんかどうでも」

「良くないからこそ俺を裏切って柳田のとこに行ったんだろ?高校時代はノーカンとして、大学時代、卒業してからの何年か、ふたりであちこち行ったし、ふたりでいろいろ食べたし、ふたりで長い時間を過ごした。その永い時間と柳田の下半身を天秤にかけて、俺との時間を投げ捨てることにしたんだろうが。

 それを今さら、天秤の片方が使い物にならなくなったからといって元の盆には還らんよ」


 考えてみれば、3か月前に一方的に別れを告げられてからまともに話すのはこれが初めてだな。


「俺に悪いところがなかったとは思わん。結果として天秤に乗せた上でお前を満足させるような重さがなかったから柳田の方に転んだということだ。同時に、もう終わったことだ。お前が終わらせたことだ。原因がどこにあったとかいまさら追及もせんよ。お前は俺と別れて、柳田のところに行った。それだけだ」

「その天秤が間違っていてこうやってわたしが戻ってきてるのに、何も思わないの!?」


 痛いところを突かれてカッとなった愛子に、皮肉な笑みを向けざるを得ない。


「思わん。結局お前が部屋を飛び出ていったからはっきりとした別れ話をするのが今更なんだがな。お前の考え違いを正してやる。

 お前は自分が俺を振ったと思っているようだが、俺がお前を振ったんだよ」


 思ってもみなかったらしい。愕然とした顔で愛子が俺の顔を見る。


「客観的に見れば、いや元彼として主観的に見てもお前は美人だし生活能力も高いし仕事もできる。俺のような男からすれば願ってもない上物だよ。

 この1月ほど俺の周囲がうるさくてな、俺が妙にお前と柳田の情報に詳しいのもそれだ。柳田が落ち目になり、お前の同僚やら友人やら、俺らの共通の友人らがいろいろ俺に吹き込んだのさ。

 みんな口を揃えて、お前、唐木愛子のような人を逃すのはもったいない、縒りを戻せと言う。

 あんな美人を、いい体の女を、出来る女を逃すのは男として失格、征服して上書きすればいい、押し倒せ、なあに好きなようにできる、と言う。

 でもな、俺は時間を大切にしない人間とは合わん。共に歩める気がしない。

 俺とお前のふたりの時間を紙きれのように破いたなら、もう繕いようはないんだよ」

「そんなことない!やりなおせる!」

「やりなおしてどうなるっていうんだよ。お前はきちんとした順序も踏まず一方的に柳田のところに行った。やりなおして、またいつの日か柳田2号のところに走るときを俺に待てというのか?

 お前はいい女だが、それでもその時間の代金としてはお前は安すぎる」


 甘い言葉、親愛の言葉、告白の言葉はいくらでも言われたことはあるだろう。

 だが未だかつて、愛子にこんなことを言った男はいないだろう。俺が初めてだ。

 初めてでも何も嬉しくない初めてだ。


「君は高嶺の花だが、愛でるには俺には安すぎる。別れよう。お互いに別の道を歩もう。さようなら」


 何も言えなくなった愛子を置いて、俺はテーブルの伝票を取り席を立った。

 店を出ると皮肉にも、いや星空が人間様の都合など知ったことなわけもないわな。

 雲も消え満天の星の下、俺は帰路についた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ